第7話

 お店の名前を『le parterreル パルテール』と命名したのはオーナーの奥さんらしい。


 フランス語でパルテールは花壇という意味らしいが、響きが好きという理由でこれに決めたとのことだ。


 そして、このパルテールには私を含めて六人の従業員が働いている。


 唯一の社員である葉柳はやなぎさんは、普段は経理事務から発注、買い付け、営業、売り込み、その他諸々の仕事を一手に引き受けている剛腕な女性で、四十を過ぎた最近でも、フットワークの軽さは十代並であるとオーナーは褒めちぎっていた。


 真面目で能力の高い、元キャリアウーマン的な彼女は、仕事はできるのだけれど、なんと言うか我関せずな感が強く、特に従業員同士のいざこざには徹底してノータッチを貫いているようだ。


 彼女が店頭に立つのは私が休みの日のみ。他の日は事務作業や外勤に走り回っているので、ここ数カ月、殆ど顔を合わせる機会はないのだけれど、お互いに最低限の信頼はあるのか、彼女は私のやり方にケチを付けたことは一度たりともないし、私も彼女の仕事ぶりに口を出したことは一度もない。


 しかし私は、接客業である以上、従業員同士の輪は大切にしたいと考えている。ギスギスした人間関係は、どこかしら空気に出てしまうもので、お客さんにも伝わってしまいかねない。して、花屋に訪れるお客さんの大半は女性であり、そういう気拙きまずさみたいな感覚を察知する能力に長けている人が多い気もするので、尚のこと調和していきたいと考えている私とは相反した考えを彼女は持っていて、あくまでも個人が対応するのだから、仲が悪かろうとチームワークに難があろうと、お客さんと対面した者が丁寧に接すれば問題ないという主張をされたことがある。


 それはちょっと違わないか? と思わなくもなかったけれど、調和を重んじると発言している私がまさか喧嘩腰に彼女の持論を否定するようなことはあってはならないし、そもそも彼女は社員で私は非正規のパートタイマーに過ぎない。運営のことはもちろん、社の方針に口を出すなど、身分不相応にも程がある、差し出がましい行為に他ならず、ここでは「確かに、そうかもですね」と、なるべく厭らしくならないように笑顔を作りつつ、話題を別のものへと移したのがもう半年以上前の出来事で、以来私は、私がお店を任されている時間はあくまでも私のやり方でやらせてもらおうと決め、彼女の思惑があるのであれば、それは彼女が店頭に立っている日に存分に発揮してもらおうと考えるようになった 。


 当然、私も店の方針に従っているし、そこまで極端なことをしようと画策しているわけではなくて、明らかにおかしい、見過ごしてはおけない物事に関しては、私の尺度で解決に導かせてもらおうという程度の話である。


 葉柳さんの人間性が嫌いなわけではないし、人付き合いが苦手であることは本人にも自覚があるようだし、年に数回ある飲み会にはお互い参加し、それなりに盛り上がったりもできる関係ではあるので、彼女に対して悪感情は一切抱いていない。


 ――もう少し、新人を気にかけて欲しいとは思うけれど。


 そして、矢満田さんとメラちゃんこと落谷さん。彼女達も悪い子では決してなく、特にメラちゃんに至っては頑張り過ぎて空回りしてしまうことが目立っている印象を受ける程、一生懸命に仕事をしてくれているので、正直色々と助かっている。


 矢満田さんはいじめっ子体質という言葉を当て嵌めていいのかは分からないけれど、苛立った時は確実に棘を剥き出しにした言葉を投げかけ、相手に自分以上の不愉快な気持ちを味わわさないと気が済まないタイプみたいで、私としても扱い難い存在である。


 必要以上にプライドが高く、カッとなると視野が狭くなってしまう為、宥めるのにも一苦労なのだ。

 しかし、ある程度は仕事を任せられるし、手先が割と器用なので、ラッピングも頼めるのは大きい。


 当面の課題は彼女の更生? であるけれど、まあ何にせよ、トラブルメーカーであることには変わりなく、彼女のいない日は気楽さが大分違う。


 そしてメラちゃんは、素直でいい子だ。唯一の未成年であり、小柄な彼女は、癖なのか、クルクルと小さく身体の向きを変えるような動きが多いので、その様がプレイリードッグを彷彿ほうふつとさせる。


 私は妹にしたい位大好きなのだけれど、矢満田さんはその辺も気に入らないらしく、日々いびりにいびっている。


 そして他にも二人の女性アルバイトがいるのだけれど、正直、あまり絡みもないので、彼女達の事はあまり詳しくは分からない。


 ひとりは小美野歩美おみのあゆみという、今年二十八歳になる女性だ。


 彼女は物静かであるものの、割と頑固なところがあり、一度自分が間違っていないと思ってしまうと、相手がお客さんであろうとも決して譲らないところがあって、ある意味矢満田さん以上に難儀な性格をしている。とはいえ、年齢的なこともあってか、ある程度は社会人の常識を持っているので、冷静に話すと大抵の場合は理解してくれる。


 もうひとりは古賀谷こがやみのりという、同じく二十八歳の女性で、彼女は有体な言い方をすれば性格が悪い。というか歪んでいるのだろう。


 彼女の口からは悪口雑言あっこうぞうげんが日常的に吐き出され、大抵の場合は大した内容ではないものの、聞いているこちらが憂鬱になってくることもしばしばである。


 たとえば感じの悪いお客さんが帰った後や、誰かが失敗した時など、露骨に苛立たしい表情を作り、本人には直接言わないで、第三者に延々と批難がましいことを言い、彼女がスッキリするまでそれは止まらず、会話を断ち切ろうものなら、今度は悪口の標的が自分に向いてしまうという、真恐ろしき女性である。


 ただ、不幸中の幸いというべきか、彼女とは週に二日間しか仕事をすることがないので、二日だけ我慢すればいいのだからと自分に言い聞かせることができるのだ。――というより、そうやって乗り切らないとやっていられないというのが本音なのは私だけの秘密である。


 ここにオーナー夫妻が加わり、総勢八名がこのパルテールで働いているのだけれど、今年で五年目に突入するベテラン勢に数えられる私は実は、退職を視野に入れているのだ。


 何か成し遂げたい物事があるわけでもなく、この職場に心底嫌気が差したというわけでもないのだけれど、いい仕事が見つかり次第転職しようと、毎週月曜には求人誌のフリーペーパーを駅前でもらって帰っている。


 辞めたくはないけれど、辞めなくてはならない。


 ――私にはお金が必要なのだ。

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