第8話 「練炭を買ってくれないと、ひどいことになるわよ!」←練炭を買ってもひどいことになります。

○ラブントゥール・ルール8 


「練炭を買ってくれないと、ひどいことになるわよ!」

     ↑

 練炭を買ってもひどいことになります。


             ◯


 朝、なのかも分からない。

 起きる、という表現も正しいのかわからない。

 視界は完全にぼやけ、頭がフラフラしているせいで本当に立ち上がれたのかも微妙だ。しかし、さっきとは違う。寝ろと言われても眠れないくらい、頭が痛い。だから、意識を失っていないのはわかる。

 僕が倒れていたのは、さっき立っていた場所とは少し離れた塀のそばの草むらだった。なので、殴った彼女が運んだと言うことはないだろうから、ウサギ耳の彼女がそこに運んでくれたのかもしれない。そして、彼女は僕のとりあえずの生存を確認して、そこに置いていったのかもしれない。それもどうかと思うけれど、彼女もそういえば、最初から親切だった。乙女屋の友達とも言っていたし。

 今度会ったら、お礼を言って、挨拶をしよう。

 友達になってもらおう。

 そんな決意をしてから、僕はよろよろと、塀を手がかりに、自分が歩けるかどうかを確認する。

 塀。

 手に冷たい感覚がある。

 何のための塀なのだろう、最初から思っていた。

 ここはもともと山に囲まれているし、元々塀など無くとも、誰からも滅多には見られることなど無い立地だ。それに、これだけ高いと外から何かを覆い隠すとしても逆に目立ってしまう。飛行機などで上から見れば丸見えでもある。それに、ここの存在が外に露見するのが大人か何かの力によって妨げられているのは明白なので、外にバレるのを恐れて、こんなに塀を高くする必要もない。

 よって、この塀は、街のどこからでも、内側から、生徒から見えるように作られている、それが答えなのだろう。

 自分たちが、ここに帰属していると、常に認識させるために。

 外から何かを隠すのではなく、内側に向けられたもの。そう考えれば、理解ができる。そのためにこの塀を築いているのだ。 

 ここへ入ってきた時には、もう答えは明示されていた。刑務所のようだ、最初に見た時の、その感想も間違ってはいない。この塀は、中の人間を、肉体的にも精神的にも、ここに帰属させるためのものなのだから。

 ここでは生徒は、自主的に職業を持つ。

 でも、自発的、自主的、自律的、そんな言葉は本当なのだろうか。僕は思う。

 ずっと違和感を持っていた。この、いつでもここから出られる門があるから、そう呼んでいるだけではないのだろうか。

 この街を成り立たせるため、個人は半ば強制的に役割を演じることを求められ、人々は職業を持っていく。それは、ここで例によって自発的にできたルールだということだが、その実、大人がそう仕向けているからそうなっているだけではないだろうか。僕らは見られていないだけで監視されていて、誰も干渉してこないだけで強制力をもって管理されている。ここが世界で一番の高校であり自分たちは優れていると考え、フガーケスへの進路のためや、楽園へ行けるなどといった餌をぶら下げられて、完全に意図されて、僕らは自主的にルールを作り、守り、ここで正しい振る舞いをしている。しかし、これは、外の世界でも当たり前に、中学校を出れば、高校を出れば、大学を出れば、それぞれのタイミングで、職業を持つという選択肢が強制的に出現するみたいに、社会とはいつだって目に見える形でレールを敷いてくる、そういうものだ。

 そして、乙女屋が再三言っていた言葉を思い出す。

 職業を簡単に持つなと。

 職業に食われるからと。

 それは、あの教師を見てもわかる。

 セツナを見てもわかる。

 無意識にルールに従うのは危険なのだ。

 乙女屋は、そんなことも分かった上で、ここで無職をやっているのだ。

「本当に」

 僕は言ってしまう。

 何か、あれだけ一緒に居たのに、会いたくなってしまった。

 あの天才に。

「先輩、どこへ行ってらしたんですか?」

 ふらつきながらも、家に帰る道中。

 僕の目の前に現れたのは、煤ヶ谷後輩だった。

 フラフラなのに興奮気味に少し嬉しそうに歩く僕に、神妙な面持ちで声をかけてきた。

「えっと」

 僕は興奮と頭の痛さで、うまく言葉が出てこない。

「さっき天罰みたいなのが当たって——まあ、だからと言って、警察沙汰にするつもりはないんだけど。でも、病院には行った方がいいと思ってて、あの医者以外に、医者っているのかな?」

 とそんなことを訊くと、彼女は先ほど振り下ろされたバチよりも物騒なものを構え、僕に向けていた。

 彼女は、銃を僕に向けて構えていた。

ここに来てから、三度目だった。一部かもしれないが、ここは銃社会すぎる。

「乙女屋先輩が家にいないんです」

「いない? 乙女屋が?」

「ええ、先ほどイチコ先輩と会って、先輩とここで会ったと言ってました。そして、こんな時間に先輩が外出するのは少し不思議に思ったので、乙女屋先輩の家に行きました。すると、乙女屋先輩がいませんでした。先輩は絶対に寝ている時間ですから、何かが起こっているのは確実です。そして、先輩を探していました」

