9.キョンシー

第9話

古から、妖怪は人間たちから醜くく、恐ろしい存在として語り継がれてきた。人をおどかし、また時に命をも奪うものとして。しかし、実際はそうでもなかったりする。

 現在いまでは、人間たちにとって妖怪は一つのコンテンツに過ぎない。ゲームのキャラクターになったり、マンガのキャラクターになったり、時には萌えキャラ的なものになったり。昔のように、恐れられることがなくなった。そして、いつしか妖怪の存在は忘れ去られていった。それは妖怪たちもいっしょだった。


 近頃、妖怪相談室に訪れるお客が減ってきた。

「最近客足がまばらになってきたわねえ」

 と、花子さんがつぶやいた。

「しかたありませんわ。人間たちがわたくしたち妖怪のことを忘れるように、妖怪たちも人間のことを忘れていくのですわ」

「じゃあさ、そうなると今後妖界はどうなるの?」

「さあ? まあでも、妖怪は死んでるから、飲まず食わずでも生きていけますわよ」

「それもそっか」

「ダメよ!」

 ミキが声を上げた。

「それじゃ、私たちが妖怪として生まれた意味がないじゃない。妖怪として生まれたならば、その誇りを持つべきよ!」

「とかなんとか申して、あなたはただお金を稼ぐ妖怪がいなくなったら、おいしいものが食べられなくなるのがいやなんでしょ?」

「あっ」

 図星だ。

「ったくミキったら」

 花子さんとメリーさんはほほ笑んだ。

「ん?」

 ミキは耳をすました。外でドラの音がする。玄関を開けてみると、牛車を引いた群衆がやってきていた。

「な、なにあれ!?」

 驚くミキ。牛車の群衆は妖怪相談室の前で止まった。牛車のそばを歩いていた使いらしき人が、牛車の扉を開けると、中から小さなお妃様が降りてきた。

「わあ……」

 思わず見惚れる妖怪相談室の三人。

「お主たちが妖怪相談室の者か?」

 と、お妃様。うなずく三人。

「わらわはキョンシー。中国からやってきた、今は妖界でお妃様と化した者じゃ!」

 羽根の付いた扇子を掲げた。

「わらわは、お主たちに相談したいことがある!」

 うなずく三人。

「わらわは……」

 うなずく三人。

「わらわは〜……」

 うなずく三人。

「あの……」

 うなずく三人。

「……」

 うなずく三人。

「お主ら、ただ首を動かしておればいいと思っとるのか?」

 うなずく三人。

「ちゃーんと聞けえ!! まじめに悩んでおるのじゃ!!」

 怒鳴った。

「ミキ、お客さんよ! 今日初めてよ!」

「わかってるわかってる! さあさあ、中へお入りください!」

「ええ?」

 当惑するキョンシー。

「紅茶がいいかしら? それとも、ダージリン?」

「なな、なんじゃお主らは〜!!」

 キョンシーの叫びが空にこだました。


 三人はキョンシーとテーブルを囲んでお茶をしながら、話をすることにした。

「じゃあ、話すぞ?」

「キョンシーさんだったかしら? どういったご用件で?」

 ミキが聞いた。

「人間界では、キョンシーは人を襲う怖い妖怪だとうわさされておる。それはそれでいいんだが……」

「そうね。確か、キョンシーは前ならえみたいに腕を伸ばして、きをつけの姿勢で夜な夜な街を歩き、人を見たら襲うみたいな妖怪だったわね」

 と、花子さん。

「うむ。しかしじゃな、それは後々仲間たちが作ったデマじゃ。本当は中国服を着ただけの、妖怪なのじゃ」

「え?」

「でも! 妖怪は人をおどかし、たくさん怖がられることで、お金をもらい、地位も上がる。だから、やむを得なかったのじゃ。わらわの悩みは、人を襲えるくらいの、本当に強い妖怪になりたいことじゃ……」


