第4話 目を開けましょう。目を開けましょう、と言われる前に。

ラブントゥール ルール4 


 目を開けましょう。目を開けましょう、と言われる前に。


      ○春夏秋冬ひととせ 雪無せつな 職業:図書館


 また、目覚ましがなる。

 この目覚ましがなるということは、ここに来てから三日目に到達したということ。昨日得た新情報を鑑みると、意外と三日目まで生きていたこと自体がすごいのでは、と思いながら目を開ける。そして、僕は最近のあれこれを気にせず眠ったということ含め、思っていたより、自分が図太いというのか、煤ヶ谷後輩が言うように、環境適応能力が高いというのか、あるいは、すでに何かが壊れてしまっているのか、そのところは僕には分からないが、眠れないよりははるかに良いだろう。いや、そう思う思考も、どこか狂っているような気もしながら、僕はとりあえず起きる。

「さて、今日は何をするのかしら?」

 乙女屋は朝食をとった後、早速言った。ボード版の人生ゲームが傍にあるのが見える。

 そういえば、僕の部屋になるはずだった部屋に置いてある乙女屋の私物は、ほとんどおもちゃというのが判明した。まだまだ、彼女にはやるべきゲームとおもちゃの在庫がいっぱいあるのだ。

 気がつけば僕もダラダラと過ごすことに慣れてきてもおり、これも僕の環境適応能力がなせるものなのか、人間は環境によってどこまでも堕ちていけるということの証明なのか、人生ゲームで乙女屋を負かす策略を練り始めている自分もいる。というか、外に出ると結構な確率で死ぬみたいだし、といった言い訳も自分にしはじめている。

「無職の貴方がやることがないことはわかっているわ。そんな貴方に人生ゲームよ。せめて仮想の世界だけでも職業を持てるわ」

 無職。

 学生という身分を取られると、自分が無職になるというのは意外と盲点で、僕のような、特別な意識もなくぼーっと学生生活を過ごしている学生達には寝耳に水な事実ではないかと思う。

 昨日、上がっていた煙が、今日は上がっていない。昨日の捜査が何の成果も上がらなかったのは僕も知るところだ。生徒たちは、何事もなかったかのように、洋子さんの店で朝食を食べて、仕事に向かって行く。

「ねえ、乙女屋、外出禁止は解けたみたいだけど」

 僕もすっかりと時間に追われるなどの感覚もなく、ゆっくりと朝食を食べる作業に移る。パンにバターを塗る。

「ええ、そうみたいね」

「でも、周りでそんな話をしている様子もないし、犯人が捕まったとかってことでもないよね?」

「まあ、新聞には理由を熊出没のための休校、と警察が発表と書いてあるわ。新聞記者も流石に気づいているだろうから、一旦情報を公開しないようにしたのでしょうね。これは長くなるわね。また煤ヶ谷が過労死に近づいたわ。でも、昨日言った通り、私たちが気にすることではないわ。ということで、人生ゲームをやり、午後からは図書館に行きましょうか」

「え?」

 とそれは予想をしていない提案だった。驚いた僕に、少し驚いたような反応を見せる乙女屋。

「ん? 知らないのかしら? 私は一日に一冊本を読んでいるの。その本は、全て図書館から借りてきているのよ。それを返すついでに貴方を連れて行ってあげようということよ。私は教師じゃないと言っているのに、貴方は質問を繰り返すのだから、ちょうどいいでしょう?」

「それは、そうだけど」

「私は一週間に一回は必ず図書館に行くの。それに連れて行ってあげようとしているのよ。別に、昨日一人でいて寂しかったからとかじゃないんだからね」

 とツンデレ風にいって、彼女は人生ゲームを広げる。


             ○


 乙女屋は赤のコートを手に取る。

 彼女が外出時に着るロングコート。彼女にとてもよく似合う赤。『仕立て屋』に作ってもらっているそうだ。その他の服も、値段がとても高そうなのに、無職の彼女がどうやってそのお金を捻出しているのかは知らない。ともかく、乙女屋のファッションは、いつも驚くほど洗練されていて、年相応でもない大人びたファッションを完璧に着こなす。多分一緒に歩いている僕は召使いと思われるのではないだろうか。

「良かったー、ハネくんが来て」

 と洋子さんは言う。

「乙女屋は図書館に一人で行かないから、私が昼休みに付き合ってたの。今度からはハネくんが行ってくれるんだね、助かるー」

 二人で図書館までの道を並んで歩く。乙女屋といえば家から出ないもので、唯一、洋子さんの店との往復だけが、彼女が外に出る時だと言う認識がある。こうして目的地があって、乙女屋が外を歩くというのは不思議な感じがする。というより、彼女が足を交互に出して何処かへ行こうとしている姿が、ひどく不自然に見える。彼女の肌は透き通るように白さが目立ち、太陽が敵にも思える。その手足も、おもちゃしか触っていないせいもあって、機能的には見えない。箱入り娘というのは、彼女のためにあるような言葉で、いざ外に出してみると、家から出るものでもない気もしてくる。

 道中。

 遠くに——それは遠近感が狂うくらいに、大きな人がいた。恐らく、二メートルはくだらない。乙女屋の方を向くと、乙女屋もそれを見ていた。

「……あれは?」

 僕は乙女屋に訊く。

「あれも、同級生よ」

「同級生?」

「そうよ、ちなみに女の子よ。この前少し言った、二メートルを超える子よ」

 紺のワンピースのようなものを着ているが、それはもはやボロ布で、かろうじて肌の重要な部分を隠しているに過ぎない。棒のようなものを持って、何か目的も感じさせず道を歩いている。

「……あれが、洗濯屋?」

「洗濯屋? 何のことかしら? 彼女は『ミュージシャン』のアズマ・ウェストウッドよ」

「ミュージシャン……」

「まあ、流石に元ミュージシャン、といったほうが良いかしら。ともかく同級生の一人ではあるわ」

「挨拶とかしといたほうがいいかな?」

「だから貴方、挨拶が趣味なの? 今の彼女に挨拶をしてまともな返事が帰ってくると思う?」

 流石に僕も今回は本気で言ったわけではなかった。巨人族のような、トロール的な雰囲気をもって徘徊というに相応しい動きでのろのろと歩いている。言葉が通じる感じはない。

「……なんか、棍棒みたいの持ってるけど」

「アレはバチよ。太鼓を叩くやつ。言ったでしょう、元ミュージシャンなのよ」

「そういう問題じゃない気がする」

「彼女には気をつけなさい。アレを振り回すのは彼女の癖なの。不意に彼女に会ったら、出会い頭にバチ当たりになるわよ、バチだけにね」

「……」

「だからここいらの角を曲がる時はイン・アウト・インではなくアウト・イン・アウトを心がけるのよ?」

 そんなアドバイスを貰う。

「……なぜ、そんなのが放置されているの?」

「熊よけよ」

 彼女からはシンプルな答えが帰ってきた。

「あの門から熊が入ってくるのよ。ここらへんは山奥で熊もいるのよ。それが彼女の食料源で、今の彼女の役割ね。正確には彼女の職業は『マタギ』となっていたと思うわ。誰かがそうしたのね。不本意でしょうけど、今の彼女はそうなっているわ」

「そうなっている」

「ええ、まあ、あの子は二年生地区からは出ないし、それに、近づかなければ罰当たりになることはないわ。無差別に襲ってはこないし、あの子を犯罪者にするのはいつだって被害者よ。動いているものが見えたら振り抜いているだけ。それは彼女が悪いんじゃないし——まあ、私達のせいでもあるしね」

 乙女屋は、少しトーンを落として言った。

「私達のせい?」

「色々あるのよ。バカね」

 いつもとは違い、シンプルにそう言ったきりで、いつもの様に僕に暴言を浴びせることはなかった。

「しかし、あんなに大きくなるとはね。昔は私と同じ位の身長だったのだけどね。成長期だったのかしら。それとも彼女の主食の熊が原因なのかしら。洋子に熊鍋でも作ってもらおうかしらね」

