第5話 連勝

「うらあああああああっ!」

 巨漢が拳を振るう。

「あは」

 パジャオは木の葉がすり抜ける様にそれを避ける。

「………っ!」

 長身痩躯が長腕を振り下ろす。

「あはは」

 パジャオは自身に迫る長腕の小指を掴む。

「!?」

 小指を拗られ長身痩躯の姿勢が崩れる。

「おわっ!?バカっ!?ぐはっ!」

「―――!?」

 長身痩躯の長腕が巨漢の顔を殴打し、バランスを崩す。そこでさらにパジャオの爪先が巨漢の膝の裏を突っつく。


「ぎゃっ!?」


 巨漢と長身痩躯がこんがらがって転がる。

 観客席からは失笑嘲笑大爆笑が巻き起こる。


「しっ!」

 転がる仲間の体を避け、中肉中背の男は冷静にパジャオに肉迫する。拳を握り込んで脇を締め、半身に構えた姿勢から拳を連続で放つ。

「あははは」

 パジャオが笑顔でそれを躱す。

(やり難いっ!)

 そもそも身長差が違い過ぎる。

 屈強な拳闘奴隷が多いため中肉中背の男は小柄な部類になる。そのため平時は基本、相手を見上げながらアッパー気味の拳を振るえる。しかし今はそのアドバンテージが無い。

「あはははは」

「なにっ!?」

 パジャオがさらに体を沈み込ませ、両手を付いて走り出す。

 まるで四足獣の様な走法だ。


「わははははっ!いいぞガキっ!」

「なんだアレはっ?」

「狼っ!いや猿だっ!」

「熊殺しの猿っ!」


 観客席が湧くに湧く。

 前評判は兎も角として、見かけだけではパジャオは全く強そうには見えなかった。そんな小柄な少年が屈強な三人の拳闘奴隷を手玉に取って翻弄している。それが痛快で子気味が良いのだ。

 パジャオはそのまま闘技場の境界ギリギリを走り回る。

思わぬサービス精神溢れるパフォーマンスに観客がさらに喜ぶ。

「いいぞっ!小僧っ!」

「流石、熊殺しっ!」


 しかし、それを見ていたオレガノが冷静にポツリと呟く。

「逃げる気かな?」

「え?」

「まさか」

 ディルとニゲラが顔を見合わせる。オレガノが目を細め面白そうに呟く。

「走りながら観客席への高さを測っているぞ」

 観客席までの壁は鼠返しになっていて掴んで登る事は難しい。

「壁を斜めに走れば恐らく、飛び越せるな」

 オレガノの見立ては正しかった。このまま加速し勢いを乗せれば、壁を斜めに駆け上がり観客席に飛び上がれる。勿論オレガノの私兵達が観客席や闘技場の出入り口に居る。だがパジャオならさらにそこから逃げ切れる事も出来ただろう。

しかし…

「遊ぼ、遊ぼ」

パジャオはぐるりと頭を回し、闘技場の中央に構える三人を視線に捉える。

 死を意識するスリルは味わえないが、遊ぶのは普通に好きだった。奴隷堕ちしてからは武術の鍛錬という一人遊びはたくさんしてきたが、他者とのじゃれ合いはしなくなっていた。

 思えば兄弟達に遠慮しながら遊ぶのも少し退屈だった。この毛皮の持ち主である熊との殺し合いも、半分は遊びみたいなものであった。死に物狂いの闘争と言えば、貴族の子弟達とやり合った時の方が危険度は高かった。あの時は武装し馬に乗った護衛兵が後ろに控えていたからだ。


「来るぞっ!いいかっ!作戦通りに行くぞっ!」

 中肉中背の男が吠える。

「おおっ!」

「……!」

 巨漢が応え、長身痩躯も頷く。

 パジャオが走り回ってる間に作戦会議は終わらせていた。


「お?今は逃げるのを止めおったぞ?少しは此処に価値を見出してくれたかね?熊殺しくん?」

 オレガノがニヤリとしながら顎髭をジョリジョリと撫でる。鉱山奴隷と比べかなり待遇の良い扱いをしてきた。

 無用な労働に従事させず、食事を与えた。若く美しい娘に治療を任せた。

(どれが響いたかな?まだ子供だが男なのかな。ならば専属で女を用意するか。ミント師はうちの人間ではないからな…適当な女奴隷を…)

