悪党をやっつけよう:2

 大澤は感激したように手を打ち鳴らした。


「貴方は真実に覚醒し、独自の方法で悪と戦っていた。その努力を我々はずっと把握していました。特に、貴方の宣伝・資金調達手腕は目覚ましい。我々は『ストライクファクト』の活動を高く評価しています」


 宜野は先程からずっと我が意を得たりと言う具合で何度も頷いている。

 手つかずの松葉茶が湯気を立てているのを、真取はぼんやりと眺めていた。


「正直、ぼくの活動が実を結ぶなんて本当は信じ切れてなかったよ。前に入ってた金を稼ぐオンラインサロンの知人に紹介されて、たまたまこういうことを調べるようになったけど」

「迷いがあったのですね」

「周りの人に信じて貰えなかったから。お金もなかったし、このまま活動を続けていいのかって思ってた」

「ですが、今は違う」

「うん。そこのリーダーの人に『お前の見ている世界は本物だ』って言われてから急に世界がクリアになった。今までやってきたことは間違いじゃないって思えて」

「当然です。彼は我々の救世主ですから」


 大澤の言葉には何の曇りもないように見えたが、同じ「騙す側」にいることで辛うじて理解できた。

 間、声のトーン、視線、身振り手振り、すべてが計算され尽くされている。

 真取はぞっとした。大澤が本気で誰かを騙そうとしたら、真取程度の知性ではひとたまりもないだろう。もしかすると、事態は最初から最後まで大澤の掌の上にあるのかもしれない。そんな錯覚を真取はおぼえる。大澤はにこやかに続けた。


「我々は今、あなたの力を必要としている。リーダー、指令書を」


 大澤がこちらに茶封筒を差し出してきた。

 封筒の中には、真取に与えられた「原稿」が入っている。

 これを読めば、騙し取られた父の財産は返って来る。

 それどころか、真取が望めば宜野の全財産を奪うこともできる。

 やるしかないと真取は思った。もはや自分一人の問題ではない。

 真取の上司や大澤のように、この世は他人を使い潰してうまく立ち回った者が勝つ仕組みになっている。


 宜野は、最初の邂逅で仕掛けられた「ノンフィクション」によって完全に真取たちの陰謀論を信じ切っている。この好機に標的を騙し切るのだ。

 相手に、自分の嘘を信じ込ませる力――「ノンフィクション」を真取は起動する。脳内の電球が点灯する感覚があった。熱のままに、嘘を送り出す。

 大澤から送られた原稿の筋書きは単純だ。


「【この世界には陰謀が在る。お前の人生がどん底なのは、陰謀のせいだ】」


 ①:敵を作ること。

 自身の人生が上手くいかない低学歴者や低所得者は、得てしてその責任を分析することができない。原因が環境にあろうが自身にあろうが適切に原因を峻別せず、自己嫌悪と責任転嫁によって緩やかに思考に麻酔をかけていく。

 だが、そこに自分の人生を阻む「原因」が現れればどうだろうか?


「【誰もが陰謀と戦うことができる。お前自身の知識だけが本物だ。自分で疑って、調べて、考えろ。偽物の知識で成功してる連中を出し抜くんだ】」


 ②:戦う手段を与えること。

 体系的な学問や経験的な智慧ではなく、ネットと妄想が混ざり合ったペーストだけが本物と信じ込ませる。大澤の思惑のままに幻覚の知識で陰謀と戦う者は社会から孤立し、やがて透明になる。


「【貨幣とは政府が恣意的に流通させた悪しき経済の操作機能だ。最低限を残して我々が処分する】」


 ③:生活基盤を破壊すること。

 生活資本の不足は生活水準の低下を招く。安価な炭水化物中心の生活は判断力と体力を削り、金銭不安は常に思考を圧迫し続ける。不安と不足から逃避するため人は陰謀に没頭する。


「【陰謀と戦え、宜野琉斗】」


 ――かげから全てを支配するはかりごとがあったら、どれほど救われるだろう。

 少なくとも、宜野は喜んで全てを差し出すはずだ。


「原稿」を読み終わった大澤は、冷たく硬い壁に座り込んだ。

 息が苦しい。胸の奥に鉄球が詰まっているようだ。

「ノンフィクション」を使いすぎるとたまに体調が悪くなるが、今回ほどひどい時はなかった。だが、宜野は恍惚とした表情で真取を眺めたかと思うと、慌ただしく台所へ歩いていく。しばらくぼうっとその様子を眺めていると、宜野が歪に膨らんだ紙袋を持って戻ってきた。袋の中には纏められていない札束が大量に入っていた。