 しみじみ言った。

「ともかく、今の彼女には挨拶はしないでいいわ。どうせ、直近では文化祭まで会うことはないだろうし」

「僕はもう文化祭には参加しないことに決めてるけどね」


               ○


「そういえば、貴方、図書館って、どういうものか知ってる?」

 引き続き図書館へ向かう道中、乙女屋は出し抜けに僕に訊いた。

「図書館? そりゃ、本がたくさんあって……本を借りて、返す場所?」

「そうね、貴方のその没個性型な返しにはクセになるものがあるわね。私が想定される回答としてテープレコーダーに吹き込んでいたみたい。だから、この貴方との問答というワンクッションを挟むのも無駄ね。いえ、もっと根本的なことよ。図書館っていうもの、それの存在意義というのか、どうしてあるのかわかる?」

「図書館が、どうしてあるのか?」

「例えば、前に学校へ行くくらいであれば、図書館に行ったほうがいいと私は言ったけれど、その違いはわかる?」

 それは、と言って、僕は少し考え、

「……図書館と学校。どっちも何かを学べるけど、受動的か、能動的の違い、があるの、かな?」

 とりあえず思いついたことを言う。明らかにこれも没個性的な答えで怒られるかと思ったが、ふむ、と乙女屋はほんの少しだけ満足そうに相槌を打つ。

「そうね、受動的か能動的か、それは図書館というものを考えると欠かせない視点ね。図書館は学校とは違う。学校は色々な強制力があって、一度も行かないで人生を終えることって意外と難しいけれど、図書館なんて一生行かなくても困らないわね。でも、一応誰にでも開かれていて、行って自分から学習をすることはできる」

 乙女屋は言う。

「そう考えると、大人がここに図書館を残していったという意味は、このラブントゥール自体が、能動的な学習を必要とする場所ということになるわね。元々ここには教師もいないし、教科書も自分で作らなければならない。誰も何も教えてはくれないし、知りたいことは自分で調べなければならない。何かを知ろうとするには、常に能動的でなければいけない。教師のいない学校としては、その理解は正しいわ」

「うん、なるほど」

 教師のいない学校、僕は何か大切な概念を言語化された気がして、非常にしっくりくる表現だった。

「さらに、その視点からすると、図書館は、教育機関としてのラブントゥールの象徴ともとれるわ。生徒は自主的に学ばなければいけない。それが図書館が最初からあった理由だってみんな言うわ。もちろん、確かなことはわからないけど。あの処刑台のようにね。別に説明って残されていないから」

「ただ、そこにあっただけだということだからね」

「ともかく、図書館にはそう言う役割があると認識されていて、だから、ここはラブントゥールの中心で、ここの情報の全てがあるわ。ということで、図書館よ」

 カフェから歩いて二十分程、一年生地区の近く、彼女の指差す先には、図書館と呼ばれるには、あまりにも巨大な建造物があった。

「これだけ、クオリティが違う。なんか——教会みたい」

 僕は思ったことをそのまま、言う。それは、世界遺産に登録されているような立派なゴシック建築風の建物。千年だって持ちそうなくらいの、意図を持った頑強さと重厚さが感じられる。

「いいえ、ここは祈る場所ではないわ。学ぶ場所よ。全く正反対の場所よ」

 僕の言葉を簡単に否定し、乙女屋はスタスタと図書館の扉に向かって歩を進める。

「まあ、流石にこれからのことは、自分で調べてちょうだい。理由は今言ったとおりよ。これから会うのが、図書館よ」

「……ん、会う?」

 乙女屋は両開きの扉を一つ開けて、その中へと入っていく。僕はその後に続く。

 扉の内側は、図書館になっていた。

 建物の奥、左右、たくさんの本がぎっしりと棚に詰まっている。それは、言葉通り、詰まっていると言う表現が正しく、本棚のフレームが見えないくらい、本、それ以外は見えない。本が建物の内壁を埋め尽くしている。

 そして、これは他の図書館との類似点と言えるのかわからないが、入ってきた扉が閉まると同時に、静けさが建物全体を包む。音が無い。歩くと、一歩ごとに自分の足音が、靴が石造りの床に擦れる音が、反響して聞こえる。 

あの塀と、処刑台と、これだけしか無いという状況がラブントゥールの最初だったとすると、さぞかし先輩方は混乱したに違いない。そういえば、外の建物とかも、これが初期配置としてあったから、これに合わせて――

と、そこまできたところで。

 それが、視界に入る。

 それに、その人物に、ここに入ってから一番の衝撃を受けた。

 ラブントゥールに踏み入れて、、初めてそう感じる

ほどに。

ここの全容が目に入ったときよりも――というより僕の人生でも、最も衝撃を受けた瞬間だったかもしれない。

 まず、彼女のに。

 やっぱりここには美女しかいないのでは、と思ったが、しかし乙女屋よりも、洋子さんよりも、いや、比べるとかいう問題ではなく、美しさのレベルが違う。今まで見てきた人の中で、一番——。目が八つある天使を見たような、美しさと同時に、全く違う感情が同時に僕の中に流れ込んでくる。

 目の前にいるのに、まるで架空の人物のように、生命感がない。

 薄く目を開け、少し俯いていて、床の大理石を延長したような白い肌、鮮血のような色をした唇、特異としか言えないけどそれでもフォーマルとしか呼べないような真っ白な服。全てが熱を持っているようには見えない。唇こそ真っ赤だけれど、それは人間から吸った血が唇に残っているだけのように見えて、彼女には赤い血は絶対に流れていないと確信ができる。そして、やはりここは教会で、彼女のために作られたように——いや、彼女を閉じ込めるように建てられたのでは無いかと思うほどに、明らかに外界とは一線を画している。

人ではない。

心臓が止まるような感覚の中、僕は思う。


「この子に、話しかけてはだめよ」


 突然、乙女屋の声がする。ハッと、僕はその声に正気に戻る。

 乙女屋はそう言って、それ以上は何も言うことなく彼女の横を通り過ぎた。

「ようこそ、乙女屋様」

 彼女は、どこかがおかしい。

 気持ちが悪い。

 違和感が、いつまでたっても消えない。

「ようこそ、羽井戸様」

 そして彼女は薄く笑い、僕にも挨拶をした。

「……」

 僕は唯一の特技の挨拶をしない。

 乙女屋に何も言われなくても、間違いなく、何も言わずにそうしただろう。乙女屋に続き、僕も彼女の横を通り過ぎた。

 それでも、彼女の笑みは、それはコマ送りのように僕の網膜に焼き付いた。表情が変わったというより、顔を瞬間だけ取り替えたような笑顔だった。そして再び表情を戻して僕らを見送った。

「貴方、やはりここの生徒なのね」

 乙女屋は歩きながら冷静に言った。僕の止まっていた心臓は、今になって激しく鼓動をし始める。

 乙女屋はそのまま、何かを振り払うかのように、早足で奥へと進む。

「貴方、やはりここの生徒なのね、って」

 呆然としている僕に、乙女屋はもう一度言った。

「……え?」

「だって、あの子が貴方の名前を呼んだじゃない」

「……」

 確かに、彼女は僕の名前を呼んでいた。

「ここでは生徒かどうかって、意外と調べるのが面倒なのよ。ほら、普通なら教師が点呼をとったりするでしょう? でもここは教師も生徒だからね。ここに迷い込んで生徒のフリもできるわけだし、不思議だけど生徒かどうか確かめるのも難しいの」

「……彼女は、何?」

 僕は乙女屋のそんな言葉を無視して訊く。

「だから、自分で調べなさい」


            ○


 調べた。

 割愛して、要点だけを述べる。

 最初は、この図書館で寝泊まりをすることから、ラブントゥールの歴史は始まった。

 それはラブントゥールができて間もない頃の話。第一期生にあたる生徒たちは、この図書館の中で、一冊も本のない図書館の中で、他に雨風を凌げる場所もないという理由から、ここで生活を始めた。図書館以外には塀の中には例の処刑台以外何もなく、いきなりギロチンで粛清をするわけにもいかない彼らは、何をするべきなのかわからないまま案の定、途方に暮れた。