「……また、この時間まで働いてたんだね。そのやり方じゃ過労死するよ? それで、それはわかったけど、どうして煤ヶ谷後輩は、銃を構えてるの?」

「言うまでもないでしょう」

 彼女の目は、良い刑事のような、と言えば聞こえは良いが、それは半ば決めつけを含んだ、弁解の余地も許されないような力強い輝きを放っていた。

「乙女屋先輩をどこかに連れて行ったのは、先輩でしょう? そして、アレも。もう、そうとしか考えられない」

「アレ? 何が?」

「何が、ではないですよ。殺人事件です」

 それはそうだ。

 何から何まで、今の僕は、全ての犯人に見えるだろう。

「実は、僕もさっきまで、自分が犯人なのかな、とかそんなことを考えていたんだ。そんな小説もたくさん見た気がするし」

「そうでしょうね。先輩しかいません」

「煤ヶ谷後輩、僕は犯人じゃない。君も、わかるはずだ」

「貴方の言うことは、信用しない」

「……」

「貴方は、嘘を付いている」

「……」

 銃を構える彼女のその手は震えてもおらず、正当化された権力を行使するがゆえに躊躇が全く期待できない、完全に職務を全うできそうな雰囲気があった。彼女は、

「最初から、あなたは怪しかった」

「……なんだ、煤ヶ谷後輩もわかってるじゃないか」

「?」

「そういうことだよ。君も犯人を知ってる」

「先輩は、犯人がわかったんですか?」

「アサカ」

「……誰ですか? それ」

「二年生だよ」

「二年生のリストに、そんな人の名前はなかったはずですが」

「まあ、ないかもしれないね」

 と、僕が言ったその時。

「羽井戸様」

 と明朗な声をかけられる。

 向くと、彼女はいつものようにニコッと笑う。

「図書館から言われて、お迎えに上がりました」

 彼女は、いつものようににこやかに言った。本当に首尾一貫している。

、私が、ご案内します」

「貴方が来るって言うのもわかってました」

「ええ、仕事ですからね」

 笑顔で、少し気取ったように七葉さんは言った。

 ひとまず、煤ヶ谷後輩に銃を下させ、一緒についてくるように言う。

 僕らは機嫌よさそうに鼻歌を歌う彼女に先導される。

 そして、物語は最初に戻った。

 全ては回帰した。

 無垢だったあの頃に。

 新入学の真っ白な生徒のように。

 そして、また、物語は進み始める。

 すると、その先は、決まっている。

 僕は、彼女と出会う。


             ○


 乙女屋は、コーヒーを飲んでいた。

 コーヒーを飲むと、三日三晩寝られなくなるから、絶対に飲まないと前に言っていた。

「でも、起きているにはこうするしかなかったの。まあ、司が付き合ってくれるならそれでも良いわ」

 彼女は座っていた。

 処刑台の舞台に腰掛けるように、少し小高い位置に座って、僕を見下ろしていた。

 そして、乙女屋の周りには、暗くて顔までは見えないが、まるで統一感もない配置だけど、おそらく二十人前後の人間がいた。中には乙女屋のように舞台に座って足を組んでいたり、他にも処刑台の近くに座っている人や、どこからか椅子を持ち出してきて座っている人間など、顔が見えなくても個性的で集団行動が得意でない人たちであることはすぐにわかった。僕はすぐにそれが僕のクラスメートだと気づく。見たこともある人間もいる。というか、洋子さんなどは僕に手を振っている。

「このギロチンは、見世物なのに照明もないの。だから暗いの。そういえば死刑って大抵午前中に行われるって知っていた? たぶん、その後の処理の時間を設けたいからというのが主な理由だと思うのだけど、司はどう思う? 死すらだれかの職業の都合に合わせるのだとしたら、酷い話だと思わない?」

 いつもの乙女屋だった。

「まあ、これで全員よ。唯一、クララはここに来られないから、先に会わせたの」

 それは、全てが予定されていたことらしかった。

「あと、イチコはもうさっき会ったからいい、って言っていたわ。それから東も、殴ったからいいと言っていたわ」

 後者の方は、本当に言ったか確認しないといけないが、今は言う空気でもない。

「とりあえず、無理やり全員呼んだわ。みんな司のために集まったのよ。ということで、たまにこういうことをするの。真夜中の学級会よ」

 乙女屋は、学級会と言った。

「本当は教室の中が適当なのだけど、私たちは、あそこに入れないの」

「……入れない?」

 僕は訊く。

「ええ、。怖いのよ」

 怖い。

 彼らが腰掛けているのは人を処刑する場所。

 先日人が亡くなった場所。これまでも何人も人が死んできた場所。

 そんなところより、あの校舎が怖いと、彼女たちは言う。

「私たちがあそこに入るのはそうね、文化祭や行事の時だけ」

 乙女屋は言う。

「ほら、よくあるじゃない。不登校の子が後悔したくないからって修学旅行だけには来たり、卒業式だけは勇気出して行ったり。私たちはこれでも精一杯、学生を頑張ろうとしているのよ」

