2・お隣さんを笑わせよう

第2話

金山宅。まいが、居間で熱いお茶を飲みながら、読書に耽っていた。

「姉ちゃんが読書をしている。俺だって読書をするぞ!」

 ゆうきは謎に対抗心を向き出し、隣に座って読書をし出した。

「なにを読んでるの?」

 呆れながらゆうきの読んでいる本を覗いた。

「げっ!」

 目を丸くした。ゆうきが読んでいたのは、エッチな本だった。

「なに小学生が読んでんのよ!」

 ゆうきをげんこつして、座卓に叩き付けた。

「いってえ……。ひどいな姉ちゃん! 読書をしている人を叩くのかい?」

「それは読書って言わないの! ていうかこんなのどっから持ってきたの?」

 ゆうきをにらみ、聞く。

「父さんの枕の下に」

「お父さん……」

 唖然とした。

「読書っていうのは、活字しかない本を読むことを言うのよ。こんなのは違うわ」

 と言って、エッチな本を投げ捨てた。

「本ならなんでもじゃないの?」

「当たり前でしょ?」

「じゃあ、エッチな小説はいいってことか」

 納得するゆうき。

「あんたそういうのから離れてくれる?」

 イライラした。

 ピンポーン。家のチャイムが鳴り響いた。

「姉ちゃん出なよ」

「あんたが出て」

「なんで?」

「私は本読んでるから。あんたは暇でしょ」

 と言って、読書に耽るまい。

「もしドアを……ってうちは古風な戸建てだから引き戸だわ。もし引き戸を開けた瞬間、ピストルを持った借金取りだったらどうするつもりなんだ!」

「そんなの現実にありえないわよ」

 読書に耽るまい。

「あ、やべ。俺トイレ行きたい」

「ついでに行ってきてね」

「よそ様の前で漏らしたらどうしよ~!」

「早く行きなさいよ! 郵便とかだったらどうするのよ!」

 まいはカッとなり、言い放った。

「もうわかったよ。行きますよ」

 ゆうきはしぶしぶ承った。

「ったく。たかだか郵便くらいで駄々こねないの」

 呆れ、まいは読書に耽った。

「やあ、まいちゃん。久しぶり!」

 若い男がまいに対面し、ウインクした。

「きゃああああ!!」

 まいの悲鳴が外まで響いた。

「はっはっは! 悲鳴を上げるほど僕はすてきかい? 僕のかわいいかわいい天使ちゃん」

「きゃああああ!!」

 まいは悲鳴を上げ続けた。

「いくらなんでも悲鳴が長すぎないか!?」

 若い男が当惑した。

「どうしたんだよ? 姉ちゃん、ピンポンダッシュだよ多分。今時やるやつがいるんだねえ」

 と言って、

「ってええ!? あんた誰!」

 若い男を指さした。

「おお、ゆうき君か」

 と、若い男。

「そうか。君たちはまだ僕と出会ったのは五年前だったもんなあ。あまり記憶にないだろう」

「誰ですかあなた! 不法侵入で訴えますよ?」

 まいは、スマホを用意していた。

「俺撮影するわこのクソ野郎」

「おいおい落ち着きたまえまいちゃんにゆうき君。僕は君たちのいとこ、つまり叔父に値する者だよ?」

「いとこー?」

 顔をしかめるまいとゆうき。

「姉ちゃん、通報だ」

「了解!」

 まいは、緊急通報をしようとした。

「待て待て待て!」

 あわてて通報を止めようとするいとこと言う若い男。

「僕の名前は那古野なごのひろし。君たちのお母さんの弟だ!」

「母さんの弟だ? ふん、確かに俺たちの母さんの旧姓は那古野だが、あんたみたいなクソ野郎は知らないね。不審者はいつだってそうやって子どもをだますんだ!」

「ゆうき君、六年生になってずいぶんと口の利き方が悪くなったんだね……」

「待ってゆうき。お母さんに弟がいることは知っているわ。しかも、私保育園の頃にこの人に似たような人に会った覚えがあるもの」

「ほんと?」

「ほんとよ。あまり記憶にないけど、この人はお母さんの弟さん。私たちの叔父で間違いないわ」

「まいちゃ~ん! やっぱり君は天使だね。昔から変わらない!」

 まいに寄り付こうとするひろし。

「これ以上寄るとマジで通報するから……」

 まいは、スマホを掲げ、にらんだ。ひろしは怯んだ。

