邂逅(壱)

 薄暗い回廊を歩きながら、閻魔大王は考えていた。


 この頃、地獄行きの魂が多すぎやしないか。

 そりゃ勿論、地獄へ渡るべき生者など、現世にも幽世にもたんといる。これまでも、天国行きにした死者よりも地獄行きにした死者の数の方が多い。

 しかし、最近は地獄行きばかりを捌いているような気がする。


 現にはそんなに善人が少ないのか。死の間際くらい、仏の心になろうという輩はおらんのか。

 地蔵菩薩は何をやっている。現世の人間たちを極楽浄土へと導いてやるのがお前の仕事だろう。


 仕事のストレスは、この場にいない己の片割れへと飛び火する。

 きっと今頃、菩薩は現世で盛大にくしゃみをかましているだろう。ざまあみやがれ。


 さて、仕事の疲れで思考が幼稚になってきた閻魔大王には、休息が必要であった。それを、目の下に作られた濃い隈が如実に物語っている。

 故に今すぐに自室のふかふかの寝台にて、夢の中に落ちる必要があった。

 なんなら今この回廊で寝落ちしてもいいのだが、それでは後で教育係兼秘書である識に盛大に雷を落とされてしまうだろう。

 それは、閻魔大王とて避けたいところだった。


 仕方あるまいと、重い足をのろのろと動かして回廊を進む。

 延々と続く赤壁の廊下を、ようやく左へと角を曲がった時だった。

 ふと頭上に影が差し、大王は気だるげに顔を上げた。その瞳が見開かれる。



「「あ」」



 声が重なった。ずしんと重い衝撃。

 地獄の支配者は、地面に突っ伏していた。————背中に見知らぬ少年を乗せた状態で。


「いってて……」


 少年が腰を押さえつつ体を起こす。どちらかと言えば、痛いのは大王の方である。強かに躰を床に打ち付けてしまった。


「重い……。退け」


 未だ己の背中の上から降りようとしない少年を振り落とし、大王は立ち上がった。ねめつけるように少年の姿を眺める。


 少年は白い着物を着ていた。

 着物と言っても、白い布を白い帯で腰のあたりで止めただけの、粗末なものである。そして額には、三角におられた巾。


 そう言えば犀——先程の長身の男——が、罪人が一人逃げ出したと……。


「……貴様か」


 相手が誰であるか認識した瞬間、大王は少年の襟首を掴み上げた。少年の顔色が、青を通り越して土気色になる。

 睡魔と疲労が相まって、大王の人相はとんでもないことになっていた。

 どれくらいとんでもないかと言うと、この世のどんな極悪人もがひれ伏すような、そんな状態だ。


「面倒だ。ここで判決を下す」


 大王は胸元にしまっていた扇子を取り出すと、コンと壁に打ち付けた。

 瞬間、大王の視界に文字列が流れ込んでくる。


 名前、生年月日、没年月日、死因、性別————


 それらは、少年の基本情報である。

 閻魔大王には、特権として死者の個人情報を見る能力が与えられている。

 本来であれば、この基本情報に加え、生前の行いを鑑みて判決を下すのだが、今の大王にそんな寛大さはなかった。


「死後、閻魔宮にての逃走は極刑に当たる。よって貴様を、閻魔大王の名の下に———」


 地獄行きとする。

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