第3話
ㅤ……あの時の悠人は、私のこの顔面を見ていたんだと再確認し、ひどく絶望した。
ㅤベッドに横たわり、大口を開けてアホ面をして眠っている私は、とても寒そうだ。
アホ面をしているくせに、ひどく顔色が悪い。
自分でさえも本当に生きているのかと心配になってしまうほどだ。
実の部分の私は寒くも何とも感じなかった。できれば眠っている皮の私のために窓ガラスを閉めてあげたいけど、実の私にはそれができなかった。
部屋の中をあっちへ行ったりこっちへ来たりと自由に動き回れるし、なんなら空も飛べそうだ。どこか遠くへ飛んで行きたいとも思ったけど、ベッドに寒そうに眠る皮の部分の私を見ると、放ってはおけなくなった。あれほど悠人が好きなバナナになりたいと願ったから、こんな変な夢を見てしまったのかもしれない。
「おい! 奈美! 大丈夫か!?」
危機迫った声が聞こえてきて、窓の外に視線をやった。
『え? 嘘でしょ!?』
ウチのベランダによじ登りながら悠人が必死に叫んでいる。
やっぱこれって夢よね!?
ベランダに降り立った彼は、開け放たれた掃き出しの窓から土足で不法侵入をしてきた。
その手にぶら下げられたコンビニの袋には、彼の大好物のバナナがいくつか入っている。その袋を乱暴に床に置くなり、ベッドに横たわる私へと土足で駆け寄って行った。
「おい!大丈夫か!? 起きろ! バナナ買ってきたぞ! すぐに起きろ!」
『なんでそんな所から入ってきたの!? 靴靴!!』
という私の声は、声にはならない。
ここはアパートの2階だ。
彼の身体能力が高いのは知っているけど、この雨の中、コンクリートの外壁をよじ登ってくるなんて普通じゃない。しかもバナナ入りの買い物袋まで持参してるなんて、どうやったらそんな芸当できるの。スパイダーマンじゃあるまいし、もしも滑って落ちたりしたらと思うとゾッとした。
「ここはセキュリティがなってないな。2階だからって窓を開けて寝るのは危険だぞ。昨日から電話かけても全然出ないし、インターホン押しても出ないから、なんかあったのかって気が気じゃなかったんだからな! めちゃくちゃ心配したんだからな! おい目を開けろよ!」
彼は、ずぶ濡れになって気の立った野良犬のように怒り喚いた。
そんな時に不謹慎だけど、水も滴るイイ男だな~と、見惚れてしまった。
いつも『見惚れる』という行為を堂々と出来ないでいたから、今がチャンスだと、悠人のありとあらゆる角度からその魅力的なイケメンっぷりを観察した。
ああ、カンペキな容姿。
ㅤ裸体を絵に描きたい気分。
ㅤほら私、一応美大出身だから、綺麗な造形のものを見ると、どうにも創作意欲が掻き立てられてしまって……。
「奈美! 奈美! しっかりしろ!」
そんな妄想にふけっている間も、悠人は必死で私の身体を揺り動かしている。
目を覚ませと言われても、私の中身は彼の後ろにいるから難しい。
『ここよ、ここにいる。戻れないのよ!』
大声で言って彼の肩をバシバシと叩くけど、この手は彼の身体を貫通するだけで少しも叩けない。
困った……。
悠人は私の皮の部分に寄り添い、空っぽになった私の額に手を当てている。脈を測ったり、口元に耳を当てて呼吸を確認したり。
「生きてるよな? …ってか、なんなんだよそのオモロい寝顔は! …まさか寝たフリか!? またイタズラかよ!? だったらタチが悪いぞおい!」
悠人は動揺した様子で、私のアホ面の寝顔を事細かに観察している。そんなに毛穴が確認できるほど近づかないで欲しいと拒否したくても、私の身体は何一つできない無防備なままだ。
「これ以上タヌキ寝入り続けるならこのチチ揉むぞ! いいのか!? 揉むぞ!」
新しいタイプのゲスい脅しね……。
ㅤここに心臓なんて無いはずなのに胸がドキドキするじゃない。
「おい! いい加減にしないと俺の好きにするぞ! いいのか!?」
私は悠人の尻にケリを入れた。
すり抜けて全然効かない。
『寝たフリだったらもっと可愛い顔で寝てるわよ!』
私は、彼に寄り添われてアホ面で眠っている私を、もっとマシな顔で寝てろと叩き起してやりたくなった。特級レベルのアホ面で眠っている私に、とても近すぎる彼を第三者の目線で見ていると、恥ずかしくて仕方がなくなった。
もうこれ以上みっともない私を近くで見ないで欲しいと、実の私は皮の私を隠すように覆いかぶさった。
「なあ起きろよ! 冗談やめろよ!」
悠人は私の両肩を揺らして必死に叫んでいる。
なんとなく、いつもの悠人のにおいがした……。
男っぽい、身を委ねたくなる、フェロモン爆発してるんじゃないのっていう、病みつきになるそのにおいが、私の鼻腔を刺激する……。
悠人のバリトン並の低くて心地良い声が、私の鼓膜を震わせてきて……。
私はようやく、その彼の手の温もりを感じることが出来たのだった。
私はゆっくりと目を開けた……。
ㅤ涙目の悠人が、私を見ていた。
王子様…? と呟きそうになって、すんでのところで飲み込む。
「…死ぬかと思った」
「アホか! こっちが死ぬ思いだったぞ! マジで心配かけんなよ! 俺を心配させたことに謝れ! 心から謝れ!」
彼は、横になっている私に覆いかぶさったまま、パーソナルスペースなんて存在しないかのように私から離れない。
「悠人が勝手に心配して不法侵入。危ないじゃない。なんでそこまでしてここに来たのよ? それに、靴、靴、ウチは土禁なの!」
悠人は履いていた靴を脱ぎ捨てながら叫んだ。
「心配すぎたんだよ! 全く連絡取れないなんて初めてだったろ!? 奈美が好きだから心配だったんだ。心配ぐらいさせてくれたっていいだろうが!!」
今、私が好きだと言った?
