7.ジメジメダンスのジメ子さん

第7話

梅雨が来た。湿度は百パーセント。蒸し暑い日々が続いた。

「はあ……。ジメジメするぜ……」

 みきおは勉強机で一人、体を伏せていた。湿度にやられていた。

「ジメジメいやや! ジメジメいやや!」

 みちこは居間で湿度にやられ、暴れていた。

「みちこ! あんたいい加減静かにしなさい!」

 母が注意した。

「ジメジメするんやよ? なんで静かにできるんや!」

 床でじたばたした。

「そんなんだと余計ジメジメするわよ……」

 母は呆れた。母も、湿度百パーセントにやられていた。

 張り付くような汗、張り付くような空気。どうしたらこんなのができ上がるだろう。みきおはじっとりとした汗にうんざりしながら、体を伏せていた。

「どうしたらいいんだ……」

 嘆いた時だった。

「ヨロレイヒ〜! そういう時はジメジメダンスをするのよ〜!」

 くねくねとフラダンスをする、少女が現れた。

「ジメジメ〜! ジメジメ〜!」

 と、声を発しながら、少女は踊った。

「ジメジメ〜!」

「うるせえよみち……こ?」

 みちこのいたずらかと思ったみきお。しかし、体を起こして振り向けば、それはみちこではなかった。

「誰だお前?」

「ジメジメから生まれたジメ子さんでーす」

 名前を言うと、またフラダンスを始めた。

「あれれ〜? あなたジメ子さんが見えるってことは〜。ただ者じゃないわね〜?」

「まあな。どうせお前も、俺にしか見えない幽霊かなんかだろ?」

「ジメ子さんは高まった湿度から生まれたお姫様……。幽霊とは、死んだ人間や動物から出てきた魂よ? ただ者じゃないくせに、そういう知識はないのね?」

 フラダンスをやめて、ツッコみを入れた。

「いや知らねえよ! なんなんだよお前! なんで現れた!」

 ジメ子さんは答えた。

「だから〜。湿度が今高いでしょ〜? だから現れたのよ〜」

「その気持ち悪いフラダンスしながらしゃべるのやめろ! 余計にジメジメしてくるぜ……」

「まあまあ。そんなに怒らないで。お菓子持ってきてあげたからさ」

 二人は、ジメ子さんが用意したまんじゅうを囲い、話をすることにした。

「つまり、お前は湿度が百以上になると、現れるのか」

「そういうことよ」

「へえー」

 みきおがまんじゅうに口を運ぼうとした時だった。

「おいちょ待て! こ、これカビてんじゃねえか!」

「え? カビてるとおいしくなるって、ジメジメ界では常識だよ?」

「湿度が高いとカビるよなそりゃ! でも、人間は食わねえんだよこんなの!」

 みきおは、まんじゅうを皿に戻した。

「危ねえ……。危うく食っちまうとこだったぜ……」

「ねえねえ」

「なんだよ?」

「彼氏ほしいの」

「ふーん。作れば?」

「……」

 一度沈黙して、

「うわーん!!」

 泣き出した。

「バ、バカよせ! 余計にジメジメするだろうが!」

「ごめんなさい……。ジメ子さん、ジメジメしてて近づきたくないよね?」

「お、おう?」

 涙目を見せられ、戸惑うみきお。

「前に婚活に行った時にね? ジメ子さんといると梅雨の時みたいにジメジメするからいやだって言われて、みんな離れていったの。こんなだから、仲良しもできなくて……」

「な、なんでその話を俺に振る?」

「感じる。あなたからは、押しに押されると断り切れずにオーケイしてしまう性であることが!」

 ジメ子さんはグンとみきおに近づいた。

「く、来るなよこっち……。ジメジメするだろ?」

「彼氏になってくれる? なってくれるよね? なってくれるんだ。ありがとう!」

 圧を効かせてくるジメ子さん。

「どど、どこの世界に湿度浴びせながら彼氏になることを強要するやつがいるんだよ!」

「お兄?」

 みちこが入ってきた。みきおは「やばっ」と思わず口に出した。

「お兄、なんか大きな声出しとったけど、なんかあったん?」

「い、いや別に? それよりお前も一階でさっき騒いでたじゃねえか!」

