2.雪女

第2話

四月。校庭には一輪も桜が咲いておらず、吹雪が降っていた。

 八月。海水浴場には誰一人おらず、吹雪が降っていた。

 十月。もみじが赤色に染まるどころか一枚も実らず、吹雪が降っていた。

 春夏秋冬、吹雪が降るまま一年が過ぎた。そうなるとどうなるか。

 まず、野菜は育たなくなった。水耕栽培でも、あまりにも冷えすぎてかいわれ大根しか育たなかった。

 気温は毎日マイナス以下。外出はおろか、室内で暖房を効かせても、暖まらない。

 野生動物、その他飼育されている生き物も息絶え、食事も加工製品がほとんどになった。

 しかし、最大の問題は積もりに積もった雪だろう。除雪してもしても積もってくる。熱々のお湯は作れず、ブルドーザーに溜めて流しても溶かすことができない。なぜ一年中雪が積もり続けるのか、気象庁は観測を続けるが、解明はできなかった。

 こんな異常気象が起きたのも、今は大昔。現代の街はビルやアスファルトに覆われて、どんどん暖かくなっていた。そして、温暖化が問題になった。そのため、大昔に異常気象を起こしていた犯人、雪女の活躍も、ぽっくりとなくなってしまったのである。

「うう……暑い……。溶けちゃいそう……」

 現代の暑さでやられている雪女。

「どうせ私なんか……。このまま溶けてしまう運命なのよ〜!!」

 一人で泣いた。そんな彼女の元に、一枚のチラシが落ちてきた。


 時代とともにマンネリ化していき、活躍の場を失っていく妖怪たちの相談役になるため起ち上げた妖怪相談室ミキちゃん。今日も勤務開始から二時間以内で、百名ほどやってきた。

「ふう……。お昼休憩か」

 額の汗を拭い、時計を見た。時刻は正午。ミキは、十二時から十三時の一時間は昼休憩を取ると決めている。

「ちょっとそこの吸血鬼さん」

 誰か来た。

「はい? あーすいません。今から休憩なんで、一旦締めさせていただきますね」

 ミキは相手を見た。

「花子!?」

「なによ? あんたは昼休憩の直前まで待ってたお客さんがいても同じこと言うの?」

「いや、その……」

「お仕事はまず、お客様第一で考えなくちゃ。自己中で進めても、信頼を失うだけよ?口コミに書かれて、就職先として候補してた人たちも、あきらめるかもね」

「むむう〜!」

 イライラするミキ。

「まっ。ここの評判がどうなろうと、あたしには関係ないけどね」

「とかなんとか言って! ここに雇われて来たんでしょうが! はっきり言いなさいよ〜!」

 花子さんは、妖怪相談室の社員一号になった。


 昼休憩がおわり、営業開始。

「え、なに? お客さんが来るまでここに座ってるだけ?」

 と、花子さん。

「うん」

「退屈ねえ。なんか他に仕事ないの?」

「じゃあマニュアルでも呼んでて」

 ミキはマニュアルを渡した。花子さんはマニュアルに目を通した。

「うわ、紙にでっかく字が書いてあるだけじゃないの……」

 妖怪相談室のマニュアルとは。


"一つ あいさつをすること

二つ どんな相手にもやさしくすること

三つ 必ず悩みをすっきりさせること"


