3.ひな人形

第3話

みちこが三歳の時、三月三日は決まっておひな様を飾っていた。

「みちこ、おひなさんみたいにきれいになるねん!」

 まだ物心ついたばかりのみちこは、ひな人形を見るといつも指さしてほほ笑んでいた。


 しかし、六年生になった今は。

「だ〜か〜ら〜!! みちこはランウェイの上歩いて、世界のモデルになる言うてるやろがい!」

「んな、わがまま言わんといてくれ……」

「お父のバカ! 安月給!」

 父や母を困らせてばかりいる問題児になってしまった。

「やれやれ……」

 リビングでため息をついたみきおはまだ落ち着いているほうだった。高校二年生という年頃だからもあるが、ギャンギャンうるさいみちこに振り回されている両親を見ていると、おとなしくしているほうが無難だと思うのだろう。

「ん?」

 みきおは、両親の寝室から視線を感じた。目線を向けたが、なにもいなかった。みきおは特におかしく思わず、コップのジュースを飲み干した。


 夜。みきおは就寝しようと部屋の明かりを消した。

 ベッドに入った時だった。

「ねえ……。教えて……」

 声がした。

「ねえ……。教えて……」

 また声がした。

「ねえ……。教えて……」

「うるせえな……。みちこ、明日も早いんだよ朝練で……」

 と言って、みきおは体を右に向けた。

「教えてよ……」

「うるせえ……」

「教えなさいよ〜!」

 声の主がベッドの中からヌーっと出てきた。

「ぎゃああああ!!」

 みきおの悲鳴が響いた。

「どうした!?」

 父、母がかけてきた。

「あ、あが……」

 みきおはベッドからひっくり返っていた。

「なにあんた? あなた、これ変な夢でも見てこうなってるのよ」

 母は呆れ、その場をあとにした。

「おやすみ」

 父は一言言って、部屋に向かった。

「い、いてて……」

 みきおは頭をさすりながら起き上がった。

「なによあんた……。男らしいくせにいやにビビりじゃないの?」

 声の主がニヤニヤしていた。

「お、お前何者だ!?」

 指をさして聞いた。

「あたし? あたしはひな人形。あんたの家に昔からいるよ」

「はあ?」

「信じてくれない? あんた小学生の頃、一度だけ毛の代わりにひまわりの花が生えたことあるわよね」

「な、なんでそんなこと知って……」

「あたしはみちこちゃんが、あたしみたいになりたいって言ってた頃から知ってる」

 みきおはハッと気づいた。確かに、よく見れば今しゃべっているひな人形は、自分ちのひな人形だ。

「当時あんたが七歳で、みちこちゃんのことをよくいじめていたのも知ってるのよ?」

「え、ええ?」

 ひな人形はニヤニヤした。

「かわいそうだったんで、そのあと、一週間くらい、いろいろな生き物のフンを踏んだりかけたりしてやったのよね!」

「フン? あ、あれか!」

 みきおは思い出した。


 あれは七歳の時。

「やーい! 返してほしければ奪ってみろ!」

 当時やんちゃだったみきおは、暇になるとみちこにいじわるをしていた。彼女が大事にしているぬいぐるみを高く上げて取れないようにしている。

「うわーん!!」

 みちこは泣いた。ひな人形は、その様子を居間のひな壇から覗いていた。

 その後、みきおは通学中、月曜日に犬のフンを踏み、火曜日は鳥のフンが頭にかかり、水曜日はネコにフンをかけられ、木曜日はウサギのフンをチョコと間違えて拾い食いして、金曜日は好きな人に野グソを見られた。


「そうか! お前が全部仕組んだ不運だったんだな!」

 みきおはひな人形を指さした。

「あははは!! だっせー!」

 ひな人形が指さし、嘲笑した。

「ぐぬぬ〜! てめえ! 野グソを見られた時はわりとショックだったんだぜ!」

 みきおはひな人形をつかまえるため、迫った。しかし、ひな人形はピョンと跳ねて、避けた。みきおはまた迫るが、ひな人形はピョンと跳ね、避けた。迫り、避け、迫り、避け、迫り、避ける。

