第5話「セーシェルでの出会い」

 セーシェル諸島・マエ島。

 嵐で遭難した宇佐華鈴は、そこに住む若い女性、ナターシャの助けを借りて、ヨットの修理を進めていた。ナターシャの父は地元で製作機械販売会社を営んでいる。彼女も小さい頃から機械製作に親しんでおり、その知識は豊富だった。


「配線はこうつなぐのね……」


 ナターシャから教わりながら、鈴は損傷した航海機器の修理に勤しむ。

 父親譲りなのか、ナターシャの手際の良さには舌を巻くばかりだ。


「……ナターシャさん、本当にありがとう。あなたは私の恩人よ」


 そう呟くと、ナターシャは穏やかに微笑んだ。


「何を言っているの。あなたを助けられたことが、私の喜びなのよ」


 ナターシャの家で夕食をご馳走になりながら、鈴は自分の半生を語った。

 幼い頃に海で遊ぶのが大好きだったこと、ヨットの模型を集めていたこと。

 海に魅せられ、世界一周の夢を抱いたこと。

 そして、厳しい航海の中で、孤島で子猫と出会ったことまで。


「やっぱり海が……私の人生なんだって、実感したの」

「鈴……」


 鈴の言葉に、ナターシャは深くうなずく。


「分かるわ。海には、人を惹きつける不思議な魅力があるから……」


 窓の外に広がる、インド洋の青を見つめながら、ナターシャは続けた。


「でも海は、時に牙をむくこともあるの。だから鈴、くれぐれも油断しないで」

「……ええ、肝に銘じておくわ。私、必ず生きて帰るんだから」


 空模様を窺いながら、鈴はかすかに微笑んだ。


 マエ島での数日間、鈴は現地の人々の助けを借りて、ヨットの修理と補給に全力を注いだ。

 まずは、損傷したヨットを徹底的に点検することから始める。

 キールやラダーに亀裂がないか、入念にチェックしていく。

 船体の各部位を念入りに調べ上げ、構造的な問題がないことを確認する。


 次に、帆の修復に取り掛かる。

 嵐で裂けてしまったメインセールとジブを、丁寧に繕っていく。

 SeaGrip(シーグリップ)のようなセール補修キットを使い、裂け目をふさぐ。

 一針一針、丁寧に縫い合わせていく作業は、まるで魂を入れ直すようだ。


 エンジンのオーバーホールも欠かせない。

 シーウォーターポンプを分解し、インペラーを交換する。

 燃料フィルターを新しいものに取り替え、燃料系統のエア抜きを行う。

 オイル交換も念入りに行い、エンジンを完璧な状態に仕上げていく。


 電装系統のチェックも入念に行う。

 バッテリーの状態を診断し、必要であれば新しいものに交換する。

 ソーラーパネルや風力発電機のケーブル類も点検し、断線がないか確認する。

 ネビゲーション機器も一つ一つ丁寧にテストし、正常に作動することを見届ける。


 修理と平行して、食料や水の補給も進めていく。

 真水タンクを満タンにし、予備の水ポリタンクも準備する。

 燃料タンクも満タンにし、予備の燃料缶も積み込む。


 そして、医療品や予備部品の補充も忘れない。

 応急処置キットや常備薬を揃え、包帯やガーゼも十分に用意する。

 ロープやシャックル、セールテープなどの予備部品も万全に準備していく。


 出航前の最終チェックリストを片手に、鈴はヨットを隅々まで点検する。

 各部位の動作確認を行い、安全装置が正常に機能するか入念に調べる。

 非常用信号灯や救命胴衣、VHFで海に連絡できる体制もダブルチェックだ。


 こうして数日間の準備期間を経て、ヨットは見事に生まれ変わった。

 マストに誇らしげに帆を揚げ、エンジンを静かに駆動させる。

 プロペラを回転させると、海水が白く泡立つ。

 すべてが整った状態で、鈴は出航の時を待つのだった。



 マエ島の中心街にある小さなスーパーマーケット。

 鈴とナターシャは、買い物かごを手に店内を歩いていた。

 航海に必要な食料を選ぶのは、想像以上に大変な作業だ。

 

「鈴、これなんかどうかしら?」


 ナターシャが手に取ったのは、真空パックに包まれたドライフルーツだった。


「あ、それいいわね!ビタミンも取れるし、日持ちもするはず」


 鈴は嬉しそうに頷くと、数パックをかごに入れる。

 リンゴやバナナ、マンゴーなど、種類も豊富に揃っている。


 次に目に留まったのは、缶詰コーナーだ。


「ツナ缶、コンビーフ、豆の缶詰……どれも良さそうね」


 鈴は慎重に缶詰を吟味しながら、必要な分だけかごに入れていく。

 非常食として缶詰は欠かせない。

 常温で長期保存でき、栄養価も高いのだ。

 

