第7話 けん玉のたまをりんごに変えたところで、りんごの芯抜きにはなんの寄与もしません。

 ラブントゥール・ルール7 


 けん玉のたまをりんごに変えたところで、りんごの芯抜きにはなんの寄与もしません。


            ◯


 次の日、になる前だった。

 いつもなら、なんだかんだ言いながら朝までぐっすりと寝て、すっきりと朝に目が覚める所だったが、今日に限っては寝られなかった。

 何か、漠然としたモヤモヤが、頭から離れてくれない。それは今日経験したことも含めて、興奮とも違うものが、メリーゴーラウンドのように頭をいつまでも駆け回っている。

 全てが繋がりそうで、全く繋がらない。

 完全に手がかりもなく平行線というわけでもなく、何か頭の中で糸が絡まったり解けたりしている。僕の常識と偏見が邪魔しているからというのは、確かにそうなのだろう。しかし、そう言われたところで、常識を取り去るというのは難しく、やはりそれは懐中電灯で光の当たっていない場所を探すような作業で、僕には未だ解決方法がわからない。

 彼女たちにとってはすでに解かれているパズル。

 僕にとっては問題もよくわからないパズル。

 僕らは、果たして同じ事件を見ているのだろうか。だって、この殺人事件は、動機もない、証拠もない、手がかりもない、実感もない、気配もない、探す手段もない、容疑者も知らない、僕が探す理由がない、そして、そんな能力が僕にはない。こんな事件は、僕がたとえ探偵であったとしても、でたらめと言わざるを得ない。そんな文句を言いたくもなるけど、そうも言っていられない。

 僕はベッドの上で上半身を起こし、乙女屋を見る。

 乙女屋は、スヤスヤと寝息も立てずに寝ている。

 僕は、知っている。

 こうして何事もないような日が、ある日突然、消失することを。

 人は消えていくことを。あっという間に死んでいくのが人間なのだ。

 もう、こんなことにはならないようにと、平和な時間が続けばいいと何度も祈り、そうならないように努力もしてきたつもりだけど、しかし、全部が無くなってしまった。毎回、今度こそそんなこと起こるはずはないと、どこかでそう考えていたのかもしれない。どこかに油断があったのかと言われれば、そう言えないケースなんて、ほとんどの場合ないのだから。

 乙女屋の言うように、人が死ぬのには、僕がわからないだけで正確なタイミングがあるのかもしれない。言われてみれば、思い返してみれば、その言わんとしていることはわかる気もする。

 気づけば運命のように。

 思い返せば必然のように。

 主観的には、偶然に。

 時に自分を加害者にしないように、完全に配慮された形で。誰からも「それは仕方なかったね、責任はないよ」と言ってもらえるような余地を残して、そうやって、取り返しのつかない事態は突然起こる。

 そして、起こった後に、終わった後になって、いつまでも自分に問いかけてしまう。

 気付かないふりをしていただけなのでは。

 本当は気づけたのでは。

 どこから見ても、決定的な責任を避けられていることを確認しながら、それに安心をしながらも、それでも、自分でそれを反証するように、問いかけ続ける。

 救えたのでは。

 守れたのでは。

 常に自分を守る言い訳をする自分と、それを許さない自分がいる。

 数日前に出会った彼女。

 僕の友人。

 今、僕はこの友人を失ったら、また同じように思うのだろう。そして、僕の人生は、また続いていくのだろうか。今までのように。わからない。

 考えるだけで吐きそうになる。

 なので、完全に馬鹿馬鹿しいと思いながらも、僕はコートを取る。

 勉強しか取り柄のないような僕には、復習しか出来ない。

 

           ○


 そして、振り出しに戻る。

 文字通り、僕はラブントゥールの入り口まで来ていた。

 ここに来た初日、本当の初心に戻る。

 何もなかったころの僕に。

 何もかもを諦めていた僕に。

 心機一転、と言いながら、そのままの死んだ心で、全てから逃げて、ここにたどり着いた僕に。

 友達も家族も、何もかもがなく、行く当てがないからというだけでここに来た僕に。それでも、ラブントゥールに行くんだ、と言って、全てから逃げられることに喜んでいた時の僕に。念願だった神隠しにあって、これまでの全ての自分をリセットできると内心どこかホッとしていた僕に。しかし、言い訳をするにも家族も友人も信頼する教師も死んでいたし、それを誰にも伝えることなく、ただ自分にだけ言い訳をしてここにたどり着いた僕に。