「うお〜っ!!」

 みきおはベッドからジャンプした。

「バーカ!」

 ひな人形はサッと交わした。

「うわあああ!!」

 みきおは顔から床にダイブした。

「どうした!」

 父と母がかけてきた。

「あなた! みきおは絶対変な夢を見ているのよ〜」

「どんな夢か知らへんけど、もちっと静かにしいや?」

 父と母はそれだけ言うと、自分たちの寝室へ戻っていった。

「昔からあんたの両親はやさしいわね」

 ひな人形は、まだ顔からひっくり返ったままのみきおにささやいた。

「あんたには、教えてほしいことがあって、来たのよ」

 と、ひな人形。

「いて〜」

 みきおは鼻血を出しながら起き上がった。

「えっちー。あたしに興奮してんの?」

 ひな人形が胸を押さえた。

「いやお前のせいだろ……」

「まあいいや。それより、あたしを人間の女の子らしくしてちょうだい」

「はあ? なにをわけわからんことを申しておる? お前は人形だろ。人形が人間になれるわけねえだろが」

 ひな人形が勉強机にあった辞書を投げつけてきた。

「いってー!」

 鼻に命中した。

「つまりね? あたしはみちこちゃんみたいに、天真爛漫てんしんらんまんな人間になってみたいってことだよ」

「あんなやつみたいに? あんなのにみたいになると、毎日わがまましか言えない、ろくでなしになるぞ?」

 今度は石が投げつけられた。

「うおおお!!」

 鼻に命中した。

「みちこちゃんのこと悪く言うな! あの子だって、ほんとは女の子らしい一面がいっぱいあるのよ? あたしはね、あの子のそんな姿を見て、人間の女の子になりたいなって、思ったんだ。そして、みちこちゃんと、仲良くなりたい!」

「は、はあ?」

「みちこちゃんとお出かけして、みちこちゃんとお菓子を作って、みちこちゃんと遊びたい!」

 みきおは、今までみちこのことをそこまで言ってくれる人を見たことがなかった。家ではわがままやりたい放題で困った妹だが、急に話しだしたひな人形にとっては、彼女は仲良くなりたい理想の人物に過ぎないのである。

