第2話

俺の名前は石原拓磨いしはらたくま。都内の会社で営業の仕事をしている。

目の前でパスタを頬張っているのは同じ会社で事務をしている中村浅葱なかむらあさぎさん。


浅葱さんは俺と同期入社した女性ひとで、顔を合わせた際の第一印象は「物静かなお嬢様」という感じだった。背中まであるサラリとしたストレートの黒髪に、常に微笑みを浮かべた少し垂れ目な大和撫子。研修ではどんな仕事が来ても表情を変えず黙々とこなしていた。


俺もあまり喋る方ではないし、お互い本格的に業務に入ると関わる事は少なくなって顔見知り程度の認識でしかなくなっていた。


再び関わるようになったのは1年後。

あの日も今日みたいに営業先から戻ったのは定時を過ぎていた。

そして、ガランとした事務所内に珍しく彼女が残っていたのだ。


関わりがなくなった後も彼女の事はよく聞いていた。

曰く、彼女はどんな仕事にも嫌な顔一つせず要領良くこなし、残業する事も滅多にないそうだ。

更に、ちょっとした差し入れを持って頼めば、どんな手段か客とのトラブルを取りなして、こちらのペナルティを最小限に抑えてくれるので、良い人材が入ってくれたと部長が飲み会の度にホクホク顔で話題にしている。


そんな人なので1人残っている姿は目を引いた。


「珍しいね、残業してるの」


気付いたら話しかけていた。振り返った彼女は変わらない微笑みで俺に応える。


「あら、石原さん。お疲れ様です」


「1人?」


「ええ。…2万の臨時収入ボーナスいただきまして」


そう言って取り出したのは1万円札が印字されたチョコレート。駄菓子扱いのネタチョコでボーナスと言えるような価値はないだろうに。

飲み会での話は本当だったらしい。


「手伝うよ」


「あら、ありがとうございます」


自分の机に手早く荷物を置いて彼女の元へ戻る。やっていたのは案内文書の封詰め作業だったらしい。

書類を三つ折りにして封筒に入れるだけで、既に残り3分の1程度まで終わらせているようだが、かといって彼女を置いて先に帰るなんて薄情な事はできない。

俺は彼女の隣の席を借りて、作業に入った。


「……ねぇ、中村さんって、チョコレート好きなの?」


暫くして俺は彼女に問いかけた。

おおよそ5枚に1個のペースでゴミ箱の中にチョコレートの包み紙が降り積もっていく。

彼女の伸ばした手の先にチョコレートだけが入った小物入れを見て思わず声にしてしまったのだ。


「ヘビーショコラーなんです」


聞いた事のない単語が返ってきた。まぁ、言いたい事は分かるけれども。

想定外の返答が面白くて、俺は更に問いかける。


「チョコレートに釣られちゃった?」


「ふふ、そうですね。ただ、私が断っても別の人に行くわけで、なら貰えるもの貰って受けた方がお互い良い気分で済むでしょう?」


「…確かに」


ただ流されていたのではなく、案外色々考えて受けていたんだな、と感心した。実際彼女は有能で、こうして話しながらも封詰め作業は滞りなく進んでいる。俺もそれなりの量を作ったが彼女には到底及ばない。


「ネタチョコとか面白くて好きなんですよ。感謝状とか金一封とか。…反省文を持ってこられた時は流石に恐々としましたけど」


何やらかしたんだ、それ持ってきた人は。

なんとかなる内容だったので受けましたが、と笑って話すから本当に困ったことにはならなかったのだろうが。

何にせよ、部長が気に入るわけだなと思う。


「中村さんは、面白い人だね」


人は見かけによらないな、と彼女に対する認識を改めた。


「ダメですよ、石原さん。ちゃんと言葉を選ばないと。女性に面白いは褒め言葉じゃありません」


不意に彼女が真剣な声音で指摘してきた。ハッとして彼女を見ると、微笑みをそのままに真っ直ぐこちらを見返してきた少し挑戦的な視線と合う。


「そういう時は、チャーミングって言うんです」


怒っているのかと思いきや揶揄い混じりの指導が入り、俺は呆気に取られた。そして言われた言葉を処理するとその雰囲気のちぐはぐさにフッと笑みが溢れた。


「…それは失礼しました」


思えばこの時既に彼女に惹かれ始めていたのかもしれない。


「中村さんは魅力的チャーミングだね」


「分かれば良いんです」


俺の言葉のニュアンスが伝わったかどうかは分からないが、彼女は満足そうに頷きいつもの笑顔を見せた。


あのやり取りから早5年。

俺たちの関係はただの同僚から恋人同士に変わり、今では俺の家で同棲している。


レストランを出て手を繋いで家路に着く。

ああ、ちなみに支払いは共同資金から毎回俺が払っている。

浅葱さんが俺からネタチョコを巻き上げるような言動をしたのは、単純に彼女の趣味だ。


「ただいま〜、お帰り〜」


「ただいま」


家に着いてお互いに声を掛け合い、リビングに入る。一旦分かれてそれぞれ部屋に行き、室内着に着替えてまたリビングに集まった。

浅葱さんはオープンキッチンに入り、戸棚を漁っている。


「今お茶淹れるね」


「あ、いや俺は…」


「うん大丈夫、分かってる」


レストランでも飲んだし今はいい、と言おうとした所で浅葱さんが振り向き言葉を遮った。


「コーヒーでしょう?」


「違う、そうじゃない」


しょうがないな、と言わんばかりにマグカップを取り出す彼女を、苦笑して止めに入る。

本当に好きだねそのネタ、と言うとやり切って満足した彼女の笑顔が返ってきた。


浅葱さんはチョコレートと同じくらい、「お約束」が好きな女性なのだ。

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