第2話
「殿下。どこに人の目があるかわかりません。いつも申し上げておりますが、兄と呼ぶのはおやめください」
私がそう苦言を呈しても、むしろ心外だとばかりに大袈裟に両腕を広げてみせる殿下。
「これはおかしなことを。兄上は我が父、当代ポルトギス国王の長子。ならば、第二子である私が貴方を兄と呼ぶのは自然なことでは?」
何度も繰り返してきたやり取りに頭が痛くなる。
聡い殿下のことだ。
もちろん外で大っぴらにこんなことを言うことはないのだろうが、二人きりの空間だとしても危険な発言には違いない。
「貴方は世に認められ、祝福された王の子。私は世に存在を認められなかった、呪われた子。なれば、貴方に兄と呼ばれる資格は、私にはございません」
私こと、ベンフィーク王立学校植物学教師レイティスは、殿下の言うとおり当代ポルトギス国王の実子ではある。
が、しかし。
母親は我が国の高位貴族ではなく、下位貴族でもなく、それどころかポルトギス国民でもない。
私の母親は、ポルトギスから遠く南に向かった先にあるアニマラの生まれであり、俗に言う獣人種だ。
アニマラとポルトギスは、それぞれが獣人種と人種の盟主として、血で血を洗う闘争を繰り広げた過去がある。
そんな闘争がどちらが勝者なのかわからない、互いに滅亡寸前のボロボロの状態で終わりを迎えた後、両国、さらには人種と獣人種は、新しい時代に向けて手を取り合うことを誓い合った。
時は流れ、先王の時代。
当時、大国の次期国王候補の立場にあった父と、アニマラ使節団の団員としてポルトギスにやってきた歌姫の恋は、絵物語ならきっと素敵な結末を迎えただろうが、現実はそう甘くない。
父は母を側に置くことを強く望んだらしいが、先王をはじめとする支配者層は、もちろんそれを許さなかった。
また、アニマラ側もポルトギスとの間に要らぬ諍いを抱えることを避けるため、母を強制的に国に帰還させてしまう。
ここまでならば、珍しくはあるがこの世にはありふれた、権力者と市井の者の悲恋ということでかたがついただろう。
だが、母が国に帰還した後に問題が発覚する。
そう、私だ。
当時、母から私を身籠ったことを相談された使節団が外交筋を使ってポルトギスに報告したところ、手切れ金という名の莫大な支援を約束することで関係を切るよう迫られたという。
元々事を荒立てたくないアニマラ側は、母に相談することなくこれを承諾。
母は、未婚のまま私を産み育てるという難事に立ち向かうことになったが、困難というものは連鎖するらしい。
獣人は、読んで字の如く獣の特徴を有する生き物で、母なら猫のような耳や尻尾がある。
しかし、私の見た目は人種そのものであり、ぱっと見、獣人の特徴は何一つ備えていなかった。
こうなると、奇異の目で見られずに過ごすというのは難しく、それが遠慮のない子供時代ならなおさらだ。
幼い頃は、周りから人種然とした見た目を馬鹿にされるたびに、なぜ自分には耳や尾がないのかと泣きながら母に尋ねて困らせたのを覚えている。
言えるはずがなかったのだ。
お前はポルトギス王族の血を引いているからだなどと。
後で知ったことだが、このままでは私があまりに不憫だと、母と事情を知る使節団関係者が改めてポルトギス側に接触し、私をポルトギスで育てるよう申し入れたらしい。
見ようによっては母が私を捨てたと見えなくもないが、大人になった今考えれば、私のためにそうせざるを得なかったのだと理解できる。
もちろん、当時は母も父も国も世界も、全てを呪ったものだが。
結果として、私は留学という形でポルトギスにある全寮制の学校に入ることになり、そこで出会った人々のおかげで、最低限の歪みだけで成長することができたと言っておこう。
昔のことを思い出して黙り込んだ私を見つめていた殿下が、やれやれとばかりに深々とため息を吐く。
「まったく、強情なことだな」
歳の割には大人びている顔を皮肉げに歪める殿下。
歪めてもなお整った顔は父にそっくりで、母に似た私と並んでも兄弟だと気づかれることはないだろう。
「強情とは、そっくりそのままお返しいたします。この話はこれまでも何度も繰り返したはずです。また蒸し返すおつもりならお暇いたしますが?」
「まあ待て。毒について兄上の、レイティス先生の意見を聞きたいというのは本当だ」
その声に冗談の色は混ざっておらず、混じりっけなしに真剣そのもの。
この声を聞いては退室することもできず、殿下と視線をぶつける。
「……穏やかではありませんね」
「構えず、念のためだと思ってほしい。そうでなければ、食事を用意したりなどしないさ」
奥の部屋からは食欲をそそる香りが漏れてきていることには気付いていた。
この香りは、香辛料を効かせて焼いた肉と臓物と豆の煮込みだろうか。
わざわざ私の好物である粗野な献立にしてくれたらしい。
「確かに。あの効率を尊ぶ『凍土殿下』が、余計な手順を踏むことなどあり得ないか」
『凍土殿下』。
冷静かつ冷徹。
他者に対してめったに笑みを見せない次代の支配者に付けられた二つ名で呼ぶと、先程とは違う、心の底から嫌そうな顔で首を振る。
「兄上。私をそう呼ぶのはやめてもらおう。周りが勝手にそのような印象を抱いているだけで、私が他者に特別冷たかったり厳しかったりといった事実はない」
「まあ、その点については言及しないでおきましょう」
この弟がまったく厳しくも冷たくもないかと言われると全面的に庇ってあげられないところだが、誤解されがちなことは間違いない。
「血を分けた兄からのその反応は大いに不満ではあるが、まあいい。とりあえず食事を。話はそれからだ」
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