 さっきまで真近くにいたジメ子さんがいないので、キョロキョロとあたりを見渡すみきお。

「だって湿度高いんやで今日! 蒸し暑くてたまらんわ。というか、この部屋すごく蒸し暑ない?」

「そ、そうか?」

「ああもうこんなとこおったら、みちこは死んでまうわ!」

 みちこは、自室へと向かった。

「なんなのあの子? ジメ子さんね、ああいう口の汚い子はきらいなの……」

 目からハイライトが消え、無感情に言い放った。

「ていうかお前今までどこ隠れてたんだよ?」

 みきおが呆れた。

「湿度だからね。湿度に溶け込むことも可能よ?」

「ああそうへえー」

「はあい! 今日からジメ子さんとあなたはカップル! ううん、彼氏彼女。カレカノごっこでもいいの。これからいっしょよ?」

 ジメ子さんは、みきおをぎゅっと抱きしめた。

「や、やめろ〜!!」

 ジメジメにもん絶するみきお。こうして、二人のジメジメした恋人生活が始まった。


 登校日。降ってくる雨は冷たいのに、蒸し暑く、衣替えした制服のシャツが張り付いて、まったくいい気分がしないみきお。

「えへへ! みきお君と学校デート〜!」

 ジメジメダンスをしながら登校に付き合うジメ子さん。

「なんかお前がいるせいなのか、余計にジメジメする気がする……」

 いつも以上にジメジメを感じながら、高校に到着。今時はエアコンが常備しているところが多く、みきおの通う高校も、教室に一台は必ず備え付けてあった。みきおが小学生の頃はエアコンが付いておらず、蒸し暑くても我慢しなくてはならなかったが、今はその必要はない。

 しかし、今回は違った。エアコンを付けても、蒸し暑さは変わらない。

「おかしいな。蒸し暑いぞ?」

「エアコン付けたよね?」

 クラスメイトたちがざわついた。

「おい……。お前のせいでみんなべったり汗かいてるぞ?」

 みきおがコソッとジメ子さんにつぶやいた。

「エアコンは乾燥するから、ダメ……」

 ジメ子さんは体から湿度をたくさん発して、エアコンの勢力を弱めていた。

「さ、さすがに教室はやめてくれ! みんなが蒸し暑くて、体調不良起こしたらどうすんだよ!」

 みきおは注意した。

「で、でも……」

 ジメ子さんは困った。

「ったくしゃあねえ!」

 みきおは、ジメ子さんのベタベタした手を掴み、教室を出た。

「みきおのやつ、急にどうしたんだ?」

 と、男子生徒が首を傾げた。まわりからすれば、ジメ子さんの姿は見えていないので、突然飛び出したみきおが不思議に見えた。それよりも、エアコンが効いて、湿度が低くなったことのほうが、喜ばしかった。


 みきおは、ジメ子さんを連れて、階段の踊り場にやってきた。

「みきお君、なに? もしかして、ジメ子さんとあんなことやこんなことするつもり!?」

 顔を赤らめたジメ子さん。

「ここでおとなしくしてもらうんだよ!!」

 みきおは怒鳴った。

「お前の湿度は尋常じゃねえ。だからな、教室にいると、みんながお前の湿度にやられて、倒れる人も出るかもしれないんだ。だから、今日一日だけだからさ」

「うーん……」

「なぜ考える!」

 ジメ子さんは言った。

「やだ」

「拒否権ねえから」

「うわーん!」

 泣いた。

「お前が人間に乗り移りでもすれば、構わんよ? んまあでも、お前幽霊じゃないから無理か」

 と言って、みきおは去っていった。

「乗り移る……」


 休み時間。

「みきお。このプリントを学級委員の根本ねもとといっしょに運んで来てくれ。わかったな?」

 担任が頼んだ。

「あ、はあ……」

 みきおは拙い返事をした。なぜなら、根本が苦手だからだ。彼女は三つ編みという髪型で、銀縁のメガネをしており、性格は頑固だ。前に、隣の席になった時、宿題を忘れてしまったみきおは、写させてくれないか頼んだ。しかし。

「みきおさん! あなた宿題は写してもらうものじゃありませんよね? 自分でやるものでしょ? なのにどうしてわたくしに写してもらおうなんてするのですか! バカなんですか? 高校生らしからぬ発言をしないでください!」

