第4話 熊殺しの怪童

「お帰りなさいっ!」


 行きと同じ鎧の男達に連れられ個室に戻ると、落ち込んだままのミントが居た。しかし五体満足のパジャオを見てパッと顔を輝かせ、抱きついてきた。

(柔らかい。良い匂い)

 ミントに抱き締められると穏やかな気持ちになる。しかしドキドキもする。不思議な感覚である。


「良かったぁ。無事だったんですねぇ。戦いは?棄権したんですかぁ?」

 不思議そうにするミントにパジャオも首を傾げる。

「戦ってない。誰とも」

 なんだか煩い人間が居たので黙らせただけだった。その後は特に何も無く此処へ返された。


「そうなんですねぇ。貴方の怪我を見て、考えを改めてくれたのかしら?オレガノさんも、流石に子供には優しいんですかねぇ」

 うんうん頷くミント先生。

 噛み合っていない会話を聞かされた鎧の男二人は顔を見合わせる。戦ってはいないというか、戦いにすらなっていなかった。


 拳闘奴隷を戦わせるオレガノは一見非人道的だが、意外にも奴隷達への扱いは手厚い。

 派手な立ち回りや血飛沫は盛り上がるが、殺してしまっては意味が無い。採算が取れない。

 先程の狼殺しの鉱山送りは非情にも思えるが、そもそも年端もいかぬ子供に負ける時点で拳闘奴隷として終わっている。これ以上ここに居ても大怪我や死亡のリスクがある。ある意味温情の様なものだ。合理的とも言うが。


 ところでこの闘技場にはミントの他にも奴隷を診る治療師や医者、薬師はたくさん居る。

「あ、もう行かなきゃ。そう言えば自己紹介がまだでしたね。私はミント。治療師をしてますぅ」

 おっとりと間延びした声でミントが名乗る。

「俺はパジャオ」

 パジャオも名乗り返す。

「パジャオですかぁ。よろしくお願いしますぅ」

「うん」

 ミントはパジャオの頭を撫で撫でする。パジャオは気持ち良さそうに目を瞑る。


 ミントは闘技場の専属ではなく治療師協会、所謂ギルドの雇われ人である。あまり皆が行きたがらない教会や孤児院等にも率先して行く意欲的な少女だった。

 腕の良い治療師程、金持ち相手の検診ばかり行きたがる。金持ちの老人相手のが楽だし金払いが良い。

 オレガノの闘技場は金払いは良かったものの、ほぼ確実に怪我人が居る。賃金に見合う技術と労働が必要となる場所なのだった。

「あまり無茶はしないで下さいねぇ」

 ミントが心配そうに告げてくる。そして名残惜しげに個室を出て行った。






 しばらくは穏やかな日々が続く。パジャオは個室で鍛錬を積んでいた。三日に一度くらいの間隔でミントが検診に来てくれた。食事はなんと一日二回も出た。

 そしてその日は唐突に訪れる。


 鎧の男達が複数現れパジャオは個室から出された。そして階段を登り、たくさん歩かされとある部屋に入れられた。

「来たか」

 部屋の中央にあるデスクに一人の男が居た。部屋の中には豪華な調度品が並ぶ。金にものを言わせた内装ではあるが、何処か品が良い。

 奴隷商という立場のオレガノであるが、彼は人柄も趣味も良い人間であった。奴隷は奴隷、道具としか見ていないものの、きちんと管理し正しく評価運用し利益を上げる。何処までも商人なのだ。

 その彼が趣味と実益を兼ねて作ったのがこの闘技場である。他国の国営闘技場とかには負けるが、かなりの規模を誇る。

 オレガノ自慢の城であり、国だった。かなりの金が動き、納税額も凄い。この町では町長すらオレガノに頭が上がらない。

 世間のイメージ的に女奴隷をたくさん侍らせていそうだったが、彼には特にそういう趣味が無い。自分が使うくらいなら高値で取引した方が良いからだ。

 彼の趣味はなんとトレーニングである。能力や才能はあるものの年齢や怪我が理由で引退した優秀な拳闘奴隷を抱え込み、後進の指導だけでなく自身のコーチもやらせていた。

 その結果…


(この人間、強い―――)