夢? それともドッキリ?
「…えーっと、ごめん。…寝起きで全然、少しも聞こえなかった。私のことがなんだって?」
もう一度聞きたくて、すっとぼけてアンコールしてみた。これが本当なら100回でも1000回でも聞いてみたい。
彼はシラケたような目をすると、ベッドの上の私に馬乗りになってきた。
「好きだ! めちゃくちゃ好きだ! ずっと前から恋愛感情としてお前が好きだ! 俺はお前にしか興味がない! どうだ聞こえたか!? 俺はマジで言ってんだぞ!」
私の両腕を強く掴んで、半ば乱暴にも取れる激しい告白をしてきた。
ㅤよくある胸キュンエピソードの壁ドンどころか、ベッドでドン! だ。略してベッドン! これニュータイプ。…て、そんな冗談でも心の中で呟かなければ私は昇天して気絶してしまいそうで……。
「わ、わかった。わかったから!」
圧倒された私はコクコクと何度も頷いた。
「……で、奈美はどうなのさ? 奈美のターンだぞ!」
彼は若干顔を赤らめながら、ヤケになったように催促してきた。
私のターン? どうしよう。
真っ直ぐと見つめてくる悠人の顔を直視できなくて、少し視線を外した。なんでコイツ無駄にイケメンなの? って文句が言いたくなる。
「……好きに決まってるじゃない。しかもずっと前からよ。悠人って鈍感のバカ。……最近では、あなたの好物のバナナでもいいからなりたいと願ってたわよ」
「…なんだよそれ。奈美がバナナだと色々と困る。そのままがいい」
彼は安堵したように表情を緩めた。
ㅤ無駄に私の頬に手のひらで触れてくる。
そういえば私は今ノーメイク。
ヤバい! 近い! 毛穴見ないで!
爆発的に鼓動が早くなる。
この雰囲気をぶち壊したくて、ニヤける悠人の頬を思い切り抓って捻ってやった。
「いってぇー! 何すんだよコラァー!」
悠人は痛みに叫び、私の手を振り払った。
「アンタがドヤラシイ顔するからお仕置きよ!!」
「……まったく。そういう憎ったらしいところが、さらにね……」
ガシッと強く両頬を手のひらで挟まれた。
彼の肘は私の両腕を不自由にさせる。
さらにその長い両足で私の身体をホールドしてきて、完全に身動きが取れなくなった。
「ロックオン!!」
まいったか! と、悠人はイタズラっぽく微笑んだ。
ドキドキと胸が高鳴りだす。
冷えきっていたはずの身体は一気に熱くなった。
悠人の濡れた前髪からは、雨の雫が私の額へと零れ落ちてくる。
悠人にロックオンされた私の顔は、きっと不細工に歪んでいるはず。今、強制的にみっともなくタコの口にさせられてるに違いない。
なんて辱め……!!
ロックオンされた私は、悠人から少しも目が離せなくなった。そんなに強く挟んで変な顔にさせないでよって文句言いたいのに、言葉が出てこない。
シン…と、周りの空気が静まり返る。
雨音も聞こえなくなって、二人の鼓動しか分からなくなる。頭は真っ白というべきか、お花畑というべきか……。悠人の、私の頬を挟む手のひらの力が優しくなった。大切なものに触れるかのように、私の額に落ちた雨の雫を拭ってくれる。
「憎ったらしいぐらい好きだよ」
真顔でそう呟いた。
近すぎる彼の瞳には、間違いなく私が映っていて……。
「私の方が好きよ!」
「俺の方が好きだって!」
それから、だんだんと彼の顔が近づいてくるものだから、動揺して叫んだ。
「私の方が好きだって言ってんじゃない!」
「俺の方が好きだって!」
「わ、わたし!」
「……黙ってろ」
「わた……」
私の唇は強制的に悠人の唇で塞がれてしまって、もう何も言えなくなった。
ロックオンされました 槇瀬りいこ @riiko3
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
まきりい日記/槇瀬りいこ
★24 エッセイ・ノンフィクション 連載中 85話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。