 まいは、ひろしにお茶とお茶菓子を用意してあげた。

「ありがとうまいちゃん」

「ところで、なんで叔父さんがうちに?」

 ゆうきが聞く。

「ちっち。ゆうき君、僕はまだ二十歳はたちなんだ。叔父さんではなく、プリンスと呼んでくれたまえ」

 湯飲みを片手にかっこつけた。

「叔父さん、なんでここに? ねえ、叔父さん!」

 ゆうきはしつこく叔父さんと言い続け、質問した。

「もう叔父さんでいいよ……」

 額に手を押さえるひろし。

「ふふっ。家族に会いに来るのに、理由なんているのかい?」

「お金がなくてお母さんに泣きついてきたってのが魂胆でしょ?」

「まいちゃん! 僕がお金のないスーパー貧乏人に見えるのかい?」

「ええ。前にお母さんがあなたの叔父さんは家賃三万の木造アパートで暮らしてるって聞いたことあるわ」

 まいはにらみ、言った。

「家賃三万? 木造アパート?」

 首を傾げるゆうき。

「は、ははっ。まったく姉さんは……」

 苦笑し、湯飲みのお茶を一気に口へ。

「あっち!」

 と、思わず湯飲みを足元に落としてしまい。

「あちゃ~!」

 右足を掴み、ぴょんぴょん跳ねた。

「うわわ!」

 バランスを崩し、そのまま庭にひっくり返った。

「あら。ひろし、久しぶりね」

 買い物からさくらが帰ってきた。


 さくら、まい、ゆうき、そしてひろしの四人は座卓を囲み、話を始めた。

「で、どうしたの突然? めったに身内に顔を見せないこの遊び人がやってくるなんて」

「遊び人?」

 さくらの顔を見るゆうき。

「もしかして働いてないの?」

 まいがひろしをにらんだ。

「は、働いてるよまいちゃん! ふっ、僕はね、イメージ通りの職場に……」

 と、さくらが、

「時給千円の工場の派遣でしょ?」

「うっ」

 ひろしは屋を射抜かれような顔をした。

「なんだそりゃ?」

 腕を組むゆうき。

「叔父さんはね、工場の派遣で細々と生活してるのよ?」

「なのに、どうして自分のことプリンスとか言ってんのよこの人……」

 呆れた様子のまいとさくら。

「は、ははは! そうでもしないとやっていけない世の中が悪いのさ」

 と、一言つぶやくひろし。

「ひろし!」

 声を上げるさくら。

「はい!」

 姿勢よく正座をした。

「笑わないし怒らないから、どうしたのか正直に答えて」

「あ、えっと……」

 モジモジとしていたが、やがて答えた。

「今のアパートを引っ越したいんだ」

「引っ越したい?」

「そう」

「なんでまた。そこまで悪いとこじゃなかったはずよ?」

「まあ、僕のようにきれいな家ではあるのだけどね」

 前髪をサッと払い、かっこつけた。

「じゃあお昼ご飯作ってあげるから、食べたら帰りなさい」

 さくらが言うと、

「だが! 木造故に、隣や上下の生活音が駄々洩れなのだ!」

「駄々……」

 と、まい。

「漏れ!」

 漏れそうにするゆうき。

「そっちの意味じゃないわよ」

 呆れるまい。

「僕はご奉仕から帰ってきた夜、疲れた体を癒すため、毎日えっと……」

 言葉を詰まらせる。

「ご奉仕?」

 ゆうきが首を傾げる。

「仕事のことよ」

 額に手を押さえているさくら。

「ほろ酔い……じゃなくて。そう、大人な時間を味わい、ホッと一息をするのが日課なんだ」

「二十歳になったからって、お酒漬けになるのはよしなさいよ? うちも旦那は飲まないから」

「その代わり、父さんはチョコばっか買ってくるよな。今日はなに買ってきてくれるかな?」

 ゆうきは楽しみに期待した。

「大人な時間を包む静寂な場に……。やれ掃除機やれ洗濯機やれ水道やれ話し声やれテレビの音やれえ!」

 怒り、座卓をひっくり返すひろし。

「うわあ!」

 座卓の下敷きになるまい、さくら、ゆうき。

「はあはあ……。だから姉さん。少しばかり手を差し伸べてくれないだろうか? 今月末までに不動産に鉄筋コンクリートのマンションを契約して、初期費用を払わないといけなくて……」