 パジャオが奴隷商人オレガノに抱いた第一印象はなんと、要警戒対象であった。

 負けないかも知れないが、簡単に勝てる様な相手ではない。…いや、負けるかも知れない。底が知れない。

 着膨れした質の良い服の下には脂肪だけでなく、鍛え上げられた筋肉がみっちりと詰まっている。

 そして拳闘奴隷を扱うオレガノの目は肥えている。見た技全てを見切れる訳ではないが、あの日パジャオが放った顎打ちなら躱せる自信があった。あの日あの場でパジャオの技を見極められたのは、彼一人だったからだ。

 オレガノは上品に切り揃えられた口髭と顎髭を撫でながらパジャオを値踏みする。


「パジャオだったか。ふむ、怪我は完治した様だな。それにずっと鍛錬していたらしいではないか。ふふっ。良いぞ」

 まるでお菓子を前にした子供の様に目を輝かせウキウキしているオレガノ。

「アレを」

「へい、旦那」

 オレガノが指を振ると、年老いてはいるが屈強な男が現れる。

(この人間も、強い)

 彼の名はディル。元拳闘奴隷であり、この闘技場の殿堂入りチャンピオンだった。引退時に自由を得る権利を貰えたが、長年良くしてくれた主人に仕える事を選択し、そのまま雇われた。以後オレガノのコーチや、秘書等も務めている。現役時代の強さはないが、今のパジャオと戦えば力では負けても技で勝てるはずだ。その佇まいは何処となくパジャオの師であるホエイシャンに近いものがある。

 

「これは…」

 清潔だが簡易的な腰布一枚だったパジャオに、上等な毛皮が渡された。その毛皮の匂いを嗅ぎ、パジャオはハッとする。

「俺が殺した熊」

「ほぉ、解るのか?流石は熊殺しだな」

 パジャオの反応にオレガノが嬉しそうに笑う。

 オレガノはパジャオが殴り殺した熊の毛皮を買い取り、パジャオ用に上着を作らせたのだ。

 パジャオが毛皮をしげしげと眺めていると、女が現れ少年に羽織らせる。女は綺麗だがムスッとした無表情をしており、引き締まった肉体をしていた。

(この女も強い…)

 彼女の名はニゲラ。女でありながら拳闘奴隷として名を馳せた猛者の一人だった。怪我を理由に一線を退き引退、オレガノの身の回りの世話や夜の相手もする情婦となった。オレガノはふくよかな体より筋肉が好きなので相性は良い。

 情婦としては無愛想過ぎるが、強いのでオレガノのお気に入りだ。金を稼ぎ引退後自由を得る拳闘奴隷も居るが、多くはその後もオレガノの元で働いている。

 オレガノは商才だけでなく人望も厚かった。


「…ムズムズする…」

 パジャオは野生時代は素っ裸で、鉱山奴隷時代は上半身裸で過ごしていたため、上半身に何かを着る習慣が無かった。


「あ、コラ。旦那がわざわざ…」

 違和感を感じたパジャオは当然の様に上着を脱ぐ。

「良い。そちらの方が、趣が…風格があるわい」

 パジャオは熊の毛皮の上着を腰に巻き、袖を腰前で縛った。


「よし、連れて行け。私もすぐに行く」

 鎧の男二人に連れられ、パジャオが再び歩かされる。通路の先に明かりが見える。陽の光だ。


「なんだ、ここ?」


 通路の先には円形の広場があり、その周囲の段差がある客席には見た事も無い数の人間がひしめき合っていた。


ワアアアアアアアアアアアアアアッ!


 大歓声である。パジャオはその人の多さと声に圧倒される。


 オレガノは興行主としても優秀であった。

 そしてパジャオの演出には十全に差配した。パジャオは強かったが、あの日の様な勝ち方をされては盛り上がらない。

 そして導き出した結果行われたのは…


「さぁさぁ紳士淑女の皆様方っ!本日のメインイベントですっ!皆様御存知、オレガノ様秘蔵の熊殺しの怪童っ!パジャオオオオオオオオッ!」

 解説進行役が大仰にパジャオを紹介し、観客席が沸く。


「ここに噂の熊殺しが遂にお目見え致しましたっ!そしてその怪童の技に抗えるかっ!異例の三対一っ!ベテラン三人に対しルーキーは一人っ!さぁさぁ皆様方はっ!今回のカードはどちらに張りましたかなっ!それでは皆様方のお財布の中身を懸けたラストバトルっ!間もなく開戦ですっ!」

