第12話

「あたし達はまだ若いからいいけど、落谷さんも早めにちゃんとした彼氏見つけたほうがいいよ。処女でしょ、落谷さんって」


 どこを見て判断したんだよとツッコミを入れたいのは山々だったのだけれど、口を半開きにしたまま私を見ているメラちゃんの顔を見ていたら、毒気を抜かれてしまったというか、口を開くことがはばかられてしまった。


「ふふ、落谷さんも憐れがってますよ、流石に。いや、別にいいんですけどね、枝藤さんがそれでいいんだったら」


「私は何だかんだ楽しくやってるからね、今のとこ特に不自由もないし。まぁ若い内にパートナーを探しておいた方が良いっていうのは同意かな。歳取るとね、見向きもされなくなるって感覚が痛い程分かるから」


 自虐、自嘲。これぞ無難な会話術なのだ。ピンチの時はとにかく自分を貶める発言をしておけば大抵は何とかなるものなのだ。


「あはは、パートナーって。おばさんの言い方ですよね」

「あれ、言わない? 恋人のことパートナーって」


 余裕を見せる私との距離を、物理的に彼女は少しずつ詰めて来ている。なんだ? 威圧でもしようとしているのか?


「ふふ、言いませんよ、普通。なんかあれですね、今まではあんまり気にしたことなかったけど、ジェネレーションギャップって言うんですか? こういうの。結構感じちゃいますね。考え方とか言い回しとか、枝藤さん所々古いし。落谷さんと話してる時は全く感じなかったから、やっぱ枝藤さんが頭何個分かおばさんなんでしょうねー」


 ああ、ここでメラちゃんを使う為に仲良しごっこを私に見せつけたのか、この子は。てっきり仲良くなろうというポーズを見せて警戒心を緩めてから怒涛の口撃を浴びせにかかる新しい虐めでも考えついたのかと思っていたけれど、どうやら私がターゲットになってしまったようだし、そうなると私を傷付ける為の道具としてメラちゃんに近づいたのね。まぁでも表面上だけでも仲良くしてくれるのであれば私は何も言うことはない。流石に一回り以上離れている彼女達と友人関係を築けるとも思っていないし、メラちゃんとしても年齢の近い子と話していた方が話題も共通だったり思考も似通っているだろうし、楽しくお喋りできるだろうだなんて、今日一番のネガティブな発想をしつつ愛想笑いを浮かべていた私の気付かぬ間に、メラちゃんは矢満田さんの一メートル隣まで接近していた。


「落谷さんも、抱えてる不満とかあるでしょ? 言っちゃえ言っちゃえ。大丈夫だよ、枝藤さん優しいから、何言っても怒――」


 バシン! ではなく、ドッ! に近い音だった。手のひらではなく、手首ら辺に当ててしまったのだろうか。


「……………………何?」


 自分の頬を叩いた歳下の少女を、睨むように見下ろす矢満田さんの声には静かながらも怒気が含まれていて、彼女の疑問と全く同じ文言が頭に浮かんだ私は、年長者にも関わらず、えー! ど、どういうことなのこれ……みたいな表情をしながら二人を交互に見遣ることしかできなくて、明らかに店内で一番動揺してしまっていた。


「なんか変だと思ったんです。妙に優しかったし、私がミスしても怒らなかったし」


 そりゃあ誰だって不思議に思うだろう。顔を合わせれば罵倒され嘲笑される毎日を過ごしていたのに、突然別人にでもなったみたいに笑顔で擦り寄られては、訝しまない人間はいないだろう。


「は? 何言ってんの? あたしが何か企んでるみたいな言い方されるの、メチャメチャ心外なんだけど」

「企んでるなんて言ってません。子供染みた八つ当たりが見っともなさ過ぎて見ていられなくなったから叩いたんですすみません」


 サラッと謝罪を口にしたけれど、ほぼ言葉を区切ることなく発せられたそれは、全く謝意など感じさせない見事なまでに冷淡な口調で、怒りながらも矢満田さんは少なからず動揺しているのだろうなという彼女の心境が見て取れた。


「……いや、つか、何殴ってんの? 普通に暴力なんだけど」

「暴力に普通も特殊もありません。もちろん暴言にも」

「何、もしかしてあたし説教されてんの?」


 はは、マジかよと余裕を見せつける矢満田さんの姿が、ついさっきまでの私の姿と被ってしまう。こんなあからさまな強がりを見せていたのだろうか私はと、またも赤面しそうになるけれど、私以上に顔を赤く染めている矢満田さんの怒りは徐々にボルテージを上げていき、叩かれた側の頬は少しずつ赤く腫れてきている。


「説教とかじゃありません。ただ、昨日怒られた腹癒はらいせに咲苗さんに八つ当たりしてストレス解消しようとしてる矢満田さんは滑稽ですし、馬鹿みたいですよ、そういうの」


 えー! そんな言葉使うの?! 意外!


