ザ・ボディ:1

 大澤は都内でも有数のオフィス街に居を構えていた。コンシェルジュが配置されているタワーマンションのエレベーターホールを通過すると、真取は途端に場違いな気持ちに襲われる。だが、もう後には引けないのだ。今帰っても、真取の父が莫大な金を詐取されたという事実は変わらない。

 覚悟して、真取は大澤の部屋のチャイムを押す。

 すると、ほぼ間を開けずに満面の笑みを浮かべた大澤が出てきた。


「来てくれたんだね真取くん。上がってよ」


 流れるように真取は部屋に通された。調度は単純だが洗練されたデザインのものが多く、男の独り暮らしにしては小綺麗だった。ハウスキーパーを雇ているのかも知れない。シンプルなデスクの上にはプライベートブランドのミネラルウォーターがふたり分置かれている。ベンチャー企業の面接のようだと真取は思った。


「電話でも言ったけど、僕がお前の違法行為に加わるのは一度きりだ。標的もこちらで選ばせてもらう」


 犯罪に関わる後ろめたさを誤魔化すように真取は硬い声音で告げたが、何が面白いのか大澤はかわらず鷹揚な笑みを浮かべていた。

 詐欺に加担するにあたり、大澤におおよその事情は説明していた。

 父親が陰謀論を扱う詐欺師によって借金を背負い、返済のためにやむなく大澤の詐欺を手伝うことにしたのだと。


「いいよ別に。真取くんがやる気で嬉しいね、俺は」

「金が要るだけだ。借金を返したらすぐに手を引く」

「一回やったら面白くなるよ。チームプレイで頑張ろうぜ」

「お前詐欺を部活だとでも思ってるのか?」

「ええ? ゲームみたいだとは思ってるよ」


 大澤はドライフルーツやナッツ、チーズなどの乾物が盛られた皿を持ってきて、真取の前に置いた。お前の家は小洒落たバルかと言いたくなるのをぐっとこらえて、真取は携帯に映る動画サイトのページを見せた。

 画面には『ストライクファクト』というチャンネル名と、紙袋を被った男のアイコンが表示されている。

 あれから、真取も『ストライクファクト』について簡単にだが調べた。


「父さんがこの動画投稿者に騙されて、陰謀論に傾いた。今じゃ貢ぐことに必死で生活が立ち行かなくなってる。こいつから金を取り返したい」

「なるほどね。騙された額はいくらくらい?」


 真取が大澤に具体的な額――家がもう一度立てられるほどの数字を告げると、大澤は軽く二、三度頷いた。


「小物だな。この程度のやつなら一週間でやれる」

「一週間?」


 真取の家族を破滅させようとしているこの男が「小物」だと大澤は言った。

 つまり、大澤には一週間で金を取り返す宛があるということだ。


「合法的な方法でか?」

「それは無理。流石にね」


 大澤はにべもなく首を振った。

「詐欺ってのはゲームみたいなもんでさ。その時勢ごとに強い手があるわけ。今は海外に口座作りまくってロンダリングが常識だし、多少知識のある奴は全員やってる。ぐちゃぐちゃにされた金の流れを追うのはほとんど無理だし、そもそも真取くんパパって自分から情報商材に振り込んじゃったわけだよね? 大体そういうときの合法的な取り返し方って三つしかなくてさ」


 大澤の指が三本立つ。喋り方は淀みなく、筋書きがあるように流暢だった。


「クーリングオフか、振り込め詐欺救済法か、詐欺師に対する直接返金請求ね。まずクーリングオフってのは、商品代を返金して貰える期間のこと。『頭を冷やして考える』って意味なんだけど、中学の家庭科で習わなかった?」

「そういえば、そんな制度もあった気がする」


 中学時代、真取は大澤の隣の席だった時期が長く、しょっちゅう授業中に悪戯を仕掛けられていた。そのため授業を真面目に聞けている時の方が少なかったのだが、言われてみるとそういった制度を習ったような気もする。


「だけど、詐欺師が馬鹿正直にそんな制度を設けてくれるか?」

「真取くん勘がいいね。そう、普通は相手の無知に浸け込んで『できない』って突っぱねる場合が多い。オンラインサロンの場合は、契約書を交わしてから二十日までなら会費を取り戻せることの方が多いのにね」

「二十日じゃ無理だ」


 母の話では、父が『ストライクファクト』の詐欺に引っかかったのはもう何ヶ月も前の話らしい。よって、クーリング・オフ制度は使えない。


「だったら次に振り込め詐欺救済法だけど、ほぼ期待しない方がいい。振り込め詐欺に遭った人たちのために犯人の口座を凍結するって方法だから、自分から金を払っちゃった真取くんパパには当然適用されないし、あくまで口座を凍結するだけだから犯人がそれより先に口座から現金を引き出してた場合も無意味。そもそも犯人の持ってる口座が一つだけなんて保証どこにもないしね」