 解説進行役の大声に観客は熱狂する。


 異例も異例、鳴り物入りの新人一人と、上位ではないが勝ち星も安定している中堅三人のタッグマッチだ。パジャオの勝利条件は三人全員倒す事。三人の方は二人やられてもパジャオを倒し、最後に一人でも残っていれば良いという、有り得ない好条件の戦いである。


「あれが熊殺しか。本当に子供じゃないか」

「可愛いわぁ、持って帰りたい」

「しまったっ!さっきの勝ち分全部熊殺しに賭けちまった」

 観客達はパジャオをジロジロと値踏みしながら口々に感想を述べる。

 客の中には稀に生活費まで賭けてしまう賭博狂いも居るが、大体は娯楽として割り切っている。入場料や飲食代でもかなりの稼ぎになるため、オレガノもあまり客が破滅する様な賭け方を勧めていない。

 楽しく観戦し興奮し、気持ち良く帰って貰いまた来て貰う。

 それがオレガノ自慢の、健全な拳闘奴隷の闘技場である。

 動物や魔物と戦わせたり、武器を使う剣闘奴隷同士による殺し合いのショーはあまり好きではなかった。

 拮抗する実力者同士の名勝負等滅多に無く、そういった闘技場では最終的に強者が弱者をいたぶる残虐ショーに成り果てる。

 オレガノの知るとある闘技場では、最終的には奴隷の子供を剣闘奴隷が追い回して斬り殺し、観客が喝采を上げる醜悪な見世物となっていた。

 賭けの対象も、子供が死ぬまで何回剣に耐えられるかといった最悪な遊び方であった。

 町の役人達からも目を付けられており、残虐性や加虐性を刺激された観客の気性もその様に変化し、治安も悪化した。

 それと真逆にこの町では一種の格闘ブームが起こっており、町人達には格闘技を嗜む者も多い。奴隷とはいえ上位の拳闘奴隷達は人気があり、制限付きだが町中に遊びに行けば酒を奢られたり娼婦にサービスを受けたりする。

 余談だが、町の格闘道場で技を教える元拳闘奴隷も居たりする。

 そんなオレガノの拳闘王国に、熊を素手で殴り殺した子供がやって来たのだ。盛り上がらない訳が無い。


「違うタイプの戦士を揃えたぞ。さぁどう戦う?」

 引退した元拳闘奴隷二人を従え、特別観覧席にやって来たオレガノがワクワクしながら眼下の景色を眺めていた。






 闘技場には三人の男達が居た。横幅がある巨漢の男、長身痩躯の男、中肉中背の男。


「俺達三人と子供一人か、安く見積もられたものだ」

 中肉中背の男がぼやく。


「何でもいい、アイツを倒しゃ酒と女が手に入るんだ」

 巨漢が腹を震わせながら笑う。


「………」

 長身の男は目をギラつかせて少年を睨むだけだ。


「それでは、始めぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」

 進行の男が叫ぶ。

「うおおおおおおおおおおおっ!」

 観客も熱狂で応える。

 前座の試合を経て、会場の空気は十分に温まっていた。


「よぉぉしっ!俺から行くぜぇぇぇっ!俺一人で倒せば褒美は総取りで良いよなぁぁぁあっ!」

 巨漢が見た目を裏切る速度で駆け出す。彼の持ち味は見た目通りのパワーと、見た目にそぐわぬスピードである。

 さらに頭も切れ、経験も豊富だ。


「オラァァァァァァッ!」

 決して熊殺しを子供と侮ってはいなかった。あのオレガノのデビュー前からのお気に入りだ。

 一筋縄ではいかないはずである。なので相手が実力を出し切る前に倒す。定石である。しかし…


ズンッ!


「ぐぽぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?」


 巨漢は駆け出した勢いそのままに背後に吹き飛ぶ。観客には巨漢が自分から後ろにジャンプした様に見えたかも知れない。しかし目の良い者、目が肥えた者にはカウンターでパジャオの掌が腹に突き刺さるのが解った。


「カウンター。だけど…」

 ニゲラが呟く。

「そのまま真後ろに吹き飛ぶ理屈が解らん。何をやった?ん…奴の足元…そういう事か?」

 ディルも唸る。

「ふふふっ!期待通りだなっ!」

 オレガノだけは嬉しそうに笑っていた。


「え、何?」

 パジャオは掌を下ろし首を傾げる。突然襲いかかって来たので思わずカウンターを合わせたが、状況が良く解っていなかった。

 彼の足元の石畳が放射状にひび割れている。

 カウンターを合わせる瞬間に震脚によるエネルギーも上乗せしたのだ。ここに身体が軋む程の回転を加えて破壊力を増幅したものが、例の熊を倒した心臓打ちだ。

 それをすれば巨漢を殺してしまっていただろうし、パジャオも身体を痛めただろう。


「ゲボッ!オエエエエッ!」

 巨漢は嘔吐し転げ回るが意識は失っておらず、転げながらも恨めしげにパジャオを睨んでいる。

「…………っ!」

 長身痩躯が足音も無くスルスルと移動する。

 容貌も合わせてまるで亡霊の様な動きだ。

 長い腕を振り上げ虚空を薙ぐ。

 彼の戦闘スタイルは長い手で相手を掴むところから始まる。その握力で腕や足を握り潰すか、その膂力で大きく振りかぶり地面へ叩き付けるといったものだ。

 しかし、パジャオを捕まえようと伸ばした長い手は全て躱される。

「え?何で」

 実は、ここまでで誰もパジャオに拳闘奴隷と闘技場について話していない事に、誰も気づいていなかった。

 無口無表情で野生的であり、素手で熊を殴り殺す怪童。そんな先入観から、皆がパジャオを誤解していた。

 きっと血に飢えた獣の様な戦士なのだと。

 戦いの場に放り込めば眼前の敵を容赦無く地に沈める悪鬼羅刹なのだと。


「なんだよ、もう」

 しかしそれは大きな間違いであった。パジャオは基本的に穏やかな気性と平和的な思考を持つ人間だった。

 出会った相手の強さを推し量るのは癖の様なものであり、別に誰とでもやりあいたい訳ではない。

 死と隣合わせの闘争を楽しむ部分はパジャオの一面でしかなく、余程の事が無ければ表に顔を出さない心の深奥に隠れているものである。故に…


ドゴッ!


 それ程強くない相手には殺意も敵意も抱かない。

「…………っ!?」

 長身痩躯の男が足を払われ宙を舞う。

 遠心力を利用し加速していた手と上半身の勢いがそのまま利用され、長身痩躯の体が縦に横に回転しながら空に上がって地に落ちる。

 それを見て観客席からは大歓声が上がる。

「マジか」

 中肉中背の男が腕を上げて構えを取る。

「あの…何?」

 パジャオが困った様に眉根を寄せる。

「遊びたいの?」

 兄弟達とは良く遊んだ。本気を出さずに噛みつき合い、掴み合い、じゃれ合って加減を学ぶ。

 いつしか本気でやれば殺してしまうと気付き、遊ぶ事は控えていた。しかし…

「遊んで…くれる、の?」

 パジャオの顔に少し喜色が浮かぶ。チラリと見ると、巨漢はさらに闘志を燃やし怒気を漲らせている。長身痩躯の男も受け身をきちんと取れたのかのそりと起き上がっている。まだまだ戦えるらしい。

「遊んで、いいの?」

 パジャオが微かに笑う。その笑顔を見て中肉中背の男が顔を引き攣らせる。

「誰が…熊殺しだよ」

 彼は正当な武術を学んでいる男であった。その彼の目から見ても、パジャオの動きは異常だった。

「こんなの…熊と殺し合った方がまだマシだぜ」

 目の前の男は、熊殺しなどという安っぽい枠に収めて良い存在ではなかった。

「化け物め…!」

 三人の拳闘奴隷が一斉にパジャオに襲いかかって行く。それを待ち受けるパジャオは…


「あは」


 子供らしい無邪気な笑顔を、浮かべるのだった。

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