この頃はクローズドスペースというより、本当に何も中に無く生活もままならないため、結構外に出てご飯を食べたり、ホテルを借りて泊まったり、何かを作るにも外部の工事業者を入れたり、なかなかその後の事情を考えると考えられないことをしていたりと、右往左往しながらの出発だったようだ。  

 しかし、少しずつ電気や水道やライフラインが整い、生きることが精一杯で、生活をすることが第一目標ではなくなってきた頃、第一期生は今後のここの未来を話し合うことになった。後から思えば牧歌的で、ゆったりとしたスピードの発展会議だったが、それも悠長なことを言っていられない事態が起こる。状況が変わったのは、彼らが生活を始めてから一年後、二期生となる四百五十人程度が送られてきたことで、それによって今後も毎年同人数程度の人口が増えることを予期した彼らは、真剣にそれを念頭に置いた街の設定を考え始める。自治、法律、発展について、この図書館については、最初は会議の場として、しばらくすると直接民主主義的な議会の場となり、そして気づけば議会制民主主義的な制度を持ち、彼らにしては凡庸に、といってはあれだけど、いわゆる一般的な政治の仕組みもできていった。一方で、その間にも様々なことを調べるために、色々な書物なども運ばれてきており、それらはここの本棚に収められていき、彼らも半ば意図しないうちに、ここは図書館としての体を成し始めていた。また、感心すべきこととして、ここで行われた会議類は、全て議事録などが取られており、第一回の会議のようなものから全ての議事録がこの図書館に残っていて、僕が今も閲覧可能である。

 そうして、第一期生が、必死で案を出し合い、持続可能性を持った自治体の礎を築いた。不恰好なところも散見されるものの、その聡明さと機敏さは高校生のそれでは無く、急激に街はその形を成していく。特に、その中核を成したのが、第一期生の西門サイモンウエストゲートと彼の一派で、彼らの未来を予見していたような独創的な自治のアイデアは、今もこのラブントゥールの基盤となっている。しかし、あまりにも予期されていたことでもあるけど、彼の独創的すぎる発想と強権的な姿勢は、当時の街の発展には致し方なかったという意見も歴史学者の間ではあるものの、しかし、そのせいで決定的な対立構造も生まれることになった。結果として、最初にここで裁判にかけられたのも西門である。その後、所謂権力闘争が始まり、にわかにラブントゥールは外でも見られるような社会構造を持っていく。その後、本当に処刑台が使用されて彼が裁かれたかどうか——などという話は今は割愛しよう。

 そして、様々な紆余曲折を経て、権力のシステムは何度も書き換えられ、権力の承継システムもいくつか生まれはしたものの、そのどれもが長い間は定着しなかった。その理由は、やはりはっきりとしていて、ここの土地は限られていること、いる人間も三年周期で全員が変わっていくため、継続性および発展性には限りがあるということ、そして、ほとんどの世の中にある権力システムは、三年で有権者も含めて全てが一巡するここに、全く相応しくないことからだ。先ほど出た西門サイモンウエストゲートも最初期の議会でこれと同様の発言をしており、やはり彼の先見性は凄いものであると僕も思った。

 というわけで、さらなる試行錯誤を経て、この街には権力の定着化は必要なく、そしてどの時代にでも運用可能な、完全に固有のシステムを構築する必要があるという発想が生まれる。それは、これまでに散々行われた過去の話し合いや多数決などの冗長性の排除を含めた、かつ、正当な伝統を受け継ぐために過去の生徒も含めた合議制となるようなシステム。加えて、学校を学校たらしめ、自主性と学びを促進し、ここを自律的に活動する街として継続して運営していくことを可能にする、そんな体制構築が可能な制度。そんな無理難題を形にしたのが、『半盲の全能』と呼ばれた三十五期生、シンシア・レモンが考案した図書館制度である。彼女の残した『図書館制度原案』は、今もここのラブントゥール原則の土台としても知られており、この図書館制度原案を基にした法案が可決された年を、このラブントゥールの創立年度とするという流れもある。

 さて、僕も偉そうに語っているけど、原文は難しくて僕もわからず「漫画でわかる図書館制度原案」を読んで、今までの文章をまとめた。一応、図書館制度原案の五原則を、僕の理解を書いた注釈込みで一応紹介しておく。


1.ここにある不滅のもの。それは図書館のみである(※実は処刑台も塀も全員が勉強する姿勢がある限りは本質的に必要なく、取り払うことも可能であるという意味)


2.図書館にはラブントゥールの全ての情報がある(※ここの生徒は、過去にも未来にも限られた情報を残すしかできないため、図書館に全てがあるという前提でしか、過去を踏襲していくことはできないし、そう考えるしかないという意味)


3.全ての情報を持つものを図書館と呼び、図書館は全てを持つ(※図書館の再定義と、図書館はラブントゥールの過去の情報を全部持っているということだから、法律も、歴史も、それから、ここにいた人達の思いも、全ては図書館にあるでしょ、という意味)


4.図書館は権力を持たない。情報のみを持つ(※前の三つから、図書館は全てを持つけど、権力を持つとややこしいことになりがちだから、権力だけは全ての中から除外しましょうという意味)


5.図書館は、情報を求めるものには、その真実のものを与える(※*注:そのまま!)


 一回聞いてわかるようなものでもなく、どこがテストに出そうかと考えそうなものだけど、ここにはテストがないので、安心してもらっていい。少なくとも、僕は安心している。

 余談はさておき、これらの結果として、図書館という職業ができることになった。図書館が職業になった経緯については、今の説明の三倍の時間がかかるけれど、そうなった主な理由は、その図書館制度の理想と実現不可能性の全てが、初代図書館である、シンシア・レモンによって実現されたからというのが最も大きい。彼女は、その難題を、自分という全能を持って全て体現した。

 また、制度を理解していなくても、それが現在もどのように運用されているかを知れば、何がここで起こっているかわかりやすい。例えば、生徒間で争いや諍いが生じた場合、それが恋愛関係だろうが政治関係だろうが、生徒は。図書館はその話を聞き、生徒にどちらが正しいか、どうするべきかの情報を与える。それで、その問題は完全に解決をすることになる。情報を与えているのだから、それ以上の問答は無駄であり、必要がない。

 あるいは、家を新築するのだけど、家のどこにバスルームを置くべきか、なんていうのも、図書館に尋ねることもできる。すると、図書館は最適な場所を教えてくれる。それでリビングの真ん中にバスタブを置くことになっても、それを聞いてしまった以上、従う必要がある。全ては図書館が知っていて、疑いようのない正しい情報を与えてもらったのだから、その情報は決定的となる。他にも、貴方の恋人も選んでくれる。貴方が食べたいものも教えてくれる。明日のラブントゥールの天気も教えてくれる。貴方の部屋にダニが何匹いるかも教えてくれる。誰が一番美しいのかも訊けば教えてくれる。ラブントゥールのことであれば、図書館は全てに答える義務があるし、何より既に知っているから、そうなる。

 全ては図書館が知っていて。

 全ては図書館が答えることができる。

 決定するのではなく、情報を伝える。

 権力を持たず、知りたいものに、情報を教える。

 ラブントゥールの全ては図書館にあり。

 図書館にないものは、ここにどこにもない。

 そういうことになっているのだから。

 そして、百六十三代目の図書館。

 彼女の名前が、ヒトトセセツナ。

 ラブントゥールの長い歴史の中で、三年生だけに許されていた図書館の歴史上、初めて一年生で『図書館』に就いた人間。

 現在、二年生。

 僕の同級生だった。

 そんな、図書館史という本に記載があったのが、彼女の存在だった。

「図書館って、権力そのものな気もするんだけど。実質的に、独裁みたいなこと?」

 僕は乙女屋に訊く。

「貴方、図書館に来てまで、まだ私に質問をする気?」

 ムッとしながら、それでも乙女屋は答えた。

「まあ、司法行政立法全ての権限はあれが持っているみたいなものね。でも、何か生徒間で争い

があっても、誰もあれには訊かないわよ。というより、。よっぽどのトラブルが起こらない限りね。だって、自主自律が私たちの誇りだもの。訊かないという自主性、そこで上手くバランスを取るというのも最初から図書館原案に組み込まれているわ。彼女をスルーして、自分たちで調べて、考えて、解決するのよ。普通はね」