 さくらは鬼の角を生やし、

「そんなお金のかかることに関与しませーん!!」

 ひろしに雷を落とした。

「びええええ!!」

 ひろしは落ちてきた稲妻にやられた。

「もうとっとと帰りなさい! このフリーターが!」

 ひろしを追い出した。

「とほほ……。急なことだからパパもママもなんにもしてくれなかったし、姉さんもダメだ。初期費用三十万なんてとてもじゃないけど払えない……」

 途方に暮れた。

「叔ー父さん!」

「ゆうき君! いい加減にしたまえ! 僕は叔父さんじゃなくてプリンスだ!」

 怒った。

「あれえ、いいのかな? せっかく俺たち天使の姉弟きょうだいが叔父さんのためになんとかしてあげようというのに」

「え、え?」

 当惑するひろし。

「こう見えて、俺たちは幾度も悪いやつらと戦ってきたんだ。その迷惑な音を出すやつらを、がつんと言わせてやろうぜ!」

「ゆ、ゆうき君……」

「別に生活音を出す人が悪いなんてことないでしょ!」

 まいがツッコミを入れた。

「うーん。俺一人じゃどうにもなんなそうだから姉ちゃんを呼んだが、万一のためにもう一人呼んだほうがよさそうだな」

「誰よそれ?」

 ゆうきをにらみ、聞く。

「それはこれからわかることさ。さあ行くぞ!」

 ひろしはゆうきについていった。

「はあ……。ていうか、幾度も悪いやつらと戦ってきたってなんの話よ?」

 呆れながら、まいもついていった。


 ひろしの住むアパートの前に来た。赤い屋根と白い壁をしたきれいなアパートだった。ゴミ捨て場も散らかっているわけでもなく、比較的良物件と言える場所だろう。

「僕の城へ案内するよ、天使たち」

「まなみは天使よりも悪魔のがいいな」

「じ、じゃあ君は悪魔ちゃん」

「はい」

 ゆうきがもう一人連れてきたのはまなみだった。

 ひろしの住むアパートは単身用だった。ドアを開けるとすぐにキッチンと洗面所があり、奥には六畳ほどの居室が見えた。

「おじゃまします」

「狭いけど、まあゆっくりしてってよ」

「へえー」

 居室に入り、辺りを見渡すゆうき。

「まなみのお母さんも、大学時代はこんなとこに住んでたんだって」

「パッと見、別になにか悪い感じはしないけど?」

 と、まい。

「ちっち。これが夜になると、洗濯機や話し声が聞こえてくるのさ」

「話し声って、どの程度聞こえてくるの?」

 ゆうきが聞く。

「まあ、なにを言ってるのかまではわからないけど、声は聞こえるなって感じさ」

「そんなの、実家にいてもあったことない?」

 と、まい。

「君たちは、見ず知らずの人とすぐ仲良くなれるのかい?」

「それは……」

「そういうことさ。思っている以上に、人は人を警戒している。だから見ず知らずの他人が放つ声や音は、家族が放つものよりもストレスに感じやすいのさ」

「なんかえらそうに言ってますよこの人」

 ゆうきがニヤニヤした。

「まあ、叔父さんの言い分もわからなくもないわね」

 と、まい。

「姉ちゃん! 一人暮らししたこともないのにわかるの?」

「一人暮らしはまだ早いけど、家族と他人に対する感じ方って違うなっていうのは、わかる気がするの」

「はい!」

 まなみが挙手をした。

「どうしたのまなみ?」

「まなみね、お母さんから学生時代の話を聞いたの思い出しました」

「じゃあ、言ってみて」

 まなみは話した。

「お母さんは、一人で寂しい時、お隣さんの話し声と会話していたのです!」

「へえ!?」

 唖然とするゆうき、まい、ひろし。

「学生時代、親元を離れてホームシックになっていた時に、ふとお隣さんの笑い声が聞こえてきたんだって。その時に、なぜか自分も笑えてきて、それからお隣さんの話し声が聞こえてきたりすると、話しかけたりしてたらしいよ」