「じ、じゃあどうするんだよ?」

 みきおは聞いた。

「決まってるでしょ? ひな人形がしゃべりだしたら、みちこちゃんは驚くわ。あんたは特別、人形がしゃべるくらいじゃ驚かないみたいだけど」

「いや驚いただろさっき!」

「そーこーで!」

 ひな人形は、みきおの赤くなった鼻に指を突く。

「あんたに協力してほしいの」

 ウインクした。

「ふ、ふざけんな……」

 みきおが呆れると、鼻をデコピンされた。

「いてーっ!!」

「どうした!!」

 激痛が走り、みきおが叫ぶと、父と母がかけてきた。 


 朝が来た。そして昼が来て、夕方になった。

 みきおはスーパーに来ていた。夕方はタイムセールなどでたくさん人がにぎわっていた。

「ここが、スーパー!!」

 ひな人形はみきおの通学カバンからひょこっと顔を出し、目を輝かせた。みきおはあわてて中に押し込んだ。

「ったく。なんでこの俺がひな人形に頼まれて、ケーキの材料なんか買わにゃならんのだ……」

 みきおは、生クリーム、生卵、イチゴなどのケーキの材料をカゴに入れていった。

 スーパーを出た。

「ぷはあ! カバンの中は苦しい」

 と、ひな人形。

「お前がしゃべって動いてるとこ他のやつが見たらびっくりするからな」

「ケーキって、どうやって作るの?」

「はあ? お前、人間の女の子みたいになりたいから、まずはケーキ作ってみたいって言ってたろ?」

「そうだけど?」

「じゃあ、ケーキの作り方くらい知ってんじゃねえの? 俺はわかんねえよ」

「いや、ケーキというものがなんなのか知らないし……」

 ひな人形は、なにも知らないままケーキを作りたいと言い出していた。みきおは唖然とした。 

「ただいまー……」

 みきおは、通学カバンと材料の入った袋を隠して横歩きで家に入った。ひな人形のことをバラすわけにはいかないから。

「お兄おかえり!」

 みちこが来た。みきおは驚いて、みちこに背を向けた。

「あーなんか隠してるやろー?」

「ば、ばろー! んなわけねえだろ?」

「じゃあなんで、横歩きしとるん?」

「部活の練習だ! いいから居間でソファーに寝っ転がってテレビでも観てろ!」

 と言って、部屋に入った。みちこはほおをふくらませた。

「で、作るの作るの?」

 ひな人形はわくわくした。

「まだ作んねえよ」

「はあー?」

「当たり前だろ? ケーキはキッチンで作るんだ。だからまあその、夜中にこっそりやるぞ?」

「えー?」

 なぜか顔をしかめた。

「父さんや母さんにケーキ作ってるとこ見られて、どうやって説明すればいいんだよ!?」

 みちこはみきおの部屋のドアに耳をすませていた。

「ケーキ? お兄、内緒でケーキ買ってきた!」

 夕飯の時間になった。

「なあお兄」

「なに?」

「しりとりしよや」

「ああ? まあ、うんいいけど……」

「ほなみちこからいくで? おにぎり!」

「りんご」

「ごま」

「まんじゅう」

「う……。うん……やなくて、う?」

 みちこは考えた。みきおはしりとりなんかどうでもいいようにして、ご飯を食べていた。

「みちこみちこ……」

 父が耳を貸した。

「馬なんてどや?」

「それじゃあかんやろ!」

「ええ!?」

 なぜか怒られて、戸惑う父。

 ピンときたみちこは答えた。

「受け!」

 席を立ち、言った。

「座りなさいみちこ」

 と、母が注意する。

「お兄、次"け"やで! はよ言いや?」

「はあ?」

 みちこはニヤリとした。

(これでケーキと言わせてやれば、お兄が内緒でケーキ食っとったことバラせる……)