 なんなら性欲処理でなく、恋人の様に尽くしてくれる相手の方が良いかも知れない。

 金や暴力で従えられぬ者は色や情で縛るのだ。

「お?」

 戦況が動いた。走り回っていたパジャオが闘技場中央、つまり敵三人に向かって駆け出したからだ。相変わらず四足歩行だが。

 

「ぬぅぅぅん!来いっ!」

 対する中肉中背も腰を落とし姿勢を低くする。レスリングの構えだ。絞め技寝技でのギブアップ勝ちは玄人受けはするが素人には解り難い。そのため彼はボクシングスタイルで常に戦っていた。

 しかし本来の得意分野は、関節を極め筋を痛めつけ相手の戦意を削ぐこの戦法である。


「がああああっ!」

 渾身のタックルで迎え撃つ。

「あはははははっ!」

 パジャオは今度は避けるでなく誘いに乗って来た。

 真っ向からがっぷりと組み合う二人。

(なんてパワーだっ!)

 中肉中背が押し込まれる。それは地面を踏み締める独特な歩法による力学的な効果だったが、小柄な子供から有り得ない膂力を受け、中肉中背に戦慄が走る。

 だが、彼もこの闘技場にて一定のレベルに達した猛者である。

「させるかぁっ!」

 パジャオの体を掴み地面へ押し潰す。

「今だっ!やれぇっ!」

 作戦とは、パジャオを封じ込めた自分ごと仲間に攻撃させるという捨て身の戦法であった。

「おらぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「………!」

 巨漢がその巨体と体重を活かし、倒れ伏す二人の真上に飛びかかる。ボディプレスである。シンプルだが恐ろしい技だ。

「うぐっ!」

 あまりの質量に中肉中背の意識は飛びかける。その瞬間、地面との間に挟んだはずのパジャオがにゅるりと抜け出すのが解った。

「しまっ!待―――ぐふっ!」

 巨漢の背中を長身痩躯の長腕が激しく叩いた。

 さらなる衝撃を受けて中肉中背の意識は完全に遠のく。

「おぐっ!?」

 巨漢の首にするりとパジャオの腕が巻き付き、気道を圧迫する。

「……!?」

 長身痩躯はパジャオが抜け出した事に気付き、狙いを変える。

「びゅっ!?びゃかやめ―――ぼっ」

 長身痩躯の渾身の一打が巨漢の頭を打ち抜き、反動で首が締まり意識を奪う。勿論パジャオは華麗に避けていた。気絶した巨漢の頭に両手を置き、逆立ちしながら振り上げた足先が弧を描く。そして…


ガスッ!

「―――っ!?」


 やや出っ張っていた長身痩躯の顎を打ち抜いた。

「………!?…っ…」

 長身痩躯の頭は上下にぐるんと揺れる。脳味噌も同じく。

 そしてそのまま巨漢の上に倒れ込む。パジャオはそれをヒョイと避けると、折り重なった三人の上に立ち上がった。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 大歓声が巻き起こる。

「おおおっ!素晴らしいっ!やれば出来るではないかっ!」

 オレガノも手を叩いて大喜びだ。

 また玄人にしか解らない試合をしたら、解説進行役に盛り上げさせつつ戦いの説明もさせる必要があったが、その心配は杞憂であった。 


「勝利ですっ!ベテランの拳闘奴隷三人を相手にっ!熊殺しの怪童っ!パジャオの完全勝利ぃぃ〜〜〜!さぁっ!お財布がホクホクの貴方様もっ!噂を信じず泣きを見た貴方もっ!今この時はっ!勇敢なる少年に喝采を〜〜〜っ!」

 解説進行役が歓声に負けぬ様な大声で勝者を讃える。こういった素人にも解り易い派手な決着だと解説をしないで良いから楽である。


「ふむ。拳を突き上げたりしてくれたら尚良かったが…望み過ぎか」

 オレガノが満足そうに見つめる先では、熊殺しの怪童ことパジャオが、少し物足りなさそうに長身痩躯の背中をぺちぺち叩いている。

 彼の底は、未だ知れない。






「くんくんくん」

 試合後、パジャオは広い部屋に案内された。今日からここが新しい住処らしい。

 今まで居た部屋の三倍は広い。寝台もしっかりした物であり、枕や布団まである。作りの良い木のテーブルもあるし、糞尿用の壺すら立派な陶器製である。

(変な匂い)

