悪党をやっつけよう:1

『ストライクファクト』の運営者である宜野ぎののもとに向かうにあたり、大澤が真取に贈ったのは仕立てのいい服だった。休日に呼び出されたかと思ったらイタリック体のロゴが鼻につくスーツショップに連行され、採寸が終わると三日もしないうちに真取の家にセットアップされたスーツが届いていた。


『真取くーん。俺からのプレゼント、気に入って貰えたかな』


 電話口から、大澤の浮かれた声が聞こえて来る。

 大澤からの「プレゼント」は確かに素晴らしい品質だった。少なくとも、真取が適当に買った吊るしのスーツとは雲泥の差だ。腕時計や革靴に鞄などの小物なども揃っている。


『詐欺師は良いもの着ないと。俺が真取くんをプロデュースしてあげよう』

「待て。こんなもの贈られても代金は払えない。返品する」

『全部真取くんにやるよ。初期投資には金かけないとね』


 大澤に貰った「プレゼント」一式の値段を考えると、真取は気が遠くなった。真取の手取り給料に換算するとどう考えても半年ぶんは下らないだろう。この分は自分の貯金から返さなければと真取は密かに決意した。


『じゃあ、明日が作戦決行日だから。夜更かししないでね』

「修学旅行じゃないんだぞ」

『流石。良いツッコミ』


 そして唐突に通話が切れる。真取は薄いマットレスの上に携帯を放った。

 目を閉じてベッドの上に寝転び、身体を休めようとする。

 とりとめもない思考が綿飴のように頭の中で混線していた。

 

 明日自分は人を騙す。成功すれば、真取が十数年働いてやっと手にできるほどの大金が労せず手に入る。だが、そこまでして得られるのは元の平穏な生活だけだ。マイナスをゼロに戻す作業ほど無意味なことはない。どうせならもっと多くの金を宜野から奪い返すべきではないか。少なくとも、今まで社会から搾取されてきた自分にはそうする権利があるはずだ。


 その一方で、自らの思考が不健全な方向に伸長しているのも真取は感じ取っていた。自分が今の生活は全て自分に責任がある。いくつかの不運はあったかも知れないが、概ね真取の頭が悪かったせいだ。上司からのハラスメントと職場の環境に苦しむならもっと早く転職すればよかった。親の借金などもはや自分とは関係ないこととして線引きを保てていればよかった。意地を越えた惰性のような倫理と規範で、いつも愚かな生き方を選んでばかりいる。つまり、自分のせいで壊れかけた人生の負債を他人に求めることは人としての道から外れているのではないだろうか。

 あれこれ考えていると、以前気の迷いで買って結局放置していたキャンプ用のロープが目に入った。それでやっと薬を飲んでいなかったことを思い出し、処方されている抗鬱薬と睡眠導入剤を飲んでから真取は眠りに就いた。今はただ、金を取り戻さなければならない。


 翌日、真取は大澤に贈られたスーツ一式を着用し宜野琉斗ぎのりゅうとの部屋に向かった。大澤が言うには、宜野の住む団地は低所得者向けの雇用促進住宅で、以前から取り壊しに伴う住人の強制退去の話が出ているものの、一向に人が離れず解体作業が先延ばしになり続けているらしい。


 団地の近くの喫煙所に着くと、大澤が退屈そうに煙草を吸っていた。

 絡まれても面倒なのでしばらく放置していると、こちらに気付いたのか煙草片手にへらへらと歩み寄って来る。


「おはよう。真取くんも一服してく?」


 大澤は真取と同じく仕立てのいいスーツを纏っていた。着こなしもネットで適当に着方を調べただけの真取よりずっと様になっている。右手に挟んだ煙草だけがちぐはぐに見えた。学生時代は吸っていなかったはずだ。


「お前、いつから煙草なんて始めたんだ」

「暇つぶしと憂さ晴らし。社会人生活ってストレス多くてさ。喫煙所でオッサンどもの大事な話聞けることも多かったし」

「お前、そんなに効率よく生きることばっかり考えてて虚しくならないのか」

「ゲームとか漫画みたいなもんだと思えば楽しいよ」


 大澤はアルミのスタンド灰皿で吸殻をにじり消す。煙草はまだ半分以上が残っていたが、気にも留めていないようだった。


「行こうぜ相棒。悪党をやっつけよう」


 大澤はそう言って颯爽と歩き出す。

 知らない間に詐欺の「相棒」にまで昇格していたのが本当に嫌だったので、真取は大澤からなるべく離れてその後を追った。


 宜野琉斗の部屋は団地の二階にあった。大澤がチャイムを押すと、部屋の中からどたばたと物音が響く。たっぷり一分ほど間があって扉が開いた。

 出て来たのは、青い作務衣を着てバンダナを巻いた男が出てきた。バンダナは不自然な形に膨らんでいる。男は大澤を睨んだ。


「君ら、DSディープステートの尖兵なのか?」


 どうやらこの青年が『ストライクファクト』の運営者、宜野琉斗らしい。

 真取は「DS」にも「尖兵」にも心当たりがなかったので何も言えなかったが、大澤はにこやかに笑い、


「我々はあなたを救いに来た“光の軍勢”の使者です。隣にいる真取は、“軍勢”のリーダーのようなものですね」


 ちょっと待て。僕はリーダーなんかじゃない。そもそも光の軍勢って何だ?

