第5話
薄く切った大量のエダポイトの実に部屋の大半を占領されて生活すること十日程。
風の魔法を使うことができればもっと早く仕上がったのだが、獣人の血が半分流れている私はそれほど魔法が上手くない。
それに、今回は事が事だ。
エダポイトの実に囲まれるという怪しい生活の理由の詮索を避けるためにも風の魔法が使える同僚や友人にも助力を頼めず、自然乾燥により日数をかけて実の水分を抜くしかなかった。
講義の合間に部屋に戻って空気の入れ替えをしたり、乾燥にムラがでないようこまめに場所を変えたりと手間はかかったが、その甲斐あって乾燥具合は上々。
ベルタ先生が焼いてくれた乾燥させた実を練り込んだパンを齧りながら、我ながらいい状態のものができたと自己満足に浸る。
「さあ、ここからが難関だ。もってくれよ、私の腕」
この後の作業の過酷さを思うと、ついそんな独り言を呟かざるを得ない。
粉末に加工する工程だ。
カラカラになったエダポイトの実を料理用のすり鉢に放り込み、太いすりこぎ棒でひたすら砕いていくと、水分が完全に抜けたそれは、鉢と棒の間で簡単に砕け、段々と粉状に姿を変える。
口で言うとたったこれだけの作業。
しかし、なんせ量が量だ。
また、細かく滑らかな粉末にすればするほど効能も高いと言われているため、殿下の期待に応えるべく、また、この作業が一人の生徒を救うかもしれないと思いつつ、寝る間を惜しんで我が物顔で部屋を占領するエダポイトをすり潰していった。
「レイティス先生。顔色が悪いですよ? 大丈夫ですか?」
流石に連日の粉末化作業で疲れが出たらしい。
控え室でウトウトしていた私に、心配そうにベルタ先生が声をかけてくる。
その際、深刻な筋肉痛に陥っている右腕に触れられ激痛が走ったが、なんとか悲鳴を抑え込むことに成功した。
「ああ、ええ。大丈夫。最近少し夜更かしが続いていまして。あ、焼いていただいたパン、とても美味しかったです。本当にありがとう」
決して話を変えるためだけにそんなことを言ったのではない。
この数日は、心を無にしてすりこぎを使ったあと、ベルタ先生のパンを食べることで人間らしさを取り戻すという日々を繰り返しているので、伝えたのは心からの感謝だ。
そんな感謝が伝わったのか、ベルタ先生が目を細めて嬉しそうに笑う。
「よかった。父も、レイティス先生からいただいた乾燥したエダポイトを食べてすごく喜んでいたんです。懇意にしているお菓子屋さんのものと比べても遜色ないって。気づいたら私の分まであっという間に平らげてしまったんですよ?」
どちらが多く食べたかで、久しぶりに親子喧嘩になったらしい。
ベルタ先生から聞く副団長様は、世間一般に言われる『王国の盾』とはだいぶ印象が違い、どちらかというと可愛い方に感じるが、そんなに気に入ってもらえたなら作った甲斐があるというものだ。
「それは嬉しい。やはり魔法を使わず自然に乾燥させたのがよかったのでしょうね。副団長様には、機会があればまた作るとお伝えください」
そんな他愛もない話をしていると、控え室の戸が開き、室内に緊張感が走ったように感じた。
何事かと振り向くと、そこに立っていたのはキナリス殿下。
立ち上がろうとする教師陣を手で制し、私の方に堂々とした足取りで真っ直ぐ近づいてくる。
「レイティス先生。よろしいだろうか。約束したとおり、先日の夜伺った話の続きを聞かせてほしい。今晩は空いているだろうか」
そんな約束はもちろんしていないが、エダポイトの実を使った解毒剤の完成にかかるおおよその日数を伝えていたので、確認するつもりでいるのだろう。
解毒剤はある程度の量が完成しているが、それをどう連絡しようかと考えていたところだったので、殿下からの接触は大助かりだ。
「ええ、予定はありません。講義終了後にお部屋に伺うことでよろしいでしょうか」
私がそう伝えると、ピクリとも表情を動かさず、凍土殿下が浅く頷いた。
「ああ。疲れているところ申し訳ないが、頼む。こちらも死活問題だからな。毒の対策は、早め早めにしておきたいのだ」
本当の目的を隠すためか、殿下が、敢えて室内全体に聞こえるような声の大きさでそう告げる。
ならば、私も余計なことは言わずに従うだけだ。
「殿下のお考えは理解できます。では、後程。ああ、資料は用意しておりますので、ご安心ください」
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