第2話 逃避行

「ど、何処に行くの?」

 馬を走らせながら、ペリルラが不安気にパジャオに訊ねる。


「………」

 パジャオは無言だ。ペリルラがさらに不安を募らせる。


(…捨てられたら、どうしよう…)

 ペリルラは奴隷ではなかった。貴族の子弟の護衛達に拐われてきた村娘に過ぎない。村へ帰りたかった。

 だが一人で帰るのは心細い。道中女の一人旅、また何者かに捕まり売り飛ばされる可能性が高い。今度こそ殺されるかも知れない。


「ね、ねぇ、うちの村に、来ない?」

 一か八か、パジャオに話しかけてみる。それも危険な相談であった。この少年は貴族の子弟達を殺しているのだ。捕まれば死罪。一緒に居れば自分も同罪になるだろう。

 そして何より…


(怖い…)

 この年端もいかぬ少年の事がペリルラは怖かった。気味が悪いとも思った。


「行く」

「え?」


 パジャオの返答にペリルラがポカンとした顔になる。断られるか、無視されると思っていたのだ。そしてその答えを聞いて、安心するどころか逆に不安が強まった。


(貴族殺しの子供なんて、匿ってたら死罪…)

 正直な話、自分の村まで護衛として側に居てくれたら、その後はすぐに何処かへ居なくなって欲しかった。そんな浅ましく自分勝手な考えを、彼女は無理矢理抑え込む。


(この子は貴族を倒すために私を囮に使った。そのお返しだ…)

 それも都合の良い話であった。パジャオがペリルラを助ける義理も理由も、本来は無いのだから。


(…なんで助けてくれたの?)

 何故彼が自分を助けてくれたのかが解らなかった。解らなかったので、彼女なりに形だけでも誠意を見せようとこっそりと思った。


「村。村か」

 パジャオは実のところ、特に何も考えていなかった。ペリルラを助けたのはたまたまだった。囮にしたのはそれはそう、ペリルラが弱かったからだ。生き残っていたのはたまたまだ。

 もしもペリルラが馬に乗れなかったら、彼女を置いて一人走って逃げていただろう。

 パジャオの脳裡には母狼や兄弟狼達、師ホエイシャンの姿が思い浮かんでいた。見返りを求めた事は無かったが、皆自分を助けてくれたし、自分も皆を助けた。それがパジャオにとっての日常であった。





 夜になった。二人は山の中で野宿をしていた。ペリルラの村に帰るにはこの山を越える必要があるらしい。大きな町に入るルートもあったが、追手の事を考えてこちらの道にしたそうだ。

 ボロボロの衣服の少年少女、しかも少年の方には奴隷の証である首輪がしてある。すぐに脱走奴隷として衛兵に捕まるだろう。貴族殺しの犯人と解れば一巻の終わりだ。


「寒い…」

  ペリルラは山の夜の寒さに震えていた。身に纏う衣服は破かれたままのボロ布だ。火を起こす道具も無い。凍えてしまいそうだった。

「ひっ!?」

 何の脈絡も無くパジャオが抱きついてきた。丸まって震えていたペリルラの背中から温もりを感じる。

 男が怖かった。貴族達に無理矢理犯され汚されたから。少年とはいえパジャオも男だ。しかし…


(あたた…かい…)


 パジャオの温もりを感じているうちに、体の震えが止まっていた。パジャオに他意は無く、ただ単に彼も寒かっただけだ。寒い時は母や兄弟達と一緒に丸くなっていた。その通りにしただけだった。

(せ、誠意を見せない、と…)

 ペリルラは怖かった。男に触れられる事よりも、見捨てられて死ぬ方が怖かった。なんとかパジャオの悦ぶ事をしようと思ったが、失敗した。

 恐怖と疲労と寒さと空腹により限界に来ていた彼女は、パジャオの体温を背中に感じながら、泥の様に眠ってしまった。






 朝になった。目覚めるとパジャオが居なかった。木の枝に繋がれた馬の嘶きで目が覚めたのだ。独りきりで不安になる。

「何処に行ったの?」

 間もなくパジャオは帰還した。ホッと胸を撫で下ろすペリルラ。

「何処に行ってたの?パジャオ」

「ん」

 パジャオは手に果物と野兎を持っていた。彼はあっという間に野兎を素手で解体すると、血の滴る生肉を差し出して来た。

「え?あの…火を…ううん、果物だけ、貰うね?ありがとう…」

 薄々感じていたが、この子供はもしかしたら…

(山とかで暮らしてたのかな?独りっきりで…)