 むちゃくちゃに言われてしまった。以来、根本とはかかわらないようにしようと決めていた。なのに、今回は運が悪い。担任に目を付けられてしまい、プリントを運ぶ手伝いを、根本とやらされるハメになってしまった。

 みきおは、プリントを根本と半分に分けて、職員室へ向かった。

(か、考えてみればプリント運ぶだけだよな? 話す必要ねえじゃねえか)

 と、思うみきお。

「うわ!」

 コケた。持っていたプリントの束がバラバラと床に落ちた。

「あ〜、くっそお……」

 みきおは、床に散らばったプリントを集めた。

「みきおさん! これはクラスのみなさんが使う物です。慎重に扱ってください!」

 みきおはプチンと来た。

「コケたんだからしょうがないだろ!」

 驚く根本。

「な、なんで怒るんですか!」

「当たりめえだろ!? プリント落としたのになんで怒られなくちゃいけないんだよ!」

「それはプリントはクラスのみなさんが!」

「ああもういいよ! お前先行ってろ! 俺は一人でまだ落ちてるプリントを集めてるからよ!」

 みきおはプリントを集め始めた。

「な、なんですかそれ! 屁理屈にも程がありますよ?」

「うるせえ! とっとと行けよ!」

 ろうかの影から、二人の様子を伺うジメ子さん。

「なるほど……。あの子に乗り移れば!」

 ジメ子さんは、一直線に、根本に向かい、体に乗り移った。

「みーきお君!」

「あ?」

 プリントを集めおわったみきおは、顔を上げた。

「乗り移ってみたよ〜?」

 どこかで見たことのあるフラダンスをしている根本。

「ま、まさか……。ジメ子か!」

 根本に乗り移ったジメ子さんは、ゆらゆらとジメジメダンスをしていた。プリントの束は、床に置いていた。

「これでカップルになれるね? 気兼ねなくラブラブにできるね!」

 くっついてきた。

「や、やめろ! くっつくな!」

 みきおは、そばを離れた。

「どうして? 乗り移ったのに……」


 数学の時間。

 ジメ子さんは、根本に乗り移っているので、授業に参加しなくてはならない。しかし、生まれてこの方授業など受けたことのなかったジメ子さんは、見ても聞いてもわからない数式にだんだん退屈してきて、イスシーソーをしたり、鼻の下にえんぴつを挟んだり、鼻の穴にえんぴつを挿したりしていた。

(まずい……)

 みきおはハラハラした。中身はジメ子さんでも、外身は根本だ。他の人からすれば、まじめでどんな授業でも黒板から目を離さないはずの根本が、退屈しのぎをしているわけだから、当惑しているだろう。授業を教える先生も、いつもと様子が違うことに、少し戸惑っていた。

(止めさせないと。でも、どうやって!)

 みきおはどうやって根本らしくさせるか考えた。

「根本さん。この問題を解いて」

 先生が指示した。

(おっ! さすがにふざけられないだろう)

