第3話
ㅤここは居心地が良くなぜだか落ち着いた。
ㅤ愛音はよく、くしゃみをする。そのくしゃみは、なぜだかいつも疑問形だ。
『へっくしょん?』
と、語尾が質問するようにハネ上がる。
そんな時僕は、
『なんで疑問形なの?』
とゲラゲラ笑うが、彼女には聞こえていないようだ。……でもそれも疑わしい。
お笑い番組が好きな彼女は、大抵ソファーに座ってビールを飲みながらゲラゲラと笑うのがお決まりだ。膝の上には黒猫が陣取っている。僕は彼女の右隣に座り、一緒にお笑い番組を見て笑う。
『なあ、初めてみるけど、なんていうコンビ? 最近でてきた? なんか新しい芸風だよな?』
「あ~この人たちってサイコーだわ。アンボーイズ」
なるほど……。
彼女はテレビに向かって独り言をいう風につぶやくが、多分僕の質問に答えてくれている。そんな気がしてならない。
絶対に目が合う事は無いけれど、間接的に会話はしてくれていると感じることが多い。
『なあ、見えないフリはもうやめないか? いい加減君も疲れるだろ? な?』
黒猫が低い声でニャァ…と呟いた。
僕の言葉に肯定しているような雰囲気で、愛音に視線を向けてから、僕の方を見る。
『愛音、そこにいる、飛ばしちゃえよ!』
そんなふうに呟いて、愛音と僕とを交互に視線をやるが、愛音は知らん振りだ。テレビを観たまま、膝の上の黒猫を撫でるだけだった。彼女は相変わらずゲラゲラとテレビを観て笑っている。
なるほど。見えないフリをまだ続けるということか。まあいい。
いつかは愛音と目を合わせてやろうと、そんな願望が生まれ始めていた僕は、ありとあらゆるチャンスに、彼女がボロを出さないかと目を合わせる計画を企てていた。
僕は愛音の目の前に立ちはだかり、テレビを楽しんでいる邪魔をした。目の前で変なおじさんをしたり。コマネチをしたり。すぐに浮かぶ僕のお笑いネタはこれぐらいしかなくて、それをキレッキレの動きでやってみた。きっとお笑い好きな彼女なら笑うに違いない。
すると彼女は、笑うどころか不機嫌に顔をしかめた。彼女はサイドテーブルの上にあるオシャレな小瓶の蓋を開けると塩をひとつまみ、マシンガン並の速いスピードで僕めがけて投げつけてきた。
「あ、なんか変な虫が飛んでた気がした! 気のせいか。チビ、虫がいても食べちゃダメよ。虫は無視しておくの」
「ニャ~」
黒猫は彼女の膝の上で甘ったるく返事をした。不愉快なやつだ。僕は居心地が悪くなって、部屋の隅へと身を縮めた。
ㅤ彼女が寝ている間、僕は彼女の枕元にいて見守った。夢を見ているらしい彼女は、突然ゲラゲラと笑い出す。こちらがつられて笑ってしまいそうなほどの滑稽な笑い声だ。かと思えば、聞き取れない誰かの名前を呟きながら泣き出したりして。やっと静かになったのかと思えば歯ぎしりでうるさくなる。ベッドの横で眠っていた黒猫も、もう何度か起こされて、愛想をつかせてどこか他の部屋へと逃げていってしまうほどだ。
眠りから覚めた彼女は黒猫の姿が無いのを確認すると、今度は眠れないと呟きながら、スマホをピコピコと触りだす。YouTubeで雨音のチャンネルを選ぶと、それを枕元に置いて再び目を閉じるのが日課だった。
ㅤ静かな部屋の中に、雨音が響き渡る。
雨降りでない夜は毎回この光景が見られた。
僕もそのスマホから流れる、リアルタイムじゃない雨音に癒された。
僕は常に彼女の傍にいた。
ㅤ彼女は喜怒哀楽が激しくて、表情がクルクルと変わる。見ていて飽きない。基本優しい人なのだと思う。
道端で動物が跳ねられ死んでいたら、それを避けて通っていくのが当たり前なのに、彼女は車を道の端に止めて、その無惨になった動物の死骸を人目に晒されない所へと移動させていた。その時、彼女のピンク色の綺麗なフェイスタオルを無駄にしていた。その後役所に一報入れる。最初からそんなの放っておけばいいのにと、僕には理解できなかった。
花屋へと出かけた時、車道脇に花が飾られているのを発見すると、買った切り花を一本抜き取り元ある花と一緒に並べてから手を合わせていた。
ガードレールの元に飾られたその花のそばには無表情の男の子が立っている。見た感じでは五歳前後といったところか。僕にはこの子供は見えるが、愛音の設定としては見えないということになる。
また連れて帰るつもりか、それとも秒で空に飛ばすつもりか……。
「あなた、迷子になっちゃったの?」
あろうことか、愛音はその場にしゃがみこむと、男の子に問いかけたのだ。無表情だった男の子は、ほっとしたように笑顔をみせた。
『マジか。見えてんじゃん! …じゃあ僕は? それって僕の事も見えてるの決定ってことじゃないのか!? これで証明できたよな? なあ、なあ?』
愛音は僕の言葉には無視だ。
『ボクのママがいないの』
「うん、そうだね。会いたいね。……多分、お空にいると思うの」
『そうなの?』
「うん。キミをさがしているみたい。キミも空を飛びたい?」
『うん!』
男の子は満面の笑みで笑った。
愛音は男の子を抱きしめると、その頭をポンポンと叩いた。
瞬間、スーッと男の子は消えていった。
愛音の目の前には、街並みという背景だけしか残っていない。
『うわ! うわ! オマエ、知ってて成仏させてたんだな!? うわ、なんてタヌキっぷりだよ! 一人ゴーストハンターかよ!? ……じゃあ僕は? 僕にもそうするつもりか!? そうなのか!? やんのか!? やるつもりか!?』
僕は驚きのあまりに愛音から距離を取り、落ち着かずにそこら中をウロウロとした。
通行人は僕に気付きもせず、僕の身体にぶつかっては通り抜けていく。それもまた気分が良くなくて、愛音の傍へと戻った。
「なにそれ。……ハンターって」
ぷふふ、と彼女は吹き出した。
歩道を散歩する歩行者たちが、訝しげに彼女を見ては通り過ぎていく。
『うっわー! 決定! 今、なにそれって言ったよな? 聞こえちゃいましたー! 愛音はやっぱ僕が見えてんだな? 僕だけが見えないなんてそんなんおかしいもんな? 何を企んでんだよ?』
僕の質問に愛音は応えることも無くスタスタと歩いていく。
なにそれ、なにそれ、と。それからわざとらしく足元に落ちていた空き缶を拾い上げた。
「なにこれ誰よ!? 街にゴミを捨てるヤツは私が許さない!」
『おいおい、強引な持ってき方だよなオマエー!! さっきの『なにそれ』は一人ゴーストハンターに対してのツッコミだろう? 素直になれよ!』
「……疲れた。昼寝したい」
愛音を覗き込むと、顔色が相当悪かったので、それ以上は深堀りをやめた。
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