12.さようなら、あかね

第12話

土曜日の朝。

 あかねの住むマンションの一室に、インターホンが鳴り響きました。

「パパとママだ!」

 玄関へかけ出しました。

「おかえり!」

 ドアを開けて、笑顔で迎えるあかね。

「ただいま、あかね!」

 パパとママが帰ってきました。

 あかねの両親は、世界中を渡り歩く演奏家で、パパが指揮者、ママはピアニストでした。世界中から引っ張りだこのため、家にいる時間はほとんどありません。しかし、毎週土日だけは、愛娘であるあかねに顔を合わせにやってくるのです。

 パパとママを居間に連れてきました。

「今週末は、ずっと家にいるの?」

「ごめんなさい。実はお昼を摂ったら、もう出ないといけないの」

 と、ママ。

「オランダにコンサートを開くんだ」

 と、パパ。

「そっか……。はい、コーヒー!」

 あかねは、コーヒーを二人に差し出しました。

「あかねはもうコーヒーを飲めるのかい?」

 パパが聞きました。

「あたしもう六年生よ? 飲めるに決まってんじゃないの!」

 と言って、自分は氷を入れて、アイスコーヒーにして飲みました。

「実はあかね。ママたちね、話があるの」

「なあに?」

 コーヒーを一口飲んでから返事をするあかね。

「その……。あなたもママたちと世界を回らない?」

「え!?」

「お前もバイオリニストとして、一躍スターになりたいだろ? パパたちといれば、その夢も叶うはずだ」

「で、でも……」

「無理にとは言わないわ。来週末までに決めてくれるとうれしいわ」

「家族三人で、暮らせるんだ。でも、あかねの気持ちも尊重したいし、ゆっくり考えてくれ。このことは、今雇ってる家政婦さんにも伝えといたからな」

 あかねは、呆然としました。

 その後三人はファミレスで食事をして、両親はすぐにオランダへと向かっていきました。


 その日の夜。あかねは、家政婦に作ってもらった夕飯のチンジャオロースを箸で突きながら、ボーッとしていました。

「どうしたのあかねちゃん? 恋でもした?」

 と、家政婦。

「はっ! こ、恋なんてしてないもん!」

 照れました。

「あははは! え、あの幼馴染みの男の子とはどうなのよ?」

「あ、あんなやつなんともないから!」

 家政婦は「ククク」と笑いました。

「あたしはただ、パパとママについてきたほうがいいのかどうか、考えていただけよ」

「聞いたよ、ご両親からその話」

 家政婦はお茶を一口飲んで言いました。

「あかねちゃんがさ、残ってくれたら、私も家政婦として働いていけるねえ」

「ま、まあそれはあるけど……」

「でもさ。あかねちゃん前にさ、あたしは世界をかけるバイオリニストになるんだあって、宣言してたじゃん?」

「あっ」

「ご両親についていったら、それも叶うんじゃないかな? すぐにとは言わなくても、そのチャンスが巡っては来るよねえ」

 あかねは、心の中で揺れ動くものを感じました。


 翌日。

「来週ですね、授業参観を行いまーす!」

 まどか先生が、報告すると一組のみんなは騒然としました。

「マジかあ……」

 背もたれに深くもたれるゆうき。

「そういえば、あんたの親と長らく会ってないわね」

 あかねが言いました。

「お、そういえばそうだな」

「なんか、三年生の頃の授業参観で、調子に乗りすぎて、お母さんがあとでげんこつしてるとこ見たのは覚えてる」

「俺の母さんはうちで一番強いからなあ。よし、小学生最後の授業参観だ。父さんに来てもらおう!」

「なんで?」

 呆れるあかね。

「俺の父さんは、居間に置く消臭剤をトイレ用と間違えて買ってくるくらいバカだからだ!」

