第2話
ㅤ彼女は興味深い。
ㅤどこからともなく僕の同類と言える存在を引き寄せてくる。引き寄せては短時間で手放す、その繰り返しだ。
彼女に憑いたその日一日だけでも引き寄せては手放す姿を、ハゲオヤジを含め5回は見た。彼女はこの世に未練を持つ身体無き魂を、引き寄せては浄化させる才能があるのだろう。
彼女を観察するにそれを知らずしてやっているように見えた。僕がそばにいることだって全然見えていない様子だから、多分無意識なんだろう。
彼女が住むアパートの駐車場辺りには、僕の同類たちで祭のような状態になっていた。
一定の動きをして歩いている者。
ただそこにいてボーッとしている者。
階段を登ったり降りたりをひたすら続ける者。
ㅤここで祭が開催されるのかと思うほどの賑わいだった。おそらく彼女が何処かから連れてきた者たちだろう。彼女の自宅玄関前にも、3人の同類が玄関扉を眺めて突っ立っていた。入りたくても入れないと言った感じだろうか。僕も、この扉の中へは入れないのだろうか……。
少し残念に思ったが、玄関の鍵を開ける彼女の肩にそっと手を触れるイメージをしたら、一緒に入る事ができた。
玄関先はスッキリとしていて、コスモスの花が生けられていた。良い香りがしてきそうな癒される空間なのに、なぜだか落ち着かない。玄関脇の足元の左右には盛り塩があるが、そのせいだろうか。どこかの飲食店じゃあるまいし、なぜ玄関脇に盛り塩なんて置く必要があるのか。彼女が連れてきやすい体質だから、なんとなくこんなおまじないをしているのかもしれない。でも、ちゃっかり僕はここに入って来られたのだから、この盛塩はさほど意味は無いと思われる。
僕はそれを避けるようにフローリングの廊下へと素早く移動した。
『おじゃまします』
なんとなく呟くと、
「いらっしゃい」
ㅤ彼女はパンプスを脱ぎながら優しく微笑んだ。
『見えるのか?』
彼女の目の前に立ちはだかるが、その瞳に僕の姿は映らないし、当然目も合わない。彼女の視線はもっと遠くに向けられている。
やはり僕という存在は彼女からしたら透明人間のようらしい。なんだかおもしろくなってきた。
奥の部屋から黒猫が飛び出してきて、にゃーにゃー言いながら彼女の足に擦り寄ってきた。
「ただいま。チビ」
彼女は疲れた様子でパンプスを揃えながらも、穏やかな表情で黒猫に微笑んだ。どうやら彼女が言った「いらっしゃい」は、この黒猫に対しての言葉だったらしい。驚かせやがる。
彼女は黒猫とともに生活をしていた。
ㅤチビとは言えないふてぶてしくて可愛げがない黒猫は、僕が名付けるなのなら『ぶーちゃん』だと思った。
彼女と黒猫が住む空間は余計な物がなく、白を基調としたシンプルなものだった。出窓にもコスモスの花が飾られている。きちんと整頓された清潔な空間は、猫と二人で過ごすには少し広いような気もした。
ㅤ黒猫は犬なのかと思うほどに従順に彼女に懐いて彼女のそばに寄り添い、たちの悪いかまってちゃんかと思うほどにゴロゴロ言って甘えていた。
そのしっぽ、犬のように振ることができるんじゃないか? と、僕は黒猫のしっぽを観察してしまったほどだ。ソファーに座ってくつろぐ彼女の太ももの上に座り、遠慮なく甘えるこの黒猫を少し羨ましくも思った。
彼女が風呂へと入る時、その後ろをストーカーのようについていくと、黒猫が尻尾を立てて「ヒャー!!」と物凄い形相で威嚇してきた。
『なんだよぶーちゃん。少し覗くぐらいいいだろ?』
『変態ヤロー! さっさとこの家から出ていけ! なんでオマエはこの家に入れたんだよ! 愛音がお前みたいなヤツを連れてくるはずがないのに! 』
黒猫は僕の姿が見えるようだった。
しかも僕との意思疎通もできるようだ。
ㅤだが残念ながら猫だから、彼女との通訳には使えそうもない。
『オマエ、なんでここに来た!?』
黒猫は犬みたいに鼻をクンクンさせて僕のにおいを嗅いでくる。
『特に意味は無いよ。ところでぶーちゃんは猫なのか犬なのか、どっちだよ?』
からかうように問うと、黒猫は目を吊り上げて睨んできた。
『出ていけ! 愛音に手を出すようなマネをしたらタダじゃ済まないぞ!』
『愛音はぶーちゃんの姫様なのか? じゃあお前がナイト? ……生憎僕はこの通り透明人間だ。指一本もキミの姫様には触れられやしないから安心してくれよ。ちょっと覗き見するだけだ』
僕は悪ノリして彼女がいるバスルームへと歩みを進めた。黒猫がシャーシャー怒って僕の足を引っ掻こうとするが、すり抜けて攻撃にもならない。
「ちょっとアンタ! ストップ! 絶対来るなよ!! 来たらマジでぶっ殺すから!!」
突然彼女は振り返るとすごい剣幕で怒りだした。
ビクンと黒猫の身体は硬直する。
そして僕も。
『君は僕が見えるのか?』
目は合わない。彼女の視線は黒猫だけに向けられている。
「…ごめんねチビ。今日はとても疲れていて……。一緒にお風呂には入れないわ。今日は粗塩風呂にしようと思っているの。物っ凄くドギツい、海水レベルのにね。だから許して。ごめんね怒ったりして。怖かったよね…?」
彼女は黒猫の頭を撫でてから、棚からビニール製の大袋を引っ張り出した。
米の袋かと勘違いするほどの大きな袋には『悪霊退散』という御札が貼られてあり、中には沢山の粗塩が入っていた。その量、玄関の盛り塩と比じゃない。僕はそそくさと部屋の隅へと逃げた。彼女はティーカップに山盛りの塩を掬うと、それをバスルームへと3往復した。
『そんなにも湯船に塩を入れて、漬物にでもなるつもりかよ?』
問うと、黒猫も笑いを堪えているようだった。
「あ~、今日は疲れたわ。やっぱ疲れには粗塩風呂よね~」
彼女は陽気に鼻歌を歌いながら、バスルームへと消えていった。
粗塩入りの大袋はバスルームの扉の前にドンと置かれている。あれだけの量の塩を置かれたなら、さすがの僕もこれ以上進もうとする気も失せた。
『ちくしょう! 結界を張られたか……』
隣にいたチビと呼ばれていた黒猫が、
『ざま〜。オマエなんて愛音にかかったらすぐにでもあの世行きさ』
と勝ち誇ったように笑った。
「そうなのかな? あの世の行き方が分からない僕だからそれはそれでありがたいよ。でもしばらくは、ここで暇つぶしでもさせてもらうよ。よろしくな? ぶーちゃん」
黒猫は不愉快そうに唸っていた。
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