 と思っていた。

「毛玉……」

 が、しかし。ケーキとは言ってくれなかった。みちこは目を点にして、呆然とした。

「みちこ、座りなさい」

 まだ席を立ったままのみちこを注意する母だった。

 夕飯がおわり、みきおはテレビを観ていた。

「お兄! ニュースにしてええか?」

「お前、頭でもぶったか!」

「なんでそんな驚くねん! みちこはそないなアホやないわ!」

 逆ギレした。

「せ、せやかてニュースを見れば、景気とか景気とかわかるやろ?」

「景気?」

「そうそう。景気やで? け・い・き!」

 ニヤニヤするみちこ。ついに化けの皮を剥がすかと期待した。

「それよりこのクイズ番組、おもしろいぞ。お前もいっしょに考えようぜ?」

 みちこは目を点にして、呆然とした。

「えー? 俺はAだと思ったけどなあ」

 テレビで正解が出て一人で反応するみきお。

「こうなったら最後の手段や……」

 ぷるぷる震えるみちこ。

 みちこはニ階にあるみきおの部屋に来た。誰もまわりにいなかったので、すぐに入ることができた。

「お兄はきっと、部屋のどこかにケーキを隠しているに違いない!」

 みちこは、押し入れや勉強机、さらにはベッドの下まで探した。

「みちこちゃんだ!」

 天井裏にいたひな人形が、こっそりとケーキを探すみちこの姿を覗いていた。

「ケーキなんてない……」

 ふと、

「もしや、もう食べてもうたんか!!」

 ショックを受けた。

 みちこはズーンとしたまま、一階に戻ってきた。

「みちこ。お風呂沸いた……って、どうしたのそんな暗い顔して?」

 母は首を傾げた。


 父と母、そしてみちこも眠りについた夜中〇時。

「ケーキを作るのね!」

 はしゃぐひな人形。

「静かにしろっ。いいか? とりあえず、お前はハンドミキサー使って、天井裏で生クリーム作ってこい。俺はここで、イチゴを切るからな?」

 小声で伝えた。

「でもなんで天井裏なんかで作らなきゃいけないのよ? ここでやりたいわ」

「悪いけど、ハンドミキサーは音がうるさいから、一階にいる父さんたち起きてきちゃうかもしれないんだ。だから、すまないけど、頼むわ」

 ひな人形は、みきおの部屋の天井裏へ向かった。延長コードを用いて、ハンドミキサーをコンセントに繋ぎ、ボウルに注いだ生クリームを混ぜた。

「これをクルクルしてれば、そのうち形になるって言ってたっけ?」

 延々とハンドミキサーをクルクル回した。しかし、そのうちあきてきた。

「あ、そうだ! これこのまま置いとけばいいいじゃんか」

 ハンドミキサーのスイッチをつけたまま、ボウルに置いた。

「みきおのところに行こうっと」

 天井裏から降りた。

 部屋には、みちこがいた。みちこは、降りてきたひな人形を、ポカンとしながら見つめている。

「イエイ!」

 とりあえずピース。

「はあ……」

 みちこは気絶し、倒れた。

「みちこちゃん? みちこちゃん!」

 ひな人形は、みちこの体を揺すった。起きる気配がない。

「目を開けたまま起きない……。これは、気絶!!」

 ひな人形、がく然。

 みきおは、台所でイチゴを切っていた。普段厨房に立つことがないので、包丁は不慣れなようだ。切るスピードは遅く、形もバラバラ。

「ふう。切れた……」

 しかし、なんとか切ることができた。

「あとはこの市販のスポンジに生クリームを塗って、イチゴを盛り付けるだけだな」

「大変大変!」

 ひな人形がかけてきた。

「どうしたよ? そんなにあわてて」

「み、みちこちゃんが……」

「なに!? まさか、バレたか!」

「気絶した……」

 みきおはひっくり返った。

「それってもうバレてるんじゃねえか!!」

「いや、ケーキ作ってるところは見られてないと思う」

「みちこはどこで気絶してんだよ? それと、生クリームどうしたよ?」

「みちこちゃんはあんたの部屋で倒れてるわよ。で、生クリームは、ほっといてる」

「ほっといてる?」

 とにかく、部屋に向かった。

 部屋に来て明かりをつけた時、みきおは、がく然とした。

 気絶して横たわっているみちこと、ボウルがひっくり返り、生クリームまみれになった自室がはっきりと見えたのだ。

「真っ白〜」

 感心するひな人形。

「誰が掃除すんだよ?」

 呆れるみきお。

「はあ……」

 一階に戻り、みきおはリビングのイスに足を組んで座った。

「ケーキは?」

 ひな人形を無視するみきお。

「ケーキは?」

 ひな人形を無視するみきお。

 大きく息を吸って。

「ケーキはあああ!!」

 みきおの耳元で叫ぶひな人形。

「うるせえな!!」

 みきおも仕返しに耳元で叫ぶ。

「あたしは人形だから、叫ばれても平気だよー? ていうか、いいの? 大声なんか出して。両親にバレちゃうよ?」

「お前のせいだろ!」

 みきおは怒った。

「無理だよ。あいつはお前を見て失神した。だから、ケーキを食べて仲良くなるなんて、無理だ」

「なんで? じゃあ、あたしみちこちゃんとどうやって仲良くなればいいの?」

「自分で考えろ」

 みきおはすっかりふてくされてしまった。ひな人形は落ち込んでしまった。

 これまで、ひな人形はいろいろな家に渡ってきた。しかし、どこの家の女の子も、自分たちひな人形を気持ち悪がり、テレビに出てくるキャラクターばかりかわいがった。しかし、みちこだけは違った。みちこだけは、自分のことを気に入ってくれたのだ。

「でも、人間が人形とお話できるのなんて、あんた程度なのわかってる。せめて、ケーキは食べさせてあげたい!」

 ひな人形はリビングのテーブルにぴょんと上がって、生クリームをつけていないスポンジに、形のバラバラなイチゴをのせていった。

 みきおはそんな姿を見て、席を立った。

「みちこちゃん、待っててね。今、あんたの理想のお姫様が、ケーキ作ったげる」

「おい」

 みきおが声をかけた。

「ひっくり返ったボウルに、少しだけどちゃんと混ざった生クリームがあっから、それ適当なとこにつけろ」

 渡されたボウルの中には、底にトロトロの生クリームがあった。

 ほんの少し生クリームがかかっただけの、ケーキが完成した。


 翌日。

「みちこ。お前ケーキ食いたくねえか?」

「はあ? 誕生日でもないのに、隠れてケーキ食べてたやつに言われたないわ」

 すっかりふてくされた様子のみちこ。

「それが、ケーキは誕生日じゃなくても食えるんだよな」

 後ろに隠していた、てっぺんにしか生クリームのかかっていないホールケーキが出した。みちこはケーキに目を向けた。

「別に、俺も食いたかったから、作っただけだかんな?」

「なんで生クリームてっぺんだけなの? こんなのケーキじゃない……」

 呆れているみちこ。

「まあまあ。いいから食えって……」

 苦笑するみきお。

(ひな人形! 絶対食わしてやるから、部屋中の生クリーム拭いとけよ?)

 ケーキができたあと、約束通りひな人形は、みきおの生クリームまみれの部屋を掃除していた。

「お粗末様、みちこちゃん」

 ぞうきんがけをしながら、ほほ笑んだ。

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