 以前使っていた者の匂いが限り無くしない。パジャオが入室する前に丁寧に掃除をされたからだ。

 さらに香まで焚かれていた。

「飯」

 一通り部屋の匂いチェックが終わったので、パジャオはテーブルに置いてあった食べ物に手を伸ばす。瓶に入れてある冷たく澄んだ水を飲みながら肉を貪り食う。美味しかった。

 そうして、ふと気付く。

「勝ったから?」

 人間社会の常識は知らないが、パジャオは地頭は良かった。自分があの三人と遊び倒し、周りの人間達が喜んでいた。その結果が広い部屋と肉なのだと理解出来た。






「勝ったんですねぇ!おめでとうございますぅ」

 久しぶりに会うミントがニコニコ笑っていた。ミントの笑顔を見るとホッとすると同時にドキドキもする。これはなんだろうか?


「うーん。熱もありませんねぇ」

 ミントの掌が額に当てられる。柔らかくて温かい様な冷たい様な、人の温もり。


「一応お薬置いていきますね」

 抱き締めては貰えなかった。

(…怪我をしないと抱き締めて貰えない。けれど勝たないと肉を貰えない。つまり…)

 怪我をしつつ勝利すれば良い。





「貴様が熊殺しか。俺はあの三人程甘くはないぞ」

 しばらくしてまた闘技場に連れ出された。背も高く引き締まった肉体の男が相手だった。


「シィッ!」

 長い足から繰り出される蹴り技はパジャオを寄せ付けない。

(近寄らせんぞっ!)

 彼もあの日、パジャオのデビュー戦を目撃した。衝撃的だった。小柄で小回りの効くパジャオに対し、あの三人は実力の半分も発揮出来ずに敗北した。

 決して近寄らせてはいけない。

「あはっ」

 しかし蹴り技は、パジャオの武術の領分であった。

 専門分野の弱点は熟知している。パジャオは飛び上がるフリをする。そのフェイントに反応し、男の蹴りがハイキック気味に伸び上がる。

 瞬間パジャオが軸足に飛びかかる。

(読めてるぞっ!)

 しかし男は待ち構えていた様に、パジャオに軸足の膝を合わせようとする。しかし…


「なにぃっ!?」


 カウンターで用意された膝蹴りに絡み付くパジャオ。

 先日の試合で中肉中背の男に組み伏せられた経験を活かし、自分でも試してみたのだ。

(ジイさんからも習ってたな。寝技?だっけ)

「うおおおおおおっ!?」

 立ったまま関節を極められ思わず転ばされてしまう。パジャオが男の胸に跨り、拳を振り上げる。

 マウントポジションだ。

(いかんっ!)

 男は反射的に寝転がりパウンドを回避。しかし背中を向けた途端に少年の足と腕が首に巻き付く。

(しまったっ!)

 弾かれた様に立ち上がる。なんとかこの熊殺しを振り解かねばならない。


「きゅぅぅぅっ」


 しかし間に合わなかった。まだパジャオの細く幼い腕が、呼吸のタイミングに合わせて気道を絞める。本来ならこの体勢になった時に眼球を潰したりも出来る。しかしパジャオはこれが遊び、じゃれ合いの延長だと理解していた。


「うっ―――」


 男が意識を失い昏倒する。パジャオを頭に巻き付けたまま倒れる男。  

 二戦目もパジャオの勝利が確定した。観客席は笑顔に溢れていた。ほとんどがパジャオに賭けていたのだろう。

 しかし当のパジャオは…

「怪我をしそびれた」

 背中に付いた埃を払い、少ししょんぼりしていた。






「ううむ。予想以上、だな」

 オレガノが唸る。またまたの大勝利に一般客は大受けだ。しかし中には真剣な表情の者達も居る。

 オレガノも、二人の元拳闘奴隷の側近もそちら側である。


「首に巻き付いた時に、一瞬動きに停滞があった。本当なら眼球を潰す、喉をかき切るとかの追加技があったんじゃねぇですかね?」

 ディルが腕組みしながら唸る。今の自分はもとより、現役時代でも勝てたか解らない。最盛期の自分なら勝てたと断言出来るが、逆にパジャオが成長し同い年同士だったら確実に負けている。