 その乙女屋の声は眠たいのか落ち込んでいるのか、辺りに合った少し暗いトーンで、周りの人間も一切話さずそれを聞いている。

「さておきよ、司。こうして全員を集めたのにはもちろん訳があるわ。それはわかるわよね?」

「この中に、人を殺した犯人がいるから」

 僕の言葉に、乙女屋はおそらく暗闇の中で見えにくいが、恐らく、頷いた。

「そうね。では、司、貴方はこの学校で、何を学んだかしら?」

 僕は訊かれて、痛む頭蓋の中で、やはりまずは乙女屋と遊びつくした四日間を思い出す。というか、それしかしていなかった。

「どうして裁判官が殺されなければいけなかったのか、わかった? 司、よく思い返してみなさい。私は」

「乙女屋、大丈夫。もう、大丈夫だから」

 僕は言う。

 彼女は優しい。

 本当に優しい。

 教師でもないのに、僕に教え、僕を導いてくれる。

 恐らく、これは、僕の入学テストみたいなものなのだろう。

 ラブントゥールに入学試験などはないけど、しかし、こんなこともわからず乙女屋が死ぬようなことがあれば、彼らは僕を受け入れないと、僕の知らないところで決めているのだろう。なんとなく乙女屋を見てると、そういう感じがする。それ以上に、こんな危険なクラスメートが全員集まって、僕が彼らに有益な時間を提供できないとすると、間違い無く僕の命は危ないというのは容易に想像できる。これを無事に終わらせないと、僕は転校すらできない。

 なので、僕は柄にもなく、警察でもなく、探偵でもなく、主体性もなく、そして何者でもないけど、乙女屋を助けたくて、みんなの輪に入りたくて、自分の居場所が欲しくて、その人に向けて言う。

「あなたが犯人です。朝霞さん」


              ○


 朝霞と呼ばれる彼女に僕は言う。

「いいえ、私の名前は朝霞ではありません」

その彼女は言う。

「正直、僕もそれが正解なのかわかりません。どこにもあなたの名前は載っていないでしょうから。でも、あなたが犯人です、朝霞さん」

「いいえ、あなたの言っていることがわかりません」

「僕もわからないです。でも、裁判官は、あなたが殺したということはわかりました」

「いいえ、私は殺してはいません。誰も、何も、一度も殺したことはありません」

「あなたは嘘をついている」

「いいえ」

「その言葉も嘘」

「いいえ」

「あなたの、全てが嘘」

「そんなことはありません。嘘をついたことなど一度もありません」

 彼女は答える。

「もちろん、それも嘘です。あなたは、この学校の生徒ではない」

「いいえ、私はここ、ラブントゥールの三年生です」

「でも、セツナは図書館に入ってくるあなたの名前を呼ばなかった」

「いいえ、呼んでいます」

「呼んでいないです。これは事実です。セツナがあなたの名前を呼ばなかったのは、あなたが図書館の職員——図書館司書だからかと思いましたが、思えばセツナはそんな区別をしない。彼女は、ここの機能そのものだから、全てに平等だから。貴方は生徒でないから無視されただけです。あなたは生徒ではないし、図書館司書でもない」

「いいえ、私は図書館司書です」

「あなたは嘘しか言わない」

「本当のことしか言いません」

「いいえ。セツナに僕を案内しろと言われたのも嘘、あなたが三年だというのも嘘、名乗った名前も嘘、教えてくれたルールも嘘、はい、いいえなど、相槌、返事の一つ残らず、僕に言ってきた言葉、あなたが発したすべての言葉は、嘘です。もちろん、この言葉にも、あなたは、嘘で返す」

「いいえ、私は嘘はつきません」

 彼女は言う。

 頭ではわかっているが、言っていて、こっちまで混乱してくる。

 そして、意図的に彼女の言っている言葉の情報だけを抜き出しているけれど、彼女の言い方や仕草は、そんなことを言われるとは夢にも思っていなかった、というようなもので、何も知らない人がこの場面だけを見たら、非難を浴びるのは間違いなく僕であるくらい真に迫るものだった。それでも、僕は彼女の迫真の演技に、構わず続ける。

「僕は、嘘しか言わない人間がいるとは夢にも思いませんでした。どうしてそんなことをしているのかについても、僕には全くわかりません。でも、あなたは生徒ではないのに、最初に何も知らない僕に嘘の道案内をし、嘘のルールを教え、嘘しか言わなかった。それでも、僕はあなたの言うことを信じてしまい、気づかないうちに、僕は、あなたの生徒になってしまっていた」

僕は自分がひねくれていると思っていたけど、意外と素直な人間だったようだった。

「僕が疑わない限り、。よく考えれば、乙女屋のことを有名で天才と言ったり、セツナから仕事を依頼されたといったり、その時点で、そんなことは起こらないと分かったはずなのに、僕が無防備過ぎました。いえ、無知だったのは僕の責任ですけど、何も知らない人間には何でも吹き込める。教えることができます。あなたが、教師になれる。もちろん、あなたは嘘しかつかないので、反面教師ですけど」

 本当に、言っていて自分でも馬鹿馬鹿しい話だった。

「そして、あなたの言葉を反転させるだけで、世界は整合性を取り戻します。以前図書館で乙女屋と三人で話していた時、あなたは自分で白状していた。、と。だから、もう一度訊きます。貴方は、裁判官を殺しましたよね?」