 みきおはチャンスだと感じた。

「彼氏が解いてくれる。ね、みきお君!」

 教室が騒然とした。

「え? あ? え?」

 当惑するみきお。

「そう? じゃあみきお君答えて」

 教室は騒然としたままだった。みきおは当惑したまま、問題の答えを言った。

 答えて、席に着いた。ジメ子さんがウインクした。

「あいつ〜!」

 みきおは腹を立たせた。


 給食の時間。

「みきおくーん。あーん」

 根本……いや、ジメ子さんが弁当の玉子焼きをあーんさせてくる。みきおは玉子焼きから必死に顔をそらしていた。


 昼休み。

「みきお君にだけ、特別に見せてあげる……」

 制服を脱ごうとした。午後が体育なので、着替えをするのだが、ジメ子さんは、教室でみきおの前で着替えようとした。

「バ、バカやめろ!!」

 みきおは止めた。そして、女子更衣室があるところまで連れて行った。


 そして下校時間。

「みきお君! いっしょに帰ろう?」

 肩にくっついてきた。

「や、やめてくれ〜!」

 みきおは逃げた。

「待って〜!」

 ジメ子さんは追いかけた。二人の様子を、クラスメイトたちは、こっそりと見物していた。

「待って〜!」

 追いかけている途中、ジメ子さんは根本の体から離れた。

「あれ? わたくしはなにをして……」

 根本は首を傾げた。

「つーかまえた! ジメ子さんからは逃れられないのだ〜」

 ジメ子さんは、後ろからみきおに抱きついた。

「うわあ……。ジメジメする……」


 夜。

「うふふ! 憑依すると、気楽にあなたとラブラブできる〜!」

 ジメジメダンスをしながら喜んだ。

「ふざけるな! おかげで俺は明日から根本とそういう関係だってうわさが立つじゃねえか!」

「え〜? でもジメ子さんと、カレカノの関係なんだよ〜?」

「でも根本に取り憑いてりゃ、パッと見だけじゃ、根本と関係持ってるみてえじゃねえか!」

 ジメ子さんはダンスをやめて言った。

「いいのいいの。だって、彼氏作りたいだけだから」

「はあ?」

「ジメ子さんは、どんな形でもいいし、誰でもいい。ジメ子さんのこと大切にしてくれる人であれば、恋人になりたい!」

 と言って、みきおにほほ笑んだ。

「い、いや……」

 みきおは言った。

「それより部屋中のジメジメをなんとかしろよ! これじゃ、カビが生えてきちまう!」


 翌日。学校に来たみきおは、教室に入った瞬間、目を丸くした。

 黒板に、相合い傘の絵が描いてあり、傘の下に、みきおと根本の名前が書いてあった。

「フーフー!」

 男子生徒たちが、みきおを冷やかした。

「みきおくーん!」

 根本に取り憑いたジメ子さんがやってきて、腕にしがみついてきた。

「フーフー!」

 男子生徒たちの冷やかしが高まった。

「ち、ちげえよそんなんじゃねえよ! 離れろよ!」

 みきおは必死で離れようとするが、ジメ子さんは離れようとしない。

「ぐぬぬ〜! 離れろ!!」

 無理やり解いた。

「キースキース!」

 男子生徒たちから、キスをせがまれた。

「みきお君……」

 ジメ子さんは、目を閉じた。

「お、おいおい……。ふざけてるのか?」

 みきおは後ずさりをした。しかし、男子生徒たちが後ろから彼の背中を押し、無理やりキスをさせようとした。

「やめろ〜!」

 必死で抵抗するみきお。しかし、もうすぐジメ子さんに接近しそうだ。

 あと五センチ、三センチ……。

「だーっ!!」

 みきおが叫んだ。

「なんでお前みたいなの好きになんなきゃいけねえんだ!」

 ジメ子さんは、目を丸くした。

「いいか! 人を好きになるってのはな、そんな簡単なことじゃないんだよ! 本気で好きだって想わなきゃ、恋愛は成立しねえんだ。わかったか!」

「え、じゃあジメ子さんたちは……」

「ああそうだよ。恋人ごっこはもうおわりだ」

 ジメ子さんはガッカリした。ショックで奈落の底へ落ちていく気分に陥った。

「うわーん!!」

 ジメ子さんは、根本の体から離れた。

「あ、あれ? わたくしはいつの間に学校へ?」

 首を傾げている根本。騒然としている男子生徒たち。


 雨が上がった校庭の桜の木の前で、ジメ子さんはすすり泣いていた。

「どうせジメ子さんには、すてきな人も仲良しもできないんだわ……」

 すすり泣いていた時だった。

「なにを泣いているんだい?」

 まるでモザイクをかけた男声が、話しかけてきた。ジメ子さんは、後ろを振り返った。

「よかったら、このカビたハンカチで涙を拭きなさい。俺、そこの水道のカビから生まれたカビ夫さ」

 カビ夫は、カビたハンカチを、ジメ子さんに渡した。ジメ子さんは、それで涙を拭いた。

「君、ジメジメしてるねえ。もうすぐ梅雨が開けるよ? どこか、ジメジメしたところに避難したほうがいいんじゃないかな」

「ど、どこがいい?」

 ジメ子さんは聞いた。

「穴場を教えてあげる。俺はここに長く住んでるからね!」

 笑顔で答えた。ジメ子さんはときめいた。

「すてき……」

 ジメ子さんは、穴場へカビ夫とついていった。その後、二人がどうなったかは、みきおにも誰にもわからない。

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