10.タイムスリップ
第10話
下校前に、宿題が配られた。
「いいか? お前らも来年は高校三年生だ。将来についてしっかり考えてもらいたい。だから、進路希望を三つ書いて、来週までに提出してこい」
担任からの指示のあと、クラスメイトたちは一斉にざわざわし始めた。
「進路かあ……」
家に帰ったみきおは、部屋で進路希望調査のプリントを眺めながら、歩いていた。
「そういや、将来のことなんて、考えもしなかったなあ。まあ、父さんも言ってたけど、人生、意外とどうにでもなるみたいだし、第一志望はどこでもいいから進学、第二希望はどこでもいいから就職、第三希望はどこでもいいからフリーターにでもなるか!」
「それでいいのかもう一人の僕!」
「え?」
後ろを振り返った。もう一人の、メガネをかけた自分が立っていた。
「誰だよ?」
「いや、もう一人の僕。そこはびっくり仰天して、イスから落ちるところだよ? その微妙な反応じゃ、シナリオに反している!」
「じゃあもう一回やり直し!」
やり直し。
「どこでもいいか進路なんて」
「それでいいのかもう一人の僕!」
後ろを振り返った。もう一人の、メガネをかけた自分が立っていた。
みきおは、イスから転げ落ちた。
「カーットカット!」
もう一人の自分が叫んだ。
「な、なんだよ?」
立ち上がるみきお。
「もう一人の僕! セリフが間違っている! 僕に振り返る前、君は"進路なんてどこでもいいか"なんて言っていなーい!」
確かに、
「そういや、将来のことなんて、考えもしなかったなあ。まあ、父さんも言ってたけど、人生、意外とどうにでもなるみたいだし、第一志望はどこでもいいから進学、第二希望はどこでもいいから就職、第三希望はどこでもいいからフリーターにでもなるか!」
と、具体的に述べていたはずが、
「どこでもいいか進路なんて」
と、やけに端折っている気がする。
「んなもんどうでもいいだろ!!」
みきおがマジギレ。
「よくないよくない! 君はそうやって何事も適当にするから、第一志望はどこでもいいから進学、第二希望はどこでもいいから就職、第三希望はどこでもいいからフリーターにでもなろうなんて思うんだよ?」
「いや、細かく俺の言ったことを復唱すんじゃねえ!」
みきおは倒れたイスを戻し、座った。
「お前は何者なんだよ? まずそれが重要だろうが」
「やり直し! テイクスリー!」
もう一人の自分の指示の下、やり直しが決定。
「そういや、将来のことなんて、考えもしなかったなあ。まあ、父さんも言ってたけど、人生、意外とどうにでもなるみたいだし、第一志望はどこでもいいから進学、第二希望はどこでもいいから就職、第三希望はどこでもいいからフリーターにでもなるか!」
「それでいいのかもう一人の僕!」
「え?」
後ろを振り返った。もう一人の、メガネをかけた自分が立っていた。
「うわああああ!! なんだお前はああああ!? 宇宙人かあ!? それとも……幽霊かああああ!!」
今度はもっと壮大にイスから転げ落ちた。
「僕はもう一人の君さ。宇宙人でも幽霊でもないよ?」
「いや、なんかお前だけ普通になって、俺がアホみてえじゃねえかバカ野郎!!」
みきおが怒鳴ると、母が入ってきた。
「げっ。母さん!」
「あんたさっきからうるさいのよ!!」
げんこつを食らった。
「てえ〜」
「すみません。僕の姿は、君以外に見えないんですよ……」
「んなもん、似たこと経験してるから慣れてんだよ……」
改めて。
「で、お前はどこから来たか知らんが、もう一人の俺ってわけか」
「はい。どこから来たかは知りませんが、もう一人の君です」
「で、なんでもう一人の俺なんかが、こんなとこ来てんだよ?」
「はい。どうして僕なんかがこんなとこに来たかというと、君に最適な進路へ導くためです!」
「は?」