 外灯もほとんどないが、迷わずにここに来ることができた。流石に数日ここを歩きまわっているので、道は結構覚えた。幾つかの目印、建物の配置、そういうものを目印にすれば、僕はどこかへ行き、帰ってくることができる。それくらいのことは学んではいる。少なくとも、それは学習と呼べるかもしれない。

 来た時には入り口だった門が、今は出口となっている。僕はそこまで来て、振り返る。すると、入ってきた時にはいなかった——ウサギがいた。ウサギ。彼女は、普通に石を蹴って遊んでいた。

 彼女も僕に気付き、その遊びをやめて、僕に向く。

「お前、ここでなにやってるんだ?」

 彼女は初めて会ったときのように、僕に問いかける。

「先日は、ありがとう」

 僕が言うと、ウサギの耳を少し揺らす。

 彼女の赤い目が僕を捉える。

「別に礼を言われるようなことじゃない。オトメヤに言われただけだから」

「君も、乙女屋の友達なの?」

「まあな。で、ここで何しているんだ? 出て行くつもりか?」

 僕は首を横に振る。

「ちょっと調べ物をしてて。というか、忘れ物をとりにというか」

「ん、何言ってるんだ?」

「犯人を、探してるんだ」

「犯人? なんの?」

 彼女は耳を少し横に傾けて訊く。

「知ってるかもしれないけど、この前、ここで殺人事件があってさ」

「ああ、あれね。私の仕事道具で人を殺したってやつだろ?」

「私の、仕事道具?」

「あれ、まだ知らないのか? あたしの職業、処刑人なんだよ」

「ああ、そうなんだ」

「職業を言って、ああ、そうなんだって言われたの初めてだけど」

 彼女は赤い目を僕に向けながら言う。

「で、私の質問に答えてないな。お前はここで何してるんだ?」

「いや、その殺人事件があって、いろいろあって僕が犯人を探さなきゃいけなくなって」

「犯人? ああ、アサカね。困ったもんだね」

 と彼女は言った。

「……ん? 今なんて言ったの? アサカ?」

「いや、だから裁判官を殺った奴だろ。朝霞だろ?」

 僕は、沈黙を返す。

 沈黙で、答える。

「……それが、犯人なの?」

 僕は彼女に訊く。

「そうだけど……ん、え? 何か悪いこと言ったか、あたし。おまえ、もしかして知らなかったのか?」

 彼女は、なぞなぞの答えを先に言ってしまったように、少しだけ罰が悪そうに言った。

「……」

 まさか殺人犯の名前を直接聞けるとは。

 しかし、僕が知らない名前だった。

「二年生なの、その人?」

「まあ、同い年だよ。まーた、人殺しが出ちゃったよ、あたしたちのところからさ」

「……そんなの、わかるわけないじゃないか」

 僕は呟くように言う。

「ん?」

「処刑台を使ったのは、君じゃないよね?」

 僕は、問う。

「いや、だから違うよ。イチコだよ、私は。朝霞がやったって言ったろ? 私はそんな名前じゃないし、仕事じゃないのにそんなことやらない。ちょっとは人の話聞けよ」

「仕事だったら、使うの?」

「当たり前だろ、仕事なんだから」

「それって人殺しじゃないの?」

「いや、違うよ。仕事だって言ってるだろ」

「君も、春の珍事を経験しているんだよね?」

「もちろん。私は二年だし、ここにいたし」

「その時にも、人は殺した?」

「まあ、たぶん、5、6人は」

「その時には、処刑台は使った?」

「使ってないよ。戦争なんだから、わざわざあんなの使わないだろ。というか、お前顔色悪いぞ? 大丈夫か?」

「うん、大丈夫。で、君は仕事で、処刑台を使って殺す。生徒同士の殺し合いで殺したこともある。その二つは、どう違った? 両方、生徒が生徒を殺しているだけだよね?」

「お前、本当に大丈夫か? いや、仕事の場合は、ちゃんと裁判にかけて許可をもらってやってるよ。戦争の時は、自分の意思でやったかな」

「裁判にかけて許可をもらったら、殺してもいいの?」

「そりゃな。ここのルールだから」

「ルールがあれば、人を殺してもいいの?」

「ふむ、私は死刑廃止した方がいいと思ってる派だけど、でも、ルールがある以上は、それに従うべきだと思うね。ルールがないと、常に無法地帯で、ここは戦争状態になってしまう可能性があるからな。だから、ここではルールを破ったやつで、それ相応のことをしたやつには、限定的な死を与える必要がある場合もある」