「金だよ。あんたのお陰で目が覚めた。処分してくれ、こんなものはいらなかったんだ。貨幣制度は闇の政府が人口を抑制してあんたらや僕みたいな『考える人間』を減らすための経済兵器だった!」


 紙袋を真取の前に置いて、宜野は興奮気味に唾を飛ばした。


「これから僕は、本気でDSディープステートの連中と戦う。あんたらと一緒にやらせてくれ。自分の人生を自分の手で変えてみたいんだ。何をすればいい? ゴム人間どもを炙り出せって言われたら炙り出すし、何か撒けって言われたら撒くよ。DSの工作員だってぶっ殺せる。デモの先導だってなんだってやってやる」

「その意気です。ようこそ、本当の現実へ」


 大澤は宜野と固く握手を交わす。白昼夢のようだと真取は思った。

 目の前の光景は現実のものなのか。正常な判断能力を有するはずの大人が、大澤の用意した「陰謀論」と真取の取るに足らない「超能力」だけで認識を改竄されてしまう。まるで、現実が裏返ったかのように。


「貴方は我々の工作員となりました。今後の作戦は追って通達します」


 大澤は真取に目配せし、紙袋を持って立ち上がった。

 真取は従うしかなかった。『ストライクファクト』から金は取り戻せたのだ。

 精神を病んでしまった真取の父も、これで少しは気が楽になるかもしれない。後は真取が日常に戻れば、全てが元の鞘に収まる。

 真取は部屋の入口から、窓に向かい祈るように蹲る宜野を見た。

 外から眺める宜野の住まいは手製の牢獄のようだった。

 扉が閉まる。


「うまく行ったな、相棒。やっぱ悪い奴をやっつけるのは最高だね」


 大澤はアルコールティッシュでチャイムを拭きつつ真取に笑いかける。

 真取はそこで今更、大澤が宜野の部屋のものに触れていなかったことを思い出した。


「あいつ、釘付けだったよ。やっぱ真取くんやるね。ひょっとして、他人の言って欲しいことわかっちゃったりする?」


 大澤は声を階段の踊り場で声をひそめる。真取は半ば絶望的な気分で、大澤の持つ紙袋を見た。詐欺は拍子抜けするほどに上手くいってしまった。


「真取くんの『ノンフィクション』って、証拠があるとすぐバレるんだよね? でも、ああいうアホって自分でどんどん都合の良い情報を見付けて安心したがるんだもん。あの部屋見た?」


 宜野の部屋には、大量のノートや雑なメモ書き、文字の多い階層図のポスターが所狭しと貼られていた。あれが全て、宜野が自身の「陰謀論」を補強するために収集した情報なのだとすれば。


「自分のコトだけ考えて、安心できる情報に縋って、『世界の真実』を信じ込んでる心と頭の弱い奴のボリュームゾーンが陰謀論なんだよね」


 大澤が真取と肩を組む。いつもと同じ人好きのする笑みを浮かべて。


「真面目に頑張ってる真取くんみたいな奴が、自分が搾取する側だって勘違いしてるアホに人生めちゃくちゃにされるなんて許せないからさ。二人でやっつけられて良かったよ」

「そうだな」


 そうだ。大澤に言わせれば、宜野は弱い人間なのだろう。

 つまり喰われる側の人間だ。この世の中は他人を使い潰し、上手く立ち回った方が勝つ。現に、真取が「真面目にコツコツ」働いても得られないような大金を一週間で取り戻すことができた。

 だから、真取は尋ねた。


「大澤」

「何さ真取くん」

「宜野をこのあとどうする」

「どうするも何も捕まるでしょ普通に。だってあんなやり方長く保つワケないじゃん。今時脱税でタンス預金なんてやってるアホだし」


 大澤は大量の紙幣が入った紙袋を掲げて言った。

 まるで大学の知り合いの進路を取り沙汰するような平然とした口調だった。


「そもそも、宜野を元に戻す方法なんてないでしょ。本人が陰謀論信じ込んじゃってるんだからさ。あいつはずっと嘘かホントか解んないこと信じながら、捕っても頭の中で陰謀とやらと戦うんじゃねえの。それって、ああいうアホにとっちゃ一番幸せな結末だろ」


