第6話
その夜。
エダポイトの実の粉末を詰めた小瓶を、殿下の部屋に大量に運び込む。
瓶詰めをしながら、我ながらよくもまあこれだけ加工したものだと呆れたほどの量に、小瓶の入った箱の蓋を開け、中を覗いた殿下も目を丸くした。
「これがエダポイトの粉末か。薬というよりは、どちらかというと調味料といった風情だ」
小瓶を一つ取り出し、蝋燭の炎に透かしたり、振ってみたりする殿下。
「甘みが強いので、菓子作りなどに使うこともできるでしょう。実際、エダポイトの産地である北方では、そのように使うと聞いたことがあります」
私の言葉に、殿下が皮肉げに薄く笑う。
「菓子を食うことで毒の恐怖から逃れられるなど、素晴らしいことだ。なぜ広まっていないのか」
「それはもちろん、毒に冒されたら相応の薬を手配した方が手っ取り早いからです」
植物学は、あくまで植物の生態や分布を伝えるものだ。
もちろん、エダポイトのように解毒作用のあるものや滋養強壮に効果のある植物も存在するため講義で扱いはするが、それらは私の専門分野における主要な題目ではない。
体調を崩しているなら素直に医者にかかり、薬を出してもらうのが最も効果的なのは言うまでもないだろう。
「今回は、特に事を大きくできないという事情からお手伝いをさせていただきましたが、可能な限り早く医者に診ていただくのがよろしいかと」
「ああ、それはもちろんだ。今、手の者をドラン子爵領に走らせている。そう時間はかからず何かしらの報告が入るはずだ」
そう時間はかからないと言うが、ドラン子爵領は、ポルトギスの最南端に近い場所にある。
事情を聞いた日の翌日から動き出していたとしても、往復の移動と調査に要する時間を考えれば、報告まで暫く待つことになるだろう。
そう考えた私は、箱の中から小瓶を取り出し、殿下の前に並べながら言う。
「わかりました。先に説明したとおり、もしジラウス殿の体が毒に蝕まれていたなら、この粉を飲む事で多少なりともその進行を遅らせることができるでしょう。ただ、あまり大きな効果は期待されないようお願いいたします。解毒効果があるとはいえ、どこまで行っても果物の粉でございますので」
聡い殿下のことだ。
この粉によって劇的に症状が回復するとは思っていないだろうが、作り手としてはあまり期待されても困る。
そう伝えると、殿下はわかっているというように頷いた。
「今の状況では、その果物の粉に頼るしかないのだ。感謝するぞ、兄上」
「兄上はおやめください」
私と殿下が血を分けた兄弟であることがばれて以降、何度も繰り返したこのやりとり。
しかし、一度たりとも受け入れられたことはなく、この時もニヤリと笑いながら言う。
「断る。事実として私達は兄弟なのだからな。しかし、ただの果物が加工方法によって多少なりとも解毒効果を持つのだ。植物学というのはやはり奥が深い。そして、尊敬する兄上がその奥深い学問について明るい事を弟して誇りに思う。……この粉、何本か私ももらっていいか?」
「もちろん。殿下からのご依頼につい張り切ってしまい、このとおり作りすぎました。万が一の時のお守り程度の気持ちで、こちらをお持ち帰りください」
万が一などないに越したことがない。
ただ、王族、更に言えば次期国王候補筆頭という立場にあり、他者と比べて万が一が起きる可能性が遥かに高いのが、キナリス殿下だ。
お守りなどいくらあってもいい。
そんな気持ちで小瓶を十本ほど差し出すと、彼には珍しく穏やかな笑みを浮かべた。
「弟や妹にも渡してやろうと思う」
「陛下には渡されないのですか?」
何の気なしにそんなことを尋ねた私に殿下が向けたのは、この世で一番の苦虫を噛み潰したような渋い顔だった。
「父に贈り物? するわけがないだろう。あの男にこれを渡すくらいなら、城の地下牢に繋がれた囚人にでも渡した方がマシだ」
強い口調で吐き捨てる殿下。
生まれの事情から私自身も国王陛下にいい印象は持っていないが、殿下は殿下で心中に燻っているものがあるらしい。
しかし、囚人に渡した方がマシとは。
「さてさて。教師としてはなんと言ったらいいのやら」
余計なことに触れたことを反省しつつ肩をすくめる私に、若くして凍土の二つ名を冠する弟が、冷たい表情のままに言う。
「いつか、父に盛る毒の調合を依頼するかもしれないのでその時はよろしく頼むぞ、レイティス先生」
「こんな時だけ教師扱いはおやめください」
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