 大昔。中国の街にいた頃、キョンシーは他の仲間たちが流行らせたうわさ通り、通りかかる人間たちをおどかすことにした。茂みに隠れて、通りかかった人をおどかす狙いだ。

「うわー!!」

 人が通りかかり、茂みから飛び出てきておどかすキョンシー。

「なんだお前?」

「あらあら迷子? お家まで連れて行こうか?」

 カップルが、キョンシーのことを迷子だと思い込んだ。

「わらわは妖怪だぞ! 怖いんだぞー? 人を襲うんだぞー?」

 がんばって怖がらせるも、

「あはは! かわいい〜!」

 と、カップルの彼女のほうに笑われてしまった。

「んだったら、お札貼ってやるよ。これでキョンシーは動けないぜ?」

 彼氏のほうがキョンシーの額にお札を貼ってきた。そしてそのままカップルは、立ち去っていった。

「きーっ! 覚えてろ〜!」


「という苦い経験があったのじゃ」

 笑いをこらえる花子さんとメリーさん。

「あははは!」

 笑った。

「ちょっと二人とも! お客さんに失礼じゃないの……」

「というお主も笑っとるがな……」

 ミキをにらんでくるキョンシー。笑わないように必死でこらえている。

「もういい! お主らには頼まん!」

 席を立った。

「ご、ごめんなさい!」

 止めようとするミキと花子さん。

「お主らはいいじゃろうが! ちゃんと妖怪として活躍できたのに、わらわはなにひとつできなかった。挙げ句にウソをついて妃にまでなった! これがいいと思うか? ラッキーだと思うか!」

 呆然とする三人。

「もういい……」

 と言って、妖怪相談室を出ようとした時だった。

「わかりましたわお妃様。あなたのお望みとあらば、なんなりと申し付け致しましょう!」

 メリーさんが、中国茶を入れた。

「お妃様、なにをしたいですか?」

 ミキが、月餅を用意した。

「ったく。妖怪相談室は、相手の悩みを笑うほど野暮なところじゃないわよ」

 花子さんはチャーハンを炒めた。キョンシーは呆然とした。

「じゃあ、したいことなんでも言うぞ?」

「はいどうぞ!」

 と、三人。

「名を上げるために……」

「うんうん!」

「人間の……」

「人間の?」

「血を味わいたい!」

「血を味わいたいー!?」 

 飛び上がるほど驚いた。

「キョンシーは、人間の血をエサとしておる。そこの吸血鬼、お主と同じじゃ」

「い、いやでも今の時代、人間の血を吸うのはあまりよくないってことで、今は昔採取した人間の血の成分を配合して作った製品が出回ってるんですよ? だから、本物の血を味わうのは、相当、いやどっぷり無理なんじゃないかなーって」

 動揺して答えるミキ。

「とかなんとか言って。お主も人間の血がほしいんじゃろ? 吸血鬼は、元々夜の街を飛び回り、特に若い女の血を求めさまよい続けていたと聞く。わらわも同じじゃ! まあ、こんな背丈だし、お主みたいにサラッと家の中に忍び込むこともできないから、なかなか吸えなかったけど」

