スムース・クリミナル:1
今日もずる休みをしよう。
上司の叱責を浴びながら、真取宗一は切実にそう思った。
「やっと見れる数字になって来たけどさぁ」
年嵩の部長が、デスクに資料を放り投げた。
以前であれば赤く凹んでいた「真取」の棒グラフは、月一件が二件になった程度には改善していた。
「真取くんが出してきた損失考えたら、損益分岐点に乗るまで今の成績維持して貰わなきゃ。きみの代わりなんて誰でもいいんだから」
「承知しました。より一層努力して参ります」
真取は自分のデスクに戻る。
すると、ココアの缶を二つ持った
「真取さん大変っすね。成績も伸びてるのにあんな時代錯誤なこと言われて。マネジメントもクソもなくないっすか」
「花匡くん」
真取は首を振り、花匡から差し出されたココアを受け取る。
「この会社にこれからもいる予定はあるかな」
「まあ、後二、三年は在籍すると思いますけど。急にどうしたんですか」
花匡は呟いてから、何かに思い立ったように顔を上げる。
「真取さん、まさか会社辞めるつもりなんですか」
「一応ね」
「えっ」
花匡は慌てて周囲を見渡す。
こちらを見ている者が誰もいないことを確認すると、花匡は席を立つ。そのまま何やら焦った様子で、会議用の小さいブースに真取を手招いた。
真取がブースのパイプ椅子に座ったとたん花匡が身を乗り出してきた。
「真取さん、俺らのせいですよね。新卒の指導押し付けられて、全然アポ取り出来てなかったから。なのにめちゃくちゃ丁寧に教えてくれて」
「いや、それとこれとは――」
間違いなく、関係はあった。
だから真取は超能力を起動する。現実を塗り替えるために。
「【関係はないよ】」
脳内の電球が灯る感覚がある。瞳が痺れ、視界に火花が瞬く。
真取は一度目頭を指で抑え、ふたたび花匡を見た。
「たしかに、そうかも知れないですけど」
花匡は頷きかけたが、
「やっぱり、そんな言い方しないでくださいよ。俺らが真取さんの負担になってたの、見て見ぬふりなんてできないっすよ」
静かに紡がれる花匡の反駁に、真取は目を伏せる。
また一つ、自分の能力について新しいことがわかった。
前提として「ノンフィクション」は対象に自分の嘘を信じさせることができるが、事実に基づかない嘘を信じさせた場合、その後の反応は二通りに分かれる。つまり、真取の嘘を信じ続けるか正気に戻るかだ。
宜野は真取の刷り込んだ「【陰謀はある】」という嘘を信じ込んでしまった。(宜野を元に戻す方法は真取もわかっていない)
一方で、花匡は真取のついた「【花匡は真取の辞職に関係はない】」という嘘を信じていない。
二人の違いは、つまるところ「主観」だ。
人間は判断に迷った時、信じたい方を信じる。
よって宜野は真取と大澤の唱えた「陰謀」に傾倒し、
花匡は「自分たちが真取の負担になっている」という真実を信じた。
「ノンフィクション」は無敵の洗脳能力などではない。
真取は立ち上がり、花匡の肩を叩いた。
「花匡くん。君の性格なら、応援してくれる人が絶対に現れる。多分どこへ行ってもやっていけると思うから、こんな会社さっさとやめたほうがいい」
「どういうことです。真取さん何かあったんすか」
「【何もないよ】。花匡くんが心配するようなことは特にね」
「絶対嘘じゃないっすか」
花匡は真取の嘘をやはり信じていないようだった。
少しお人好しな嫌いはあるが、よく出来た後輩だ。真取は少しだけ笑う。
「どっちにしろ、これからは働きやすくなると思うからさ」
+
自分の旧態依然としたやり方が、時と場合を選ばなければならないことはわかっていた。TPOの話ではなく、使いどころの話だ。
管理職として、功績を挙げたように見せ続けなければ自分の築き上げてきたヒエラルキーは瓦解する。