 自ら嘘を信じる者の「ノンフィクション」を、元に戻す方法はない。

 宜野はこの先ずっと真取のもたらした「陰謀」に縋り続ける。

 病んだ父が陰謀に縋らなければ生きられなかったように。

 縋らなければ生きられない弱さを嘲笑うことが、上手く生きる方法ならば。


「大澤」

「何さ真取くん」

「お前、最初からこうなるってわかってたな」

「当たりま」


 当たり前じゃん、と言い終わる直前で真取は大澤を殴った。

 大澤は意識の外から顔面を拳に直撃され、階段を転げ落ちる。

 真取はゆっくりと階段を降りる。大澤が呻きながら起き上がろうとしていたので、何か言われる前に口許に思い切り革靴を埋めた。

 これ以上続けると歯を折られると悟ったのか、大澤は動かなくなった。


「お前がこうしているのは、お前が弱かったりバカだったりするせいじゃない。僕を友達だと思って油断していたからだよな。残念ながら僕もだ。お前が相手じゃなければ、ここまで遠慮せずに殴れない」


 真取は革靴で大澤の顔を踏みにじりながら続けた。

 初めて犯罪行為を経たせいか、これまでの鬱屈が爆発したのか、それとも元来自分が暴力的な人間だったのかはわからない。ただ一つ確実に言えるのは、何かの箍が外れたということだ。


「お前も、僕も、宜野も、何かを信じる心に漬け込んだだけだ。そういう連中こそを僕は悪党と呼ぶ。お前の理屈なら悪党はやっつけられるべきだ」


 大澤の目尻は下がっていた。笑っているのか、それとも他のことを考えているのかはわからない。だが大澤は意に沿わないことがあれば必ず報復する人間だ。真取はその手口の苛烈さを嫌と言うほど知っている。恐らく、真取の行為はろくな結果を招かないだろう。それでもやるべきことがあった。


「やっつけられるということは、つまり自分の行いの責任を取るということだ。僕は今から自分の嘘の責任を果たしに行く」


 真取はそこでようやく大澤の口から靴を外した。

 形の良い友人の唇からは血が漏れていたし、歯も少し歪んでいた。


「痛ぇな真取くん。ボクシングとかやってなかったよね?」

「人生をゲーム感覚でやってる奴の痛さに比べればマシだ」


 真取は踊り場の鉄柵に座り込み、倒れ込む大澤と並んだ。まだ日は高かった。階下の遊歩道には昼食時のサラリーマンや主婦が行き交っている。


「いきなり殴って来るからビックリしちゃったよ。いいね。悪党らしくなってきた。で、どうやって責任取るわけ?」

「陰謀を現実にすればいい。多分僕にはそういうことができる」


 真取は大澤を見つめた。それだけで伝わると解っていた。

 大澤は血濡れた口許を道化のように歪めて笑った。


「悪党には名前が必要だよな」

「また少年漫画の話か」

「そうだよ。破面アランカルとか十二鬼月とか毘灼とか、名前があった方がかっこいい。それに呼びやすいってのは大事だ。敵になるなら」

「どうでもいい。大澤に任せる」

「そう言うと思って、もう考えてあるんだな」


 真取は思わずもう一度大澤を蹴り飛ばしそうになったが、その前に大澤が跳ね跳ぶように起き上がり、顔をぐいと近づけてきた。そしてまた笑う。


「ノンフィクション・ホーキー。それが俺らの名前ね」

 

 真取はその名前を、舌の上で転がした。

 世界を揺るがすDSの裏には、『ノンフィクション・ホーキー』がいる。

 そういう虚構を、大澤と二人で作り出す。誰が敵になるのかはわからない。

 少なくとも、父の言う「身の丈」からは外れた行いだろう。

 だが、共に愚かな行為に手を染められるのが友人の良い所だ。

 真取はそう思うことにする。これから忙しくなりそうだ。

 しばらくずる休みをする必要はないかもしれない。

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