 

 頭の中にいくつも浮かんだ疑問の泡を瞬時に打ち消して、真取はお茶を濁すように笑みを浮かべた。営業で培った技術の一環である。

 ふざけやがって、と真取は思った。

 

 今回の犯行の打ち合わせでは、ほとんどの手続きは大澤が行い真取は「原稿」を読むだけで良いと伝えられていたはずだ。大澤が何を考えているのか全く理解できなかったが、もう後戻りはできない。

 こうなったら大澤の言うリーダーを演じ切ってやると真取は決意した。


「宜野琉斗だな?」


 真取はあえてぶっきらぼうに言った。


「数日前、お前の自宅に手紙が届いていたはずだ。あれは、僕たち光の軍勢からの”救援信号”だった」


 すると、宜野の警戒心に満ちた目つきが初めて切り替わった。

 ここだ。真取は、相手が最も欲しがっている言葉を空想する。

 職を失い引きこもり、人生の底で縋った「自分だけの真実」で金を稼ぐ男。


「宜野琉斗。【お前の見ている世界は本物だ】」


 明確に騙す。その意思を燃料に、「ノンフィクション」を点火する。

 まず、真取と大澤を宜野が見る世界の登場人物として舞台に上げるのだ。

 宜野の瞳に光が灯った。弾けるような熱が、真取にも伝わってきた。

 ドアが大きく開き、部屋の中が露わになる。


「やっと同志に会えた。歓迎するよ」


 曼荼羅状に意味不明な語句が書き連ねられたポスターや英語論文のコピーに、アルミホイルの目張りなど、牢獄のような雰囲気を呈していた。


 部屋に上がった真取と大澤は、妙な香りのする茶を二人分出された。

 茶渋の目立つティーカップには、十年ほど前に流行した特撮ヒーローの剥げかけたプリントがこびりついている。


「松葉茶だよ。自然免疫力を高めてくれる」


 大澤は首を振り、


「私は以前、DSから免疫兵器の攻撃に遭ってアレルギーを発症してしまいまして。リーダー、私の代わりにどうぞ」


 最悪だ、と思った。大澤は明らかにふざけ始めている。

 だが、宜野の味方という建前で真取たちがここにいる以上、厚意を無下にするわけにもいかない。真取は覚悟して(表面上は平然とした様子で)松葉茶に口をつけた。

 そして、噴き出しそうになった。

 小学校の頃にグラウンドで転んで口の中に入った雑草と土を思い出す。

 鉄と土の味だけが舌の上にざらつき、そのくせ香りと呼べるものがない。

 茶という飲料の美点を全て消し去るような味だった。

 真取はわずかに口許を緩めて、「いい味だ」とだけ呟いておくことにした。

 自分でも何をしているか解らなくなってきた。二度と飲みたくない。


 宜野は自らの点前に満足したのか、小さく頷く。

 そして、部屋の奥からラップトップを持って来て真取と大澤の前に置いた。

 ウィンドウには、宜野のチャンネルである『ストライクファクト』の登録者画面が映し出されている。


「ぼくは『ストライクファクト』として世界の真実を発信し、来るべき決戦の日に備えて軍資金を調達してた。よくぼくたちのやってることは反社会的勢力と繋がってるだとか犯罪の温床だとか好き勝手言われてるけど、『ストライクファクト』は違うんだ」

「というと?」


 大澤が尋ねると、宜野は祈るように手を組んだ。


「この世を裏から牛耳ってる組織、つまりDSの連中とぼくは本気で対決しようと思ってる。まずはゴム人間だらけの僕の元職場にガスを仕掛けて、ナノチップに汚染されてるDSの尖兵どもを炙り出したい。善良な人々のためなら、ぼくは犯罪者になってもいいんだ」


 宜野が部屋の押し入れを開けると、プロパンガスの容器がパック詰めの卵みたいに大量に収蔵されていた。この時点で既に真取は宜野の話している内容にほとんどついていけていなかったが、大澤は納得した様子で頷いている。


「前提から確認しましょう。まず、私たちは『闇の政府』、古くから存在する富裕層や既得権益を貪る集団を、『ディープステート』と呼称しています」

「ああ。ぼくを解雇した職場にもDSの工作員が大量に潜伏してたんだよ。やつらはぼくの業務を妨害し、精神的に疲弊させて資本主義による催眠状態に誘導しようとしてたんだ」


 宜野は組んだ拳をより強く握り、呟いた。


「気付いたんだ。ぼくの人生が上手く行かないのは、高卒で派遣社員だったことだけに原因があるわけじゃない。やつらの陰謀だったんだ」


 決然と語るその表情は、見えない敵に立ち向かう勇気に満ちていた。

 真取はふいに不安になる。

 自分たちが倒そうとしている男は、本当になのだろうか。

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