「私は、誰も殺したことがありません」

「そうです。嘘しかつかないけど、あなたは素直ですよね。本当に、僕にはまだまだわからないことだらけですけど、色々勉強になりました。僕を導いてくれて、ありがとうございました。あなたが犯人です。もう、あなたの自白も聞けたので、それだけで十分です。これ以上の返答は要りません」

「……」

 そして、彼女は答えない。

 彼女は、僕の言ったとおりに止まった。

 電池が切れたように。

 役割を終えたように。

 または、問いの正解を知らない教師のように。

 その役目を終えたように、笑顔のまま止まった。

「ということよ、彼女はね、死んでるのよ」

 数秒の沈黙の後、乙女屋が代わりに言った。

「え?」

「まあ、及第点ね」

 言葉とは裏腹に、少しご機嫌なトーンで言う乙女屋。

「私のことを天才と言ったのが嘘、というのは引っかかるけど。あと、図書館を下の名前で呼び捨てにしてるところも」

 そう言って、舞台から降りる乙女屋。

 他のクラスメートも、薄いリアクションだった。話している最中も、僕の話に反応しているのは、煤ヶ谷後輩だけだった。「よっ!」と最後には洋子さんからだけは軽い声も掛かったが。

 そして、乙女屋が降りると同時、全員が、漫ろに散って行く。満足をしたのか、つまんないの、と聞こえたような気もするし、僕をこの場で殺ってやろうと思っていたことに失望をしていたのか、わからないが、ひとまず、今日僕がここで何かをされることは回避できたようだった。

「じゃあ、私も帰るねー」

 と洋子さんだけがあくびをしながら僕に挨拶をした。

「あー、ハネくんは私が殺そうと思ってたから、少し残念だけど」

 なんてね、と明るく言いながら肩を叩かれたが、その力のこもり方に、僕は少し不安を覚える。

 そして、残されたのは僕と乙女屋と、立ち尽くす煤ヶ谷後輩。

 煤ヶ谷後輩は慌てて僕のところに来て、先ほどの非礼を詫びて、その後もたくさんの言葉を続けようとするが、そこに、小窓さんも僕に近づいてきて、彼女は黙る。小窓さんは僕らの前に立った。

「本当に及第点です。時間もギリギリ。落第寸前でしたね。まあ、本当に落第点を取った人間もいますが」

 小窓さんはため息をつきながら、煤ヶ谷後輩を見ずに言った。煤ヶ谷後輩は、ただひさすら申し訳なさそうに小さい体を更に小さくする。

「リアクションが薄かったのは、仕方ないですわ。別に大した話ではないですから」

 小窓さんは冷たく言う。同意するように、ええ、と乙女屋も言う。

「だって、みんな知ってるもの、彼女が嘘しかつかないなんて。そして、処刑人でもないのに、これを使うのは、この子ぐらいしかいないって。ここの生徒は、こんなものを使いたくないに加えて、他の職業の職域を犯さないって強迫観念みたいに思っているのだから」

 乙女屋も言う。それも、当然と言えば当然。ゴミを勝手に集めてはいけないような場所では、当然勝手にギロチンを使ってもいけない。

「ということで紹介するわ。意識不明の健康体、朝霞優香。去年亡くなった、私たちの元クラスメートよ」

「……意識不明の健康体? 去年亡くなった?」

 全くわけのわからない言葉が聞こえる。

「ええ、彼女はもう死んでいるの。実際に、脳みそがね」

「……いや、でも」

「本当よ。法的にも死んでいることになっているわ。もちろん、ここの法律だけど。だけど、死んでいるのに動いているということよ。ゾンビみたいなものね」

「ゾンビ……でも、死んでいるって」

 彼女は生きているじゃないか——と僕もよくわからない反論をしようとすると、乙女屋は未だに停止状態の朝霞さんに近づく。そして、彼女の頬をつねるように持つ。彼女はそれでも動かない。

「言ったように、彼女は本当に死んでいるのよ。脳みその機能も大部分は失われてて、医者からも死亡診断書が出てる。れっきとした死人よ。噛み合わない会話もできるし、簡単な動作を続けることならできるけれど、でもこの街に役に立つような、大したことはできない。だから、社会的にも、完全に死んでいるわ」

「……」

「ええ。まあ、死人に動き続けられた場合、結構やりようもないのよ。これを外に出しても戻って来るし、もう一度、殺すわけにもいかないしね。そういうのも皮肉よね。でも、社会の役には立たないけど、人を殺すことができるとは私も思わなかったけど」

 乙女屋は言った後、興味をなくしたように彼女から離れる。

 そして、出番を待っていたように、ここで小窓さんが話し出す。

「私からも少し補足情報をお教えしますわ。探偵がいないと解決できない類のお話だとは思っておりませんでしたので、私の出番はないものと考えておりましたが、警察の能力を見誤っていました。ましてや、司様を犯人扱いして銃を向けるなんて、端的に、刑事失格ですわね」

 とここでも煤ヶ谷後輩を見ずに言う小窓さん。返す言葉もないように黙る煤ヶ谷後輩。多分、この辛辣な言葉がなくとも、このあと、彼女は刑事をやめるだろう。そんな顔をしている。