 当たらずも遠からずであった。パジャオの母や兄弟は狼であり、強いて言うならば父は山そのものであった。

「肉、美味いぞ」

 狩りに出される前夜に食べた肉も美味しかったが、やはり自分で獲った肉の味は格別である。

「そう、良かったね」

 ペリルラが少し微笑んだ。男とか子供だとか以前に、何か獣や動物と話してる気分になってきた。しかし複数の男達に輪姦された直後であるペリルラにとっては、男を感じさせないパジャオの振る舞いは、かえって有り難かった。

 生き残るためにもこの少年を利用しなければならないのだから。


 その山はそこまで険しくもなく、難無く峠は越える事が出来た。後は下るだけである。

 そんな時に唐突にそれは現れた。得てして死や絶望といったものは、当事者にすると唐突に過ぎるものなのだ。


「グフッ、グフッ、グフッ」

 真っ黒い小山の様な塊が、鼻息を荒くしながらこちらに近づいて来ていた。


「ひぃぃぃっ!?」

 熊が出た。出るのは知っていたが、そうそう遭遇する様な相手でもない。しかしよりによってこんな時でなくても良いだろうに。

(なんで私ばっかこんな目に遭うのっ!?何にも悪い事してないのにっ!神様なんて居ないんだっ!聖獣様だって私を救けてなんかくれないっ!恨んでやるっ!)

 ペリルラは死を覚悟し、神と聖獣を呪った。


「おい」

「はひっ」

 パジャオが馬の背に立ち上がっていた。よろける素振りも無い見事な平衡感覚である。


「あ…」

(私、ここで死ぬんだ?)

 ペリルラは何処か他人事の様にそう確信していた。

 あの時みたいに、パジャオに囮に使われると思ったからだ。

 犯されるのも屈辱的で辛かったが、殺される前にパジャオが救けてくれた。

 しかし、熊に襲われて五体満足でいられる訳がない。

 パジャオはペリルラを囮にした後に熊を倒すのか?それとも逃げるのか?どちらにしろ、ペリルラは死ぬ。


(しっ!死にたくないっ!)

 人間狩りをされていた時は、ただ死にたくなかった。男達に犯されてる時は死んでしまいたいとも思ったが、助かってしまった。

 村に帰りたかった。父と母にまた会いたかった。仲良しの幼馴染みにもまた会いたかった。

 死にたくない。生きたい。ペリルラは心の底からそう思った。


「ガアアアアアアアアアアアアアアウッ!!!」


 大気を震わす地鳴りの様な雄叫びに背筋がシャンと伸びる。

「―――え?」

 それが無口で無愛想な少年の口から迸ったものだと理解するまでに少しの時間を要した。


「走れっ!」

「え?で、でも…」

「行けっ!」


 パジャオはそう言うと馬から飛び降りる。

「きゃあっ!?」

 馬が突然走り出した。パジャオが馬の尻を蹴り飛ばしたのだと理解するまでまた少し時間がかかった。

「そんなっ!?」


 解らない。

 パジャオの事が解らない。

 何故自分を助けてくれるのか?

 何故自分に良くしてくれるのか?

 何故自分を囮として利用しないのか?


(何故……貴族達に犯されている時に救けてくれなかったの?)


 解らない解らない。

 その答えは恐らく一生解らなくなるだろう。

 何故ならパジャオはすぐに熊に殺され食べられてしまうのだから。






 ペリルラを乗せた馬が山道を下って行く蹄の音を聴きながら、パジャオは落ち着いていた。


「熊?て言うんだっけ。ジイさん」


 パジャオが匂いや音や姿で認識し記憶していた物を、師ホエイシャンは名前と紐付けてくれていた。地面に描く絵も上手く、教え方も上手かった。

 もしかしたら、子供に武術だけでなく学問も教える先生だったのかも知れない。それはもう、誰にも解らない事だけれど。


「熊は、久しぶりだ。皆で良く…狩ったな」


 今は母も居ない。兄弟達も居ない。一人で挑めば負ける。食われる。殺される。しかしパジャオは―――


「来い」

 そう言って微笑み、腰を落として構えを取った。

 わくわくしていた。師に教わった武術を試せる相手が向こうから来たのだから。


 貴族の子弟達は警戒していた程強くなかった。あのくらいだったらペリルラが汚される前に救けに行けたかも知れない。

 それよりもっと前に、奴隷達と協力し合えばもっとたくさん助かったかも知れない。

(いや、後ろには武器を持った兵隊が居た。勝てたかどうか解らない)

 少年は頭を振り、その逡巡を振り払う。余計な事を考えている余裕は無い。

 目の前に居るのは、温室育ちのボンボン貴族ではない。その爪や牙で明確な死をもたらす、山の主とも呼べる獣である。


『ええかパジャオ。勝てると思った相手とだけ戦え。負けそうな相手なら逃げろ。さもなくばワシの様に奴隷堕ちするぞい。いや、お前さんももう奴隷じゃったな。ぶわっひゃっひゃっひゃっ!』


