幕間「イギリス・ポーツマスにて」

 世界一周の航海も、いよいよ終盤戦に差し掛かっていた。

 大西洋を横断し、ヨーロッパ大陸に上陸した宇佐華鈴。

 イギリス南部の港町、ポーツマスに寄港した。

 補給と休養を兼ねた、小さな立ち寄りのつもりだった。

 だが鈴は、この地である大切な約束を思い出していた。


「ナターシャさん……!」

 通信機器を前に、鈴は心躍らせながらボタンを押す。

 セーシェル諸島で出会った恩人、ナターシャとの再会。

 はるか航海の彼方で交わした、かけがえのない約束だった。

 嵐で遭難した鈴を救ってくれた Island Trading Companyの社長令嬢。

 二人は生死を分けた絆で結ばれ、いつかまた会うことを誓い合ったのだ。


「……鈴? 本当に、あなたなの!?」


 モニターの向こうで、ナターシャの驚きの声が響く。

 鈴と同年代の彼女は、歓喜に満ちた表情でスクリーンに映っていた。


「ええ、ナターシャさん……!約束通り、連絡したわ」


 鈴もまた、嬉し涙を浮かべて微笑む。


「久しぶり、鈴! こうしてまた話せて嬉しいわ!」


 ナターシャの声は、早くも上ずっている。

 祝福と、再会を喜ぶ気持ちが溢れていた。


 おかげで順調な航海が続いていると報告した。

 荒波を超え、数々の困難を乗り越えてきた。

 一時は挫折しそうになったこともあったが、いつも支えてくれる人がいた。

 大切な家族、恋人の巧、そしてナターシャ。

 彼らの存在が、鈴の心の支えとなっていたのだ。


「あなたとの出会いは、私の人生の宝物よ。決して忘れないわ」

「鈴……私も、あなたに会えて本当に良かった。


 あなたの勇気と冒険心に、心から敬意を表するわ」

 ナターシャもまた、目に涙を浮かべて語りかける。

 再会の喜びに、言葉が詰まっているようだった。


「ねえナターシャさん、セーシェルを出てからも、色んなことがあったのよ」


 鈴はモニターに映るナターシャの顔を見つめながら、穏やかに語り始めた。


「でも今はあの日々が夢のように感じられるわ」

「鈴もいろんな艱難を乗り越えてきたのね……」


 ナターシャが目を丸くして感嘆の声を上げる。

 いつも凛とした表情の彼女が、無邪気な笑顔を見せるのは珍しい。

 その変化に、鈴もつられるように微笑んだ。


「ええ、色んなことがあったわ。でもそのおかげで、自分の中の弱さにも気づけた気がするの」

「弱さ……?鈴、あなたのどこが弱いというの?」

「いえ、私は臆病で、すぐに怖じ気づいてしまうのよ。


 ひとりで海に出ている時は、いつだって不安との戦いだったわ」

 そう言いながら鈴は、遠くを見つめるように目を細める。

 幾度となく死と隣り合わせになった、あの凪の海。

 孤独と絶望に打ちのめされそうになったことも、一度や二度ではない。


「だけど……支えてくれる人たちがいた。ナターシャさん、あなたもそのひとりよ」

「私が……? そんな、私は何もしていないわ」


 ナターシャは驚いたように目を見開き、それでも嬉しそうに頬を赤らめる。

 確かに二人の出会いは短く、過ごした時間はわずかだった。

 だがそれでも、互いの心に残る特別な絆があるのだと、鈴は信じていた。


「ううん、あなたは私に勇気をくれた。


 もう一度海に出る勇気を、あなたが与えてくれたのよ」


「鈴……嬉しいわ。私も、あなたとの出会いを心の支えにしていたのよ」

 ナターシャはそっと目を伏せ、恥ずかしそうに微笑む。


 本当は鈴に、もっと多くのことを伝えたかったのかもしれない。

 けれど彼女は、ただ穏やかに語り続けるのだった。


「実は私も、あなたと別れてから、色んなことがあったの」

「え……?ナターシャさんに、何かあったの?」

「ええ。うちの会社が新しい事業に乗り出してね。

 それで私、すっかり忙しい毎日を送っているの」


 モニターの中のナターシャは、少し疲れた様子で微笑んだ。

 たくましい女性社長として、日々奮闘する姿が目に浮かぶようだ。


「おかげで私、船長としても成長できたと思うわ。

 新しい出会いもあれば、悲しい別れもあった。

 だけど、そのすべてが私を強くしてくれている気がするの」

「ナターシャさん……」


 鈴は感嘆のまなざしで、再会した親友を見つめていた。

 ほんの数ヶ月前までは、自分と同じように若く未熟だった彼女。

 それが今では、一回りも二回りも成長して、頼もしい女性になっている。


「私、この仕事を通して学んだことがあるの。

 人との出会いは、かけがえのない宝物だってこと」

「ええ、私もそう思うわ。ナターシャさん、あなたはその最たるものよ」

「鈴……ありがとう。あなたとも、いつかゆっくり航海がしたいわ」

「もちろん!それが私たちの夢でしょう?ふたりで世界中の海を巡るのよ」


 そう言って鈴は、モニターに向かって元気よく微笑んだ。

 それは彼女たちの、変わらぬ約束。

 遠く離れた空の下でも、その想いだけは共有し続けている。


 ナターシャとの再会は、鈴に新たな希望をもたらしてくれた。

 世界は広く、まだまだ知らないことばかり。

 けれど、一歩ずつ前に進んでいけば、きっと素晴らしい出会いが待っているはず。

 鈴はこれからも、大海原を漂い続ける。

 彼女と過ごした日々を胸に、夢に向かって羽ばたいていくのだ。


 ふたりはしばしの歓談の後、名残惜しそうに通信を切った。

 最後はお互いに晴れやかな表情で、画面に手を振った。


 「じゃあね、ナターシャさん。また会える日を楽しみにしているわ」

 「ええ。もっとたくさんのことを、あなたと分かち合いたいわ」


 約束を交わして、モニターの電源が落ちる。

 鈴はしばらくの間、黙って通信機器を見つめていた。

 たった一時の語らいだったが、彼女の心には確かな手応えと温もりが残っている。

 ナターシャとの絆もまた、彼女を強くする糧になるだろう。


 鈴は意を決して席を立つと、いつものように航海の準備を始めた。

 次の目的地へ向けて、ヨットの帆をセッティングしていく。

 潮風に吹かれながら、彼女は遠くの水平線を見つめる。

 そこには、新たな出会いと感動が待っているはず。

 再会の約束を胸に抱いて、宇佐華鈴の船出は続く。

 世界中の海を駆け抜けて、いつかまたナターシャと肩を並べられる日まで。

 その思いを帆に込めて、ヨットは穏やかな波の上を進んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る