8.天使と悪魔の職場体験
第8話
一年一組の生徒たちは、担任からプリントを配られた。
「えーみなさん。明日から三日間、職場体験を行っていただきます」
生徒たちがざわついた。
「みなさんには申しわけありませんが、それぞれ出向いてもらう場所を割り振らせていただきました。それが、プリントに記されているとおりです」
生徒たちはプリントを見せ合って、それぞれがどこに体験に行くのか共有した。
「お前近くの食品製造会社じゃんかよ」
「私なんて、スーパーの店員よ?」
「僕は研究員さ」
がっかりする生徒と、喜ぶ生徒がいた。
「みんな希望に沿った場所に行けるとは限らないんだね」
よしきがつぶやいた。
「よっちゃんはどこに実習するの?」
あかねが聞いた。
「あたしは銀行マン」
「えー! むちゃくちゃ責任感大きい職場じゃん」
あかねは感心した。
「あかねちゃんは?」
「へへーん。私はね……。うらやましがらないでよ?」
「あー。なになに? 楽なところ? 楽しいところー?」
よしきはあかねをひじで突いた。
「楽じゃなくて、楽しいのかな? 保育士!」
「うわ、大変そう……」
「え、なんで引くの?」
「保育士って、ブラックって聞くし、子どもの世話も大変だけど、親がモンスターペアレントだったら、その人たちともうまく付き合わないといけないし」
わりと真剣な顔で話すよしき。あかねは息を飲んだ。
「僕らがそこまで介入することないだろ?」
みつるがツッコんできた。
「みつる君?」
と、あかね。
「そうだよね。きっと中学生なんだから、楽しくやらせてもらえるよ。でもみつる君は、職場体験は保育士じゃないんでしょ?」
「あたしと同じ、銀行マンかな? お互いパソコンとにらめっこ、ひたすらハンコ押しに励もうじゃないか。あっはっは!」
よしきがみつるの肩を叩き、笑った。
「プリントをよく見てみろ……」
と、みつるが言うので、あかねとよしきはプリントを見てみた。
「あ……」
みつるの名前が記されていた。保育士の欄に。
職場体験当日。保育園の子どもたちは、教室で好きなだけ走って、好きなだけおもちゃを投げていた。投げたおもちゃが頭に当たって、泣き出す子もいた。
「ここは動物園か……」
まず、みつるはそう思った。
「みんなー! 今日は中学生のお兄さんお姉さんたちが、遊びに来てくれたわよー?」
保母さんが手を叩いて合図した。
「わーい!!」
園児たちは、職場体験に来た中学生たちに群がってきた。その勢いに圧倒される中学生たち。
「はいはい静かに! 今日から三日間ね、職場体験といって、保育園の先生の、体験をしてもらいます。じゃあ一人ずつ、自己紹介をお願いしまーす!」
トップバッターはあかね。
「は、はじめまして! あ、あかねです。せーいっぱいがんばりますので、よ、よろしくお願い……ひゃっ!」
男の子の園児に、胸を触られた。
「おいお前中学生なのにおっぱいちっちぇえな!」
他の園児が笑った。あかねは顔を赤くして、うつむいた。
保育園の外から、エンジェルとデビルがこっそりと、様子を伺っていた。
「いっひっひっ! あーっはっはっは!」
デビルはお腹を抱えて爆笑した。
「もうデビル! なにがおかしいの?」
怒るエンジェル。
「だって〜。みつるが保育士だよ? あのみつるが! ちゃんと子どもたちと接してるところ、想像できる?」
「でも、今回の職場体験が、みつる君の心を開くチャンスかもしれないよ?」
「なーにがチャンスよ? あたいにしちゃあ、職場体験を三日したくらいで、あいつが心変わりするなんてこと、あると思わないけどね」
「デビル!」
「なにしたって無駄なのよ」
デビルは完全にあきらめモードだった。みつるは心を開くことなく、勉強だけして、大人になれば仕事だけして生涯をおえると思っていた。しかし、やさしい心の天使のエンジェルはあきらめない。
