第6話「南アフリカの再会」

 南アフリカ、ケープタウンの港。

 世界一周の冒険もいよいよ後半戦だ。

 宇佐華鈴のヨットが、ゆっくりと岸壁に横付けされる。

 長い航海の疲れからか、その佇まいはいつになく弱々しげだ。


 だが、埠頭には一人の青年が鈴を出迎えるべく、佇んでいた。

「お帰り、鈴。……よく頑張ったね」


 音もなく近づいてきた青年が、穏やかに微笑む。

 黒瀬巧。

 鈴の恋人であり、世界一周の旅の最大の理解者だ。

 

 ここ、ケープタウンの港で鈴を励ますために待っていたのだ。


「……巧……!」


 その姿を認めた瞬間、鈴の瞳が潤んだ。

 苦難の日々が、脳裏を駆け巡るフラッシュバックのように蘇ってくる。

 嵐に揉まれ、孤独に怯え、幾度となく死の淵を彷徨った。

 それでも世界中の海を駆け抜け、夢を追い続けた。

 その全てを支えてくれたのが、今目の前にいる恋人だった。


「会いたかった……本当に、会いたかったの……!」


 言葉を紡ぐより早く、鈴は巧の胸に飛び込んでいた。

 あまりの嬉しさに、込み上げる涙が頬を伝う。

 鈴の華奢な体を、巧の大きな腕がしっかりと抱きしめる。


「うん……疲れただろう。よしよし……」


 鈴の頭を優しく撫でながら、巧もまた目頭を熱くしていた。

 想いを寄せ合う二人の間には、言葉など必要ない。

 抱擁を交わすだけで、お互いの感情が引き合うように通じ合っているのだ。


「……ただいま、巧」

「……おかえり、鈴」


 愛する人との何気ない会話が、鈴の胸にじんわりと沁み込んでいく。

 その一言一言に、言葉にできない熱が籠められている。


 鈴の頬を伝う涙を、巧が指でそっと拭う。

 その指先に唇を寄せ、鈴は潤んだ瞳で巧を見つめた。


「……待っててくれたのね」

「……ああ。一日たりとも、君のことを忘れたことはないよ」


 凛とした面持ちで言い切る巧に、鈴の涙があふれる。

 別れの日から今日まで、どれほどこの時を待ち焦がれたことだろう。

 旅の途上では、たびたび最愛の人の言葉を反芻していた。

 遠く離れた空の下で見た夢は、いつも故郷で待つ恋人の笑顔だった。


「巧……」

「鈴……」


 呼び合う二人の瞳に、もう迷いの欠片もない。

 幾多の時を越えて、ようやく訪れたこの一瞬。

 二人の魂が触れ合い、溶け合っていく。


 鈴と巧は、ゆっくりと顔を近づけた。

 潮風に吹かれながら、恋人たちの唇が重なり合う。

 世界中の苦難を乗り越え、ようやく結ばれる決意の接吻。

 その一瞬を、二人はこの上なく甘美に味わっていた。


「……愛してる、巧」

「……ああ。俺もだ、鈴」


 額を合わせるようにして、恋人たちは見つめ合った。

 長い旅の疲れからか、鈴の膝がふらつく。

 それを見計らったように、巧は鈴を腕の中に抱き上げた。


「ん……巧?」

「後は任せてくれ。ゆっくり休もう、鈴」


 新婚のように鈴を抱える巧の顔には、幸せに満ちた笑みが浮かんでいる。

 剛毅な意志を秘めた、頼もしい表情だ。

 鈴もまた安心しきった顔で、巧の胸に頬を寄せる。


「……うん。もう、大丈夫だもの」

「ああ。君の冒険は、これからだ」


 巧に抱かれるまま、鈴は遠くを見つめた。

 旅立ちの日を思い返すと、果てしない長さに感じられた世界一周の夢。

 それを追いかけ、ついに手にするまでの日々は、

 まるで一生分の濃密な思い出のように、鈴の心に刻まれている。


「……ねえ、巧。私の夢、叶うわよね?」

「ああ、もちろんさ。君は最高の冒険者だからね、鈴」


 巧に讃えられ、鈴の顔にかすかな紅潮が広がる。

 夢を追いかける一途な心。挫けそうになりながらも、立ち上がり続けた強さ。

 巧はそんな鈴の全てを、この腕の中に抱きしめていた。


 鈴の分身のようなヨット「チェリッシュ」は、夕陽を浴びてきらめいている。

 まるでこれまでの冒険を讃えるように、凛とした美しさを放っていた。



 世界の半周を終えた鈴は、ひと休みを取ることになった。

 巧の計らいで、ケープタウン郊外の保養地に滞在する。


「さすがにちょっと、疲れが出てきちゃって……」


 デッキチェアでくつろぎながら、鈴は素直に弱音を吐く。


「無理もないよ。ここまで、よくやってきたと思う」


 そう言って巧は、鈴の手をそっと握った。


「でも、ここで止まるつもりはないでしょ?」

「……もちろん。最後まで走り抜けるわ。私の夢……絶対叶えてみせる」


 凛とした眼差しを巡らせながら、鈴は静かにうなずいた。

 巧もまた、妻の芯の強さを改めて実感していた。


「応援してるよ、鈴。君なら、絶対できる」

 そう言って空を仰ぎながら、巧はふと呟いた。


「……帰りを待ってる。いつまでも、私はここにいるから」

「……ええ。……ただいま、って言える場所が、私にはあるのよね」


 穏やかな南アフリカの空の下、二人は寄り添い合うのだった。

 世界一周の旅は、新たな局面を迎えようとしている。

 再会と別れを経て、宇佐華鈴の冒険は次のステージへ進むのだった。

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