「悪いな。ジイさん」


 逃げろと言われた師の教えに、背く。


「おおおおおっ!」

 己を鼓舞する様に雄叫びを上げ、パジャオが熊に突っ込む。

「ガアアアアッ!」

 応える様に熊も吠え、前足を振るう。

 パジャオの顔のすぐ側を、死が通り過ぎて行く。

「はははっ!ははっ!」

 パジャオは高らかに笑う。楽しいからだ。

 情け容赦無く自分を殺そうとしてくる相手に立ち向かうのが楽しかった。

 実はパジャオは労働奴隷の時の仕事も嫌ではなかった。

 コツコツと小さな作業を積み重ね、他人と協力して大きな岩を砕いて運ぶ。

 地道な鍛錬も嫌いではなかった。

 獣として生きてきた不自然な身体の使い方を矯正し、武人としての肉体に仕上げていくのは楽しかった。

 齢一桁でありながら、パジャオは野生の獣の技と、人の叡智により編み出された武術の、二つを兼ね備えた稀有な存在と成り果てていた。

 もしも真っ当な騎士や武術家等が今の彼を見たら、口を揃えてこう評すだろう。


 異形、怪物、化け物と―――


「はははーっ!」

 熊の脳天に渾身の踵落としを決める異形。熊の頭蓋骨は分厚く頑丈であり、剣で叩き割る事も難しい。しかしパジャオの足技は特殊な打ち方をしている。

 打撃を内部に浸透させ、脳を直接揺らす様な攻撃だ。 


「グオオッ!」

 熊はパジャオを払い除ける様に前足を振るい、頭をぶるぶると震わせる。

「あははっ、かってーな」

 パジャオの技は確かに効いてはいたが、熊を正面から仕留める程の練度は無い。

「仕方無いな。試すのはもう終わり」

 別に遊んでいた訳ではないが、一通りの基本的な足技を熊に対して打ち込んでみていた。しかしそのどれもが致命打には至らない。

 勿論人間と熊では肉体構造も耐久力も違う。しかし熊を狩った事のあるパジャオからすればある意味人間よりかは戦い慣れた相手である。

 この時点でパジャオの技は、培った野生の戦い方と、洗練された武術が醜くも美しく融合しつつあったのだ。しかし、それもまだまだ未熟。

 確かに効いてはいるし、熊も嫌がるが…その程度でしかない。このままでは仕留められない。狩れない。ならばどうするか。


「狩るよ、ちゃんと。母さん、ジイさん」


 パジャオの動きが、加速した。

 





 熊は最初迷っていた。

 小さい方の獲物の方から仕留めようとしたら、意外にすばしっこく捕らえられない。また、仕留めたとしてもあまり食いでが無い。

 逃げた方の獲物のが肉が柔らかく食いでもありそうだった。しかも四つ足の獣に乗っていた。何も無い平原ならいざ知らず、森の中。山の中。ここは彼の城、彼の領域である。

 追い付いて四つ足ごと仕留めたらお腹もいっぱいになるはずだ。


「ブオオオオオオッ!」

「ひはははっ!」


 猿…という固有名詞を熊は認識してはいなかったが、その小さい者は人ではなく猿だったのかと思った。とにかくすばしっこい。

 こちらの爪が当たらない。さらにその小さき者からの攻撃は、凄く嫌だった。

 痛くないのに、痛い。血は出ないのに身体の内側が痺れる。とにかく不快だった。恐れ臆する訳ではなかったが、鬱陶しくうんざりするものだった。

 だがそれだけだ。小さき者は、彼の敵には成り得ない。

 熊はそう判断し、逃げた獲物の方を追う事に決めた。早くしないと山を降りてしまう。

 人がたくさん居る場所は、彼にとっても分が悪いからだ。

 それが、油断となった。


ブチュンッ!


 そんな音を立て、彼の左目が破裂した。


「ギャアアアアアアアアアスッ!」


 小さき者の後ろ足の小さな爪が、それを成したのだと理解した時、彼の頭は怒りに染まったのだった。






「グオオオオオオオオッ!」

「はははははははっ!こっちだっ!来いっ!」


 怒り狂った熊は両前足を振り回し大木を薙ぎ倒す。頭を下げて突進し、岩を破壊し前へ進む。

 そうしてパジャオは熊を誘い出す事に成功する。別に罠がある訳ではなかった。ただ単にパジャオが足をしっかりと踏み締められる土がある場所、それだけだった。

 ただそれこそが重要であった。木の根が盛り上がり土が抉られた場所でパジャオは戦い慣れていなかったから。

 先程も木の枝を飛び移りながら撹乱していたが、やはり足の踏ん張りが足りなかった。


(土だ。土がある―――)


 師ホエイシャンが悲しげに誇らしげに語っていた。この武術は奴隷の技であったが、そもそもさらに昔は、大地への感謝を祈る喜びの踊りであったと言う。


ズンッ!