 キョンシーはミキに指をさし、言った。

「お主の力を借りれば、人間の血を堪能できるし、本当の意味で一人前の妖怪として、名をはせることができる! おーほっほっほ!」

 高笑いした。

「い、いやでもなあ……」

「なにをためらっておる! 妖怪としての誇りはどこへ行きおったー!」

 その言葉を聞いて、ミキの元に稲妻が落ちた。つまり、それくらい彼女の胸に刺さった

ということだ。

「わ、わかりました。で、でもこのことは、くれぐれも妖怪相談室とあなたとの秘密よ?」

「はーい!」

 元気よく手を上げるキョンシー。満足すると、使いの者を連れて、牛車で帰っていった。

「なーんかあやしいですわね……」

 花子さんとメリーさんは、牛車をにらみ付けながら見送った。 


 後日。三人はキョンシーと約束をした場所で待ち合わせていた。渋谷のハチ公前で。

「ったく遅いわねえ。あの中国系妖怪!」

 イライラしている花子さんは、片足をトントン鳴らしていた。

「人間界に来る時も、ドラを鳴らして牛車で来るのかなあ?」

 ミキがつぶやくと、ドラの音がした。そして、妖怪相談室にも現れた牛車が登場した。思惑通り、牛車で来た。

「お望みならば、わたくしの幽霊ジェット機でお連れすることも可能でしたのに」

 と、メリーさん。

「わらわは妃様じゃ。そのようなわけのわからんものには手を触れん!」

「まあ!」

 メリーさんはムカッとした。

「それにしても。人間界も変わったのう。高い建物が並び、人間たちが大勢歩いておる」

 ニッとして、

「エサには困らんな……」

 と、つぶやいた。

「あの、キョンシーさん!」

 ミキが声をかけた。

「キョンシーさんじゃない! お妃様と呼べ!」

「お妃様。今の時代を生きる人間は、昔より食生活が乱れ、血も内蔵も不健康なものになっています」

「はあ?」

「昔は魚や野菜など、栄養のあるものばかり食べていました。しかし、今はジャンクフードやスイーツ、スナック菓子など、油や塩、砂糖をふんだんに使用した食品が多くなりました。昔は魚一匹買うだけでもままならなかったのに、今じゃワンコインで買えてしまうものも増えました。それらほとんどが、それほど栄養のないものなのです」

「だ、だからなんだって言うのじゃ?」

「だから、不健康になった人間の血を味わってみたらどうでしょう? 途端にキョンシー……お妃様の体を不健康エネルギーが蝕み、元気な生活ができなくなってしまいます!」

「不健康……エネルギー……」

「そんなものが体に入ったらどうなる! 一週間熱で寝込み、下痢が止まらなくなり、吐き気に頭痛、咳にも苛まされるでしょう!!」

 キョンシー血の気を引かした。後ろから高波が押し寄せてくる気持ちだった。

「わかった……」

「はい?」

「帰る……」

 顔を青くして、キョンシーは牛車に戻った。そして、そのまま使いの者たちと、妖界に戻っていった。

「やれやれ。うまくだませたわね」

 と、花子さん。

「これもキョンシーさんに妖怪警察につかまらないためだからね」

「まったく。ミキさん、あなたって方は、ほんとにお人好しですわね」

 メリーさんは肩をすくめた。


 しかし、また数日後だった。

「人間の生血を吸わせろ!」

 キョンシーは妖怪相談室に飛び込んできた。

「いや、だからその……。人間の血はもう不健康で……」

 当惑するミキ。

「いいから吸わせろ! わらわは本物の人間の血がほしいのじゃ〜!」

 床に転がり、ジタバタした。

「はあ……」

 額に手を付き、ため息をつくミキ。

「うるさいわよあんた! 金持ちだからって調子乗ってんじゃないわよっ?」

 花子さんがキレた。

「貧乏人のくせに、調子いいこと言うでない……」

 と言って、またジタバタし出した。

「このクソガキがあ!!」

 殴りかかろうとする花子さんを抑えるメリーさん。

「あらあら。うちではわがままは承っていませんのよ? わかったらさっさとママのところに帰って甘えてきなさいな」

 メリーさんはバカにした。

「お主って、お嬢様タイプのわりには、誰も見てないところでおならするのじゃな」

「え?」

「こないだわらわは見たぞ? 路地裏に来て、あたりを見渡したあと、壮大にかましていたのを……」

 横になったままニヤリとするキョンシー。

「な、な……。なんですって〜!?」

 火山が大噴火したかのようにキレるメリーさん。相談室は怒声が響くやかましい一室になった。

「困ったなあ。キョンシーさん、ほんとは人をおどかして血を吸ってた、名をはせる妖怪なんだよね。ウソなんかで、お妃様になんかなれるはずがない……。まあ、最初に話したとおり、ほんとにバカにされたことがあるのかもしれないのだけれど……」

 ミキは考えた。

「キョンシーさんに、人間の血を味わったと満足してもらわなくちゃ!」


 それからしばらくして。

「お妃様。お電話でございます」

 使いの者が、キョンシーに電話器を持ってきた。

「誰じゃ?」

「妖怪相談室からです」

 キョンシーは電話器を取った。

「なんじゃ?」

「キョンシーさ……お妃様。人間の生血をご用意しました」

「ほんとか!? 今すぐ行く!」

 電話を切った。

「おい! 今すぐ妖怪相談室に向かうぞ!」

 牛車を用意して、颯爽と妖怪相談室へ向かった。

 