「限定的な死?」

「ああ、ここで死んでも、人は外では死んだことにならないって気付いているだろ? 春の珍事で死んだ奴らも、親や兄弟にその死が知られてる奴なんて多分ほとんどいない。だから、ここにいる連中は、生きていても死んでいても外の世界には違いがない。ここでどんな犯罪を犯しても、外にバレることはないし、現に誰も外では捕まっていない。でも、ここでは生かしておくわけにもいかない。だから、ここでの死を与える必要があるんだよ」

「……ここでの、死」

「そう、ここで殺さないといけない。春の珍事で死んだ奴らは、外では未だに学生をやっているんだ。でも、ここでは間違いなく死んでいるから、フガーケスにも、エヘウにも進学することができない。だから、この中で限定的な死が与えられる必要がある。生徒でなくす必要がある。そういう意味では、ただの機能であって、死を与える仕事はどうやってもいるんだよ。死亡診断書を書く医者と似たようなものだよ。死って個人的なことのようだけど、社会のものなんだよ。外ではそれに気づきにくいけどな。ここでは、人が限られていて生徒がやってるから死の輪郭がはっきり見えるだけでな。だから、私はこの仕事をしてる」

「でも、君も、死刑は無くなった方が良いって言ってたけど」

「そりゃそうだろ。でも、現状はそうだから仕方ない。皆が殺すくらいなら、私が殺す。絶対にここでは誰にも殺してほしくないし、それでも誰かがやらなければいけないし、だったら私がやるっていうだけの話だ。そうじゃなきゃ、言ったように、ただの暴力がまかりとおるからな」

 彼女の真っ赤な目。

 それはよく見ると、その赤さは極度の充血からくるもののようだった。

 寝不足。

 夜行性、彼女前にはそう言っていた。

 おそらく、後遺症に関わるものなのだろう。

「で、話を戻すけど、お前はなんで犯人を探していた?」

「いや、その名前を聞けたら、探す必要もなかったかもだけど、僕は、その朝霞って人を知らないんだ」

「いや、知ってるだろ」

ウサギは言う。

「え?」

「知ってるだろ」

「……え、いや、どうして君が知ってるのを知っているの?」

「どうしてって、知らないわけないだろ」

 彼女は首を傾げる。耳が傾く。

 耳を傾ける。

「おまえ、記憶力が無いのか? どうかしているのか?」

「……全く、わからないんだ」

「いや、それに犯人なんて、朝霞を知らなくても、考えればわかるだろ」

「考えるって」

「順序立てて考えてみろよ。簡単だろ。あの死刑台は誰かに使われないと、人は死なない」

「それは、知っているけど……」

「だから、構造上は自殺はできない。あの死刑台を使うには、誰か他の人間がいるから」

「うん、それもわかる……」

「そして、あれを使うための死刑判決は、裁判官が、判決を下す」

「うん」

「でも、裁判官はその判決を下していない。裁判官は一人しかいない。ということは、裁判官は、ラブントゥールでは死刑判決を受けない、だろ?」

「……」

「であれば、犯人は朝霞しかいない」

「…………」

「お前、何もわかってないな」

 彼女はため息をついて言った。

「……」

 また。

 頭の中がかき回される。

 僕の常識が、圧力鍋で煮込まれる野菜スープのようにぐずぐずになっていく。しかし、それが何かの形にはなっていかない。

「まあ、どうでもいいや。ああ、そうだ。お前でいいんだったよな? 私は耳裂けウサギをやるから、誰にもやるなって言っといて」

「……なんのこと?」

「お化け屋敷。まあ、誰もやらんか」

 ぴょん、と跳ねるように彼女は身を翻す。

「あと」

 と立ち尽くす僕に、彼女は振り返らずに言う。

「お前、危ないぞ? バチが当たる」

 僕の後ろには、僕の同級生、東ウエストウッドが立っていた。

 彼女は巨大な棍棒のようなものを振りかぶっていた。

 バチだった。

 そして、それは今は死滅した体罰のように。

 勉強をしない僕に教師が拳を振り上げるように。

それはまさしく罰が当たるように、振り下ろされた。

 

             ○

 

 夢を見る。

 夢と言っても、自分が気絶しているんだろうな、というのは半分自覚的で、意識が昏倒している、と言うのはこういうことなんだな、と結構冷静に受け止めていた。高熱でうなされている時のような感覚にも似ている。

 そんな夢のなかで、僕は夢を見るのは久しぶりだな、とも思っている。というか、殴られて気絶しても夢を見るのだな、と僕は思っている。

 夢の中で、僕はその名の通り、夢中で走っていた。

「母さん、父さん、小蘭!」

 僕は家族の名前を呼ぶ。

 呼んでいる自分に、涙が出そうになる。

 それは僕の家の近く。正確に言えば、僕が家族と昔住んでいた家の近所。ここいら一帯を巻き込んで大爆発して焼失した家で、それもわかって僕は走っていた。多分、起きていてもそうするだろう。