「裁判官こと翳合春樹は、昨今はうつ病に悩まされていたということです」

 小窓さんは話し始める。

「この一年ほど、公にはほとんど姿を見せていなかったというお話を司様も聞いたかもしれませんが、昨年の春の珍事で裁判を終えた後、民事事件を数件担当したのみで、それ以外には、彼をどこかで目撃したという情報もありません。彼は、厭世的に人目のつかない森で暮らしていたと言うこともお聞きの通りです。そして、沈黙を破るように突然出てきて、このように、彼は、

「……自殺?」

「自殺?」

 とその言葉に最初に反応したのは煤ヶ谷後輩。僕も続く。「ええ」と軽く返事をする小窓さん。

「遺書もありませんし、彼の真意などはわかりませんが、真意、そんなものは他殺自殺の全てにおいて、基本的にどこにもありませんから特出するべきでもありません。ただ、ここにある状況証拠をつなげるだけで、これは自殺と断言できるというだけです」

 そう言って、ギロチンを見上げる小窓さん。

「ご存知の通り、この断頭台は誰かに使われないと対象人物を死に至らしめることはできない。そのため、ここで起こった人死には、他者によって行われないといけないことから、殺人事件が起こったと考えてしまう。ただし、通常は処刑行為を殺人事件などとは呼びません。その時点で色々を見誤っていますわ。断頭台が使用される際には、通常は法に基づき、裁判を経て、手続きを経て、そして処刑人によって使われれます。それはここでも同様です。そんな法に則った手続きを取って断頭台を使えば、それを殺人とは呼びません。ここまでは常識の範囲内なので、ご理解いただけますね?」

 僕と煤ヶ谷後輩は沈黙で応える。それを同意と取ったのか、小窓さんは続ける。

「では、次に、今言ったような裁判や正式な手続きを経ないで断頭台を使うことは、殺人事件と呼べるかと言うことについてですが、それも、今回については呼べませんわ。それは、この断頭台が、対象人物の同意なしでは使えないことからも明らかです」

「同意?」

 小窓さんは、その言葉を言った煤ヶ谷後輩をチラリと見るが、それには引き続き応えず、被せるように続ける。

「繰り返しになりますが、対象者が首を断頭台に首を置き、処刑人が使わないと、この装置は作動しません。ですから、使われる側が嫌になれば、つまり、逃げようと思えば逃げられます。また、単独犯では無い説も考慮しなければいけませんが、抵抗の跡や薬物で意識不明の状態でもなかったと言うのは警察でもわかっていたことで、やはり強制であった可能性も低い。ということは、最初から対象者と同意が取れている、つまり、首を置く方は、、となりますわ」

「……」

「そして、ここで、もう一点、重要なのは、この街の唯一の裁判官がそのギロチンを使われた人間だということです。裁判官は一人ということは、自分で自分に判決は当然下せないので、彼には死刑判決はどんな形であれ下りていないということになります。なので、今申し上げた通り、法に基づいたものではなく、彼の意思によることであることが確定します。よって、これらをつなげると、彼は自殺を実行したと言えます」

 一旦、小窓さんは言葉を止める。一度話し始めると話し続ける人なので、僕は、何故かその質問を待たれているような気もするけど、ここでしなければいけない当然の質問を挟むことにする。

「……あの、自分で死ぬ意思があって、ここでギロチンを使って死んだというのは理解できました。でも、やっぱり、これには使うには、他者が必要だと小窓さんも言っているように、彼女の、朝霞さんの――意識不明かどうかは知らないですが、ともかく、殺す側にも意思がありますよね? だったら、やっぱり殺人、少なくとも自殺幇助にはなるんじゃないんですか?」

「彼女? どの彼女ですか?」

 と僕の質問に、大袈裟にキョロキョロと辺りを見回す小窓さん。視界には朝霞さんが入っているはずだがそれを見てはいない様子だ。

「彼女なんていませんわ。そこに、ゾンビはいますけれど」

 そして、小窓さんは言う。

「乙女屋も先ほど言ったように、偶然、自殺をするにあたって動く死人がいたので、それを道具として使って死んだ。これは、それだけの、どこからどうみても、ただの自殺ですわ」

「……でも、そんなのって」

 反論しようとする僕に、言葉を被せるように小窓さんは続ける。

「司様、死人は死人です。人権もなければ存在もしていません。だから、死人はどう言った意味でも人を殺せませんわ。もっと実務的な話をすれば、アレは生きていないので、法律では裁けないし、捕まえることもできないし、アレが関わっていても事件とも呼べません。ただリモコンという道具を使ってテレビを付けた、そのようなことで、そのリモコンがアレというだけです。人型ですが、アレに意識も意図もないただの物です。よって、ここで先日行われたのは、自殺幇助でもない、ただの自殺です」

「……」

言い切って、小窓さんは、ここで初めて煤ヶ谷後輩を見る。

「仮にこれが事件であって、こんなものを解けないとしたら、そんな刑事は、今すぐ刑事を辞めた方が良いというのはお伝えした通りです。ただの自殺で、事件でなくて幸いでしたね、煤ヶ谷」