「あとは、インスタントの食品も必要ね」


 レトルトカレーにパスタソース、インスタントラーメンまで。

 熱湯を注ぐだけで食べられる、簡単な調理食品を厳選していく。


「うん、これだけあれば当分は大丈夫そうだわ」


 満足げに頷きながら、鈴は買い物かごを見つめる。


「そういえば鈴、おやつも必要じゃない?」


 ナターシャが不意に言葉を掛けてくる。


「え……?おやつ?」

「そう、ちょっとした息抜きの時間にさ。甘いものが食べたくなるときもあるでしょ?」

 そう言いながら、ナターシャはお菓子コーナーへと鈴を連れていく。

 

「チョコレートにキャンディー、クッキーに羊羹まで……!」


 鈴の目の前に、カラフルなお菓子の山が広がっていた。

「日本のお菓子もあるのね。懐かしいわ」

 思わず手に取ってしまうのは、抹茶味のキットカットだ。日本の抹茶味は世界中で人気らしい。


「これ、私も大好きなの。珈琲に合うのよね」


 鈴とナターシャは、お気に入りのお菓子を嬉しそうに買い物かごに入れていく。


「あ、そろそろ飲み物も買っておかないと」


 ミネラルウォーターにスポーツドリンク。

 長期保存可能な紙パックジュースも欠かせない。


「日本茶のペットボトルもあるわ。これは嬉しい」


 ふと目に留まった緑茶を、鈴は迷わずかごに入れた。


「ナターシャさん、あとは何か必要なものある?」

「うーん、あとは……そうだわ、調味料!」


 塩にこしょう、砂糖に醤油。

 ありとあらゆる調味料を物色しながら、二人は会話を弾ませる。


「日本食が恋しくなったら、このめんつゆでうどんを作ればいいわね」

「ふふ、その発想はなかったわ。さすが鈴ね」


 笑顔を交わしながら、買い物かごはどんどん膨らんでいく。


「よし、これで十分そうね」

「うん、こんなに買えば当分は大丈夫だわ」


 レジに並んだ二人の前には、山のような食料が並んでいた。

 店員さんも驚いた顔で、黙々とバーコードを通していく。


「あ、すみません。旅に出るので、まとめ買いしちゃって」


 大量の買い物に唖然とする店員さんを見て、思わず苦笑いする鈴。

 だがそれも、夢への第一歩を踏み出すための必要経費なのだ。

 

 こうして買い出しを終えた二人は、大量の紙袋を抱えて店を後にした。


「ナターシャさん、本当にありがとう。おかげで心強い食料が揃ったわ」

「どういたしまして。私も鈴の冒険を、精一杯応援したいから」


 満面の笑顔で語り合いながら、二人は港に向かって歩き出す。

 青空の下、白い砂浜が眩しく輝いていた。


 出航を前に、絆を深めた二人。

 ささやかな買い物の時間が、かけがえのない思い出になる。

 世界一周への旅に向けて、大切な準備の一つが整ったのだった。



 旅立ちの朝、鈴はナターシャと抱き合って別れを惜しむ。

「本当に、ありがとうございました!」

 感謝の言葉を込めて、鈴は深々と頭を下げる。

 ナターシャもまた、鈴の健闘を心から願っていた。


「イギリスに寄港したら、絶対連絡するわね。待っててください」

「ええ、もちろん。あなたの無事を、心から祈っています」


 約束を交わし、鈴はヨットに乗り込む。

 最後の機器チェックを済ませ、エンジンに点火する。


 こうして宇佐華鈴の船出は、新たな出会いと別れを経て、再び幕を開けた。

 復活を遂げたヨットの帆に、インド洋の風が心地よく吹き込む。

 白い航跡を残しながら、ヨットは水平線の彼方へと進んでいく。


 一つの出会いが、鈴に新たな力を与えてくれた。

 ナターシャとの絆を胸に、鈴は再び夢への航海を続けるのだった。

 次なる目的地へ向けて、勇敢に波を越えていく小さなヨット。

 その雄姿を、マエ島の人々が見守っているはずだ。

 宇佐華鈴の新たな旅路が、静かに始まったのだった。


 復活を遂げたヨットの帆に、インド洋の風が心地よく吹き込む。


「さあ、次の目的地は……」


 海図とにらめっこしながら、鈴はふとあることを思い出す。

 次の寄港地、南アフリカのケープタウン。

 実はそこで、「とある人物」と会う約束をしていたのだ。


「もう一度会えるのね……楽しみだわ」


 胸を弾ませながら、鈴は水平線の彼方を見つめるのだった。

 彼女の眼前に広がるのは、再び航海を始めた果てしない大海原。

 青と白のコントラストの中で、ヨットの影は濃紺の海に溶け込んでいく。

 果てしなく続く世界一周の旅。

 新たな出会いと感動が、宇佐華鈴を待っているはずだ。

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