 胸を張って答えました。あかねは唖然としました。

「そういうあかねは来るのか? 父さんと母さんは」

「来ないわよ。演奏会あるし」

「あかねの両親こそ、一度も見たことないよ俺?」

「そっ」

「らしど」

「おもんない」

「すいません」

 二人とも黒板に顔を向きました。

「小学校最後……か……」

 あかねはふとつぶやぎました。

 休み時間。

「あかねちゃん。ろうかでお話しない?」

 女子たちが話しかけてきました。

「ごめん。やめとく」

「どうしたの? らしくないじゃん」

「あーなんかね。えへへ……」

「ふーんそっ。気が向いたら来てね。ろうかにいるから」

 女子たちは、ろうかに向かいました。

「あかねー! 俺といっしょにバタフライやろうぜ!」

 ゆうきが、両手をバサバサはばたかせて、やってきました。

「なんでバタフライなんてやるのよ? やらないわよ……」

「ええ? でもバタフライはバタフライでも、こうやって蝶みたいにはばたくだけだぜ?」

「それのなにが楽しいのよ? やらないわよ」

 ほおづえをついて呆れるあかね。

「じゃあーあ……。デズニーランドのマッキーの声真似対決やろうぜ?」

「やらないって……」

「じゃあ俺からな?」

 コホンと咳払いして、声真似をしました。

「ハハッ! やあ僕マッキー! よろしくね!」

 カスカスのかん高い声で真似しました。

「はい次はあかねの番!」

「……」

「なんだよ! お前無視する気か? このままだと、お前負けるぞ? 次はロナルドダックの真似しちゃうぞ!」

「……」

「ああもういいよわかったよ! 俺の勝ちだよ。俺はもうロナルドダックの真似しちゃうぞ!」

「うるさいわね!!」

 あかねが怒鳴りました。

「なんなのよ子どもみたいにアホな真似ばっかして! 年頃の女の子に変なちょっかいかけないでようっとうしい!!」

 あかねは、教室を飛び出してしまいました。

 ゆうきは、その場で呆然としていました。

 誰かが、ゆうきの肩に触れました。

「どんまい……」

 ニヤリとして、あやめがなぐさめました。

「はい?」

 ゆうきが唖然としました。


 あかねは、中庭に来て、一人で泣いていました。

『その……。あなたもママたちと世界を回らない?』

『お前もバイオリニストとして、一躍スターになりたいだろ? パパたちといれば、その夢も叶うはずだ』

 昨日に言っていた両親の言葉を思い出しました。

『なんだよ! お前無視する気か? このままだと、お前負けるぞ? 次はロナルドダックの真似しちゃうぞ!』

 先ほどのゆうきのことを思い出しました。

「ゆうき……。パパ、ママ……」

 泣きながらつぶやいていると。

「あかねちゃん!」

 女子たちがやってきました。

「どうしたの? 授業始まっちゃうよ?」

「ごめん……」

 涙を拭くと、女子たちと教室へ向かいました。


 下校時間。

「あ、あの……」

 校門で呼びかけられて、あかねは立ち止まりました。ゆうきがいました。少し振り向いて彼を見ると、サッと行ってしまいました。

「あ……」

「あーあ。幼馴染みとの縁もこれまでか?」

 と、あやめ。

「た、頼むよ〜。俺なんかした?」

「考え事してる女の子にいちいち変なこと吹っかけてくるからでしょ!」

 背中をバシッと叩かれました。

「な、なんで!? お、俺はただ、あかねを楽しませようとしただけだ」

「はあ……。これだから男は。あのね、年頃になると女の子はいろいろなことで悩むのよ。男なんて、性欲たまって、女の子のあーんなことやこーんなことにムラムラして困るだけだもんねえ」