 妖怪相談室ミキちゃん。

「それで、生血はどれじゃ?」

「これです」

 ミキは、お盆に載せた湯飲みを差し出した。そこには、真っ赤な液体が満杯に入っていた。

「こ、これが人間の生血……」

「どうぞ。お飲みください」

 キョンシーはごくりとつばを飲み、湯飲みを持った。そして、そーっと口元へ近づけていった。

「うえ……」

 が、すぐに湯飲みをお盆に戻した。

「どうしました?」

「人間の血って、変な匂いがするのじゃ。これなら市販の人間の血ジュースや人間の血キャンディ、人間の血パスタのがマシなのじゃ!」

「お妃様。ミキ様がご用意してくれたものです。飲まないわけには……」

 使いの者は言うが、

「いやじゃ! やっぱ飲めん!」

 と、わがままを叫んだ時。

「そう言うだろうと思って、絶対飲めるようになるところをご用意しましたよ、お妃様」

 花子さんがキョンシーの手を掴み、その場所へ案内した。

「ようこそ〜」

 その場所にメリーさんがいた。

「な、なんじゃなんじゃ?」

 キョンシーは花子さんに玉座に腰かけられて、さらに硬いベルトに巻き付けられた。

「は、離せ! どうしてこんなことをする!わらわは妃様じゃぞっ?」

「はーいお妃様。あーんしてください。人間の生血ですよー?」

 ミキは、湯飲みから生血をスプーンですくい、キョンシーの口へ運んだ。

「い、いやじゃ……。いやだ!!」

 足を動かそうとしたが、床にくっついて動かない。

「足元にも、強力瞬間接着剤を塗ったくっていますのよー?」 

 と、微笑むメリーさん。

「よかったですねお妃様! 人間の生血、独り占めできますよ?」

 ほほ笑む花子さん。

「そんなまずいもの口にしたくない!」

「わがまま言わないでください」

 と、ミキ。

「そうですわ。わがままは、うちじゃ受け付けられないので」

「湯飲みごといっちゃいなさいよ」

 ミキは、湯飲みに入った生血をキョンシーの口元に運んだ。キョンシーは恐ろしくて、歯を食いしばり、冷や汗を流し、涙を流した。

「うわーん!!」

 ついに大泣きした。

「さすがにやり過ぎたかな?」

 ミキが聞くと、花子さんとメリーさんは、肩をすくめるだけだった。


 用意した生血は、実は人間のものではない。生のトマトにトマトケチャップ、トマトスープにトマトジュースを混ぜたものだった。つまり、キョンシーはトマトの味に拒絶したわけだ。

「ミキ。あんたは妖界の法律で生血が口にできなくなった分、そのトマトのなんたらを混ぜて補ってるわけね?」

「そういうこと。まあ、だいぶ昔に採取した人間の生血でできた加工製品が売られてるから、それらもね。どっちもとてもおいしいよ?」

 花子さんとメリーさんは、少し引いた。しかし、妖怪の中には、血を好む者もいるのだから、別段おかしなことではない。

「あれからキョンシーのやつ、わがまま言ってないかなあ?」

 と、花子さんがつぶやいた。キョンシーかみ人間の生血をほしいとやってきた翌日に、使いの者から電話があった。キョンシーのわがままには両親も他の使いたちも困っている。相談室で更生してくれないかと。ミキも花子さんもメリーさんもその話に乗り、まんまとキョンシーを引っかけるとこができた。


 しかし、また数日経った日。

「ドラの音! まさか……」

 ミキは、相談室の外でドラの音がして、肝を冷やした。

「お主ら! 久しぶりじゃな!」

「キョンシー!」

 妖怪相談室の三人は、口をそろえて名前を叫んだ。

「ま、まさかまた生血がほしいとか言うんじゃないでしょうね?」

 花子さんが身構えた。

「違う。今度はまた別の相談じゃ」

「うーん?」

 三人はキョンシーをにらんだ。

「今度はな……」

「うーん?」

 キョンシーは照れて、

「最近太ってきて、ダイエットが続かんのじゃ。いっしょにやってくれ……」

 と、言った。三人は拍子抜けてひっくり返った。

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