 そんな馬鹿みたいな感想を抱いた私に反して、誰よりも狡猾であろうと色々と裏で努力していそうな矢満田さんは、面と向かってたしなめにかかっている後輩を三白眼で睨み付ける。


「……なんかさ、調子乗ってない? ちょっと優しくしてあげたからって、なに、あたしと同等みたいな気になっちゃってんの? もしかして。つかそれならあんたの方が馬鹿じゃん」


「それは矢満田さんの勝手な思い込みですよね。私は矢満田さんと仲良くなったつもりもないですし、仲良くなりたいとも思いません。ただの職場の同僚です」


 チッと大きな舌打ちをした矢満田さんは、一度目線を空に逃がし、「あーあ、マジうぜ」と言いながら作業台に腰を預ける。


「てか八つ当たりってなんだよ。なんのこと言ってんのか分かんないんだけど。つかあんたはなんであたしの考えてること分かってるみたいなこと言えんの? 勝手な思い込みは自分じゃん。馬鹿じゃね?」


 馬鹿って多く言った方が勝ちみたいなルールが矢満田さんの中ででき上がってるのかは定かではなかったけれど、そしてこれから口を開く度に馬鹿で締めるつもりなのかなとかどうでもいいことを考えてる場合じゃないのも分かっているつもりだったのだけれど、私の可愛い天使がこんな緊迫感を演出できるような猛者だったのかという衝撃が、私の冷静さを奪っていたのかもしれない。


「私が矢満田さんを叩いたのは、矢満田さんが咲苗さんに食ってかかるのは、葉柳さんに怒鳴られたことが原因だったんじゃないかなっていう憶測があったからです。憶測なのでもちろん想像ですし、思い込みと言われたらそれまでですが、対象が私ではなく咲苗さんになったのも、立ち位置として『社員側』に近い咲苗さんを攻撃した方がよりストレスは解消されるんじゃないかと考えたんですよね、きっと。……そもそも、今日出勤予定だったのは私ではなく古賀谷さんだったので、恐らく私に対する態度同様、古賀谷さんにも馴れ馴れしい態度で仲良しの振りして、咲苗さんを追い詰めようだなんて小賢しいことを考えていたのではないでしょうか。予定外に私が出勤になってしまったので、仕方なく私にも同じ作戦を決行したのでしょうけれど、どう見ても怪しいですからね。私はずっと何が目的なのか観察していましたし、咲苗さんもとっくに気付いていたと思いますよ、矢満田さんの浅はかな狙いに」


 何だか聞いていて気恥かしくなる位、私を買い被ったことを思っていてくれてるメラちゃんに対するありがとうよりも、自分に対する能天気さを責めたいところだった。しかし、実際に口を尖らせながら責め立てたのは、私が私自身にではなく、矢満田さんがメラちゃんに対してだった。


「はぁ~? 何を根拠に言ってんの? 何? あたしが怒鳴られたって? たまたま見てましたとか? それとも盗聴器でも仕掛けてんの? 店に。マジキモイよ、あんた」


「小美野さんからメールが来て、事細かに書いてありました。『彼氏とデートできないイライラで愚痴ってた』って」


 私だけじゃなく、メラちゃんにもそんな話をしたのか。小美野さんも相当イライラしたんだろうな。


「古賀谷さん、本当は小美野さんに変わって欲しいって連絡したかったみたいだけど、繋がらなかったみたいで、それで私に連絡をくれて。半人前の私よりも戦力になる小美野さんが出たほうがお店的にありがたいんじゃないかなって思って連絡したら、会話の流れから何となくそんな情報をくれて――」


「……マジうぜー。どいつもこいつも」


 小声で苛立ちを吐き出す矢満田さんは、自分には味方がいないと気付いたのか、気勢を殺がれたような、どこか落ち込んだ様子を見せたけれど、それでも先輩の意地なのか何なのか、唯一の後輩であるメラちゃんを強く見据えて、「マジ、覚えとけよ」と脅した。


「覚えておいてあげてもいいですけど、その前に咲苗さんにちゃんと謝ってください」


 えええ! いいよいいよ! そんなの気まずいってば!