よって、原田は適当な社員に新人教育を押し付け、ある程度新卒が育ってきた所で「使えそう」な人材を麾下に置くことにしていた。
ぬるま湯に浸かってきたエリートの大卒どもこそ、「飴と鞭」に対する耐性がない。よって経済状況が困窮していたり、精神的に問題がありそうな新卒社員を一人選び、皆の前で厳しく叱りつける。彼らは言い返さず、金の為に我慢して会社に留まり続けるか静かに辞めていくかの二択だからだ。
一方、原田が指揮下に置いた他の「使えそう」な新卒には適度なボーナスや残業の軽減、他部署へのコネなどコストパフォーマンスの良い贔屓を差配する。
権威のある人間に重用されて増長しない人間は存在しないのだ。他の社員が育てたはずの「使える」新卒たちは労せずして皆原田の手駒になっていく。
他人の育てた果実の最も熟した部分を捥ぎ取るようなやり方だが、無茶を可能にするのが役職なのだ。
新卒の「選別役」を誰に任せるかだけが問題だったが、近年は
労力の外部化とコストの削減は管理職の鉄則だ。
真取は真面目で根気があり、着実に成果を上げるタイプだったが、責任感が強すぎるきらいがあった。
なので、新人教育を押し付ければある程度の結果は出すものの勝手に潰れる。
性格上、原田を告発することも考え難い。原田のやり方であれば自分の手を汚さず自分のポストを脅かす部下を排除し、真取の成果だけを攫って行くことができる。
一石三鳥だ。
しばらくはこれで稼がせて貰おう、と原田がほくそ笑んだその時だった。
「オッサン、ちょっと良い?」
地下鉄の入り口に入りかけた原田の肩を、手が叩いた。
振り返ると、二人の若い男が佇んでいる。
一人は顔の整った、実業家然とした青年だ。
そしてもう一人は原田の見知った顔――部下の真取だった。
事態を呑み込めず困惑していると、実業家の方がにこやかに笑いかけて来る。
「俺、
「急に何、君たち。非常識だね」
原田は強気に切り返したが、内心では困惑していた。
大澤と名乗る男はともかく、真取が自分を会社外で接触する理由が全く分からなかったからだ。最近流行っている闇バイトというやつだろうか。
だが原田の考えを見透かしたように、
「あー。闇バイトだとか疑われてます? 大丈夫ッスよ。
大澤は、そこで言葉を切って真取の方をちらりと見る。
「闇バイトじゃなくて、本物の闇かも」
言葉を継ぐように、真取が口を開いた。
「部長」
「き――君ねえ。業務のことなら業務時間内に言いなさいよ」
「部長は時間外残業をたびたび私に命じますよね。本来報酬が支給されるべき労働時間の補填だとお考えいただければ」
呆気にとられた原田が言い返さずにいると、真取は矢継早に続ける。
「今の新人への指導体制は適切ではありません。一人ずつ適性にあった指導役を設けて、新人・指導役の希望を擦り合わせた上でマッチさせることを提案します。部長であっても、私であっても、特定個人に指導の負担がかかる体制がそもそも異常です」
ふざけるな、と原田は思った。
真取は間違っても感情任せの軽挙に走れる男ではなかったはずだ。
自らが全ての責任を背負い込み、他人のミスを庇う姿を原田は何度も見ていた。
だからこそ利用できると考えたのだ。
だがこうなってしまっては、真取はもはや敵でしかない。
「これは立派な恫喝だよ。労務署に訴えて然るべき処分を下して貰うから」
「恫喝?」
だが――真取は原田を、はじめて鼻で笑った。
「恫喝はこれからですよ」
「何を――」
原田が何事かを言う前に、真取が携帯端末を突き出してきた。
液晶画面には、SNSのアカウントが映っている。
今年大学生になった、原田の息子のものだった。
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