「君は適当に進路を決めて、後悔したいんですか? したくないでしょ。だからこそ、僕はあなたに最も最適で後悔のない進路にお導きに参ったわけです」
胸を張った。みきおは唖然とした。
「さあ、参りましょう。」
「え? どこへ?」
「僕が住む世界に」
「あ、あの? ちょっとよくわからなくなってきたんですけど?」
当惑するみきお。
「だから、僕と君は今から住む世界を入れ替えて、暮らすと言っているんです」
「な、なんでそんなことするんだよ?」
もう一人の自分が、みきおのでこに、でこを当ててきた。
「行き先のない君のためですよ!」
その瞬間、目の前が白く光った。真っ白な光の中、もう一人の自分の声が聞こえてきた。
『時代はIT。あなたは四年後、家の近くにある大企業の事務員として、働いています。正社員としての毎日は決して甘いものではありませんが、手取り三十万円の安定した毎日を送ることができるでしょう』
みきおの家から自転車で十分のところに、貿易会社があった。そこで、二十歳のみきおは、一般事務の正社員として活躍していた。
しかし、実際はなにをしたらいいかわからず、ボーッとしているだけだった。
「おい君! アメリカの支社から頼まれた資料作成をしているところだろう? 納期が迫っているんだ。ボーッとしないでくれたまえ!」
部長に怒られた。
「あ、あ、はい!」
みきおはパソコンに向かった。
(とは言われても……。なにをしたらいいのかわかんねえよ!)
パソコンに映し出されているものが、一体なんなのか、一ミリも理解できなかった。
そうこうしているうちに、チャイムが鳴った。パソコンが勝手に切れた。
「え?」
みきおは驚いた。同時に社員全員がパソコンから離れた。
「時刻は正午……。わかった、昼休憩か」
お昼は、全員社員食堂で取ると決まっていた。みきおは、学校では普段中庭など、人気のないところで食べることが多いので、窮屈でしかたなかった。
「あ、あのすいません……」
隣の人に声をかけた。
「えっと。どっか違うとこで食べに行こうかなと思ってて、なんかないっすかね?」
聞いた人は、なにも答えず、食べおわるとみきおを無視して去っていった。
「な、なんだよ! 無視すんなこの野郎!」
怒りをあらわにするみきおとは裏腹に、何百人と存在する他の社員たちは、みんな黙々と食事をするだけで、みきおに反応を示す様子がなかった。なんだか情けなくなってきて、みきおは食堂でおとなしく食事をすることにした。
昼休憩がおわり、仕事開始。午前と同じ、パソコンで資料作成だ。
「す、すいません!」
みきおは、思い切って、隣の人に資料作成のやり方について教えてもらうことにした。相手が女性だからやさしく教えてもらえるだろうと思ったのもつかの間、みきおに見向きもしないで、カチャカチャとキーを鳴らして、資料作成に没頭していた。
「こうなったら!」
部長に聞きに行った。
「すいません! パソコンの使い方がわからなくて、一から教えて頂けますか?」
部長は答えた。
「仕事のやり方もわからない者など、我が社に必要はない」
「え?」
「我が社に必要なのは結果のみ。結果こそ、世の中を、そして己自身を安定に導くのだ! わかったら、早く席に着き、仕事に戻りたまえ」
みきおは答えた。
「わかりました。この仕事やめます」
みきおは会社を出て、未来の街の中をフラフラさまよっていた。
「未来とは言っても、そんなに変わんねえな」
「ねえあなた、あたしと入れ替わらない?」
腕を組み、壁にもたれかかる人が声をかけてくる。
「誰だ?」
「あたし? あたしは、夜の蝶になったもう一人のあんたよ」
そこには、身も心も女になって、おしゃれをした自分が立っていた。
「……」
みきおはがく然とした。
「おほほ! そういう場合の未来もあるってことよ」
夜の蝶になった自分は言った。
