第22話
発見は、偶然だった。
メラちゃんとの同居生活があと二日で一か月になろうかという週末に、お風呂からなかなか出てこないメラちゃんがちょっと心配になって、脱衣所から「メラちゃん? 大丈夫?」と声をかけても反応がないことを訝しんだものの、さすがに一糸纏わぬ裸体を拝むという最大級のプライバシー侵害を犯す覚悟のない私は、シャワーが出てるみたいだし、聞こえなかったのだろうかと考え、脱衣所を後にしかけるが、不意に立ち止まる。
まあもう少ししたらまた声を掛けに来るかといつもの私であればその場を離れたのだろうけれど、この時は何かを感じたのか、躊躇いなくお風呂のドアを開けた。
メラちゃんは浴槽に入っていた。
そして、シャワーから流れ出たお湯は浴槽から溢れ出ていて、その中にメラちゃんは沈んでいた。
「メラちゃんっ!」
あれだけの大声を出したのは何年振りだったんだろう。
慌てて浴室に飛び込んだおかげで勢いよく滑り、肘を
「メラちゃん! メラちゃん!」
お湯は透明でもなければ入浴剤を入れた時のような乳白色でもなく、薄っすら赤く染まっていた。
匂いで分かる。
彼女の全身を包んでいる液体の正体は、間違いなく血液だった。
血溜まりの中からメラちゃんを引っ張り上げると、目を閉じたままぐったりとしていて、口元に顔を近づけてみると、呼吸をしていなかった。
「ぐぅ……!」
肘や腰の痛みを歯を食いしばりつつ堪え、浴室マットの上にメラちゃんの身体を横たわらせる。
見様見真似というか、記憶の片隅にあった人工呼吸と心臓マッサージを施す。
鼻を抓んで、顎を上げて、勢いよく息を吹き込む。
正式なやり方にはもっと留意すべき点があるのだろうけれど、パニックに陥っていた私は、最低限の人命救助擬きを行うことができたこの時の自分の冷静さを褒めてあげたいとすら思う。
ふー! ふー! ふー!
グッ! グッ! グッ!
呼吸とマッサージを交互に行う。
彼女の手首から肘の関節にかけてできている無数の傷から血が滲み出し、こちらの止血もしなければならないけれど、まずは最大の優先事項として、呼吸の確保が先だ。
いや、まずは救急車か。
素人の私がどれだけ頑張っても何の救助にもならないかもしれないのだ。
それどころか助かるはずだった命を失ってしまうことだって考えられる。
走って部屋に戻り、スマートフォンをフリックするが、手が滑って上手く操作ができない。
落ち着け。落ち着け。落ち着け。落ち着け。
何度も呪文のように唱え、何とか119番を押し、救急車を要請する。
簡単に怪我人の様子や症状、状況などを伝え、救急隊員をお待ちください、とにかく落ち着いてくださいと、何度も言われ、大丈夫です落ち着いてますからと電話を切る。
そして急いで浴室に戻り、メラちゃんのマッサージを再開しようとした私は、コールセンターの女性のお陰か、「このままじゃ救急隊員に全裸見られちゃうな」と、メラちゃんの呼吸以外にも着眼点を移らせることができ、急いで服を着させる。
下は下着とパジャマのズボン。上はTシャツだけにした。
これから病院に行って治療を施されるのに、あまり着込ませるのもよくないだろうという私なりの配慮だったが、それよりなにより、今は彼女の蘇生が先だ。
ふー! ふー! ふー!
グッ! グッ! グッ!
何分経っただろう。彼女は息をしてくれない。
そもそも何分止まっているのだろう。脳に酸素がいかなくなって、後遺症が残らないのは何分までだったか……いや、今はそんな計算をしていても仕方ない。私はできることをやればいいんだ。
ふー! ふー! ふー!
グッ! グッ! グッ!
ピンポン。
あり触れたインターフォンの音が鳴り、慌てて玄関ドアを開けに行こうと走り出した途端にガチャドタドタと足音が聞こえ、ヘルメットを被った隊員たちが、私の隣で横たわる要救助者を視認するや否や、これぞプロと、非常事態にも係わらず思わず関心させられてしまう程の手際の良さを披露し、瞬く間に担架でメラちゃんを外に運び出した。
パジャマ姿のまま同乗を申し出たら、向こうは元からそのつもりだったらしく、着替えてる時間なんて当然ないので、着の身着のまま、しかもサンダルを履いて救急車に乗り込む。
両腕の傷を見て応急処置をしてくれている救急車の中は意外と揺れて、地面の継ぎ接ぎを思いっきり拾っているのか、ガウンガウンと上下左右に振り回す。
「あの、息が――呼吸が止まっていて――一応、人工呼吸とかしたんですけど」
しどろもどろの私の言わんとしていることを若い隊員は容易に汲み取ってくれて、
「大丈夫です。今は呼吸が安定しています。腕の傷も浅いですし、近くの病院に既に連絡済みですので、ご安心ください」
と、簡潔に現状を伝える。
安堵から、全身の力が抜けた。
――よかった。
本当に、よかった。
あのまま死んでしまっていたら……。
想像するだけで鳥肌が立ってしまった私は、身震いしながら、せめてコートだけでも着てくれば良かったなと、どうでもいい後悔をしていた。
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