 ゴスロリのスカートをチラつかせてゆうきを困惑させました。

「ねえゆうき。あかねがなんで怒ったかさ、自分で考えてみれば?」

「え、ええ?」

「あんたも少しは大人になりなさい」

 と言って、去っていきました。

「なんだよ、二人してさ……」

 顔をしかめました。


 あかねは、街は出ました。

「あら? あかねちゃんじゃない!」

「ま、まいちゃん!」

 まいと会いました。

「偶然ね。より道?」

「ま、まあね。まいちゃんは?」

「本買ったの。ほしかったサスペンス小説よ?」

 包みに入った本を見せました。

「サスペンスものなんて読むんだ……」

「もちろん。私基本、ジャンル問わず読むからさ」

「へえー」

「あかねちゃんはどこ行くの?」

「えーっとね……。最寄りの楽器店よ」

「着いてってもいいかな?」

「へ?」

 あかねの最寄りの楽器店に来ました。中に入ると客は他におらず、閑静でした。

「ここ、あたしが幼少期から来てるんだ。バイオリンの手入れもね、ここでしてもらってるの」

「へえー!」

 まいは、店内を見渡しました。

「うわあ……。めったに見ない楽器がいっぱい置いてあるわね」

 楽器をまじまじと見つめました。

「バイオリンの手入れのために来てるだけだから、他の楽器はよくわかんないけどね」

 カウンターにいる店主は、トランペットのから拭きをしていました。

「ね、ねえまいちゃん……」

「ん?」

「もし……。もしあたしがさ、突然いなくなったら、どうする?」

「えー? なによ突然。まるでSFマンガみたいなセリフ言って」

「まじめに答えて!」

 突然大声を上げるので驚きました。店主も、あかねに顔を向けました。

「あ、えっと……。ご、ごめんね。なんでもないの……」

 モジモジするあかね。

「わかったわ。まじめに答える」

 まいは言いました。

「あかねちゃんはいなくならないよ。そんなことにさせない。私やまなみ、ゆうきがいるからさ。消えちゃう前に、助けてあげるから!」

「まいちゃん……」

「ま、まあそういうことよ。で、なんでそんな質問したの?」

 照れながら聞きました。

「いや、その……」

 あかねも照れました。

「さ、さすがまいちゃん……。読書家なだけある……ね?」

「ありがとうございます……」

 店主もコクリとうなずきました。


 夜になりました。

「あかねちゃん。お夕飯できたよ」

 家政婦が声をかけました。あかねは、部屋で宿題をしていました。

 二人は、いつもリビングで向かい合って食事をしていました。今夜はハンバーグのようです。

「そういえば、来週授業参観あるんだって? 小学校最後だね。ぜひ行かせてよ」

 あかねは茶わんを突いていた箸を止めました。

「あかねちゃん?」

「うう……」

 泣きました。家政婦はあわてました。

「あわわ! ええ? どした!」

 当惑する家政婦。

「ごめんなさい……」

 あかねは、胸の内に秘めた想いをすべて打ち明けました。

「あたし、バイオリニストになりたい。パパとママといっしょにいたい。でも、今の生活から離れるのも怖いの……」

「そっか……」

「もうどうしたらいいかわからなくて」

 家政婦は、フッとほほ笑むと、あかねのほおに手を添えました。

「あかねちゃん。胸に手を当ててごらん」

「へ?」

 あかねは、言われたとおりに、胸に手を当ててみました。

「目を閉じて」

 目を閉じました。

「なにが見えるかな? パッと見えたものが、あなたが今一番選びたいことだと思うよ」

 あかねは、目を閉じて、そのなにかが見えるまで待ちました。

 そして、パッと浮かびました。その瞬間、目を開きました。

「見えた……」

「よかった!」

 家政婦はニコリとしました。


 翌日。

「あかねを笑わして、許してもらおう!」

 ゆうきは、一組の教室でひょっとこのお面をかぶり、阿波踊りの練習をしていました。他のクラスメイトたちは、唖然としていました。

「ゆうき」

 あやめが声をかけてきました。

「なんでい!」

「あかねが屋上に来いだって」

「ええ!?」

「そのお面キモいからやめてくれる?」

 ゆうきは、屋上に来ました。