 そういうことらしい。

「あれに何かを訊くなんて本当に最終手段よ。自分たちで解決できないと言っているようなものだもの。それは私たちにとっては、最悪の選択肢よ。答えを聞くなんて、学ぶという姿勢の放棄だし」

 と学校へ行かない彼女は言う。

「なるほど、なんとなくそこでバランスを取ってるんだ。そして、まず土台、図書館が情報を全部知っているってところから始まってるけど。そんなわけないしね」

「いえ、それはその通りよ。今の図書館はね」

 と乙女屋は冷静に言う。

「書いてあるでしょう。その文言通り、図書館は何もかもを知っているわ」

「いや、無理でしょ。だって、例えば、この図書館にある本も全部読んでるの?」

「読んでるかは知らないけど、中身は知ってるわよ。何ページ目に何が書いてあるかも」

「……いや、そんなの、不可能だよね?」

「建前上でも、それができると言わないと、図書館は名乗れないわ。過去の図書館はそれができない奴だらけで、沈黙できて良かったと言えるけれど。でも、彼女については、比喩ではなく知っているわ。それ以外も、このラブントゥールで起こる全ての事象も収集対象の情報だから、本当に何もかもを知っているわよ。それができるのがアレよ。だから一年で図書館になったの」

「なにもかもを」

「ええ、訊けば大体のことは答えるわ」

「そんなバカな」

「いや、だからバカなのよ、あの子は」

 と天才は答える。

 僕は、改めてこの図書館の蔵書を見渡す。

 タイトルを目で追うだけで一週間はかかりそうなくらいの本の量。

 その図書館は、高校生が三年かかって読めるようなレベルではなく——というより、一生かかっても十分の一も読めないだろう。それを、全て知っている? あまりにも、理解の範疇を超えている。しかし、先ほどの人間とは思えない彼女を思い出す。

「それで、今の図書館って、彼女って同級生だよね? 乙女屋は彼女とは、えっと、仲が悪いの?」

 僕は訊く。

「仲が悪いとかそういう次元じゃないわ」

 と乙女屋は珍しく、僕から目を逸らし、本を見て言った。

「人であろうともしないものと、仲が悪いとかはないわ。だから、さっきも無機物にも挨拶してしまう貴方に忠告しただけよ」

 何かその言葉は、僕に対しての強い物言いとは違い、少しだけ静かに、嘲笑とも侮蔑とも違う響きがした。

「だから、本当に話しかけたりしてはいけないわよ? 話すと、だいたい向こうに行くから」

「向こう?」

「ええ、あの子を信奉している人間がどれだけいるか。まあ、図書館になれなくてここを去る人間もいるくらいだから、図書館ってここでは特別なのよ。そして、あの子は、本物の『図書館』だから、特にね」

 本物の図書館。過去にはもちろん普通の能力しか持たず、建前として全てを知っているということにして、置物のように機能しない図書館として存在してきたものもたくさんいただろう。けど、乙女屋も彼女は本物と言う。全てを知っていると。

「じゃあ、かくれんぼでもやりましょうか」

 そして、借りていく本を決めた乙女屋は、僕に言った。平日午後、みんな働きに出ているからか、広すぎるからか、誰もあたりにはいない図書館で。背伸びをする。

「ん?」

「だって、せっかくここに来たんだから、かくれんぼくらいしないとね。いつもは洋子が嫌がるからできないのよ」

「いや、僕も、」

 と恐らく通らないであろう僕の希望を言おうとすると、どこかで聞いた旋律が館内に響くのを耳にし、言葉を止める。

「何かしら?」

 と僕は乙女屋にちょっと静かに、と合図をして、その微かに音のする方向を確かめ、声のする方へ歩いて行く。

 すると、四階建てのこの図書館の三階に、その人はいた。彼女はパタパタと、まるでここには無力にも見えるはたきをかけて掃除をしている様子で、僕に気づき、すぐに笑顔を作る。

「あら、お久しぶりです、羽井戸様」

 それはたった二日前の出来事。しかし彼女の言うよう、本当に久しぶりのような気がした。

「お久しぶりです、七葉さん」

 久しぶりに僕の必殺の挨拶が出て、僕もその人を認識する。

 七葉さん。僕の最初の案内人。

「先日は、ありがとうございました——ってどこもいけませんでしたが。そういえば、図書館司書をやっていると言ってましたね」

「ええ、私は普段はここにいて図書館司書をやっています。またお会いできて光栄です。そして、先日は大変申し訳ございませんでした」

 先日と同じメイドのような服装。今回は図書館によく合っていた。

「いえ、結局、無事に着いたので大丈夫です」

 と会話を続けていると、かくれんぼを邪魔された乙女屋も気だるそうに僕の後ろをついてきていた。

「ああ、無事というほどでもないですが……。そういえば、先日七葉さんが僕を案内してくれたとき、図書館が僕を案内して欲しいと言ったということでしたよね? それって、あの図書館ですか」

 僕はずっと気になっていたことをまず訊いた。

「あ、はい、もちろん、図書館のセツナさんからの依頼でした」

 と彼女は即答をした。

「先日はセツナさんが、羽井戸さんを処刑台まで案内をするように、と私に言ったんです」

「……それを、一昨日からずっと考えているんですけど、全くわかりません。結局どうしてなんですかね?」

「それは、私もわかりません。急にセツナさんが、今日羽井戸様がくるから、そうするように、そう私に言ったんです。ああやって、図書館の外の業務をセツナさん頼まれたという経験は、初めてでした。私の仕事は、図書館の司書なので、図書館の仕事をやるということなので、従うか迷ったのですが……やはり『図書館』セツナさんの依頼された仕事ということで、引き受けたという経緯です」

「……なるほど、やっぱり七葉さんもあそこに僕を案内した理由は、わからないんですね」

 再度、本当に申し訳ありませんでした、と七葉さんは言った。

「へえ、あの子が。随分特別扱いするのね、貴方を」

 乙女屋が後ろから言う。

「いいわ、続けて」

 そういえば、乙女屋にはウサギの彼女の前に、そんな案内人がいたことを話していなかった。

七葉さんはここで、僕の背後に立っている圧力団体、乙女屋に礼をする。

「挨拶が遅れまして申し訳ございません。初めまして、三年の『図書館司書』の七葉五十夢と申します」

「ええ、ご存知、乙女屋と言うわ。貴方、気持ちの悪い名前ね」

 僕と会った時のように、まずは彼女に言い放った。乙女屋が初対面の人間と会うのを初めて見たが、いつもこうなのだろうか。

 しかし、七葉さんは、そんな乙女屋の自己紹介と暴言を聞いて、酷く驚いた表情をした。

「貴方が、あの天才、乙女屋さんなんですか! 知りませんでした。お会いできて光栄です」

「ありがとう。私も貴方のことは知らなかったわ」

 乙女屋はそっけなく返す。

「……」

天才。光栄。

 有名人、なのか。

 何か、僕の知らないことはやはりまだまだあるようだ。忘れていたが、天才と自称するだけの何かがあるのかもしれない。

「それで、私は彼とかくれんぼ中なの。図書館司書さん、貴方は今、仕事中よね? 仕事をさぼらせてしまってもあれだから、彼をそろそろ連れて行っていいかしら」

「ええ、もちろん、どうぞかくれんぼを続けてください」

 と彼女の返答に、なにか一瞬の沈黙を更に返す乙女屋。

「ねえ、司書ってつまらない仕事じゃない? それに、あんなのと一緒にいて、気が触れたりしないかしら」

 遊んでて楽しそうですね、とでも嫌味に聞こえたのだろうか。何か言葉のトーンがきつい気がする。

「……あの、いえ、仕事なので、大丈夫です。セツナさんも、良くしてくれますし。このラブントゥールのシンボルである図書館のために役に立てるのであれば、これほど光栄なことはありません」

