8・ゆり、転職する

第8話

私立中学校、私立小学校、そしてゆうきとあかねの通う小学校は、そろって早帰りの日だった。まい、まなみとゆうき、あかね、そしてアリスが集まって下校し、道中お腹もすくから、喫茶店に寄ることになった。立ち寄る喫茶店は、ゆりの経営する喫茶店だ。

「ゆりさんの喫茶店は、私たちみたいな常連に対して割引してくれるのよ」

 と、まい。

「へえー。まっちゃんも絶賛するなら、楽しみね」

 アリスが期待した。

「アリスちゃん……」

 後ろからゆうきがアリスを見て胸をときめかせている。

「なにデレデレしてんのよ!」

 あかねがゆうきの肩を叩いた。

「いってえ……」

「ゆりさんの喫茶店に行くんですか? 僕も混ぜてください!」

「げっ! い、石田?」

 石田君がゆうきの後ろからハグしてきた。

 喫茶店にやってきた。

「えー?」

 みんな呆然とした。なぜなら、喫茶店は閉業していたからだ。

「ど、どういうこと?」

 当惑しているまなみ。

「さ、さあ?」

 当惑しているあかね。

「休みなんじゃない?」

 と、ゆうき。

「いや、それはないわよ。だって、ドアにある貼り紙を見ると、閉業する旨が書いてあるもの」

 貼り紙を覗き込みながら答えるアリス。

「それに、お休みなら休業と書くはずでしょ?」

「そ、そうか」

 アリスは初めてゆうきに話しかけた。

「まいちゃんどうしよ? ゆりさんの喫茶店がダメじゃ、どこで食べるの?」

 まなみが問う。まいは答えた。

「うーん。みんな今日はもう帰って、家で食べよ?」

「えー?」

 まい以外の全員は顔をしかめた。

「あたし今日は外食すると思って、家政婦にお小遣いもらってきたのよ?」

 と、あかね。

「姉ちゃん! みんなの期待を踏みにじるようなこと言うなよな?」

 と、ゆうき。

「ゆうきさんが残念がるなら、僕も残念です……」

 ショックを受ける石田君。

「外食するのかい? どっちなんだい!」

 と、まなみとアリス。

「むむむ~! 閉業してるんだからしょうがないでしょっ?」

 ムッとして、まいは言い返した。

「あらみなさん、おそろいで」

 誰かが声をかけてきた。

「ゆりさん!」

 と、まいたち。

「って、ゆりさんって?」

 首を傾げるアリス。

「ふっ。紹介しよう、アリスちゃ……」

 キザに紹介しようとするゆうきの前に割り込んで、

「小坂ゆりさん、十九歳でこの喫茶店のオーナーをしている人よ?」

 まいが紹介した。

「姉ちゃん……」

 ゆうきはまいをにらんだ。

「ゆりさん! なんで喫茶店を閉業したの?」

 まなみが声を上げる。

「もしかして、休業と閉業の意味間違えてるだけ?」

 あかねがつぶやくと、みんなも「なるほど」とうなずいた。

「じゃあ、明日になれば営業再開してますね」

 石田君がうなずく。

「いや、ほんとに閉業したよ? お店をたたむほうの閉業。私も休業と閉業を間違えるほどバカじゃないよ」

 ゆりが答えた。

「やっぱりお店をたたんだのね」

 まいがうなずいた。

「えー!?」

 まいたちはがく然とした。

「どうしたどうした?」

 突然大声を上げたので当惑するゆり。

「ならもう一度問う!」

 ゆうきがゆりを指さし、

「なんで閉業したの!」

 まなみが聞いた。

「実は、転職しようと思ってさ」

「転職?」

 アリスが首を傾げた。

「ふっ、説明しよう。アリスちゃ……」

 キザに説明しようとするゆうきの前に割り込んで、

「転職とは! 今まで就いていたお仕事をやめて、新しい職場に就くことよ?」

 まいが説明した。

「姉ちゃん……」

 ゆうきはまいをにらんだ。

「さすがに転職の意味はわかるわ」

 アリスがツッコミを入れた。

「なんで転職をするの?」

 あかねが聞いた。

「君たち、立ち話もなんだから、閉業したけど特別に中に入れてあげる。お腹もすいてるだろうしさ」

「ほんと!?」

 ゆりの誘いにまいたちは、目を輝かせた。


 喫茶店の中。

「……」

 まいたちは、ポカンとしていた。

「どうしたの? 遠慮なくどうぞ」

 ゆりは昼食を提供したようだが。

「う、うん。でも、喫茶店の中で注文弁当って意外だなあって」

 目を丸くしているまい。まいたちのテーブルには、ゆりの執事やメイドが取り寄せた数日分の注文弁当が置かれていた。

「喫茶店たたむ時、ガスと電気、あと断水もしてるから、注文弁当を十日分取り寄せてくれてさ」

「なんで? ていうか私たち食べちゃっていいの?」

「いいよまいちゃん。荷物が片付くまでの間だけだし。もう片付いたからね。三日分だけでよかったみたい」

「荷物を片付けるだけでなんで十日分の弁当がいるんだろ?」

 注文弁当にがっつきながら、ゆうきが疑問に感じた。

「ゆうきさん。お引越しの準備って、意外と時間がかかるんですよ? まあ、十日はかからないと思いますけど」

「ええ!? ゆりさん、引っ越すの?」

 ゆうきが驚がくした。