「あんたさ、適当に未来なんて決めるから、安定した収入得られるのに雰囲気超最悪なブラック企業なんかに入れられるのよ。どう? あたしのお店は、みーんな楽しくてやさしいわよ? お休みも自分のシフトは融通利かしてくれるし、超ホワイトよ」
「いや、あの……。なんで俺がその
「そんなことより、働くの? 働かないの? 今のまま、安定だけ目指して生きていくの?」
みきおは、複雑な気持ちになっていた。
「迷ったら行動あるのみ。トラ〜イ!」
「ちょ!」
無理やりでこにでこを付けられた。
夜のにぎやかな街。それぞれ酒場に集い、嗜みを求めさまようサラリーマンの姿がたくさんあった。
「え?」
みきおは、とあるオカマバーで夜の蝶になり、営んでいた。
「ただいまー!」
サラリーマンたちがやってきた。
「あら〜! いつもの常連よ? ほらみっきー、早くいつものお出ししてあげて」
「え? い、いつものって?」
丸坊主のオカマに言われ、みきおは当惑。
「あらやあねえ! いつものって言ったら、カクテルに決まってるじゃないの〜!」
「うわあ〜! く、苦し〜!」
後ろからゴリマッチョなオカマに逆エビにされ、苦しむみきお。
「お待ちどお〜。いつもありがとね〜!」
ゴリマッチョのオカマは、ブリっ子ポーズを取って、常連のサラリーマンたちを歓迎した。
「カクテルでーす」
みきおは渋々とカクテルを人数分用意した。
「みっきー、どうしちゃったの? なんか元気ないわよー?」
ハゲ頭のオカマが聞いた。
「いや、別になんでも……」
「まあまあみっきーちゃん。こっちにおいでよ!」
常連のサラリーマンが手招きした。
「その、みっきーってなんなんすか?」
「あらやだあ!」
ゴリマッチョのオカマが、
「あなたのあだ名じゃなーい! あたしは筋肉マンよ〜!」
「いててて〜!」
逆エビしてきた。
「あたしは一休ちゃんよ?」
「あははは!」
ハゲ頭のオカマが名乗ると、常連のサラリーマンたちは笑った。
「王様ゲームしよう!」
常連のサラリーマンが言うと、みんなで「イエーイ」と拍手した。
「じゃあ僕からね。よーし、みっきーちゃん。僕とキスしよう!」
「え!?」
隣に座っていたサラリーマンが、みきおにキスを命令してきた。
「いいぞー!」
「やっちゃって〜!」
オカマたちも、サラリーマンたちも乗り気だった。
「ま、待って待って! ま、まだ心の準備が……」
「なに言ってんのみっきーちゃん。いつもなら、頼まれなくたってやってくれるでしょ。ほら、チュ〜!」
厚い厚いくちびるを近づけてきた。
「わあ……」
みきおは後ずさりをした。このまま酒臭いおっさんと口づけを交わしたくはない。
「ひょえ〜!!」
みきおは逃げた。普段見せることのない姿に、みんな、呆然とした。
「あたしが代わりにしてあげるわよ?」
ゴリマッチョのオカマが言うが、
「いや、遠慮しておく」
サラリーマンは断った。
サラリーマンたちが帰ったあと、みきおはテーブルを拭いているゴリマッチョのオカマの元へ向かった。
「あーちょっといいすか?」
「なあにみっきー? お休み? 今度はどこに旅行に行くの?」
「いや、やめることを伝えに来たんです」
女装を解いたみきおは、高校の制服姿で、夜の街をさまよっていた。
「ていうか、ここは俺の二十歳になった世界なんだよな? 元の世界にはどうやって戻るんだよ? おい! もう一人の俺、いるなら出てこい! おーい!!」
呼んでみても、声が反響するだけで、現れやしなかった。
「くそっ!」
道に転がっている空き缶を蹴った。
「痛いじゃないかよ〜」
「うわあああ!!」
驚いた。路地裏から、突然髪とヒゲの伸びた、男が現れた。
「あれ? お前は若かりし頃の俺じゃないか!」
「て、てことはお前は俺か!」
「そうさ。今の俺は四十歳、無職だ」