「へえ、まあ、信者みたいのもたくさんいるみたいだけど、貴方もその一人みたいに見えるわね。あの子も、基本的には座っているだけでしょう? 何もしなくても食うに困らない、仕事をしているのかも微妙じゃないかしら」

 基本的に毎日、何もせずごはんを食べている彼女は他人に言う。

「まあ、貴方みたいなのが、図書館を成立させてしまっているのよね。別にあってもなくてもいいような職業なのに、司書までつけてね」

 とさらに何か威圧感のある物言いだった。図書館である彼女と何かあったのは容易に想像できるが、あまりにも、あったばかりの人に言葉が強くなっている。

「そして、図書館司書ね。仕事としては、図書館の雑務一般と言えなくもないけど、このラブントゥールの図書館というのは違う意味を持つわけだから、あの子の司書でもあるということよね? それは、貴方があの子に言われてこの男を案内したみたいに」

「あの、それは理解しているつもりです。この仕事の職域には、セツナさんの司書というのが入ると考えています」

「それは大役ね。ちなみに、貴方は知ってる? この学校で殺人事件があったの」

 と、乙女屋は出し抜けに言った。

「……えっ? 殺人事件、ですか? それは、知りませんでした」

「あらそう、でもたぶん図書館は知っているわよ? 図書館が知っているなら、図書館司書も知っているべきじゃないかしら?」

 何か、意図は明確には掴めないが、明らかに棘のある、無茶を言っている言葉だった。

「仮にも図書館司書、アシスタントとは言え、それで図書館の仕事を全うしているといえるのかしら。ちなみに、犯人は誰かしら?」

「……えっと、それはちょっと、私にはお答えできませんが」

「案内させたと言うことは、図書館じゃないわよね?」

「……」

「じゃあ、貴方じゃないわよね?」

「……あの、私でも、ありません」

 わからないが、乙女やと図書館には因縁があり、そして今は図書館と近しい彼女に当たっている、ということは間違いがなさそうだった。今の乙女屋に、さっきかくれんぼをしよう、と僕を誘ってくれていた無邪気さは欠片もない。

 止める、というのが正しい反応とわかっていたのだが、しかし、既にかなりの剣幕だった。僕に暴言を浴びせている時とは、違った話し方でもあり、少し怖さも感じる。

「じゃあ、図書館は、彼が来る日も知っていて、貴方を案内によこした。そしてその前日、殺人が起きる日も知っていたはずなのに、それでも貴方を処刑台までは送らなかった。それについて、貴方は何かを思うことはない? 図書館にとっては、止められたはずの殺人ということよね? それは、貴方にとっても」

「……あの」

「それでも図書館は見過ごした。そして、今も見過ごし続けている。犯人を知っているのに、無視をしている。やはり図書館という職業は、色々な職域を犯しているわよね。私の可愛い後輩刑事も、事件の犯人を知っている図書館がいれば、いらない存在と考えられるわ。そういう意味でも、図書館司書なんて、貴方がいる必要は無いん」

「乙女屋」

 と僕がここで、流石に止めに入った。

 一瞬の沈黙がその場を包む。

 乙女屋は、睨みつけるように、彼女と僕を交互に見た。

「でも、貴方、ここでは職業ってそういうものなのよ。ここでは職務を全うしないと、その職業をしてはいけない。追放されても殺されても文句が言えない。だから私は天才をやっている。天才であるから私はここで生きていられる。そうでしょう?」

 と再度強い口調で僕と七葉さんに向けて言う。

「……はい、その通りです。私も、ここの住人なので、それは理解しているつもりですが」

「……」

 七葉さんの言葉に、僕に没個性的な返し、と言っていたときと似た表情で静止する乙女屋。そして、自分のやっていることが悪趣味だと思ったように、一度目を閉じて、僕を見た。

「まあいいわ。ともかく、私はかくれんぼにいくわ。貴方は探しなさい」

 と僕に言って踵を返す。

 そうして、機嫌が悪そうにかくれんぼに行く天才を追いかけるため、僕も切り上げることにした。というより、これ以上無いくらい気まずい。

「すみません、何か関係のない話に巻き込んでしまって」

「いえ、私は気にしていませんが」 

「お詫びは後日します」

 そして、僕は乙女屋とかくれんぼに戻る。

               ◯

「そう。じゃあ十分したら探し始めていいわ。と言っても、貴方が餓死するまで私は見つけられないと思うけど」

「そうなったら、隠れてる乙女屋も餓死するだろうけどね」

「私を探すために動き回っている貴方と、じっと身を潜めている私、どっちが先に餓死するか、見ものね」

 と挑発的に言って、僕を餓死させに歩いて行く乙女屋。

 僕が餓死する前に帰るとも知らずに。

 そして、僕は広い図書館で、一人になった。

 というより、ここに来てから、乙女屋と基本的にはずっと一緒にいたため、一人というのが新鮮だった。

「さて」

 なんて。

 僕は言う。

場所はわかったので、後日改めて、というのも考えたが、恐らく明日からも乙女屋と一緒にいるのはほぼ間違いないし、かくれんぼをしようなんて、僕が一人になれるようなことを自分から言い出すなんて、これだけの好機は二度と無いという確信を得て、僕は乙女屋を探すのを後に回すことにした。

 乙女屋が歩いていった方向と、全く逆方向に、僕は進む。

 足早に、歩を進める。

 本当に好都合だ。ここの性質上、必ず、ラブントゥールの全ては図書館にあるということはさっき知ったところだ。この図書館に無い情報は無いというのだから。

 実は、乙女屋には気づかれないよう、先程ここの内部の間取りを確認し、それから図書館のアーカイブ等も見ていた。そして、それがありそうな場所に目星をつけていた。例えば、春の珍事に関しての情報は閲覧可能な情報として残されていない。裁判でも記録を抹消しているとも言っていたし、隠されているものがあるということだ。しかし、図書館には全ての情報があるということは、どこかにその情報は隠されているということでもある。隠されているのであれば、かくれんぼの鬼として、それを見つけにいくのが筋だ。

 図書館の奥まったところ、関係者以外入室禁止、と書いてすらいないドア。間違いなくここだとわかった。図書館の地図にも記されていないことからも明白すぎる。鍵がかかっていたが、それは中世のような蝶番、僕はこんな事もあろうかと十ほど鍵の開け方をここに来る前に学んできた。それはなんの特殊技能もいらない、インターネットで開け方をすぐに調べられるようなもの、カチャリ、と今日のために用意していた道具で持って開ける。優等生しかいない学校だからなのか、それらのセキュリティの甘さに、しめた、珍しく僕もやうまくやるものだ——と思っていたのだが、やはり、慣れないことはするものではないというのが、ものの数秒後にわかることになる。

 そのドアを開けると、それまでとは違う、冷えた沈んだ空気が頬に触れる。明らかに、人がしばらく入っていない。日も入らないように管理した内部の作り。僕は、開けてきたドアを音も立たないように後ろ手に閉める。すると、

「司様」

 まさに図ったような最高のタイミングで、僕は自分の名前を呼ばれた。その空気より冷たく澄んだ響きから、さきほどから頭に残っている図書館の彼女だと思った。

「ここで、何をされているのですか?」

 しかし、電気もついておらず、薄暗いがその人影は明らかに先程の彼女とは違った。

 彼女の手は動いていないはずなのに、彼女を照らすよう、部屋の明かりがついた。明かりで見えるようになった彼女は、セーラー服を着ていた。ラブントゥールで初めて見る制服。学校で制服を着ていることに、僕は何より驚いた。

 そして、一息遅れて、自分が明らかに待たれていたことに気づく。既に「あ、すみません、間違えて入ってしまって」などといえる感じでもなく、僕の手には間抜けにも鍵を開ける道具がしっかりと持たれていた。そして、彼女は名乗ってもいない僕の名前を既に呼んでいた。全てが既に決着しているような、そんな空気だった。

