説教

「それで、大王様」


 世の中、常に不思議なことは尽きないものである。


 例えば、不治の病とされていた者が突然元気になったり。

 例えば、貧乏人が運よく宝くじを当てて億万長者になったり。

 例えば、いじめっ子がある日改心して皆のヒーローになったり。


 閻魔大王は博識であった。不思議だ、分からないというそれは、己の知識や理解が足りていない証拠であり、知識さえあれば分からぬことなどないと、常日頃思っている。


 しかし、そんな大王でも分からないことがあった。


 それが今、この状況である。

 何故、己より格下である秘書が大王を正座させ、説教を垂れているのか。地位的に、普通逆じゃないか?


「ご説明ください。何故、死者の餓鬼と抱擁なさっていたので?」


 にこやかであるが目元が全く笑っていない。昔から、マジギレすると、識はこんな感じで怒るのだ。

 大王は、眠気によってぴくぴくと痙攣する瞼を擦り、言い訳をせんと口を開いた。


「あれは別に、抱擁していたわけではない。突然あの餓鬼が寝落ちしおったから、抱き留めただけだ」


「では、何故そんな状況になっているので?」


「そんなこと知るか」


 むしろこっちが聞きたい。

 死者は通常、閻魔宮の奥——つまり大王のプライベートエリアには入れないようになっている。それが当然の如く湧き出てきたのだから。


「回廊が随分と荒れていたようでしたが」


 ギクリと肩を上げる。ストレスのために少々暴走してしまったことが知られたら、さらに雷を落とされる。

 これ以上睡眠時間が削られるのは勘弁願いたい。

 何か上手い言い訳はないかと思考を巡らせる。しかし、疲弊した頭では出てくるものも出てこない。


 さあて困ったぞ。


「失礼すんでー」


 そんな時、扉をノックして犀が部屋へ入ってきた。

 ナイスタイミングと心の中でガッツポーズをした大王は、しかしそれを顔に出すことなく「なんだ」と問いかけた。

 犀はガシガシと後頭部を掻きながら「いやー」と口を開く。


「さっきの坊主、一応『中立の間』にぶち込んだんやけど……」


 解せぬと言いたげな顔で、犀は首を傾げた。


「何故か〝裁きの押印〟が押されとんねん」


 ピシッと空気が凍った。

 大王は内心頭を抱える。全然ナイスタイミングじゃなかった。バットタイミングだった。


「大王、まだあの坊主に判決下しとらんよな?」


 盛大に爆弾を投下してくれた犀は、ただただ純粋に疑問に思っているようでとどめを刺してくる。

 識の、熱いような冷たいような視線がこちらへ向けられた。


「……下した」


 ガツンと地面がへこんだ。識がどこからともなく取り出した金棒が、地面を穿っている。

 こりゃあ後片付けが大変だ、とどこか他人事のように思う大王の首筋に、ひやりと金属の冷たい感触。


「大王様、私、いつも言ってますよね」


 地を這うような低い声に、ピンと背筋御伸ばした。

 犀は異様な空気を察したのか、「ほんなら俺はこれで~」と逃げるように退出。あの野郎、後で絶対シメてやる。


「判決を下すのは必ず『裁きの間』でやってくださいと。そうしなければ後々面倒ごとになるのだと。その処理をするのは私なのだと」


 ずいと識の顔が迫る。これ以上なく瞳孔が開かれていた。


「大王様は、私に過労死をお望みで?」


「それは困るな」


 優秀な秘書を失っては、地獄の機関が上手く作動しなくなる。


 素直に「すみませんでした」と頭を下げて機嫌を直してもらい、大王は立ち上がった。

 足の痺れを我慢しながら自室を出る。


 寝台がすぐ傍にあるのに休めないとはなんという生殺し。

 しかし、さっきの今で「休みたい」と駄々を捏ねる程、大王は命知らずではない。


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