「え〜!? む、無職〜!? な、なぜだよ!」
「お前は高校卒業後、大学に不合格、就職という道を余儀なく進むことになるが、適当に決めるあまり、どれも続かず、職を転々としていた。その結果、親はストレスで早死、見かねたみちこは兄という俺の存在を捨て、二十年後にここでゴミをあさって生活しているのさ」
「いやちょっと待て。待て待て待て……」
みきおは考えてみた。自分は進路を適当に決め、大手企業に就職するも、うまくいかず退職。その後も職を転々とし、オカマバーにたどり着くが退職。何度も何度も転々を繰り返し、家族にストレスを与え、みちこにも見放され、現在に至る……。
「てことは! 今まで会ってきた未来の自分って、繋がっていたのか!」
「よくわからんが、そういうことだろう……」
と、無職の自分。
「なあ、お前オカマバーで働いていたんだろう? 俺と今のお前、入れ替わろうぜ?」
無職の自分が近づいてきた。
「ま、待て! 俺はそんなんになりたくない!」
「どうせなるんだよ。過去も未来も変えられないんだからな」
「やめろ!」
「オカマバーでも働いて人と金のために生きていけるなんて、ゴミをあさる生活より最高だ!」
無職の自分がでこをくっつけてこようとした時だった。
「じゃあなんでお前は過去に戻ろうとする!」
無職の自分がでこを付けようとするのを止めた。
「お前、過去も未来も変わらないとか言ってたよな? なのになぜ今俺と入れ替わってオカマバーでより戻そうとしてんだよ? 矛盾したことすんじゃねえよ!」
無職の自分はフッと笑った。
「どうせこの先のことなんて考えてないくせに……」
「ああそうだな」
みきおは言った。
「だからこそ、やることやって、あとに備えてんじゃねえか。お前は、備えなしに先へ進もうとした結果、いろいろなものを失った、それだけのことなんだよ」
みきおが一言投げかけると、無職の自分は徐々に消えていった。そして、まわりにあるゴミ袋や建物、夜空、地面が消え、元の自室になった。
「な、なんだった今までのことは……」
みきおは勉強机に置いてある、進路希望調査のプリントを見つけた。
「進路か……」
さっそく、自分の進路について考えてみた。
「進学つっても、なにを学びたいんだろう? 就職つっても、なにをしたいだろう?」
考えた。
「お兄。おやつ持ってけって、お母が言うから持ってきたで」
みちこが入ってきても、みきおは今後の進路について、真剣に考えていた。
「のわあああ!!」
みちこは、持っていたお菓子のお盆を落とした。
「お母〜!!」
みちこは、居間でくつろいでいる母の元へ飛んで向かった。
「どうしたのよ?」
「お兄がお兄が!」
「みきおが?」
「お兄が真剣に進路について考えてる!」
「はあ……。まあ、高校生だしね」
母はほほ笑んだ。
「俺はじっとしてなにかに取り組むのは苦手だから、体を使う系の学校とかどうだろう? すると、スポーツ系か、いや、介護系? それとも……」
就職のことも考えた。
「高卒じゃあ、未経験や学歴不問のとこがいいだろうしな。レストランとか、スーパーのアルバイトから始めて、のちに正社員を目指すのもありか……」
なかなか決まらない。しかし、自分を犠牲にしてまで安定した生活や、オカマバー、ホームレスなんかになりたくない。いつか必ず自身に適した仕事、学校が見つかるだろう。そう信じて、みきおは真剣に考えた。
そしてその日の夜に。
「はあ……」
息を吐くみきお。
「お兄、ご飯やで?」
みちこが呼んだ。
「おう」
みきおは、みちこと下へ向かった。
真っ暗な部屋に置き去りにされた進路希望調査には、第三希望は就職、第二希望は専門学校、第一希望は自動車学校になった。
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