「ふーん」

 花子さんはマニュアルを閉じた。

「ちゃんと守ってね?」

 と、ミキ。

「よくわからん!」

 やがて、フラフラとさまようように、妖怪相談室に近づいてくる人が見えた。

「あれお客かしら?」

 顔をしかめる花子さん。

「姿勢正して」

 指示するミキ。

 フラフラしているお客らしき人は、妖怪相談室にやってくると、バタリと倒れた。

「大丈夫ですか!?」

 ミキはかけつけた。

「あの! 大丈夫ですかっ?」

 必死で声をかけるミキ。

「いいのよ……。どうせ私なんて死ぬんだから……」

「え?」

「この温暖化した地球の上で、溶けて水になって死んでいくんだわ!」

 突然顔を上げて声を上げた。

「いやいや。妖怪は死んでるっての。てかあんた、雪女?」

 花子さんが聞くと、雪女は立ち上がった。

「そうよ。私は一番不幸な妖怪、雪女……」

 立ち上がった。

「その、ご用件は……」

 ミキは聞いた。

「相談に来たのよ……」

 雪女をイスに座らせて、話を聞くことにした。

「この頃地球は温暖化の一歩を辿っているわ。徐々に徐々に、私が溶けていなくなるのを待ち望んでいるかのように」

「あ、でも雪女さんは得意の吹雪を降らせる術があるじゃないですか。それに、人や動物、建物までを凍てつかせる能力も……」

「それができれば苦労しないわよ! 雪女はね、気温によって能力が減るのよ!」

 ヒステリックに怒鳴ってきたので、 驚くミキと花子さん。

「ご、ごめんなさいね! 突然怒鳴ったりして……。私、疲れてるのよ最近。元々マイナス思考なんだけど、さらにマイナス思考になっちゃって……」

「それで? あんたはあたしたちにどうしてほしいのよ?」

 雪女はキッとにらんできて、

「なによその言い方!! あんたは一日中ジメジメしたくっさーいトイレにいるだけだから、雪女の気持ちなんてわからないのよ! わからないのよ〜!!」

 泣き出した。

「はあ?」

 呆れる花子さん。

「花子!」

 ミキが怒る。

「ちょっとミキ! ここはカウンセリングルームですか!?」

 花子さんも怒った。

「こういう方も見えるから、やさしくしろってことなの! ごめんなさい雪女さん! 泣かないでください!」

 ミキは必死でなだめた。

「そうね。涙は温かいから、流したら溶けてしまうわね」

「泣き止むの早っ!」

 花子さんとミキはそろって口にした。

「もういいわ、ありがとう。私、明日も仕事だから、帰らないと」

 雪女は席を立った。

「あ、あの!」

 ミキが声を上げると、

「なに? ろくに相談もしてくれなかったくせに、金だけ取ろうって言うの?」

 突然怖い顔に豹変した。ミキはあっけにとられる。

「ご、ごめんなさいっ!」

 雪女はそそくさと帰っていった。

「あいつ、ちょっとやばいよ?」

 花子さんの一言に、ミキも同感した。


  翌日。

「あーおわったおわった!」

 と、花子さん。

「お疲れ〜」

 ミキは熱いお茶を出した。

「あたし熱いお茶飲めないんだけど」

「子ども舌……」

「うるさい」

 そこへ。

「げっ!」

 雪女がやってきた。フラフラしながら、ミキと花子さんの前に現れた。

「聞いてよ〜!!」

 来たらすぐ泣き出した。

「あ、あのすいません! 私たち今日はもう……」

 ミキの話も聞かず雪女は愚痴をこぼし始めた。

「仕事先の先輩や上司がいじめてくるの……。お前なんか必要ない、お前なんか無能、お前なんか消えちゃえって! うわーん!!」

「ちょーっとあんた! 今何時だと思ってんのよ? 四時よ四時。閉店なのよ!」

「待って花子! もう話聞いてあげようよ」

 花子さんはミキをにらんだ。

「こんなやつ相手にしなくても、口コミには影響しないわよ……」

「いや、そういうことじゃなくてさ……」

 ミキは雪女の背中をさすった。

「はいまずは落ち着いて。顔を上げて、深呼吸して」

 雪女は背中をさすってもらいながら、深呼吸した。

「落ち着きましたか?」

 雪女はぐすんと言ってから、

