第5話
平日ということもあり、客数も伸びぬままあっという間に午前中が終わる。
「じゃあ行ってきまーす」とブランド物のバッグを肩に下げカツカツとヒールを鳴らして出ていく矢満田さんに「休憩時間オーバーしないようにね」と釘を指すと、「はーい」とスマホを見ながら返事をされた。
「大変ですね~江藤さん」とメラちゃん。
「そうでもないんだけどね」
「だって、社員さんでもないのに、アルバイトの管理もしてるし、朝だって凄く早いじゃないですか。凄いです」
「あはは、そんなことないんだけどね」
――ほんとに。
凄くなんてない。
凄いのは私ではなく、メラちゃんだ。
矢満田瑠美奈は、落谷目羅尼を目の仇にしているのか、かなり険を孕んだ物言いで注意することが多い。
メラちゃんはまだ四ヶ月目で、新人故に多少の叱責を受けるのも仕方のないことだとは思うけれど、矢満田さんの言い方はハッキリ言って度が過ぎている。感じが悪いなんてものではなく、聴いている第三者がイラつく程、敵意と悪意に満ち満ちた、愛情の一切感じ取れない言い方なのだ。
以前何度か注意をしたことがある。
「落谷さんもまだ慣れてないからミスは許容してあげて」
「ちょっと言い方に棘がないかな。私がフォローするからあまり注意しなくてもいいよ」
「落谷さんの教育は私がやるから、指示出しとかもしないでいいからね」
などと、少しでもメラちゃんから矢満田さんを引き離す様に画策した私の思惑を知ってか知らずか、彼女は「でも枝藤さんにこれ以上負担かけるなとオーナーに言われてますし、あたしが面倒見るようにも言われてますから」と、私が忙しいという建前を利用し、引き離すどころかマンツーマンと言ってもいい位の至近距離にまで近寄り、新人のメラちゃんは矢満田瑠美奈のストレス発散に利用されてしまっているのだ。
もちろん、そう言われたからといって簡単に引き下がる私ではないので、矢満田対策を私なりに講じている。
まず、一日のスケジュールをホワイトボードに書き出した。
これは今までやっていなかったのだが、その理由として、割とベテラン勢だけで営業していたので、
快くOKをもらった私は、すぐにスケジュールを書き出し、それぞれに一日の仕事を割り振った。
あくまでも予定なので、何か問題が発生し、割り振られた仕事をこなすことが難しい場合のイレギュラー対応は、基本的には私が、できることなら彼女たちにもやってもらっている。
因みに、私は落谷目羅尼のことを『メラちゃん』と呼んでいるが、他の従業員がいる前では落谷さんと呼ぶようにしている。
これは彼女のファーストネイムが『めらに』と読む為、今まで散々馬鹿にされて生きてきたという話を聞いたからでもあるが、馬鹿は大人になっても馬鹿なままで、うちのお店にも大人になりきれていない馬鹿がいる為、馬鹿にさせたくないからという私なりの気遣いでもある。
馬鹿――もとい、矢満田さんは、メラちゃんが入社して三日目に、「めらにとかさ、マジ終わってんね。恥ずかしくないの?」と、ニヤニヤと笑みを浮かべながら感じ悪く羞恥心を問うていたが、メラちゃんはその
私が思うに、その余裕が感じられるメラちゃんの対応が、矢満田さんのいじめっ子心に火を付けたのではないだろうか。
傷付くなり怒るなりするだろうと踏んでいたのだろう、意外な返しに矢満田さんは面を喰らった顔で「あっそ」と言い放ち、舌打ち交じりにどこかへ行ってしまった。
キョトンとしたメラちゃんの可愛らしい顔を見て思わず笑いが込み上げてしまったのだけれど、よくよく考えれば、幼い頃から弄られてきたであろう、無理矢理な当て字の名前を持つ彼女は、名前を
因みに私が彼女を名前に絡めたメラちゃんという
いつもの如く休憩時間を十数分オーバーして戻ってきた矢満田さんに「次からは気を付けてね」と適当に注意し、「はぁい」と適当に返事をされたのを聞いてから、「じゃあ私達も行こっか」と、眼球を擦り付けんばかりに発注書を注視していたメラちゃんに声をかけると「あ、はい!」と、慌てた様子で書類をファイルに挟み、レジの下にある棚に置く。
「ちょっとちょっと」と矢満田さん。
「はい」
振り向いたメラちゃんは、矢満田さんの眉間に寄った皺を見て、ああまた何か小言を言われるんだろうなと悟ったのか、「あ、ファイルですかね」と、自身が数秒前に置いたファイルを指差した。
もっとも、眉間など見ずとも、矢満田さんが彼女に話しかける時、九割方は小言の類なのだが。
「分かってるならなんで戻さないの? レジって客が近くにいるんだよ? 大事な書類を見られたらどうするの? そんなことも言われなきゃ分からないの?」
「ああ、いいよ。それ、私がさっきチェックしたときに置きっ放しにしてたから、落谷さんもそこに置いといてくれたんだよ。ごめんごめん」
「……そうなの?」
「あ…………はい」
盗み見るように私の顔を
「……じゃあもういいです」
気まずくなったのか、彼女はポケットから手帳のような皮カバーに包まれたスマートフォンを取り出し、何やら操作を始める。
「じゃ、行こう」
「あ、はい」
「矢満田さん、お店よろしくね」
ここで彼女が聞こえていない振りをしたのは初対面の人間でも分かるだろう。矢満田さんは何も言葉を返さずに、乱暴に足元の鉢を壁際に寄せ、「なんでこんなとこにあんだよ」とブツブツ独りごちていた。
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