「司様、何をされているんですか? ここは閲覧禁止の図書が置いてある場所ですよ。図書館に見つかったらそのまま図書館法に則って、罰がくだされます。まあ、それは、私も一緒ですが」

 自嘲しながら言って、彼女は僕を見据えながら、

「初めまして。私、大戸・小窓・ティカと言います」

 そう自己紹介した。

 小窓、聞いたことのある名だった。

「職業は『探偵』。あら、自分の職業から言うだなんて、私もここに染まってきましたね。直さないとダメですわ。さて、それでは、貴方はだれですか、司様」

 ノーワーニングで射殺のところを一応撃つ前に声をかけてみました、くらいの凄みのある声だった。

「僕は——」

 と、僕は言葉に詰まる。

 僕が言葉に詰まったのは、僕の名前が既に彼女に知れていて、名乗る必要があるとは思えなかったと思ったのもある。そして、僕が彼女のように名乗る職業を持たなかったからということもある。そして、今のこの状況、明らかに現行犯なので、僕は弁解をするべきなのか、それとも謝罪などをすべきなのか、何を言うべきかわからなかったことも理由にある。でも、その問いに答えられなかった根本的な要因は、真実、僕が、

「羽井戸 司」

 すると、彼女はもう一度言った。僕の名前を。

「性別、男性」

 もちろん。

「十六歳。身長、170センチ、体重58キロ、脈拍98」

 脈拍?

「脈拍は、今測りました。頸動脈から」

 ニコッ。

「家族構成は、元五人」

「高校教師の父、大学教授の母、兄の佑、そして妹の小蘭」

「司は小学校の時から学業は優秀。運動神経もまあまあ。徒競走の成績は一年生から2位、3位、1位、2位、3位、1位。しかし、兄の佑は神童と呼ばれており全てにおいて桁外れ。司は比較をされ、それほど目立った存在では無かった。また、司はクラスでは二度学級委員をやる。小学校の卒業文集には、将来は教師になりたいと書く」

 フフッ。

「小学校の卒業後、司は私立中学に入学。兄の佑は中学卒業後、高校を飛ばして大学へ入学が決まっていたが、しかし十五歳の時に交通事故で死ぬ。この時、司は十三歳」

「翌年、父親が近所に埋まっていた不発弾の爆発に巻き込まれ死ぬ。同年、母親が学生の焼身自殺に巻き込まれ死ぬ。この時、司は十四歳」

「妹の小蘭と二人で一年間暮らす」

「当面二人で暮らせるだけの遺産はあったものの、司は小蘭の大学進学等の資金を稼ぐために新聞配達を続け、家事、掃除なども一人でやる」

「しかし小蘭が十二歳のときに行方不明となる。周囲の人間もほとんど死亡していた状況から、小蘭も死亡が濃厚。この時、司は十四歳」

「同年、一酸化炭素中毒で当時のクラスメートが全員死ぬ。この時、司は十四歳」

「司も病院に運ばれる。が、唯一人、助かる」

「高校入学、入学して二ヶ月の間に、高校のクラスメートは七人が死亡、翌年、クラスメートが全員死亡。この時、司は十五歳。それを機に司は高校を退学。高卒検定に合格」

「そして半年後十六歳、ラブントゥールへ転校、今に至る。ラブントゥールではすでに一人が死ぬ。ああ、司様が着く前日でしたわ。遂に死が司様を先取りをするようにもなったのですね」

 怖いですわ。

「そこまでは知っていますわ。しかし、貴方のことは何も知りませんわ、司様。探偵の周りでは人がよく死ぬと言いますから、貴方も探偵ですか? それとも死神ですか? いいえ、シリアルキラーですか? だから聞かせて欲しいのですわ。貴方はどなたですか、司様」

 大量の閲覧禁止の資料を背に言う彼女。

 僕が探偵だった場合、探偵の周りでは確かに人は死ぬけど、身内はそれほど死なないはず、みたいなことを言おうとしたが、言う必要もない。彼女は多分知っているだろうから。

「そういえば司様、死ぬ、って言葉、気になりませんか? しろくま、死ぬ、とか。名物猫駅長、死ぬ、とか。どれだけ愛された動物でも、なんかあっさりと、死ぬ、となりますよね。人間だと濁した言い方もありますが、人間以外だと表現が限られているようです。そこで、私は考えたのですが、次の世界に旅立った、とかってどうですかね。気持ちの問題ですけれど。本当にどうでもいいことですけれど」

 言いながら、

「司様に非はありません」

 しながら、彼女は言う。

「ついでに、と言っては何ですが、司様の身の回りの人死にについて、私は出張許可を取って、詳細に調べてまいりました。だって明らかに多すぎる。そして怪しすぎますわ。ですが、何もなかった」

「何も、なかった」

「ええ、司様には、非はなにも無い。貴方の身の回りで起こったたくさんの死。全ての死は偶然重なっただけです。百%間違いありません。私は探偵で、完全犯罪も私が入れば不完全になる。事件も起こる前に終わらせる。密室事件もこじ開けます。なので、今述べたことは、全く確かなことで、間違いはありませんわ。ここで探偵を名乗っている私の名前に賭けて、真実ですわ。ですから、司様に何の責任もないし、高校を急いで退学する必要もありませんでした」

 誇るようでもなく、伝えることだけを目的としたような言葉だった。

 それは、僕も散々調べてきたこと。

 既知のことだった。

「……でも、すごいですね。そんなことまで全て調べてくるなんて」

「探偵ですから」

 気取るでもなく言った。

「さて、探偵業はここでおしまいですわ。ここからは、私が個人的に気になったことを推測を交えてお知らせしますが——貴方の探しているものは、ここにはありませんわ、司様」

「……」

「司様が探している資料などはこんなところにはありません。もちろん、司様はそれもある程度、お分かりでしょうが。賢明な司様は、いつも無駄が大好きですから」

「……」

「賢明な司様は、当然、ここにあるはずもないのも分かりながら、それを探している。そして、彼女の特殊性を最大限鑑みても、エヘウやフガーケスにもいないと、それも知りながらも止まらない。そして、生きてはいないとも確信しながら、ここでその手掛かりを探す。無駄なのに」

「……」

「司様がラブントゥール来て、こんなことをしてしまうのは、自分の人生の理不尽さの理由も、同時に探しているからですわ。どうして、自分の人生はこうなのか。そんなこと不可知であるということも賢明な司様は殆ど理解しながら、それでも、理由がもしかしたらあるのではないかと、知りたくて、あるならここにしかないと、ここに誘われるように来てします。それは多少必然がある気もあします。しかし、それでも、無茶苦茶ですわ。それを、小蘭さんのことと混同して、全てを混ぜこぜに考えて、意識混濁と言っていいくらいの状態で、それでも司様は、何かをせずにはいられないため、今、こうしてここにいる」

「……」

「ですが、無駄です。お分かりのように、なんの意味もありません。なので、司様の旅は終わりにしましょう。無駄。その真実にたどり着けただけでも、貴方がここにきた意味があったということにしましょう。そうしないと、本当に無駄ですからね。気持ちの上だけでもそうしましょう。でも、無駄なので、ここで終わりにしましょう」

 無駄。終わり、と。彼女は言った。

 終始冷たい言葉だったけれど、意外と受け止める僕の頭は冷静で、はっきりと言ってくれて何か、スッキリとするところもあった。会ったばかりの人だけど、この探偵の彼女が言うのであれば、僕にもわからないのだろうな、と何か力が抜けるのも感じる。

短い冒険だったと、僕もどうしてか、素直に納得する。

 自分を納得させる、そんな、習慣がついているからかもしれない。

「では、本題に参りましょう」

 彼女は言う。

「本題?」

「ええ、仮にもクラスメートである私達は、貴方を歓迎できないということです。恐らく、貴方はあの人の——代用品ですから」

「……代用品?」

「ええ、『春の珍事』の首謀者の代用品、です。『彼の人』『ヴォルデモートよりも名前を言ってはいけない大戦の、もっと名前を言ってはいけないあの人』とも呼ばれます。というか、司様にそういう人間がいる、というのを認識させるのも悩みましたが、しかしお教えします。明確に帰っていただくためにも必要だと思いますので」