「……え?」

 さっきから文字通り死にそうな顔で、このギロチンを使いに来たのではないかと思うくらいの様子の煤ヶ谷後輩。その言葉の意味を理解できないよう反応する。

 乙女屋が、隣でため息をつく。

「だから、今回はただの自殺で、事件でもないから、犯人はいないの。犯人がいなくて刑事としてやることがなくて煤ヶ谷も残念ね。小窓も今回は許してくれるということよ。本当に小窓はゲロ甘なんだから」

 小窓さんは答えないで、真剣な表情のまま僕に向き直す。

「話を戻しましょう、司様。ここでは、これは自殺でしかないのです。動く死体を利用した、ただの自殺です。理解していただけましたか?」

「……」

「理解していただかなくても、そうなので話を進めますわ」


                  ◯

「では、少しだけ彼の話に移りましょう。彼には彼の人生があり、外の世界には知られない彼の死を考えることは、少しは弔いにもなるでしょうし、私達中にいる人間の義務でもあると考えますから」

 小窓さんは言う。

「彼はこの一年、人目のつかないところでひっそりと生活を送っていたというのはご存知のとおりです。それの発端となったのは、もちろん、春の珍事です。あの時に、私たち二年生は例外なく、精神的なダメージを負いました。そして、彼は当事者でないにせよ、事件の一部始終についてを裁判官として業務上知る義務があったため、事件後にその事件の全容が明らかになるにつれ、私たちの目からもわかるくらいに衰弱をしていきました」

「そして、最後に春の珍事の首謀者に死刑判決を出したのが彼です。その過程でも色々問題があったため、今でも、私たちは彼には言いたいことはたくさんあります。しかし、最終的にその判決を出したことについては、評価をしています」

「まあ、本当にギリギリだったけれどね。日和り続けて、私たちにもワイワイ言われ続けて最終的にね」

 乙女屋は付け加える。

「同情的に言うのであれば、彼は当時、十七歳です。それは仕事として行うにしても、死刑判決を出すという決断をしたのは、精神的な負荷がかかる役割だったでしょう。司様のように軟弱に考えるのであれば、もしかしたら、自分が殺したと考えてしまうように」

「軟弱に」

「ええ。そんな同情の余地があるにせよ、しかしそれが彼の職業でしたから仕様がないです。そして、誰かがそれをする必要があったことは間違いないのです。だって、中では生かしておけるような人間ではすでにありませんでしたし、外に首謀者を出すわけにもいかなかったです。外では首謀者はただの、何の罪もない、十六歳の少年になってしまうのですから」

「それは無い話よね」

 乙女屋も同意する。

 結果、十七歳の少年が、同年代の少年に死刑判決を出した。それは、外の社会であれば大人が、自分の意思で選んだ裁判官という職業で、一応、法に則りやったのだから、となるかもしれないが、しかし、ここで十七歳がやると、強制的にやらせられた、という逆説的なイメージも浮かんでくる——というのは、やっぱり、ここらしくない、軟弱な発想なのだろうけど。小窓さんは更に続ける。

「彼はそうして私たちに似たトラウマを抱えることになりましたが、しかし、それでもここから出て行かないという決断をしました。同時に、その裁判の最中に知った、行くところがない死人を、密かに傍に置いておくことに決めたと言う経緯につながってきます。そして、あの死人は彼のメイドとなりました」

「……メイド?」

 僕はその初出の職業を聞き、僕も朝霞さんを見る。

「そうよ、メイドよ」

 乙女屋も僕に言う。

そう言われてみると、確かに、そこにはメイド服を着たメイドがいた。

「というか、司も見た瞬間気付きなさい。どこからどう見てもメイドじゃない。こんなメイド服を着た図書館司書なんていないわよ。いえ、そんな図書館があったら行きたいけど。ともあれ、そういうことで、もう死んでいるのにメイドをやっているのが彼女よ。死んで、職業だけが残ったのよ。恐ろしいわね、職業が人を飲み込んで、死んだあとも動き続けるなんてね」

乙女屋の言っていた言葉が、ここで繰り返される。再び、小窓さんが口を開く。というか、ずっと喋っている。言いたいことを言い終わるまで止まりそうもない。

「それで、どうでしょう、司様。さっきの話に戻りますけれど、彼は死人と一緒に暮らしていた。年頃の男の子が、こんな自分に従順なメイドがいるとなると、どういうふうに扱うでしょうね」

「……」

「精一杯、下卑た想像をなされたでしょうが、大体そのようなことが起こっていたでしょう。そうして彼と死人の生活は一年余り続いていました。そんな罪悪感もあったのかもしれませんね、だから、、そんな考えもできますね。もちろんそれが真意だとしても、全く褒められたものではない自己中心的な考え方でしかないですけれど」