 なんて言える雰囲気でもなく、況して折角メラちゃんが私の為に心を鬼にして、普段賽ノ河原の赤鬼宜しく自分を扱き使っては意地悪をしてくる先輩に楯突いてくれたのだ、その思いを無碍にはできない。


「……えと、ま、まぁ今後はもうちょっと思い遣りのある言動を心掛けてもらえれば――」


 とはいえ二人がかりで糾弾してしまっては、彼女もないだろうし、何より矢満田瑠美奈るみななる人物は、不貞腐れてこのまま帰ってしまうだろうという予測が容易に立ってしまう程の問題児でもあるので、私が折れつつも、彼女に改心してもらえるように促せば、何となくマイルドな着地点が見つかるのではと、そんな甘いことを考えていた私を閉口させたのは他でもない、私の天使でもあり騎士でもあるメラちゃんだった。


「駄目です。有耶無耶にしたまま終わらせたら絶対に反省できませんから」

「あー……」


 場を納めようと一区切り付ける為に踏み出した私は足を引っ込めざるを得なくなってしまった。何がここまで彼女を掻き立てるんだ……。メラちゃんには悪いけど、正直私は矢満田さんに謝罪なんて求めていないのに。


「……さっきから気になってたんだけどさ、あたしに謝らせたいのって枝藤さんにじゃなくて自分にじゃない? 枝藤さんを利用して日頃の鬱憤晴らそうと思ってない? あわよくば自分にも謝らせようとか、枝藤さんへの謝罪を自分にしてるものだと受け取ろう、みたいな」


「そんなこと……」


 否定したものの、メラちゃんの唇は引き結ばれてしまい、次いで表情を曇らせる。


 そんなことはない――のだろうけれど、ないのだと信じたいけれど、申し訳ないことに、私も矢満田さんと同じことを思い浮かべてしまっていた。


 それは、私自身、先程の矢満田さんのネチネチとした物言いに対し、大して傷付いてもいなければ怒ってもいないからこそ、『謝らせたいのは単純にメラちゃん自身なんじゃ……』と、失礼ながら考えてしまっていた矢先の指摘だったので、殆ど無意識にメラちゃんの顔を覗き込んでしまう。


「……そんなこと、ないです。私はただ、酷いこと言ったことを、ちゃんと謝って、それで枝藤さんにも許してあげて欲しいんです」


 私を一瞥した後、途切れ途切れに彼女は若干の言い訳がましさを滲ませつつ、弁明した。


「てかさ、そもそも『酷いこと』ってなに?」

「……さっき散々言っていた暴言のことです」

「暴言? その歳で彼氏がいないのは拙いですよとか? 寂しくないんですか? とか? そういうの?」

「……そうです」

「はっ」


 大袈裟に、欧米人よろしく両手を左右に広げ、醜い笑みを浮かべた矢満田さんは言う。


「それって暴言なの? 酷い台詞なの? てかそれを酷いと感じるあんたも充分酷いと思うけどね。実際枝藤さんはあんま気にしてない感じだし。気にしてますか?」

「あー……や、まぁ、別に。慣れてるからね」


 歯切れ悪く答えてしまったのは、メラちゃんに気を使ったからなのだけれど、当のメラちゃんは譲らない。


「私がどう思おうと関係ありません。仮に枝藤さんがそれ程傷付いてないとしても、そういう態度を改めるように反省して欲しいです」

「……クッソうざいんだけど。あんた面倒臭いって言われるでしょ? だから友達いないんじゃない?」


 友達がいない? 初めて聞いた情報だな。こんなに良い子なのに友達がいないなんて、どれだけ周囲は見る目がないんだ。

 と、そんなことに気を取られている場合じゃない。昼食に出る時間はもう五分も過ぎている。


「よし。じゃあこうしよう。これから私と落谷さんはお昼に行ってくるから、矢満田さんはその間に冷静さを取り戻しておいて。二人共ちょっと熱くなってるから、一旦時間開けてから話そう」


 半ば強引に終了宣言をし、「じゃあ行こうか」とメラちゃんに促すと、彼女は目を伏せながら小さく「はい」と返事をした。

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