 事件が起こる前に終わらせる。さっき言っていたが、それをやろうとしているのだろう。しかし、それが探偵の仕事なのか、僕は少しだけ考える。

「正直に申し上げます、司様。貴方のことで、ただ一つ、私にわからないのは、貴方がどうしてここに呼ばれたか、です。それについては、私がどれだけ探っても、わかりません。ここの生徒の選出はフガーケスのやることで、完璧な機密情報です。密室殺人レベルの機密性ではなく、圧力鍋の中に、さらに放射物質に包まれてあるような機密性で、取りに行くだけで命を取られるくらいの情報です。私も安易には近づけません。多少悔しいですけれど、これがこの探偵という職業の限界です。万物を知ることはできません。しかし、貴方がここに呼ばれ、生徒となったのは間違いない事実です。そこで、クラスメートを選ぶことなどできない、誰かを拒む権利などないと言う前提を踏まえても、お願いしますわ。

 お願い、と言いながら、既に予想されたというべきか、彼女は僕に向かって銃を構える彼女。

 それは先日の彼女の銃よりはゴツいがと、可愛らしいチャームが取り付けてあり、用意周到に消音装置が取り付けてある。全てが、用意されていたようだった。

「……僕が、その、代用品で、春の珍事のようなことを起こすから、出ていって欲しいということでしょうか?」

 僕は訊く。

「いえ、そうは言っておりません。もう一度起こっても、私たちはすでに壊滅しています。ただ、あの人が何かを成そうとしていた、それを貴方が引き継ぐ可能性が恐ろしいのですわ。貴方は、おそらく、役割を持ってここにいる、ということが私たちには恐ろしくてたまらないのですわ」

「……僕が、役割を持っている。仕事ということですか? 僕は、無職ですけど」

 彼女は僕の言葉に首を振る。チャームも揺れる。

「いいえ、そうではありません。司様は、確かに、入学許可書を受け取り、何も知らずにここへ来ただけでしょう。その点においては、他の新入生と変わりません。しかし、貴方は時期はずれの転校生であり、その時点でルール外の入学の仕方をしています。それは、私たちと違って、最初から役割を与えられている、そう捉えるのが正しいと私達は考えています。役割を持ってここへ立ち入ってきている、ここには、私たちと、大きすぎる違いがありますわ」

「……すみません。言っている意味が、よくわかりません」

「ええ、ではより具体的に説明をしましょう。ここラブントゥールでは、生徒全員が、何も知らないままここに辿り着きます。何も知らないまま、平等であり、何一つ目的もわからないまま、ここラブントゥールへ入ってくる。その後、図書館を通してここのことを知り、コミュニティーを成り立たせるため、また三年間を過ごすために、自然に職業を選び持つことになります。私達は自分で自主的に役割を選び、この小さな社会を成り立たせていく。その中では職業には貴賎はなく、ただ、必要を満たすために私たちは役割を果たし始めるのです。それは、確かに自主性に基づいています。しかし、司様は、その特殊な入り方から、最初から何かが意図されていると考えざるを得ません。自主性や自立性ではなく、最初から役割を持たされて派遣されている——司様は派遣社員なのです。これは、とんでもないことですわ。私たちのコミュニティの根幹を揺るがすほどに」

「……派遣社員」

「当然、それについては司様も無自覚でしょう。司様も無自覚に巻き込まれていることはほぼ間違いないと考えています。ですが、それでも、その存在を、許容はできません。よって、直ちに出て行くことをおすすめします。司様のこれまでの人生で身に起こったことは、全て偶然で、これから再び起こる確率は低いですわ。普通に生きて、誰にも殺されず、みんなに生かされて、彼らを殺さずに、普通に死んでいく、それほどの幸せはないでしょう? それに、もう大切な人は一人も残っていないでしょう? であれば、これ以上の悲しみはありませんわ」

 長々と話した後、少しだけ柔らかく彼女は最後のその言葉を言った。彼女も失った経験があるからだろう。銃は依然として僕に向けられているけれど。

「えっと」

 と僕は言う。

 僕も今気づいたが、前日と違い、銃を向けられていても僕はホールドアップの姿勢にはなっていない。

「最初に、色々と、調べていただいてどうもありがとうございます。色々と、腑に落ちることもありました。ここに僕の求めている情報がないということも、理解しました。何か、すっきりしました」

 僕は礼を言った。彼女は銃を下ろさない。

「そして、僕が怪しすぎて、誰もが僕を歓迎していなくて、僕自身も何かに巻き込まれているので、多分出ていったほうがいいと言う理屈もわかりました。たぶん、その通りだと思います。僕も、自分が怪しくてしようがないと思ってます。でも、それは今に始まったことじゃなくて、昔から思っています。なので、とりあえず、僕は

「……それでも、ここにいる? どういう意味ですか?」

 うーん、と僕も自分で言ってから考える。どうして出ていかないのか、出ていかないと僕の心が言っているのか、僕は自分でもよくわからない。

「……たぶん、小窓さんが言うように、僕には、本当になにもないから、だと思います」

僕は自問自答しながら搾り出すように答える。

「僕は、本当に持ったものは全て失ってきたので。だから、今もなんの目的もないし、他に行く場所もないんです。ここにも、一応小蘭のことはありましたけど、入学許可が来て呼ばれたからきたからだけですし。僕は本当に、何者でもない、主体性がない、ただの無職なので。正直、誰かに役割が与えられているというのは、ちょっと嬉しいくらいでした」

「ああ、なるほど」

 彼女は言って、僕の言葉に警戒レベルを上げたのか、セーフティーを外す動作をした。いつでも撃たれる感じだ。しかし、それでも僕は言う。 

「別に、いつ死んでもいいと思って生きてます。というより、いつだって、どうして死ぬのは僕じゃないんだ、と思って生きてきました。今も、生きる理由もないですが、僕だけは死んではいけない、と妹に言われているので、生きてるみたいなところもあります。だから、ここで撃たれても、死にたいわけではないですが、ああ、ここまでなんだな、と思うだけです。、って」

「……」

「もちろん、死ぬ気はないですけど。だから、ここで小窓さんが撃たなければ、僕は行くところもないので、ここにいることになると思います。僕は、役割を与えられていない人生なので、本当に申し訳ないですけど、自主性も主体性もない人間なので、しばらくは無職かもしれませんが、自分で何か見つけて働くので、ここにいてはいけませんか?」

 僕は自分でもよくわからないことを言う。しかし、本当にそうとしか言いようがない。僕には、どこにも居場所はないのだから。

「いえ、役割を果たしていけないと言うのであれば、僕は、働きませんし。それが嫌なら、撃ってください」

 そんな開き直ったニートのような最悪の宣言をしたと同時。

「よく言ったわ」

 とその時、資料室の、小窓さんと僕のちょうど間くらい、資料がバサッと落ち、そこから人影が現れる。

「おとめや?」

 と言ったのは、小窓さんだった。そして、銃を下ろす。

「なんでそこに?」

 這い出すように出てきた乙女屋は、スカートのシワを伸ばし、ホコリを払う。

「何でって、ここに隠れていたのよ。そうしたら、二人が急に話しだして、それを聞いていたというわけよ。出てくるタイミングを失った、と言っても良いわ」

「……」

 と、彼女は僕を餓死させに、この閉じられた資料室に隠れることを選んだらしい。

「貴方、本当に主体性も自主性もなくて、見どころがあるわね」

 と乙女屋は僕に言う。そんな褒められ方があるものなのか。

「それで、何かしら? 小窓は私に隠れて何をしているのかしら? 私のルームメートに用があったのかしら?」

「……それは」

「ずっと、私のルームメートをつけていたということかしら?」

「……」

「最近見ないと思ったら、そういう事だったのね。私は言ったはずよ。私が責任を持つから、何もするなって」

「でも彼は、こうして禁書資料室に入って」

「でも、言ったでしょう」

 今度は乙女屋が問い詰めるように言った。

「それに、ここにいたことを攻めるなら、私もいたわ。そして貴方もでしょう、小窓。と言うか、いつも私たちは入っているでしょう」

「それは……」

 小窓さんは、バツが悪そうに言葉を詰まらせる。

「引き続き、彼は私が面倒を見るわ」

 乙女屋は小窓さんを見ながら言う。

「で、でも、私は、乙女屋のことも思って」

「要らぬ世話よ。それに、いつも言っているでしょう? 人をむやみに疑うのは止めなさいと」

「でも、私は探偵ですもの」

「それは探偵だからじゃなく、小窓が他人を信用できないからでしょう?」

「……で、でも、危険過ぎますわ! 羽井戸司は、あの人の代用品かもしれないという意見には『学級会議』でも多くの人間が賛同しましたわ。それに、それは乙女屋も認めたことじゃない」