 未だに、笑顔のまま静止をしている彼女。

「それで、さっきも言ったように、追い出しても彼女は戻って来るのよ」

 乙女屋は、小窓さんの死人呼びとは対象的に、先ほどから朝霞さんを彼女と呼んでいる。

「この街には、もう死んだ人間である彼女を追い出せる人間はいないの。外では彼女は生きているから、外で暮らせばいい気もするけれど、ここから出ていけないみたいね」

 そう言った乙女屋の表情には、憐れみと優しさがこもっているように見えた。

「というか、私も彼女と言っているけれど、一応お知らせしておくわ」

「お知らせ?」

 乙女屋はそう言って、朝霞さんの近くに行き、突然としか言いようのないタイミングで——スカートをめくった。

「そうよ、この子は男性よ。今風に言えば、オトコの娘よ」

「……」

そのスカートの中がどうなっていたか、それについては僕は描写しない。

「私は生前のアレを知っていて、良い印象もないので、死人と呼び続けることにしますが。それで、司様、ほとんど話し終わりましたが、最後に一つだけ」」

 と仕切り直すように小窓さんが言う。

「なんでしょうか」

「先日の役割云々の話もありますけれど、やはり私は貴方への警戒を解けませんわ」

「えっと、どういう意味ですか?」

「七葉五十夢」

 と小窓さんは突然言った。

 それは、既に知っている名前。朝霞さんが最初に自身の名前だと名乗った名前。ここにきてから初めて聞いた名前だった。しかし、彼女の名前を知った今、その名前だけが浮いている。嘘で彼女が名乗ったその名前の人物を、僕は知らない。

「それは、このメイドの元主人ですわ。そして、裁判官に死刑判決を受けて、ここで首をはねられた人間の名前でもあります。春の珍事の首謀者です」

「……」

「まあ、ここまで来たから言っておくけど、この子はそいつに心酔してしまったの。そして最終的に酷い壊れ方をしたわ。ご覧のとおりね」

 乙女屋はそう言って、朝霞さんを手のひらで改めて紹介するような仕草をする。

「春の珍事で、彼女にとって世界から真実は消えてしまった。あるいは、全てがどうでも良くなってしまった。そして、後遺症で死んで、嘘しかつけなくなった。そう言った事情よ」

 後遺症。

 トラウマ。

 死んでしまうほどの。嘘しかつけなくなってしまうほどの。

「ともかく、司様はここに入って、いきなり、一番聞いてはいけないその名前を聞いたのですわ。ですので、彼女が司様にその名前を告げること自体、やはり私は何かを思わざるを得ません。今のところ、それについては私と乙女屋しか知りませんが、これが司様の役割を告げているものだとどうしても考えてしまいます」

「……」

「ですが、乙女屋が言った通り、今日のところは及第点を差し上げましたので、司様の処遇は保留としましょう。他の人間にも、このことは秘密にしておくことにします」

 と、言って、手を一度叩く。

「さて、今日のところは話すべきことは話しましたし、全てはキラッと解決しました。なので、探偵小窓は失礼しますわ」

「ええ。小窓は帰っていいわ。煤ヶ谷も」

 煤ヶ谷後輩は、僕に何度も謝罪し、後日また謝りに来ます、と言って、足早に去っていく小窓さんについていくように帰っていった。


          ◯

 そして、乙女屋と二人になった。

 いや、三人――と今の説明を聞いても思ってしまっているけど。

「さあ司、帰って、三日三晩、遊び尽くしましょう。色々なゲームパーティーを考えていているわ」

 乙女屋は言う。

「……いや、ちょっと待って」

 と僕は言う。この状況、僕にとって、みんなが言うように何もかもが解決したようには思えない。

「何かしら?」

「えっと、この朝霞さんは、どうするの?」

 と僕は処刑台に備え付けられているゲームのNPCのような彼女を指して言う。純粋な疑問だった。

「だから、外に出しても戻ってくるから、どうしようもないわよ」

 乙女屋は言う。

「でも」

 でも。

 彼女は数日前に人を殺しているし、死んでると言ってもこのままでいいのか、というか生きていないっていっても——等という言葉を、飲み込む。それは、あらゆる意味で間違っていると言うことだし、僕の偏見からきているものらしいから。でも。

「……でも、乙女屋、それでも一つだけまだ、理解できないことがあるんだけど」

 僕はそれらの言葉を押し殺しても、それでも一つ訊いておかないといけないことがあった。

「ええ、何かしら?」

「えっと、裁判官の自殺を手伝ったと言うのはわかったけど、乙女屋を殺すところだった、って言う話はどこにいったの?」

 乙女屋は、ああ、と思い出したように言う。

「それは、簡単なことよ。私が生きていける、って言葉に、はい、って彼女が同意したからよ。だから私は死ぬんだと分かったわ」

「あの、それは流石に想像はついていたんだけど、乙女屋が殺される、その理由が、いまだにわからなくて……」

 ふむ、と乙女屋は言う。

「そうね、それについては、私もどうしてそうなったかは正確にはわからないけど、推測はできるわ」

 と言って、もう一度、朝霞さんに近づく乙女屋。僕は、朝霞さんが突然動き出し、乙女屋の首を締めだすなんてことないだろうな、と少し不安になるが、乙女屋は気にしていない様子だ。

「司、メイドであった彼女は、ご主人の裁判官が死んで、再び主人を失ったメイドになったわけよね」

「うん、そうらしいね」

「主人を失ったメイドは、どうなるかしら?」

 乙女屋は、彼女の顔を正面から見つめながら言う。意図はわからない。死んでいることを確かめているみたいな見方だ。

「……それは、単にメイドじゃなくなる、かな? メイドという職業は、主人がいないと成り立たない気がするし」

 僕は何となくそんな風に答える。

「そうね。でも、主人がいなくなっても、彼女はもうこんな状態で、メイドを止めるわけにもいかない。となると、主人を持たないメイドの彼女に、指示を出すのは誰かしら? メイドという職業に何もかもを乗っ取られている、職業がラブントゥールのメイドでしかない彼女は、何に従って行動をするのかしら。私は、

