獣人兄上と王族弟妹

企業戦士

第1話 

 十人程度の、大人とそう変わらない顔立ちの子供達が集う教室。

 私が講義資料の本を閉じると、数人から疲れたような溜め息が聞こえてきた。

 六学年あるうちの五学年ともなれば、卒業を控えて講義の内容もより高度に、より実践的なものになる。

 正直、貴族の子弟である彼らが受講するのは、経済や政治など、より人生と密接に関わる講義だけで十分なのではないかとも思うが、文化的な国家を標榜する我が国では、私の専門である植物学も貴族が修めるべき教養の一つだ。

 興味を待てないなら持てないなりに退屈しないような講義を心掛けているつもりだが、これがなかなか難しく、日々苦心している。

 

「では、本日の講義はここまでにしましょうか。皆さん、お疲れ様でした」


 私が講義の終了を告げると、最前列の中央に座る硬質な銀色の髪と涼しげな目元が特徴の男子生徒が立ち上がる。


「全員、起立。レイティス先生に感謝を」


 そう号令を掛けると、全員が立ち上がり、揃って美しい礼をみせてくれた。

 立場でいえば、彼らは貴族で私は平民なので頭を下げる必要はないのだろうが、これは『教師は生徒を尊重し、生徒は教師を敬う』という、学校創立時から存在しているらしい規則に従ってのものだ。

 

「ありがとう。試験も近いです。質問がある方は、遠慮なく控え室までどうぞ」


 そう言って教室を出ると、ようやく学生達の明るい声が室内から聞こえてきた。

 今日の講義はこれで終わりなので、きっとこの後どう過ごすかなどを話しているのだろう。

 そんな声を背中で聞きながら私達教師の控室に戻ると、私に気付いた同僚が小さく手を振りながら声をかけてきた。


「お疲れ様です。レイティス先生。今お茶を淹れますね」


 そう言ってポットとカップを用意してくれるのは、少し癖のある亜麻色の髪を腰のあたりまで伸ばした小柄な女性。

 

「ありがとうございます、ベルタ先生。いい香りですね。もしかして、先日私が渡した茶葉を早速使ってくださいましたか?」


 胸がスッとするような爽やかな香りを感じてそう尋ねると、ベルタ先生が正解です! と満面の笑みで頷く。


「他の先生方からもとても好評なんですよ? 流石はレイティス先生だと。校長も褒めていらっしゃいました」


 お茶が好きだという後輩にお裾分けくらいのつもりだったのだが、知らないうちに学校の長まで届いているらしい。

 

「ははっ。それは嬉しい。そうだ。これから暑くなるので、翡翠茶に使う葉も取れると思います。またお裾分けしますよ」


 翡翠茶は、美しい緑色と華やかな香り、そして仄かな苦味が人気のお茶だ。

 葉を加工するのに時間はかかるが、その分満足感を得られるので、この時期には欠かさず作るようにしている。

 

「わあ、嬉しい! 父も、レイティス先生のくださる茶葉や野菜は素晴らしいって。もっといただけないか聞いてくれなんて図々しいことを言うくらいです」


 ベルタ先生のお父上は、王国最強と謳われる王立騎士団の副団長を務めている大人物だ。

 校長だけでも驚いたのに、そんな国の重要人物にまで渡っているとは思わなかった。

 まあ、喜んでいただけているなら悪い気はしないが。


「それは、一層気合を入れて野菜の世話をしなければなりませんね。王国の盾である副団長様の口に入るのに、下手な物は渡せませんから」


 お茶を飲みつつ、ベルタ先生や他の同僚教師と講義についてや、卒業を控えた六学年の生徒達について話をしていると、扉が力強く叩かれ、一拍置いて生徒が入室してきた。


「レイティス先生。少しいいだろうか」


 入ってきた生徒を確認したベルタ先生が目を丸くして声を上げる。


「キナリス殿下!」


 教師陣が全員立ち上がり、揃って頭を下げると、礼を受けた生徒が眉間に皺を寄せて苛立ちの混じった声で言う。


「必要ない。今は生徒の一人として、レイティス先生に講義の不明点を聞きに来ているだけだ。いちいち畏まられると、足を運びづらくなるからやめてほしい」


 キナリス・ポルトギス。

 第五学年に属しており、直前まで私の講義を受け、号令をかけてくれたのもこの美しい顔をした生徒だ。

 そして、ベルタ先生の言葉のとおり殿下、つまり、今代国王陛下の実子でもある。

 油断しているところに急に顔を出されては、私達教師陣が反射的に立ち上がっても責められないだろう。


「それで、キナリス殿下。講義の不明点ということですが。具体的に伺っても?」


 彼の希望どおり教師として振る舞うことを決めてそう尋ねた私に、キナリス殿下が資料を開いて該当部分を示した。


「先程の講義で触れていた、毒性のある植物と、それを解毒するための植物について。詳しいことを知りたい」


「それならば、これから追々講義で触れていく予定です。焦ることはありません」


 今わざわざ自由時間を使って学ばなくとも、五学年が終わるまでにはある程度の知識を伝えられるよう講義の計画を立ててある。

 そう告げると、キナリス殿下はそれではダメだと言うように、ゆっくりと首を横に振った。


「知ってのとおり、私はこういう立場なものでな。毒に対する知識は、一日でも早く頭に入れておきたいのだ」


 静まり返る室内。

 普段は明るく溌剌としたベルタ先生も気まずそうに下を向いてしまっている。


「……わかりました。参考になる資料を用意しましょう。場所を変えても?」


 ここに留まっては同僚に迷惑をかけると判断した私がそう告げると、キナリス殿下が浅く頷く。


「すまないが、私の部屋に来てもらえるか。時間外に働かせるのだ。礼代わりに食事を出そう」


 全寮制の我が校にあって、食事はもちろん学校側が用意している。

 ただし、親である貴族家当主など、学外からの来客に対応するため、料金さえ払えばより質の高い食事を手配することも可能になっている。

 殿下はその制度を使ってご馳走してくださるらしい。

 

 お待たせしてはいけないと、バタバタと準備をして向かったのは四階建ての学生寮。

 一階から三階までにはそれぞれ八つの部屋があり、一部屋に二人から三人が暮らしている。

 歳も家格も違う人間と暮らすことで見識を広げるとともに、協調性を養うのが目的なんだとか。

 ただし例外も存在する。

 それは、寮の最上階。

 歴代の王族が使用してきた場所であり、部屋は三つのみ。

 そのうちの真ん中の部屋の扉を軽く叩くと、すぐに部屋の主が顔を出した。


「お邪魔いたします。キナリス殿下」


 先程と違い、制服を脱いでゆったりとしたシャツに着替えた殿下が、控え室では見せなかった寛いだ笑みを浮かべて言う。

 

「時間どおりだ。相変わらず几帳面だな。さ、まずは食事にしようじゃないか。兄上」


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獣人兄上と王族弟妹 企業戦士 @atpatp01

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