「お、おいあかね。屋上なんて来る真似はよせよ。万一、この本を読んだおこちゃまたちが真似したら、先生にど叱られるぜ?」

「それがなに? 現実じゃ、小学校の屋上に立ち入れないことになってるのよ?」

 背を向けたまましゃべりました。

「ま、まあそうか……。それはともかく、なに用ですか?」

 あかねは背を向けたまま、言いました。

「あたし、パパとママたちとね、世界を旅することにしたの」

「へ?」

「もうあんたとは会わなくなるってことよ!」

 振り向きざまに言い放ちました。ゆうきは呆然としました。

 二人の間に、強い風が吹きました。

「え、な、なんで?」

「あたしは世界一のバイオリニストを目指してきた。だから、これからは世界をかける演奏家のパパとママといっしょに、あたしもついていくことにしたの。だから、バイバイだね……」

 ほほ笑みました。

「そ、そんなの困る……」

「へ?」

「もしあかねがいなくなったら、誰が俺のギャグにツッコむんだよ!」

「……」

 唖然としました。

「今だって! お面付けて阿波踊りかまそうとはりきってきたんだぜ?」

 ひょっとこのお面を見せました。

「はあ?」

 首を傾げるあかね。

「お、俺たちは幼馴染みじゃねえか! な、なんかさ……。その、うまく言えねえけど……。ど、どうせなら俺も連れてけよ。俺、旅行好きだし……」

 顔を赤らめているゆうき。あかねは、クスッと笑いました。

「あははは! あんたって、すぐ顔に出るタイプなんだね」

「な、なにがおかしい!」

「別に。あたしだって、ここにいたいよ。世界を股にかけるバイオリニストになる夢は捨ててないけど」

「え?」

「あんたと同じなのよ。"西野あかね"には、まだここにいてほしいの……」

 その後しばらく、二人は屋上に吹く強い風に煽られていました。屋上のドアの向こうで、あやめがこっそり覗き見していました。

「お互いさ、素直になればいいのに……」

 肩をすくめました。


 そして、授業参観当日。六年一組の教室は、一段と騒がしくなっていました。

 それは、あかねの両親が来たからです。世界一の演奏家であるため、保護者の何人かも存じている、有名人なのです。サインを求められたりして、引っ張りだこになりました。

「授業参観、無理に連れてこなければよかったかな……」

 と、あかね。

「俺の母さんまでサインもらってるし……」

 ゆうきの母、さくらもあかねの両親二人からサインをもらっていました。

「きゃー! ゆうき、サインよサインー!!」

 叫びました。

「母さんうるさい!」

 怒りました。

「はは……」

 まどか先生は、子どもたちより騒がしい保護者たちに、一人呆れてしまいました。


 そして、放課後。

「は、はじめまして! ゆうきといいます」

 ゆうきは、あかねの両親に向かっておじぎをしました。

「そんなにかしこまらないで」

 と、あかねのママ。

「そうよそうよ」

 あかねがニヤニヤしてきました。

「うるさいなあ……」

 ゆうきは横目でにらみました。

「パパ、ママ! あとね、中学生に知り合いがいるの。それから、隣の私立小学校の友達もいるのよ?」

「ほんと?」

「ぜひ会わせてくれないか?」

 パパが頼むと、

「うん!」

 あかねはうなずきました。

 まい、まなみ、アリス、石田君の四人が公園で集まっていました。

「あかねちゃんから連絡があって、公園で会わせたい人がいるって聞いたけど……」

 まいが言うと。

「みんなー!」

 あかねが手を振りながら、かけてきました。

「あかねちゃんだ!」

 まなみがほほ笑みました。

 あかねは、授業参観がある一昨日に、電話で両親にこう伝えました。

『パパ、ママ。あたし、プロとして活躍するのは、もう少し大人になってからにする。今は今でやりたいことがあるから。今度授業参観で、それ全部教えてあげるから、来て!』

 両親を背に、ゆうきといっしょにまいたちの元へかけるあかね。手を振ってくれるまいたち。これこそが、目を閉じた時に見えた今一番大切なものでした。

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