「ラブントゥール、そのもの?」

「ええ、ラブントゥールそのもの、ここの規則、ルールとでも言うのかしら」

「……ルール」

 僕は、それを聞き、彼女が最初に教えてくれたここのルールを思い出す。

 今思えば、彼女の創作のような、意味を全く成さない九つのルール。

「ええ、ここのルール。彼女はそれに従うというのが私の推測。そして、それはラブントゥールの職業メイドとして、全く当たり前のことだと思うの。彼女を縛っているのは、ラブントゥール以外はないのだからね」

 乙女屋は、彼女に向かって話し続ける。

「……ちょっと、少しずつ理解は進んでる気はするんだけど、まだ理解できない。それが、乙女屋が殺されることとどう関係があるの?」

「ほら、私の職業は何?」

「天才」

「それって、私って、 ラブントゥールのルールである、自主自立の精神に則っているかしら」

「いや、してない。ニートだから」

 僕は即答する。

「ええ、その点は後で徹底的に話し合うとしても、ひとまず置いておくわ。では、私はラブントゥールの基本である、社会を回すために、各人が職業を持って働き、結果としてこの社会に貢献をする、なんてことができているかしら?」

「いや、全くだよ」

「そうね——いえ、そうじゃないけど」

 乙女屋は一瞬間違えて、言い直した。

「でも、無知な輩にはそう思われてもおかしくない。それで、彼女もそう思ったのかもね。彼女はここのルールに従い、生徒じゃないのに、真面目な委員長みたいに、ルールを他の生徒にも従わせようとした。それは、結果として、新入生である貴方を案内したりするような形でも出たと言った具合よ。もちろん不完全だったけれど。それで、彼女は頑なにルールを守り、そして他の生徒にもそれを守らせようとした、そんな仮定を置いたとすると、ここで不良生徒がいるわね。全くルール通りに動かず、一向に社会に貢献しようとしない生徒——私については、どうするべきと思うかしら?」


「排除するべきよね?」


 僕は、やっと乙女屋の言っている意味がわかる。

 わかって、鳥肌が、つま先にまでできるのを感じる。

 あの教師も酷い有様だったが。

 彼女は、それ以上だ。

 それは、今まで僕が経験したものの中で、最も恐ろしいものと言ってもよかった。

 そこまで言って、乙女屋は僕に向き直す。

「それが私が殺されそうになった理由と私は推測するわ。一度殺して弾みがついて、昔から嫌いだった私を殺そうとしたという可能性もあるけど。でも、この彼女じゃなくても、人って無意識に集団のルールに従うのよ? そして、ルールに従う人間は、当然のようにルールから反するものに反感を持つの。別に彼女だけじゃなく、例えば仕事を持たないものは社会にいてはいけない、というプレッシャーはここに限らずどこにでもあるしね。現に、ここで無職でいることの何となくの居心地の悪さは、司も感じているでしょう?」

 感じている。

「よって、私の予測でしかないけど、ラブントゥールがルールを守らない人を排除するよう命令をしていると考え、メイドである彼女はそれに従うことにした、といったことよ。まあ、それに従うのは、もうメイドとも呼べないわよね。社会の奴隷かしら」

「奴隷」

「ええ、社会の奴隷にクラスチェンジしていたのね。ニートや障害者や高齢者を批判して、殺処分しろ、みたいに攻撃的になる奴みたいなものよ。これも外の世界ではいくらでもいるわ」

 僕自身も、別に誰かに何かを言われなくても、僕もここの実態を知るにつれ、何か仕事を探したくなってきていた。そうでないと、ここにはいてはいけないような気がして。

「ええ。でも、それは司がまだまだここの住人じゃないからよ。私は何も思わないわ。ニートではなく天才、それが私の職業よ。天才には生きにくい世の中ね」

 乙女屋は自慢げに、そして皮肉っぽく言った。

「でも、乙女屋。今は、どうして乙女屋は殺されないの?」

「司、私は教師ではないわよ」

 と、ここにきて、その言葉をもう一度言われる。言って、乙女屋はニヤッと笑う。

「実は、私もわからなくて、さっき小窓から聞いたわ。まあ聞いても、その理由は全く理解できないのだけど。でも、これ以上は私は調べる気もないわ。というより、調べる方法がないもの」

「……」

 そう言われて、僕も思い至る。

 ラブントゥールのメイドで、奴隷でもあった彼女。

 今は、乙女屋に興味を示さない彼女。

 僕は一瞬間を置いて。なぜか、理由もわからないが、頭に浮かんできたその人の名前を彼女に訊く。

「あなたの今のご主人は、ヒトトセセツナじゃないよね?」

「いいえ、違います」

 彼女は答える。

「……」

 再び、何かを考えようとするために、頭に血が集中していく感覚がする。でも、今日の僕はテスト終わりで、疲れ果てていて、もう一度集中をする力がない。逆に、意識が遠のいていくのを感じる。

「さあ、司、寒いし、そろそろ帰って、まずは24時間耐久ドミノ倒しを、あれ?」

 僕は、やっと眠りにつく。

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