 家には明かりがついていて、リビングにはカーテン越しに人影も見える。ということは、時系列で言えば小蘭もいるということで、時系列(?)と混濁した意識で思いながらも僕は家のドアを開ける。母さんが出る。

「あら、おかえり司。遅かったわね」

なんて母さんは乙女屋みたいに言う。涙を抑え、僕はまず、急いで二階の小蘭の部屋にいく。階段を今までにないくらいのスピードで上がり、妹の部屋を開けると、

「遅かったじゃないか」

 そう言った彼に、小蘭は食べられていた。

遅かったも何もない、僕は思う。

 それは違う、その順番は違う。

 父が死んで、母が死んで。

 妹が死ぬのが、正しい順番なのだ。

 どうしてそうなる。

 と僕は思う。

 その人間はバラバラになっている小蘭の右腕を食べやすいとばかりに持って、食べながら話し続ける。

「そうやって人を騙して裏切って、恐喝して差別して破滅させて、偽造して乱用して密告して堕落させて、幻滅して幻滅させて密室にして偽装して殺して、そうして生きてきたんだな」

 それはその通りかもしれない。

 でも、それだったら、僕が最初でいい。

 死ぬのは、僕が最初だったら良かったのに。

 せめて、妹と一緒に死ぬほうが良かった。

 いや、僕だけでもよかった。

 そう思う。

 どうすればよかったんだ、とこれまでにも何度もした反省を始める。しかし、その考えをも省略できるほど僕は擦り切れるほど同じことを考えてきており、その答えはすぐに出る。

 どうすれば良かったなんて、考える余地もなく、僕は、ただの部外者だった。いつだって、僕は事後に知らされるだけだった。僕はただ、見せられていただけだった。

 只の悲劇の当事者だった。

 何も、役割が与えられていない、傍観者だった。

感想を語るためだけに用意された批評家のように、ただ被害者で、目撃者でいることしかできなかった。

 そんな中「本当は、何かできたんじゃないの?」なんて人に言われない程度に傷ついた素振りをチラ見せしながら、時に同情を引く言葉すら吐きながら、僕は身を潜めて過ごすしかできなかった。

 そんな僕だから、小窓さんに、あなたは役割を与えられている、そう言われた時、少し嬉しかったというのは、本心なのだ。だから、乙女屋が助けてくれと言った時、僕を求めてくれたのに、僕がどれだけ救われたか、そんな気持ちは誰にもわからないだろう。

「どうして学ばないんだ、お前は」

 僕に問いかけるのは、小欄を食べる僕。

 どこかで聞いた言葉。

 全てが無茶苦茶だった。

「ここは学校、学ばなければ、いる意味はない」

「そんなの、知っている」

「知っているんじゃなくて、知らないことを学ぶんだよ」

「でも、そんなの、方法がわからない」

「方法? 学び方まで教わるつもりか? 教師がいないと、何も学べないのか、お前は」

「……」

「お前の教師とは、誰だ?」

 教師。

 先生。

 教える人。

 パッと浮かんだのは、乙女屋。

 でも違う。

 彼女は僕の友達。

「教師とは、なんだ?」

 この言葉は、僕と彼が、同時に発していた。

 僕が僕に、何かを教えようとしている。

 僕が僕に訊いている。

 僕が僕に答えようとしている。


「教師とは」


 もう一度、僕は呟く。

今度のその言葉は、しかし、彼に向かってではなく、現実の世界に放たれていた。

いつの間にか、僕は目を開けていて。

 知らず知らずのうちに、空に向けて、そんなことを口走っていた。星が見える。

 頭の後ろが痛い。

手で触ると、すでにそこにあった液体は固まり、赤黒くなっている。ということは、だいぶ時間が経ったのか、と考える僕の頭は冷静で。

「はあ」

 とりあえず、あまりの痛さと自分の不甲斐なさに、ため息をつく。

 でも、ここへ来てから一番気持ちのいい目覚めだったといっても良かった。

「なるほど」

 僕は合点する。

「そういうことか。本当に、どうしようもない」

 自分に向けて言った。

壊れたテレビのように、とりあえず叩けば治るものだったのかもしれないと、僕は思う。 

 犯人は解った。

 というより、分かっていた。

 最初から。

 ここに来たときから。

 いや。

 ここに来る前から。

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