「まあね。でも、この町に住むことにしたから、離れることはないよ」

「じゃあ、ゆりさんの作ったご飯はこれからも食べられるね!」

 まなみが喜んだ。

「どういう喜び方よ?」

 まいが呆れた。

「どこに引っ越すの?」

 アリスが聞いた。

「うーんとね。確か五丁目のあたりかな?」

「五丁目のあたりなら、私たちの中学校が近いじゃない!」

 まいが声を上げた。

「しかも、その辺確か家が建つのよね。工事してたし、もうすぐ完成しそうだけど」

「そっ。そこが私の新居なの」

「へえーそっかあ」

 感心するまいたち。

「そっかあ!?」

 驚がくするまいたち。

「どうしたどうした?」

 当惑するゆり。

「い、いや引っ越し先が新築~?」

 当惑する石田君。

「あなた、一体何者なのよ!」

 当惑するアリス。

「へ? 私は小坂ゆりだけど……」

「そういうことじゃなくて!」

 アリスはハッとした。

「思い出した! 小坂って、確か小坂貿易会社っていう軽井沢に本社を置く大手企業があったわよね?」

「そこのお嬢様なんだよ、この人」

「へっ!」

 アリスは、全身石化した。

「はは~っ!」

 そして、その場で土下座した。

「アリス、落ち着いて?」

 まなみがなだめる。

「あんたらなにお嬢様にため口聞かせてんのよ!? 小坂貿易様はね、日本を誇る大手企業様って、パパが言ってたのよ?」

「いいよいいよアリスちゃん」

 ゆりが苦笑いした。

「まなみちゃんから少しだけ聞いてるけど、いとこなんだよね。しかも、同じお金持ち同士なんだから、普通に仲良くしようよ」

「ほ、ほんと?」

 土下座で伏せていた顔を上げるアリス。

「うん!」 

 ゆりはほほ笑み、うなずいた。

「ところで、転職先はどうするか決めてるの?」

 ペットボトルの水を飲み、まいが聞いた。

「まだ決めてない」

「おっと」

 テーブルからひっくり返りそうになった。

「いやいや! 新築建ててまで、なにも決めてないの?」

 あかねが呆れた。

「いやあ、まあそうなのよねえ」

「照れるな」

 ゆうきがツッコミを入れた。

「喫茶店のウエイトレスが一番やりたいことだったし、他にやりたいことがあるかどうかと言われると微妙なんだよねえ」

「じゃあなんで転職しようと思ったのよ?」

 呆れながらまいが聞いた。

「ウエイトレスだけじゃ物足りない気がしたから、かな?」

 ゆりはさわやかな風に吹かれている気分で答えた。まいたちは唖然とした。

「はあ……」

 突然落ち込むゆり。

「ど、どうしました?」

 石田君が問う。

「実は、新築を建てたのはいいんだけど、一週間で次の職場を決めないと、新築は不動産に売り込むって話なの」

「でも、決まらないんだね?」

 と、あかね。

「もう二週間考えてるけど、決まらないよ~」

 ため息をつくゆり。まいたちもため息をついて呆れた。

「姉ちゃん、考えてやれよ」

「は? ゆうき、なに言って……」

「そうだよ。こういう時のまいちゃんだよね」

「ま、まなみ?」

「まいちゃん、どうにかしてくれるの?」

「あかねちゃん?」

「まいさんなら、なにかいいアイデアが浮かぶはずですよね」

「石田君まで!」

「まい、任せたわよ」

「アリス……」

「まいちゃん……」

 ゆりは、まいにうるうるした瞳を見せつけた。

「はあ……」

 息を吐き、まいは答えた。

「みんなで考えましょう」


 翌日。公園にて。

「で、ゆりさん。新築の住み心地はどう?」

 ゆうきが聞く。

「すごくいいよ。でも、二階建てかあ」

「なんか不満なの?」

 まいが聞く。

「うん。実家はお屋敷みたいな家だからね。二階建ての家は少し狭い気がするんだ」

「姉ちゃん、この人殴っていいかな?」

「ゆうき、人を殴るものじゃないわ!」

「だって! 俺たち一階建ての戸建てだぜ? この人、二階建てのマイホームで狭いとか言ってやがるっ」

 怒りに満ちているゆうきを「どうどう」とまいはなだめた。

「まあそれはそれとして。俺たちがゆりさんのために転生先を提案するから、感謝しろよ?」

「え? て、転生?」

 目を丸くするゆり。

「それを言うなら転職!」

 まいが代わりに言い直した。ゆうきは目を丸くして、首を傾げていた。

「今回は、俺ちょっとまじめに考えたぜ? なんてったって、ゆりさんの今後がかかってるんだからな」

「わお! ゆうき君、意外とためになるようなこと言う時あるんだね」

 ゆりが感激した。

「へへへっ。俺だって男だからな」

「なんて気取ってるけど、あんたそれほめられてるようでほめられてないからね?」

 まいが呆れた。

「ゆりさんにぴったりの転生……」

「転職!」

 まいが無理やり補正をかけた。

「転職先は……。ヒーローショーのヒロイン!」

 ゆうきからアドバイスをもらった翌日、ゆりはヒーローショーでヒロイン役として抜擢した。街のショッピングセンターの多目的広場にて行われる、ヒーローショーが初舞台となる。