「そうね。温かい涙を流すと、溶けていなくなってしまうものね」

「いやだから泣き止むの早っ!」

 ミキと花子さんはそろって口にした。

 雪女をイスに座らせて、話を聞くことにした。

「ごめんなさいね閉店なのに。仕事でつらいことが多くて、思わず来ちゃったの」

「言っとくけど、ここはストレスのはけ口じゃ……」

 呆れている花子さんを制すミキ。

「どんなお仕事をされてるの?」

「保育士です」

「え……」

 風が吹いた。


 そしてまた翌日。

「ほんとにここ?」

 茂みから顔を出す花子さん。

「妖界の保育所って言ったら、ここ妖怪保育園しかないでしょ?」

 茂みから顔を出すミキ。二人は、昨日雪女が保育士であることを聞いて、少し様子を伺ってみることにしたのだ。

「きっと、彼女のマイナス思考を治すヒントが見つかるかもしれない!」

 ミキのような理由と、

「あんなのが保育士がありえない……。念のため調べるわよ?」

 花子さんのような理由のため。どちらかといえば、後者のほうが大きいかもしれない。

 しばらく保育所の中を眺めていると。

「あっいた!」

 ミキと花子さんはそろって声を上げた。目線の先には、園児たちとたわむれる、雪女の姿があった。

 エプロン姿の彼女は、相談室で見せた顔とは裏腹に、とても笑顔だった。

「ウソ〜……」

 拍子抜けて地べたに座り込むミキ。

「あれはほんとにあたしらが会った雪女かしら?」

 額に手を当ててうなる花子さん。

「ねえミキ。もしかしてあいつ、相談室ではわざとマイナス思考なフリして、あたしたちをからかってたんじゃない?」

「い、いやいやそんなことないわよ! あ、あれはきっと……」

「きっとなに? きっとあたしたちちっこいのが二人で相談室やってんじゃねえよって、バカにしに来てるんだわ! あいつ〜!」

 怒りで燃えている。

「石投げちゃおっと!」

 花子さんは、保育園に向かって石を投げた。

 ガラスに石が当たったのを園児たちも気づいて、いっしょに遊んでいた雪女をガラスのほうへと促した。雪女はふと窓の向こうの茂みを見た。花子さんがあかんべーをしているのが見えた。雪女の目から光沢が消え、死んだ目になった。あわててミキと逃げる様子も見えた。

「先生?」

 園児が雪女のエプロンを引っ張った。

「あっ。大丈夫! ガラスは割れてないから、平気よー?」

 元のやさしい明るい笑顔に戻った。


 しかし夜になった時。仕事がおわり帰宅中の雪女は、ズカズカと歩いていた。なにやらいやなオーラを放っている。

「ん? どうして四時で閉まる妖怪相談室があるの?」

 時刻はすでに十九時。妖怪相談室ミキちゃんがいつもの道端にあった。

「来ると思ってました!」

 カーテンをめくると、ミキと花子さんがいた。

「すみません。気になって、妖怪保育園まで来ちゃいました」

「私の仕事してるとこなんて見てどうするの?」

「あんたが保育士なんてありえない……」

 ミキは花子さんを制した。

「いやまあ、その……。雪女さん、マイナス思考が強いじゃないですか。だから私、マイナス思考を治すヒントがあるか調べようと思って、勝手ながらに調べにきたわけなんです」

 雪女は答えた。

「余計なお世話よ……」

「え?」

「温暖化のせいで、雪を降らせることもできずに、私も他の雪女も溶けていく運命なのよ!? マイナス思考でいられないわけないじゃない……。毎日生きていくだけで必死なのよ!!」

「お、落ち着いて……」

「保育士だってね! 人生おわるのよもうすぐ? だから、適当に選んで、いやな職入って、好きでもないのに子どもたちとかかわって……。それで……」

「それで?」

 と、花子さん。

「こっちだって、必死こいてあんたとかかわんのも疲れるのよ。第一、そんなに絶望してんなら一人でしてなさいよって話ね」

「ちょっ、花子!」

「どうする? このまま死ぬまで絶え間ぬ愚痴を吐きつづける? それとも、まだどうにかしてほしい? あんたが決めなさいよ! あたしたちは、ただ助言するだけ。どうするかは、あんた次第よ?」

