再審

 回廊に出て、せっせと大王が暴れた後の修繕をしている極卒たちの横を通り過ぎ、『裁きの間』へと向かう。

 そこには既に、先ほどの餓鬼と犀が、並ぶようにして壇上の下に立っていた。

 大王は二人を流し見ながら、椅子に座る。

 傍には識が控え、いつもの裁判の様相が整った。

 机の上に放られた巾を頭に乗せ、大王は扇子で机を打つ。


 開廷が宣言された。



「これより、再審を始める」




◇◇◇




 壇下の餓鬼は、眠りから覚めた直後なのか、しょぼついた目をしている。

 うつらうつらとしていたが、徐々に正気を取り戻し、目の前の光景に唖然とし始めた。

 大王はその様子をじっと眺めていたが、隣からの視線の圧を受け、ゴホンと咳払い。餓鬼へと呼びかける。


「小僧、名は?」


 問いかけられた餓鬼は、一瞬キョトンと首を傾げ周囲を見渡した後、人差し指を自分に向けて「俺?」と。


「お前意外に誰がいる」


 こいつ阿保なのか。


「俺は綾瀬幸人」


 餓鬼——綾瀬幸人は、実に真っ直ぐな目をした少年だった。人間が誰しも持っている歪みの気配が薄い。

 目の端を流れる情報から、年齢は十七だと知った。


(妙だな)


 大王は目を細めた。

 綾瀬幸人の死因は『殺人』とある。これは、閻魔大王が独自に読み取る情報にも、秘書が持ってきた綾瀬幸人に関する資料にも同じように記載されている。

 しかし、こんな実直な瞳をした人間が、誰かに恨みを買うようなことをするだろうか。

 少なくとも、大王の経験では前例がない。


「貴様、誰かに恨みを買った覚えはあるか」


 大王は資料を熟読する前に、綾瀬幸人に尋ねた。

 綾瀬幸人は「うーん」と唸り心当たりを探していたようだったが、ある時ふと顔を上げた。諦めたような顔をして笑う。


「分かんね。どっかの誰かに、何かの拍子で買っちゃったのかもしんない」


 明確な心当たりはないか。

 反応を確認し、大王は綾瀬幸人の人生譚が記された巻物に手を滑らせた。ざっと目を通し、目ぼしい情報はないかと探す。


 そして、ある違和感を発見した。


 椅子を蹴り上げるようにして立ち上がる。識と犀が驚いたように大王に目を向けた。

 大王はそんな二人に気を配ることなく、綾瀬幸人を見つめた。慎重に口を開く。


「貴様、今際の記憶はあるか」


 死者は通常、自分の死の間際の記憶を鮮烈に覚えているものである。それが自分にとって一番近しい記憶であり、死と言う現象に遭遇した、特別な記憶だからだ。

 しかし、目の前の少年は首を振り、にへらと笑った。



「全然」



 識と犀が目を見開いた。

 大王は、無意識に口角を吊り上げていた。


 綾瀬幸人の人生が記された巻物————本来ならば、余白なく文字で埋め尽くされているはずのそれは、途中からばっさりと記録が抜け落ちていた。










 実に、5年分の空白である。

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