第3話
ㅤそんなある日、千尋ちゃんに夏祭りに誘われた。
「浴衣を着て可愛くして待っててね」
と千尋ちゃんにしつこく言われていたが、この暑い中で浴衣を着るなんて面倒で、着替えはやめておいた。
いつものラフなスタイルのまま、鞄の中の財布を取り出し、残金を確認した。
小学生たちと会場で合流するのだから、大人のお姉さんらしく、屋台で何かを奢ってあげるつもりでいる。小学生の保護者役ならば、断然動きやすい服装が理想だ。
夕方になり、私は千尋ちゃんが来るのを縁側に座って待っていた。
一台の車が道沿いに停車する。
その車から浴衣姿の千尋ちゃんが降りてきた。
ㅤ下駄をカタカタと鳴らし、おぼつかない足取りで駆けてくると、満面の笑みで私に手を振ってくる。
「みさきねえ準備はできてる? あれー、浴衣は着ないの?」
のんびりと縁側に腰掛ける私は、一言、「だって暑いもん」と応えた。
「みてみて、ひまわりの浴衣、かわいい?」
紺地に黄色の向日葵が咲く浴衣に身を包み、褒めてもらいたくて仕方ないといった様子で私からの感想を待っている。
私は車道脇に停められた車の方が気になった。あの車は、和希のものだ。
かわいい? と聞いてくる千尋ちゃんには申し訳ないが、私の頭は真っ白になってしまった。
「うん。とてもかわいいよ。似合ってる」
「みさきねえは浴衣着ないの? 準備は? せっかく美人なんだから、みさきねえの浴衣姿見たかったのにぃ~!」
千尋ちゃんはフグみたいに頬を膨らませてから、浴衣、浴衣、と呟いている。
「浴衣って気分じゃないから、ごめんね」
準備もなにも、歩くには少し遠いが、ただの地元の夏祭りだ。格好はいつも通りで、いつでも昼寝ができるユルくて楽な物と変わりはない。
しかし、その時はそんなユルい自分を呪った。
車道脇に停車されている車の助手席には、浴衣姿に髪を結った色白の美しい女性が乗っていた。
私といえば、いつもの着慣れたTシャツにチノパンというラフすぎる姿で、サンダルから見えるネイルも所々剥がれかかっている。指先のネイルだっていつから放置していたのか、みっともないと今更気づいた。
日焼けした肌と、手入れのなってない伸びっぱなしの髪を無造作に纏めただけの姿。
極めつけにノーメイク。
和希の車の助手席にいる浴衣美人は、和希の彼女なのか……。
「みさきねえも行くでしょ?」
千尋ちゃんは私の手を取り引っ張ろうとする。
私は、「行かない!」と、地に足を付けたまま動かなかった。
千尋ちゃんは不思議そうに小首を傾げる。
そうこうしていると、車の運転席側の窓が開いて、和希が顔を出した。
「久しぶり美咲! 夏祭り行くんだろ? 目的地一緒だから乗ってくか?」
久々の再会がこの格好……。
私はだらしの無い私に再び自己嫌悪に陥った。
目が合ったからには反らせない。
オトナならちゃんと近くへと行き丁重にお断りするべきなんだろうと、運転席側の窓へと歩みを進めた。
助手席の浴衣美人が、「誰?」と問いながら、そのキラキラした瞳を和希に向けている。
その雰囲気が、特別な関係なんだとアピールされているようだった。
まとめられた髪は憎らしいほどに計算されたアンニュイさ。後れ毛、うなじ、どの角度から見ても完璧で美しい。
メイクだって、主張しすぎてはいない、本来の美しさを引き立たせるようなナチュラルな仕上がりだ。
なんであなたが和希の隣に堂々と座っているの? その隣は私の場所だった。息をするみたいに普通に、私の場所だったはずなのに……。
私の中の黒い私が頭の中でうるさく騒ぎだした。ドロドロとした醜い私が溢れ出す。
その浴衣美人と目が合い、私はバツが悪いながら愛想笑いと共に会釈した。
「幼なじみの美咲だよ。オレの妹みたいなもんだ。で、千尋のマブダチ」
和希はそんなふうに私を紹介した。
私たちの思いは、恋愛対象と兄妹と、またこんなにも温度差がある現実を突き付けられ、ショックのあまりに私の頭は思考停止した。それを悟られないように、表情筋を緊張させる。
「あ、そうなの。…そっか。美咲さん。初めまして」
浴衣美人は可憐な花のように微笑み会釈をしてきた。
私とは住む世界が違うと思わせる女性だった。花に例えると胡蝶蘭みたいな繊細で可憐なお高い種類のもの。日焼けの経験があるのかと問いたいほどに滑らかな肌は透き通るような色白だった。
年齢は私と同じか、年上か。
浴衣姿が綺麗すぎて分からないけれど、その雰囲気には和希の彼女だと言う風格があった。
だからって、和希からこの女性との関係を紹介されたくもなくて、私はされる前に早口で捲し立てた。
今すぐにでもこの場から立ち去りたい。
「初めまして美咲です。で、訂正しておきますけど、和希は私の弟みたいなもんです。私は8月生まれで和希は11月生まれ。紛れもなく私が姉ですから。そこんとこ頼むわよね!」
「そ、そうですか。…お姉さん、なんですね?」
浴衣美人はふわっと、まるで花が咲くかのように微笑んだ。
私も愛想笑いを浮かべると、会釈をする。それから、「あんたは私の弟よ!」と強調するように言い放ち、和希を軽く睨み付けた。
何言ってるんだろう私は。まるで頭の悪い小学生みたいだ。
「はいはい。弟です。で、美咲もいくんだろ? 乗ってくか?」
「そんなん行くわけないじゃん。夏バテで疲れてるし」
「え〜! ともちゃんもマナちゃんも、みさきねえと一緒にお祭り楽しみにしてるのぃ~!!」
千尋ちゃんが残念がったが、私の心は暴風雨だった。
この車に乗り込んで一緒に祭りに行くだなんて行為は、罰ゲームだとしか思えなかったのだ。
今の私はニートだ。
だらしない服と髪と空気感。
目的も夢もないニートの私が、さらに自己嫌悪と自己肯定感の崩壊に苦しむのは目に見えている。
その車に乗れるはずが無い。
例えば何かを変えたいとして乗ったとしてもどうなの。結局、わたしがボロボロになって傷つくだけだ。アホらしい。
「ごめん、千尋ちゃん」
私の腕を掴んで引っ張っていた千尋ちゃんは、私の顔を見あげると、徐々にその手の力を緩めた。私と車内とを交互に視線をやると、心なしか悲しそうに微笑んだ。
「……わかったよ。みさきねえにりんご飴、おみやげ買ってくるからね」
「……うん。ごめんね。楽しんできてね」
千尋ちゃんだけが車の後部座席に乗り込むと、軽快にクラクションを鳴らし、和希の車は消えていった。
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