 雪女はその場に立ちすくんだ。

「なんかえらい展開になってきたあ……」

 冷や汗をかくミキ。

「ゆ、雪女さん! あ、あのすみませんねなんか。き、今日はもう帰って、ゆっくりされたほうが……」

 ミキがなだめると。

「どうしたらいい?」

「え?」

「どうしたら……いい?」

 うるうるとする雪女。ミキは花子さんに顔を向けた。花子さんは肩をすくめた。


 ところ変わって、妖怪カラオケ。

「ストレス発散に持ってこいの場所、カラオケ! 雪女さん、存分に歌ってくださいね!」

 ミキは、雪女にマイクを渡した。

「あ、でも私人前で歌ったことなくて……」

「大丈夫よ。あたしたちしかいないのよ?」

 と、花子さん。曲が流れた。人間界で流行った恋愛ソングだ。雪女は意を決して、歌うことにした。

「わたし、あなたーを、わすれーなーい♪ふゆの、といきーで、おもいだせーる♪」

 わりと上手な歌声だった。

「すごーい! 雪女さんに歌の才能があっただなんて」

 ミキは拍手をした。

「やるわね」

 と、花子さん。

 しかし、だんだんヒートアップしてきた雪女。

「ふ〜ゆ〜に〜!な〜ると〜!わた〜し〜を、おいてかない〜でえ〜!」

 情がこもりすぎて、歌とは思えないものになってしまった。さすがに花子さんとミキはドン引きしてしまった。

「いや、まあこれ冬がテーマの失恋ソングだから……」

 と言うミキに、

「さぞ失恋したかのように歌われるとドン引きするでしょ?」

 花子さんが答えた。

「ふう……」

 歌いおわった。

「ちょっとすっきりしたかも……」

「そう! それですよ雪女さん! そのすっきりした気持ちが大事です!」

「え?」

「カラオケの次は、違うところに行きませんか?」

 ミキは雪女の手を握り、にこやかに聞いた。雪女は顔を赤らめた。


 つづいて、ゲームセンターに来た。

「これなんてストレス発散になると思うけど」

 ミキが紹介したのは、ボクシングマシーンだった。

「グローブをはめて、このサンドバックみたいなのにパンチして、勢いを測るんですよ。花子、やってみて」

「は? あたし?」

 言われるままに、花子さんはやってみせることにした。

「見てなさいよー? おりゃあ!!」

 サンドバックにバンチした。しかし、点数はたったの五点。サンドバッグを倒すと点数が大きくなるが、倒れなかった。

「くくく……」

 みきは笑った。

「ぶん殴ったろうか?」

 花子さんはグローブをミキに突きつけた。

「はい! 雪女さんも」

 雪女はグローブをはめて、サンドバッグの前に立った。

「そうね……。にくいやつのこと想像すると、よりいっそう点稼げるかもよ?」

「にくいやつ……」

 雪女は、今の温暖化問題、仲間たちの絶滅の危機、同僚。すべての腹の立つ人たちのことを想像した。

 サンドバッグが起き上がり、セットされた。

「たあっ!!」

 雪女は、勢いよくパンチした。サンドバッグが壊れて空の彼方に吹っ飛んでしまった。

「……」

 ミキと花子さんは呆然とした。

「こ、これでいいのかしら?」

 雪女の問いに、答える者はいなかった。


 ゲームセンターを出た。

「どうするのよミキ! あれ弁償するの? しないの?」

「さ、さあ?」

「さあ? じゃないわよ! あんた金持ちなんだから修理費くらい全額保証できるでしょ!」

「いや、あのね! 今のご時世、活躍しなくなって、お金を出せない妖怪たちもいっぱいいて、出してくれない方とか、いまだに分割払いしてる方もいるのよ?」

「ふーん。でも妖界では一番繁盛してるって聞いたけど?」

「それはたくさん来てくれるから! お金はないのよそれほど……」

「はあ……」

 花子さんはため息をついた。

「ていうか雪女はどこ行ったのよ? 雪女ー!」

 ミキと花子さんは後ろを振り返り、驚いた。

 雪女は、道端で体半分まで溶けそうになっていた。

「雪女さん!」

「雪女!」

 すぐかけ寄った。

「あ、あなたたち……」

「やばいじゃないあんた! もう下半身水になってんじゃないの!」

「どどど、どうしよう〜!!」

 あわてるミキ。

「もういいの!」

 手のひらを掲げる雪女。

「ありがとう、お二人さん……。私、ずっと寒いところにいて、身も心も冷えちゃったのね……。だから、温暖化になって、仲間が減って、寂しくて……。でも、始めからカラオケやゲームセンターに行って、暑くなって溶けるべきだった……」

「そんな……。雪女さん、いなくなっちゃうよ!」

「いいのよもう……。溶けて水になり、春を迎える花や草に栄養を届ける……。それが、雪の一生なんだから……」

 もうすでに腕と顔だけの、テケテケのような姿となった雪女。しかし、彼女はやさしくほほ笑んでいた。それはまるで、妖怪保育園の園児たちに見せた、笑顔のように。

 ミキは涙を流した。花子さんも悲しんでいる顔を見せまいと、雪女から顔をそらした。

「さようなら……」

 ついに首だけになった雪女。

 しかし、花子さんが!

「雪女のブス! アホ! おマヌケ!」

 雪女が溶けるのを止めた。

「お前の母ちゃんデーベーソ! おしりぺんぺん! おたんこなす!」

「は、花子?」

「口臭いんだよ! ちょっと太った? この、豆腐メンタル!」

 雪女の脳裏に、豆腐メンタルという言葉が刺さった。すると、水になった雪女の体は徐々に元の姿に戻っていった。

「も、戻った!」

 ミキは笑顔になった。雪女は、一命を取りとめたのだ。

「ふう……」

 花子さんは、肩を下ろした。

「花子さん、生き返らせてありがとう……」

「感謝してよね。あたしは妖界のアイドル、花子様なんだから!」

「ええ。感謝のお印に、あなたを氷漬けにしてあげる……」

「え?」

 雪女は、口から冷気を吐きながら追いかけてきた。

「氷漬けは勘弁してえ〜!!」

 花子さんは逃げた。

「まっ、これで一件落着!」

 ミキは、腰に手を当てて、満足げにしていた。

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