「いいか小坂。新人だからよく聞けよ? お前は悪役に囚われの身となり、悲鳴を上げる。そこへヒーローが現れる。最後に悪役がやられ、ヒーローにホレてジエンドだ。いいな?」

 監督はざっくりとした説明をした。

「なんかざっくりしてるけど、了解しました!」

 ゆりは、敬礼した。

「よーし! じゃあがんばってこいよ?」

 ヒーローショーが始まった。

「始まったね」

「始まったわね」

 ゆうきとまいは、ゆりの表舞台を見に来ていた。

「俺様は、ドックソルジャーだ!」

 悪役がゆりを捕らえ、現れた。

「いや~ん!」

 色っぽい声を出すゆり。

「地球を征服するために、まずこの女をいけにえにする!」

「あは~ん!」

 色っぽい声を出すゆり。

「待て、ドックソルジャー!」

 ヒーローが登場した。

「うふ~ん!」

 色っぽい声を出すゆり。

「お前は、ヒーローマン!」

「ドックソルジャー! 今日という今日は許さないぞ!」

 ヒーローマンは、パンチをくり出し、ゆりを助けた。

「覚えてろ!」

 ドックソルジャーは立ち去った。

「大丈夫か?」

 ゆりに声をかけるヒーローマン。ここで、ゆりがヒーローマンにホレるはずが。

「はあ? こんな人外にホレるわけないじゃん」

 あたりに沈黙が走った。


 翌日。

「クビになりました」

「当たり前よゆりさん! 台本にないことすれば、誰だってクビにしたくなるわよ」

 呆れるまい。

「私はどこで働けばいいんだ?」

 ゆりは頭を抱えた。

「一日で仕事やめるってことあるの、姉ちゃん?」

「う、うんまあそういう事例も今時の大人にはあるんじゃない?」

 ゆうきの問いに、まいは困惑した。

「もしかして、ゆりさんの転職先お探し中?」

「へ?」

 三人は声がしたほうに顔を向けた。

「なら、あたしがいいとこ紹介してあげるわ!」

 あかねだ。彼女はウインクを一つすると、その場所へ案内した。


 やってきたのは、あかねがバイオリンにハマった時から通っている楽器専門店。

「おじさーん!」

 レジの前で顔馴染みの店主がバイオリンを磨いていた。

「あ、おじさん! 久しぶりだね」

「久しぶりです」

 ゆうきもまいも顔馴染みだった。店主はコクリとうなずいた。

「実はさ、この人が転職したいみたいで、お仕事を探してるんだけど」

 あかねは、ゆりの横腹をひじで突いた。

「あ、えっと。私小坂ゆりと言います! えっと、楽器は普段やらないんですけど、すごくいい感じのお店ですね。あの、よかったら働かせてもらえませんか?」

 店主は、なにも答えず、バイオリンを磨いていた。

「あ、あのー?」

 オロオロするゆり。

「ダメなんじゃないの?」

「待ってゆうき。おじさんは無口だから、言葉じゃなくて態度で示すでしょ?」

 あかねの言う通りなのか、店主はバイオリンを磨きおえると、パッヘルベルのカノンを弾き始めた。

「へ?」

「え?」

「おお!」

 ゆり、まい、ゆうきはキョトンとした。あかねは感心した。

「これは、コンサートが不安で不安でしかたなくて、バイオリニストの夢をあきらめようかと考えていたあたしに対しておじさんが弾き始めたパッヘルベルのカノン」

「そ、それがなに?」

 と、ゆうき。

「つまり、おじさんは自分の好きなことはあきらめずに努力すべしと伝えてるのよ! 優雅な音色でね」

「えー?」

 いまいちパッと来ないまいとゆうき。

「……」

 ゆりは、優雅な音色と店主がバイオリンを弾く姿を見て、ふと感じた。

「なんか、転職とかバカらしくなってきちゃった」

「え?」

 目を丸くするまい。

「店主さんのバイオリン見てるとね、なんか今までのほころびが消えてくような気がしてきて」

 ゆりは、お店を出た。

「ゆ、ゆりさん?」

 ゆりはまいに顔を向け、答えた。

「新築はセカンドハウスにして、喫茶店をつづけていくことにするよ!」

「はあ?」

 突然気が変わる様を見て、呆れ返ってしまうまいとゆうき。あかねは店主のカノンに聞きホレ、店主はそっとほほ笑みを浮かべているのだった。

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