「みつる君はそんなわからず屋じゃないよ。中学生になる前のみつる君を知ってるでしょ?」
デビルは、プイッと顔を背けた。
さて、一方で職場体験のほうはというと、だいぶ苦労しているようだった。まず園児たちが言うことを聞かない。特に男の子たちがわんぱくだった。おもちゃは投げるし、走るし、女子中学生とあらば、胸やおしりを触ってくる。脱がそうとする強者もいた。保母さんから、女子は女の子だけを、男子は男の子だけを相手するようにと堅く決められた。
しかし、女の子だからって、甘く見てはいけない。
「ねえお姉ちゃん。ちかと遊びましょ!」
フリルの付いたスカートを着用した女の子、ちかが、あかねに声をかけた。
「いいわよ。なにして遊ぶ?」
「おままごとに決まってるでしょ? お姉ちゃんは犬役、まきちゃんは酔っ払ったお父さん役、りんちゃんは不良の息子役、ちかは美人妻の役ね!」
「また酔っ払ったお父さんー?」
まきちゃんが呆れた。
「りんも美人妻やりたーい」
りんちゃんが文句を言った。
「うるさーい!! さっ、始めるわよ?」
(うわ、この子お嬢様タイプだ……。親の顔が知れてる……)
あかねは唖然とした。
「まあ、あなたまた酔っ払ってきたの? お酒もほどほどにしなさい」
「ういーひっく」
まきちゃんは棒読みだ。
「こらこら息子よ。また学校サボって遊びに行ってたの? 不良は将来的にもよくないことよ?」
「ばかやろこのやろおめー」
りんちゃんも棒読みだ。
(え、なにこれすごい棒読みなんだけど? あ、こんな感じでままごとが進むの?)
呆然としていると、
「犬!」
「は、はい! じゃなくて、わんわん!」
「違う違う違ーう!」
怒るちか。
「な、なにか間違ってた?」
「犬は三回回って、わんって鳴くんでしょ?なんでいきなりわんわん鳴くの!」
「えー?」
「これじゃあやりなおしね!」
「もうまきやんない」
「りんも」
まきちゃんとりんちゃんが去っていった。
「ちかちゃんのおままごとなんて付き合ってらんないもん。二人でフリキュアごっこしよ?」
「そんな! 待ちなさいよまきちゃんりんちゃーん!」
まきちゃんとりんちゃんは、カッカするちかをほっていってしまった。
「はは……」
あかねは苦笑いしかできなかった。
みつるは、じっと座っていた。誰も相手してくれない。相手しようともしない。
「ちょっとみつる君いいかな?」
保母さんに、ろうかに呼ばれた。
「あの、緊張してるのはわかるんだけど、実習に来てるからね? その……もうちょっと園児たちと接してくれないかな?」
「いや、無理です」
率直に答えた。
「だいたい、やりたくてやってるんじゃないんですこんなこと。勝手に決められて、来てるんですよこっちは」
と言って、その場を離れた。
「今時の子はものをはっきり言えるのね……」
感心と驚きが混ざって、複雑な心境に浸る保母さんだった。
「みつる君、あんなこと言って……。ほんとは仲良くしたいんだよね? でも、どうすればいいかわかんないんだよね?」
園の外から、エンジェルが泣いていた。
「しょうがない。今回だけ、今回だけエンジェルがみつる君のためになってあげるからね?」
涙を拭き、言った。
「いや、前も取り憑いたでしょ?」
デビルは、買ってきた缶コーヒーを飲み、呆れた。
教室に戻れば、騒がしい園児たちの声。じっとしているだけでも、イライラしてくる。みつるは、早く帰りたいとさえ思っていた。
「みーつーる君!」
声がして、後ろを向いた。
「え!」
驚いた。
「助けてあげる……」
背中から取り憑いた。
「よーし! 次は俺の番だ!」
男の子たちは、ベーゴマをしていた。
「あたしも入れてー!」
園児たちは、そろって顔を向けた。女の子走りしてくるみつるが見えた。
「ねえなにしてるの? ベーゴマ? あたしも混ぜて!」