「それ、やばいやつじゃ……」

 引き気味のまい。

「女の子が全員天使に見える僕でも、それはさすがについていけないな……」

「ていうか、笑い声が聞こえてくるんだな……」

 ゆうきは考えた。

「あ、いいこと思いついたぞ?」

 ニヤリとするゆうき。

「ゆうき君、変なことを言うのはやめておくれよ?」

 心配するひろし。

「これは叔父さんがここで長く暮らしていくのが楽しくなるかもしれない、名案だよ」

「名案?」

 首を傾げるまい。

「そう! ずばり、お隣さんを笑わせよう作戦だ!」

 言い放ち、ゆうきは説明した。

「叔父さんがギャグを大声でかます。お隣さんが笑ってくれる。これでここで長く住めるだろ?」

「い、いや……」

 困惑するひろし。

「弟君さすが! これでお隣さんも楽しくなるし、叔父さんも楽しくなるしで一石二鳥だね」

「おうよ!」

 二人はお互いに笑い合った。

「いやないない」

 呆れるまい。

「君たち! 僕は真剣に考えているのだよ? ふざけているのなら帰りたまえ!」

 ひろしが怒った。

「な、なんだよ。俺たち、これでも結構本気なんだぜ?」

「そうだよ。なのにひどいよ!」

 顔を覆い、涙をするゆうきとまなみ。

「うっ」

「母さんに言いつけるからな? 必死で叔父さんの悩みを解決しようと考えたのにふざけるなって怒られたこと。このクソ野郎!」

「ううっ!」

 ひろしは言った。

「わ、わかったよ。子どもを泣かせるなんて、二十歳であろうと言語道断。一発かましてやるか!」

 本気を出した。

「叔父さん!」

 目を輝かせるまなみとゆうき。

「へっ……」

 そしてすぐに、ニヤリとした。

「やれやれ。どうなっても知らないわよ?」

 まいは、居室を離れ、アパートを出た。

「叔父さん! 一発目はケツでか星人ブリンブリンだ!」

 ゆうきが指示。

「ケ、ケツでか星人ブリンブリン!」

 ギャグを披露。

「あっはっはっ!」

 大笑いするまなみとゆうき。

「じゃあ次はまなみから。福谷マシャの真似!」

「ああ、福谷で~す」

 福谷の野太い声を真似した。

「あははは!!」

 大笑いするまなみとゆうき。ゆうき、まなみの順で、ギャグを指示していった。

「フラミンゴの鳴き声!」

「フラミンゴ~!」

 甲高い声で放った。

「義理チョコをかっこよく渡して?」

「そこのクラスメイトA子さん。チョコ、あげる……」

 クールに放った。

「じゃあ気持ち悪く義理チョコ渡して?」

「ぐへへへ! A子ちゅわ~ん。おいどんのチョコあげちゃうよ~ん」

 気持ち悪く放った。

「あははは!」

 大笑いするまなみとゆうき。

 一方で。

「くそっ。上の奴め、うるさいったらありゃしねえ」

 ひろしのすぐ下の階に住む中年がドスドスとひろしの住む部屋に向かっていた。

「おい! うるせえぞ!」

 インターホンを鳴らしてすぐ、怒声を上げた。

「くそっ。居留守を使っても無駄だぞ?」

 ドアノブを回した。

「開いた?」

 中に来た。

「下の者だが、うるさいぞ!」

 居室に来ると。

「あ、それそれ。あ、それそ……」

 パンツいっちょでドジョウすくいをするひろしと、手拍子するゆうきとまなみがいた。

 下の階の中年が来ると、一気に静まり返った。


 それから。ひろしは引っ越しをしていない。初期費用は自分でも出せなかったし、誰も出してくれなかったから。

 公園でゆうきとジュースを交わしているひろし。

「あれから、まわりで物音一つしなくなった気がするんだよな」

「よかったじゃん叔父さん!」

 ゆうきは左手でグッドサインをした。

「はあ……」

 ひろしは涙を流し、途方に暮れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る