「倒れる時に、相手の頭を守った」

 ニゲラもしかめっ面をさらに歪めている。パジャオは言葉を使ったコミュニケーションをほとんどしない。その点は無口な彼女に近いものがある。しかして対戦相手と交わす肉体言語はとても紳士的である。相手の能力や技を最大限活かし、真っ向からそれを潰し、怪我や後遺症にも配慮する。

 年齢にそぐわない冷静さと紳士的な振る舞いである。


「えらく紳士的だな。いや、騎士道精神とでも言うか…いや、それよりも遊び感覚とでも言うのかな」

 オレガノもパジャオの器を測りかねていた。取り敢えずデビュー前に格下をぶつけてみたが全く手の内を見せてくれなかった。意外性を込めて三対一をやらせてみたが底が知れない。もう一つ上の相手を用意してみたが結果はこんな感じである。

 パジャオが狼の兄弟達と同じ様にじゃれ合い感覚で戦っている事が、人間目線だととてもちぐはぐに感じていた。


「えーと、今の男誰だったか…確か次のトーナメントの出場権を持っていたな」

 上位の拳闘奴隷達がトップ争いをするトーナメント戦がある。

 トップランカーはシード枠であり、挑戦者達は連日連戦した上で格上に挑むため、あまり勝てない。

 最近は上位陣に変動が無く多少マンネリ気味であった。新しい風を起こさせるのも良いだろう。

「少し早いかも知れんが、参加させてみよう。皆にも良い刺激になるだろう」

 こうしてパジャオは今日の対戦相手からトーナメント出場権を奪い取り、上位の選手達への挑戦権を得る。


「さて、褒美も用意するか」 

 酒はまだ早い。女でも与えよう。

 オレガノが手配し、そういう事になった。





「さぁ。好きな女を選べ。君の活躍に見合った報酬だ、パジャオ」

 パジャオが連れられてやって来た部屋には、複数の女奴隷達が居た。

「希望するなら外部から娼婦を呼んでも良い。まぁその場合は専属には出来ないがな」

 パジャオはまだ少年…いや子供である。性に目覚めているとは思えないが早めに女で縛る事を決めるオレガノ。

 パジャオが此処に飽きてしまった場合、闘技場での戦闘中に逃亡してしまう可能性が高くなる。

 痛めつけ、腱を切って自由を奪うのでは採算が取れない。パジャオには自由に戦って貰い自分の興行を盛り上げてくれないと困る。

(女奴隷の一人や二人で楔になるなら安いものだ)


「…………?」

(俺は同族は食わないんだけど)

 パジャオは狼と人間は食べない主義だった。短い人生の中で、自分は人間であり狼ではないと理解はしていた。だが母と兄弟達と同じ種族を食う気は無いし、人間も対象外である。

(選ぶ?何を?)

 パジャオは相変わらず良く解っていなかった。そもそも説明が無い。オレガノ達はこの状況なら言わずとも理解出来るだろうと思っていたし、パジャオ側には解らない事を訊ねるという発想が無かった。

「選ぶ?」

 堪らずにオレガノに訊ねてみる。

「そうだ。好きな女を選べ」

 パジャオは結局、言われた通り選ぶ事にする。何を選べば良いのかは良く解っていなかったが。

「くんくんくん」

「ひっ!」

「やんっ、くすぐったぁい」

 判別方法は匂いチェックだ。 

 並べられた女達の足先や股間、首筋の匂いを嗅いでいく。

 女奴隷側も戸惑っていた。

 一応の説明はあった。新進気鋭の拳闘奴隷、熊殺しパジャオの情婦となる。

 充てがわれた男が強ければ自分達の地位も安泰になるのだ。限られた中でお洒落をしたりした。

 どんな熊みたいな毛むくじゃらの大男が現れても気に入られる様に愛想を振りまくつもりだったが、現れたのは小さな子供だった。

(これが連戦連勝の熊殺し?)

 彼女達はパジャオの試合を見た事が無かった。

 少しずつ噛み合っていない者達の、妙なお見合いが始まった。

 

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