「ええ、でも、アレが失敗作だからこその、彼という代わりだという話も『学級会議』で出たわね。あんなことが起こるのは異例で、あいつは例外だったと、そう結論づけたでしょう? だったら、彼に危険があると考えるのは考えすぎだわ。そんなこと、大人もやろうとするはずがない」

「そうだけど、乙女屋。考えすぎに越したことはないですわ。彼の周りでは現に、人が死にすぎている」

「そんなの私達も一緒だわ。数で言ったら私たちの方が死んでいるわよ。というより、彼に原因がないと言ったのは貴方でしょう?」

「……でも、万に一つでも可能性があるなら、追い返すべきです」

「どうせ彼を追い返しても、目的があるなら、次が来るだけよ。それに、彼のことばかりを言うけど、私達は自分たちのことが安全だといえるのかしら? 私達のほうがよっぽど危険、何をしてきたか忘れたわけじゃないでしょう? 今も、絶賛殺人事件勃発中なのだから」

「それは、そうだけどー」

 となにか、初めて女子高生っぽい仕草で気に入らないと、地団駄を踏んで表現する探偵。

「ともかく、この子の面倒は私が見るわ。私が危険だと思ったら出ていかせる。でも、今のところは私はこの子が危険だとは思っていないの」

「でも」 

 小窓さんは納得がいかないように何かを言おうとする。

「小窓、貴方のそれは、ただの人間不信よ。それは探偵としてではなく、貴方の猜疑心から来ているだけ。それを職業と置き換えてるだけよ。職業に食われたら、その時点で人は人でなくなる。私たちは十分すぎるほど知っているでしょう? まあ、私の為を思って言ってくれたというのは本当なのでしょうね。なら、許してあげるわ。だから、小窓も彼にも謝りなさい」

 葛藤のこもった数秒の沈黙の後。

「……すみませんでした」

 食いしばるように、小窓さんは僕に言った。

「……いえ」

 僕も言った。

「これでいいわ。さあ、かくれんぼの続きをするわよ。小窓もやるわよ」

「……」

 そうして、小窓さんも加わり、僕らはかくれんぼをやった。

 そこそこ気まずかった。

 巡り巡って、また遊んだだけだった。

 しかし、以外にも、ここに来てから初めて学校を思い出した瞬間だった。


               ○


「あの子は、ああいうところがあるのよ」

 乙女屋は言った。僕らの家で、いつもの配置だった。外は雨が降ってきていて、乙女屋は牛乳を飲みながら今日借りてきた本をめくる。

「探偵、という職業だからというのもあるのだろうけど、良くないわね」

「僕は気にしてないよ」

「ええ、でも、でも貴方の個人情報を、私も期せずして聞いてしまったわ。聞く気はなかったんだけど、許して頂戴」

「うん、それも別にいいんだ」

「でも、その、貴方のご家族は」

「うん、全員死んでる」

 乙女屋はしばし沈黙する。

 しかし、意外だったのは、普通の人間なら痛ましそうな、悲痛な表情をするところだが、彼女は全くそんな素振りも見せず、

「私もそうなのよ」

 とため息を付きながら言った。

「……乙女屋も? 家族がいないの?」

「ええ、私の場合は、最初からいなかった、だけど」

「いなかった?」

「ええ、実は私、捨て子なのよ。ステゴザウルスの捨て子なの」

 乙女屋は、冗談を言ったのだろう。しかし、僕は一瞬のことで、僕のほうが狼狽してしまった。

「ねえ、私は下の名前がないのよ。気づいていたかしら?」

「名前がない?」

「ええ、ないのよ」

 それは、一瞬どういう意味なのか、

「言ったように私は捨て子で、私を産んだ女は、私に名前も残して行かなかったの。乙女屋というのは私が捨てられたところにあった表札の名前よ」

「……そう、なんだ」

 名前がない。それは、聞いたことすらない話だ。そしてそれは、彼女の人生を象徴するのに、十分過ぎることだった。

「国籍もわからないわ。でも、なんやかんやで生きてきたわ」

 そういう。

「そして私も、友達はいなかった。貴方と一緒ね。いえ、私は作らなかった、だけど。私はずっと一人で生きてきた。一人で生きてきて、これからも一人で生きていけると思っていた。貴方が思っているよりも、以前の私は、孤独であることに何も思わない女だったの」

 以前。

 たぶん、春の珍事が起こる前のこと。

「でも、あんなことがあってから、もうそうは思えなかった。私は一人でいることがとても怖くなったの。それが、私の後遺症なの」

「後遺症?」

「ええ、春の珍事を経た私たちには、全員後遺症があるの。色々な種類があるけど、以前とは違う風になってしまった。貴方にもあるでしょう?」

「……」

 トラウマ。それは、多かれ少なかれ誰にでもあるだろう。僕もここに来てから幾度か乙女屋からも聞いていた——あんな人ではなかった、と。それは、乙女屋も例に漏れず。彼女のアンバランスな寂しがり屋は、そこから来ているということなのだろう。

「でも、以前の私よりは、今の私はずいぶんましになったと思うの。他人を必要とするようになって、初めて人間になれた気がするわ。あるいは、私は『一人で生きていける』と何の疑念も持たずに言うには、頭が良すぎたのね、天才だから」

 そう言って微かに笑い、牛乳をすする。

「ねえ、乙女屋」

「何かしら」

「僕の話を聞いてくれるかな」

「ええ、是非聞きたいわ、何の話かしら?」

「今までのことを話すよ」

「今までのこと?」

「うん、僕の話。僕がここに来るまでの話。さっき聞いたこともあるかもしれないけど」

「大丈夫なの?」

「うん、聞いてほしいんだ」

 そうして僕は乙女屋に、結局三度ほど嘔吐しながら、今までのことを話した。僕自身も初めて人に話す話だったので、まとまりも無かったと思う。ただの喪失の話だった。乙女屋はそのたびに背中を擦り、優しい相槌を挟みながら、黙って聞いていた。

 話が終わると、乙女屋はホットミルクを作ってくれた。といっても、火に鍋をかけるだけなのだけど。

 それをマグカップに入れて僕の前に置く。

「ねえ、私は言ったように名前がないの、だからみんな私のことを乙女屋って呼ぶんだけど。でも、私は、お友達のことは下の名前で呼ぶの」 

 乙女屋はここに来てから、一番やさしい表情を僕に向けた。

「お友達になりましょうか、司」

 多分、乙女屋は、僕が出会った人間の中で、最も優しい人なのだろうな、ずっと思ってきたことだが、改めて思った。

 僕の同意の言葉に、乙女屋は笑う。

「じゃあ、もう司が私の荷物を動かしても、私はさほど怒らないわ」

「ああ、でも、やっぱりちょっと怒るんだ」

 そして、僕らは友達になった。

 こうして、僕の転校は、紆余曲折を経たけど、意外とつつがなく進んでいた。

 しかし、同時に、この時、僕が気づかないうちに信じられないくらいに物語は進んでいて、学校では、勉強しないと、ついていけなくなるように、この時の僕にはやはりここの原則である、能動的に学ぶ姿勢というものが完全に欠けていたことに後になって気付かされることになる。

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