第7話「父の助言」
鈴は衛星電話を手に、ケープタウンの宿で父・要と通話していた。
一子相伝の航海術を受け継ぐべく、父の言葉に耳を傾ける。
「お父さん、どうしたらいいんだろう……」
鈴の弱気な問いかけに、要は静かに微笑んだ。
幾多の試練を潜り抜けてきたからこそ、説得力を持って語れるのだろう。
「これは若い頃の俺もそうだったが……セールトリムを見直す必要があるかもしれないね」
要は自身の航海データをスマホで確認しながら、穏やかに語り始める。
「鈴から送られてきたログを分析したところ、 もう少し帆の角度や形状を工夫できそうだ。風を味方につけるコツを、教えておくよ」
「そうなのね。私も違和感は感じていたの。でも、具体的にどうアジャストすればいいのかしら……?」
娘の素朴な疑問に、要は遠い記憶を呼び起こすように目を細めた。
幾星霜の時を経て、当時の感覚が鮮やかによみがえってくる。
「俺も最初のうちは、風向きと正対して真っ直ぐ進めばいいと思い込んでいたんだ。でもある時、台風に巻き込まれてしまってね……」
ふと言葉を切ると、要は当時を思い出すように空を仰いだ。
命懸けの航海。そこで得た教訓は、骨の髄まで染み付いている。
「あの時は本当に、自然の脅威を思い知らされたよ。八方塞がりの状況で、どうすることもできない。……でもふと気づいたんだ。海の怒りに抗うのではなく、そのエネルギーを活かせばいいんじゃないかって」
若かりし日の要は、渾身の力でかじ取りに臨んだ。
荒波に船首を向けるのではなく、風と波のリズムを読み取る。
自然の懐に飛び込むように、ヨットを操船したのだ。
「その時はまるで、海と一つになったような感覚だったな。海の声が聞こえた気がしたよ。怒りではなく、導きの声のようにも感じられて……」
生死の境をさまよいながら掴んだ、畏敬と共生の感覚。
あの時の感触は、今も要の胸に刻まれている。
「……時には、自然のリズムに身を任せ、海と対話することも大切なんだよ」
そう言葉を継ぎながら、要は意味ありげに目を細めた。
鈴もまた、言葉の端々に込められた真意を感じ取ろうとしている。
「……海と、対話する?」
「ああ。航海を続ける君の真の同伴者は、常に海そのものなんだ。僕たち家族も君の味方だが、海との絆もまた大切にしてほしい」
穏やかな口調で語る要。
今は陸の上の存在でありながら、海と生きる者の矜持が伝わってくる。
鈴はその言葉の重みに、息を呑んだ。
「……なるほど……!海と一体になること。それが、私を強くしてくれるってことね……!」
娘の明察に、要は嬉しそうに頷く。
幾千回と練習を重ねた末に会得する、究極の航海術。
その真髄を、娘もまた理解してくれたようだ。
「その通り。……海に逆らうのではなく、海と共に在ること。それが君への、僕からの最大の助言だ」
そう言って力強くうなずく要。
若き日に命を賭けて学んだ教訓は、今この時を待っていたのかもしれない。
「お父さん……私、分かったわ。最後まで……海と対話しながら、夢に向かって突き進むって」
「ああ、その意気だ。……鈴が笑顔で、ゴールテープを切る姿を、心から楽しみにしているよ」
通話を終え、鈴は静かに目を閉じる。
父から伝授された極意は、航海者としての血肉になるだろう。
青年時代、命懸けで海と向き合った要。
その忘れ得ぬ経験が、娘の道標となる。
『海と共に在る……そのことを、絶対に忘れないわ』
固く心に誓いながら、鈴は窓の外を見やった。
ケープタウンの青い空が、若き冒険者を見守っているようだ。
世界の果てを目指す旅路は、新たな相棒と歩むことになる。
海との絆を胸に刻み、鈴は再び船出の日を待つのだった。
満天の星が瞬く南十字星の下、ヨットのエンジンが静かに唸りを上げる。
今を去ること数十年前。熱き青年航海者だった要もまた、こうして旅立ちの日を迎えたのかもしれない。
親子二代の夢を乗せて、ヨットは雄大な航海の幕を開けるのだった。
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