「ならどうすればいい? 僕は『ストライクファクト』の運営者が誰か知らないし、大澤の話だと合法的に取り返す手段は存在しないように聞こえる」

「真取くんってやっぱり詐欺やりたくないの?」

「当たり前だろ」

?」


 大澤は心底疑問に思っているようだった。基本的に、能力に倫理の蓋が設けられていない人間なのだ。大澤は詐欺をやりたくないのか、と聞いても「何も悪くない真取くんが警察にもバレずに金を取り戻せるなら万々歳じゃん」とでも言うに違いない。


「僕が詐欺に抵抗があるのは、善意を踏みにじった方法で金を稼げば、悪意によって報いを受けるだろうと考えているからだ。悪意を持って人と関われば、その人間の周囲には悪意を持つ人間が次第に増えていくだろう。最終的には、自分すら信用できない世界で生きていくことになる」

「なら真取くんの周りの人は、真取くんの善意ってやつを慮ってくれた?」


 大澤の言う通りだった。真取の生き方は報われてなどいない。上司には良いように嘲笑あざわらわれ、周囲のサポートに奔走するため仕事は立ち行かず、挙げ句の果てに親の借金を背負い込んでいる。真取の行動や善意は何の力も持たない。人の悪意は陥穽のように、なんの予兆もなく自分の人生を呑み込んでいく。

 必然性などない。真取の人生を苦しめるはどこにもいない。


「わかってる。やるしかないってことは」


 黒幕がどこにもいないなら、真取自身が歩いて行かなければならない。

 奪われた金を取り返し、掌中から零れ落ちそうな人生を掴み直す。

 大澤は満足げに手を打った。


「素晴らしいね真取くん。なら、俺も本気でやらなきゃな」

「何をする気だ?」

「決まってる。合法的に取り返せないなら奥の手を使うまでだ。俺が真取くんに手伝って貰いたかったのもこのことでさ」


 大澤はナッツ類の燻製を二、三個まとめて噛み砕く。

 そして、ゆっくりと指を立てた。


「最後の方法だ。詐欺師を特定して、直接叩く」

「待て。それはつまり」

「真取くんには『ストライクファクト』を騙し返して貰う」

「僕の営業成績は下から数えた方が早い。騙し返すと言ったって無理だぞ」


 そこまで口にして、真取はあることに思い至った。


「まさかお前、僕の『変な力』を宛にしてるのか?」

「それ以外ないじゃん。大丈夫だよ、俺と一緒に超能力使う練習しようぜ。『鬼滅の刃』の炭治郎も修行してデカい岩斬ったでしょ? 友情パワーで一緒に悪徳詐欺師をやっつけようぜ」

「悪徳詐欺師ってなんだ。頭痛が痛いみたいな単語を使うな。大体お前社会人になってからずっとそんな感じなのか。一応上場企業の社員だろう」

「流石真取くん、ツッコミ筋は健在だね。まあ覚悟しといてよ。明日から真取くんをビシバシ鍛えて、一週間で『ストライクファクト』を粉砕してやる」

「言っておくけど、お前が期待してるほど大した力じゃないぞ」


 真取の「超能力」――「ノンフィクション」は、あくまで「自分の嘘を相手に信じて貰える」だけだ。しかも、事実と矛盾があればあっという間に能力は解けてしまう。つまり、出来の悪い洗脳のようなものだ。

 だから真取は、「ノンフィクション」で大それたことをしようなどとは考えなかった。ずる休みの言い訳に能力を使う程度が身の丈に合っていた。

 そこまで真取が説明したのにも関わらず、大澤は満足げに頷いた。


「やっぱり真取くんは大した奴だ。そんなヤバい力を持ってるのに、今まで営業にも私生活にも使って来なかったところがいいね」

「使えない能力だ。それに、身の丈に合わないことはしない。嘘で営業の成果を出しても、際限なく上がる目標に苦しむだけだ。誠実じゃない」

「いや、いつも全力でやるんじゃなくてさ。ノルマ分の契約だけ確保しといて、『上司に報告しない顧客』をストックしとくんだよ。そうすりゃ目標を上げずに毎月ノルマを達成できるだろ」


 真取は苦い顔を浮かべた。効率よく人を出し抜くことにおいて、大澤という男は並外れて頭の回転が早い。中学時代からずっと変わっていない。


「よし。今後真取くんが搾取されないように、俺が力の使い方を公私ともにサポートしてあげるよ。何か名前ないの? 真取くんの変な力って」

「僕は『ノンフィクション』って呼んでる」


 少し気恥ずかしかったが、結局真取は言った。形はどうあれ、大澤は親身になってくれている。その誠実さに報いない選択肢は真取の中ではなかったからだ。

 すると、大澤が目を輝かせながら身を乗り出してきた。


「めちゃくちゃ格好いいじゃん。やっぱ真取くんと組むと楽しいことばっかりだよ。俺ら、今日からまた一心同体だな」


 大澤が立ち上がり、薄ら笑いを浮かべて肩を組んでくる。

 真取と大澤が一心同体であったことなど、考える限りでは一度もない。

 本来ならば住む世界が違う人間だ。何故一緒にいるのか真取自身にもわからない。

 だから、こいつの冗談はいつも面白くないと真取は思った。

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