急に乙女らしくなったので、男の子たちは呆然。もちろん、世話していた中学生たちも呆然。
「ベーゴマって、こうして、こうするのかしら?」
ヒモにくくり付けて投げるも、回らなかった。
「下手くそ! てかキモいんだよ!」
男の子たちが、みんなでみつる(エンジェル)におもちゃを投げつけてきた。
「きゃー! やめてー!」
そのうち、大きな車のおもちゃが顔を直撃した。みつる(エンジェル)は気絶した。
「きゃーみつる君! みなさんやめなさーい! 今すぐ救護室に運ばなくちゃ!」
保母さんが、みつる(エンジェル)を運んで、救護室へと急いだ。
「ったく。エンジェルもバカねえ」
園庭から見ていたデビルは、肩をすくめた。
救護室で気絶していたみつるが、目を覚ました。
「みつる、ちょっと体借りるわよ?」
デビルはみつるが気絶している間に、乗っ取っていた。
教室では、お昼の時間になっていた。わんぱくぞろいの園児たちは、じっと座って食事をすることがない。座るように促しても、スルーされてしまう。
教室に、みつるが戻ってきた。
「あら。お目覚め?」
と、保母さん。
「このクソガキどもがー!!」
みつるが叫んだ。みんな静かになった。
「あんたたちは今日からあたいの子分よ? いい? 命令に従わないものは……」
一人の男の子に近づき、
「こうよ!」
デコピンした。
「うわーん! 痛いよー!」
泣いた。
「お、おいみつる!」
近くにいた男子が注意した。
「あんたもしてやりたいとか思ってんじゃないの?」
ニヤリとした。
「泣くほど痛いのよ? さあ、従う気はあるか!」
園児たちが、男女両方ともコクコクとうなずいた。
「じゃあそのお弁当全部あたいによこしな」
「ええ!?」
みんな驚いた。
「ち、ちょっとみつる君! それはあんまりだよ」
あかねが寄ってきた。
「ついでにあんたのもね」
「ていうかデビル、あんたでしょ?」
耳打ちした。みつる(デビル)は手でグッジョブした。
「ほら実習生も保母さんも園児もみーんな弁当を渡しなさい! さもないと、痛い痛いデコピンをくらうわよー?」
園児たちが、みんな自分たちの弁当を渡してきた。
「わーっはっはっは! 子どもは所詮子どもなのよ」
山積みになった小さな弁当を持って、笑うみつる(デビル)。そこへ。
「!」
エンジェルが、無理やりみつるに取り憑いた。デビルが抜けて出てきた。
「ごめんなさいみんな……。お弁当返すから、許して?」
突然やさしくなったみつるに、当惑する園児たち、保母さん、中学生たち。
「この〜! 取り憑いてる時に取り憑いてくるなんて卑怯よ!」
デビルは、エンジェルが取り憑いているにもかかわらず、みつるに乗り移った。
「きゃあ!」
エンジェルが飛び出てきた。
「なーんてね! 誰がお弁当を返すもんですか! あかんべー!」
園児たちがわーわー言い出した。みつる(デビル)はおしりペンペンしながら煽った。
「デビル〜!」
怒ったエンジェルは、もう一度みつるの中に飛び移った。
「きゃっ!」
デビルが飛び出てきた。
「ごめんなさいみんな! お弁当返すから……」
飛び出てきたデビルがまた乗り移った。
「きゃっ!」
エンジェルが飛び出てきた。
「へっへっへ!」
飛び出てきたエンジェルがまた乗り移った。
「うふふ!」
飛び出てきたデビルがまた乗り移った。
「へっへっへ!」
飛び出てきたエンジェルがまた乗り移った。
「うふふ!」
飛び出てきたデビルがまた乗り移った。
「へっへっへ!」
飛び出てきたエンジェルがまた乗り移った。
「うふふ!」
飛び出てきたデビルがまた乗り移った。
「へっへっへ!」
飛び出てきたエンジェルがまた乗り移った。
「うふふ!」
飛び出てきたデビルがまた乗り移った。
「へっへっへ!」
飛び出てきたエンジェルがまた乗り移った。
「うふふ!」
飛び出てきたデビルがまた乗り移った。
乗り移った。
飛び出た。
