第9話

 白髭のおじいさんが一年の内最も歓迎されるキリスト生誕記念日前夜、特別用事もない私は、当たり前のようにシフトに組み込まれていて、失礼なと言えない情けなさに溜め息のひとつでも出せればいいのだけれど、生憎男性に対して積極的に愛を求めることはもう数年前に止めてしまった。


 事務職を経て三十路を機に退職し、その後男っ気がほぼゼロの花屋という職場を選んだのは、なんと言うか、自分に対する言い訳の為でもあったし、自分に対する諦めを促す後押しでもあった気がする。


 とにかく私は若い期間の過ぎた、自他共に認める中年女性であって、最早今の私には、男性に言い寄っても笑顔で受け入れてもらえるようなスペックはどこにもない。


 気持ち、胸だって垂れ初めてきた気がするし、頬も気を抜くと重力に負けている時がある。


 若く見える人は若く見えるし、年老いて見える人は年老いて見える。それが最も顕著なのが、三十代の後半なのだろう。


 男は老けてもまたそれが魅力になるから気楽でいいなぁと考えたこともあったけれど、ここ二三年はもう『男』という漢字すらすぐに思い出せなくなるくらい、男性との接触がない。


 唯一の身近にいる男性が還暦を過ぎたオーナーで、彼は奥さんと愛を育み続けていて、周囲にハートマークを振り撒いているような彼らのイチャつきっぷりは、見ていて微笑ましくもある。


 たまにお客さんで若い男性もいるけれど、どれだけ容姿が整っていようと、心動くことはなくなった。


 どんどん枯れていく私の女としての部分は、店に並ぶたくさんの綺麗な花々を、もしかしたらより綺麗に引き立たせる役目を担っているかもと思い込むことで、自分を慰めてみたりもしたけれど、近頃はそれすら面倒に感じるようになり、今や無心で仕事をこなしている日々だ。


 続々と新人の女の子が入っては辞め、入っては辞めを繰り返す中、彼女達の聞きたくもない恋愛話を、愚痴という名の惚気のろけ話を、暇な時間に聞かされる鬱陶しさたるや筆舌に尽くし難いものがあったけれど、それも最近では笑って聞き流せるようになった。


 大人になったのではない。女ではなくなったのだ。

 いや、正確には、恋する乙女ではなくなったのだ。


 優しい先輩を演じていながら、心の中ではその手の話題を完全にシャットアウトしてしまっている。


 そう、私は恋愛を諦めた。


 万が一、億が一にでも、こんな私と結婚したいという奇天烈きてれつな発想を持った男性が現れたとしても、私の背後にはあの家族がいる。


 分かっていて態と嫌がらせをする祖父と、アルコールに飲まれてしまっているどうしようもない屑の父親が。


 彼らが他界した後、私は人生を謳歌しようと計画を立てている。


 天涯孤独? 結構。他人と関わる煩わしさから解放されるのであれば、私は満面の笑みをたたえながら孤独を受け入れよう。


 今の私は昔と違い、甘えたいなどと情けないことをのたまうような心の弱さは皆無で、むしろ女ひとり、生涯を全うしてやろうじゃあないかと息巻いているくらいだ。


 しかし残念ながら、目下、彼らを放っておくことはできないのが現実だ。


 あんな風になってしまった祖父も、私が小学生の時分には、会いに行く度にお小遣いをくれたり、一緒に買い物や田舎にあった近所の川に出かけたり、地方ならではの色々な食べ物を御馳走してくれたりもした。


 恩返しという程大袈裟なものではないけれど、できる限りは何かをしてあげたいと思っている。


 そして父親。彼の眼にはお酒しか映っていないのではと訝しみたくなることもあったけれど、彼も彼で苦労はしてきたのだ。


 私の母親は父より四つ年下で、割と童顔だったこともあり、娘の私から見ても可愛らしい女性だった。


 彼女が男を作って出ていったのは私が十五の頃――丁度高校受験で勉強面でも家計の面でも、我が家が慌ただしくなっていた時、パート先で知り合ったらしい二十歳そこそこの男性と、今の私よりも若干若かった母は、ある日突然家を出て駆け落ちした。


 運送会社で働いていた父は、ショックを受けながらも家を支える為に懸命に働き続けてくれたのだけれど、根を詰め過ぎたのか、それとも仕事に打ち込んで母の仕打ちを忘れたかったのか、残業が百時間を優に超えた頃、得意先の会社に車で突っ込んでしまったらしく、かなりの弁償金を払わされたとのことで、私の高校生活にかかるであろう貯金を切り崩し、それに当てた。


 普通会社が出してくれるんじゃないの? と社会のことなど何ひとつ分からない少女だった私は訊いたが、父曰く、「まともな会社じゃないからな」とのことだった。


 一度だけ社長を見たことがあるけれど、堅気の商売を営んでいる外見ではなかった。同僚も腕に模様が入っていたり、私が一生関わることのない世界の人達なんだろうなと、見なかったことにした。


 父はその後、リストラなのか何なのか、結局クビを切られてしまい、 失業手当が底をついた頃に清掃の仕事を始めたのだけれど、職場環境はあまり良好ではなかったようで、少しずつお酒の量が増えていき、依存するのに時間はかからなかった。


 彼はその仕事も辞め、今は不定期で何やら良く分からない仕事をしている。


 たまにフラッと消えて、気付けば家にいる。私の給料だけで親子三世代の三人が生活できるわけもないので、どこかで稼いできた出所不明のお金で、家賃と光熱費だけは払ってくれている。


 食費とその他は全て私も持ちで、臨時支出も当然私が負担している。

 たとえば、祖父が駄目にしてしまった家具や衣類だったり、外で壊した物の弁償代みたいなものだったりとか。


 なので、本来であればもう少し給料の良い職場に私も転職すべきなのだろうけれど、年齢も年齢で、中々雇ってもらえそうな会社も見当たらないし、私が抜けることによってパルテールが回らなくなるだろうという心配もある。


 ただ、流石に十年二十年と、いつまでもここでアルバイトとして働いていくわけにもいかず、そろそろ人生を逆算して計画を立てていかなければならないのだ。


 同時に、パルテールの引き継ぎも。


 後輩に仕事を教えるのももちろんだけれど、私の代わりをやってもらうということは、大前提として、早朝の出勤ができるという子に限られてしまう。早朝だけ――なら未だしも、早朝から――となると、体力的な問題もあるし、煩雑な業務や力仕事だって仕事も意外と多いのだ。朝が強い人なら誰でも大丈夫ですよというわけにもいかない。


 単純に、向き不向きもあるだろうし。


 今のところ、私の跡継ぎ候補――というとどれだけ偉いんだと自ら突っ込みを入れたくなるけれど、私が退いた後を任せられると期待しているのが、誰よりも新人であるメラちゃんなのだ。


 彼女になら安心して任せられる。安心して勇退できる。

 彼女にその気がないのが一番の問題だけれど。


 兎にも角にも、私は家族の為に、そして自分の為に、生きなければならない。


 お金を貯めて、人生を楽しまなければならない。

 家族を裏切った、母親以上に。


 もしかして、私の男関係が上手く行かなかったのはあの人のせいなのか?


 そんなことを考えながら出勤したクリスマスの翌日。

 パルテール内で、ちょっとした事件が起きた。

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