再審のその後(壱)

「なあ、閻魔様」


「なんだ」


「何してるの?」


 綾瀬幸人は、目の前で鬼の速さで書類を片付けて行く御人に問いかけた。


「何って、書類整理だが」


 至極当然と言う表情で言い切るその人を前に「あ、うん」と押し黙る。


 幸人は困惑していた。この状況はなんだ。


 どうやら自分は地獄に来たらしい、と言うのは流れで分かった。

 目の前にいるのが、閻魔大王だということも理解した。


 であるならば、閻魔大王が向かに座って、こちらを見ることなく、鬼のような速さで書類を片付けて行っているこの状況は、はてさて一体何なのか。


 大王の傍に控える眼鏡の男は、山のように積み重なった書類を抱えては部屋を出入りし、幸人の傍で幸人を監視しているオレンジ髪の男は、退屈そうに欠伸をしている。


 実にカオスな状況だ。


「先程はすまなかったな」


 書類に何かを書き込みながら、大王が口を開いた。

 目も合わないが、おそらく自分に向けて発せられた言葉であろうと察した幸人はピンと背筋を伸ばす。


「こっちこそ、なんかいろいろすんませんでした」


「いや、事情も聞かずに制裁を下した俺の落ち度だ。小僧は謝らなくていい」


 随分と律義な人だが、同年代の見た目をしている者に「小僧」と呼ばれるのはあまり良い気分ではない。

 幸人はむっと唇を尖らせた。


「それよりも、聞きたいことが二、三ある」


 淡々とした口調で大王が問いかけた。


「お前、何故あの空間にいた」


 あの空間とは、言わずもがな大王のプライベートエリアである。

 幸人は「うーん」と唸り、頭を搔いた。


「最初は大人しくしとくつもりだったんだけど、なんか急に『俺はここにいちゃいけない』って思ったんすよねえ……」


「なんやそれ」


 オレンジ髪の男が突っ込んできたが、幸人だってよく分かっていないのだ。


 気が付いたら監視の目を振り切って逃げだしていた。

 あてもなく走り回り、どこかの欄干から飛び降りた。それがどうもマズかったらしい。

 自分が飛び降りた先に閻魔大王が居て、幸人は図らずも大王の上にダイブしてしまった。


 それからなんやかんやあり、今幸人はここにいる。

 実によく分からない。


「お前に悪気がないことは分かった」


 幸人の話を聞き終わった大王は、書類に判を押す手を止め、深くため息をついた。

 両手を組み、その上に顎を乗せる。


「だが、閻魔宮での逃走は、反省の意思なしと見なされ極刑に当たる」


「マジっすか」


「マジだ」


 極刑。

 それがどういうものか分からないが、周りの大人三人の反応を見る限り、あまりいいものではないのだろうということは容易に想像できた。


「このままだと、お前は問答無用で地獄行きが決定だ。俺が早々に、〝裁きの押印〟を押してしまったというのもあるがな」


 大王がそう言った瞬間、大王の後ろに静かに控えていた片眼鏡の男が、これまた静かにニコリと微笑んだ。

 その笑みに怖気が走ったのは、幸人だけではないはずだ。

 オレンジ髪の男も、閻魔大王もわずかに顔を青くしている。


「……裁判抜きでの判決は、本来禁止されている。俺がそれを破ってしまったために、お前はもう一度、俺に裁かれる必要がある。そのために、お前の人生史が必要なんだが」


 大王は片眼鏡の男から一つの巻物を受け取ると、それを勢いよく机上に広げた。

 それは途中までびっしりと文字で埋め尽くされていたが、途中から綺麗に真っ白になっていた。


「ここだ」


 閻魔大王は、淡々とその空白部分を指さした。


「ここに本来あるはずの、5年分の記録が抜け落ちている。これは、お前の記憶が抜け落ちていることを意味する」


「俺の記憶が?」


 はて?と幸人は首を傾げた。

 生前、自分が記憶喪失になった覚えはない。

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