乗り移った。
飛び出た。
乗り移った。
「いい加減にしろーーー!!」
みつるが怒鳴ると、エンジェルとデビル二人ともが飛び出てきた。
「はあはあ……。なんなんだよ出たり入ったり交互にくり返しやがって! あんまり野暮な真似したら学校でなに言われるかわかったもんじゃないだろ? 心の中の天使と悪魔なんかいらない! 僕は僕だ!!」
教室が静まり返った。
あかねが拍手した。すると、他の中学生も、保母さんも、園児も拍手した。みつるは呆然とした。こんなよくわからない状況初めてだ。
「まだ一日目だってのに、僕はなにを……」
夕方、家。実習初日は、へこんだ。シャイな自分が、大勢の前で大きな声を出して怒ってしまった。しかも、実習先で、園児の前でだ。みつるはもう明日から行きたくないと思った。今まで、こんなに不安になって、悔しい思いをしたのは初めてだった。どうせ園児とはつるまないで、ひっそりと三日間を過ぎると思っていた。しかし、目立ってしまった。明日から、どんな目でみんなに見られるだろう。そればかり、頭によぎってしまう。
「エンジェルたちのせいで、みつる君が今までにないくらい落ち込んでる……」
「そうね。あたいたちと顔を合わせたくない感じでもあるわよ?」
「ただみつる君を助けてあげようとしただけなのに、ムキになってしまったのが災いだったんだよ。ああ、ほんとにほんとにごめんなさい……」
エンジェルは頭を抱えた。
「あんたが落ち込んでどうするのよ? みつるが勝手にキレたんだから、みつるの問題でしょ?」
「デビルはどうしてそう勝手になれるの!?」
声を上げた。
「え、まあ悪魔だから」
エンジェルはなにも言わず、顔を伏せた。
「それよりもみつるさ、あたいたちのこといらないなんて言ってたじゃない。もしも、もし仮にもよ? このことをきっかけに、心を開くようになったらさ、あたいたち元に戻れるチャンスじゃん」
エンジェルはうつむいたままだ。
「あっそ。あんたはそこまでみつるが落ち込んでるのが見てられないの? 人はね、落ち込んでこそ、本当の自分を知り、心を開いていくようになるものなのよ。天使みたいにね、なんでもかんでも楽しくチャンチャラしてればいいわけじゃないのよ」
「……」
「あたいらは元々みつるの中の天使と悪魔。ここはさ、元気が出るまで見守るのも手でしょうや」
みつるは部屋のベッドでうつ伏せになっていた。
体験二日目。予想外なことに、みつるは園児たちから人気者になった。
「ヒーローごっこしようぜ!」
「ダメよ! ちかとおままごとするんだから。王子様役でね!」
「えっと……」
たくさんの園児たちに囲まれて、みつるは当惑した。
「みつる君さすが! 昨日ので一躍大スターだね」
と言うあかねの元に、保母さんが来た。
「彼、園児たちの中でヒーローなんて言われてるんです。多分、かっこよかったんでしょうね」
「確かに。かっこよかったかも!」
あかねは目を輝かせた。
みつるは残り二日間、園児たちと付きっきりだった。園庭で遊んだり、おままごとに付き合ったり。おかげで帰ったあとはクタクタだった。すぐベッドの上に横になった。
でも、胸にこみ上げてくる感情を抱いていた。それは最近じゃまったく得られなくなった、勉強をいっぱいして、テストで初めて百点を取った時感じた気持ちを。それはうれしいという気持ちだった。
「よかったねみつる君!」
エンジェルが微笑んだ。みつるはなにも答えないが、もし素直な性格だったら、思いっきり笑いたいくらいだったに違いない。
「僕は僕だ〜」
デビルがわざとらしく真似をした。
「てめえ〜!」
みつるが怒り、デビルに掴みかかろうとした。
「やめて〜!」
エンジェルは、それを止めようとしたのだった。
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