 パジャオの両足が大地を踏み締める。


「ふぅっ!!!」


 力を足から吸い上げ、腰を回し、肩を回し、肘を回し、腕を回し、手首を回し、拳を回す。

 拳を開く、五指を揃え、掌を突き上げる。

「グアアアアアアアアアアッ!」

 怒り狂う獣の爪が頭上を、身体の真横を薙いでいく。まともに喰らえばパジャオは即死していたはずだ。

 だが躱した。この距離、この間合い、この瞬間を手に入れられる事こそが武の極みの証。

 パジャオには才能が有った。それは学びの才能。狼である母から賜わった野生の力。師から賜わった人間の叡智。それが彼の中で混ざり合い、遂には昇華される。

 即ち―――


ドスゥッ!


「―――――――くっ!」

 パジャオが流石に苦悶の声を上げる。

 カウンターで熊の巨体を掌で撃ち抜いたのだ。未発達な身体に負荷がかかり過ぎていた。

 攻撃の先端は掌であるが、発生は足の裏から。


(心臓打ち…)


 師ホエイシャンから教わった足技主体の武術の奥義の一つである。


「グププッ―――」

 熊は思わず仰け反る。自分に何が起こったのか理解出来なかった。小さき者が身体の内側に入り込み、また不快な事をやってきた事だけは理解出来た。体が熱い。熱い熱い熱い―――


ドドオオオン…


 熊は口と鼻から大量に血を吐き出し、仰向けに倒れる。


「痛ぅ…やっ、た、か?」


 パジャオもよたよたと少し間合いを空ける。少し危なかった。熊がもしも前のめりに倒れ込んでいたら避けれなかったかも知れない。

 その技の起源は、元々は蘇生の技であった。心の臓が止まってしまった者に施し、蘇らせる技。

 外部から打ち込んだ衝撃を心臓に伝え動かし、鼓動を加速させる。加速された血流は一気に体内を駆け巡る。これにより血流の止まった死者を強引に生き返らせる事が出来る。

 ならばどうだろう?生者にそれを施すならばどうだろう?さらに怒り狂い激しく心臓を脈打たせる者に打ち込んだ場合、いったいどうなるだろう?

 答えは彼の目の前に広がっていた。


「――――グプッ―――グッ―――」


 パジャオの心臓打ちにより心臓を破裂させられた熊が呻いている。即死は免れたが長くはないだろう。心臓に刻まれた傷は極々浅いものだったが、激しく脈打つ鼓動がどんどん心臓から血を垂れ流し続ける。


「へへっ、やった」

 パジャオの顔には笑顔があった。ペリルラが見たら、きっともっと彼を近くに感じたかも知れない。

 いや、逆だろうか?熊殺しを成した子供が無邪気に笑っていたら、むしろ恐怖に蝕まれたかも知れない。

 この期に及んでパジャオは、恐ろしい熊ですら技の実験台に使ったのである。

 熊を倒す。それは狼にとっても一大事だ。群れでなく単独でそれを成し得たならば、きっと母も兄弟達も褒めてくれただろう。

 違う群れの狼達からも一目置かれたかも知れない。


「………皆に、会いたい…」


 パジャオの家族は、あの山の狼達しか居ないのだから。

 パジャオは自らの縄張りである山に帰る事にする。

 この熊は大物だったが、ただ倒しただけでその縄張りを奪える訳ではない。仕方なく成り行きで戦っただけだ。パジャオは余所者だ。この山の他の縄張りに居る獣達と争う気は特に無かった。


「?」


 パジャオはよろけ、倒れる。

 おかしい、自分は勝ったはずなのに。

 そう思うパジャオの掌にはベッタリと血が付いていた。


「あ…」


 楽しくて夢中になっていたが、腹を熊の爪が掠めていたらしい。

 腹に爪痕があり、血がたくさん出ていた。


「しまったな、ジイさん」


 死の恐怖は無かった。確かな満足感だけがあった。





 とある町の衛兵の記録。

 山に熊が出たらしいとの事。

 近隣の村々から討伐依頼が来てはいた。

 旅人が襲われたりもしていたらしい。

 中でも、熊に襲われ命からがら逃げて来たという少女の証言には信憑性が有った。

 かくして討伐隊を組み、山狩が行われた。その結果―――熊の死体を一つと、瀕死の奴隷一体を回収した。

  






「なんだこれは―――」


 その場に到着した全員が息を呑み言葉を失っていた。個体としてもかなり大物となるその熊の死体の前に、瀕死の子供が転がっていた。


「首輪?奴隷なのか?」

「このガキが、熊を?」

「嘘だろう?」

「たまたまだ。襲ってきた熊が自然に死んだ…いや、自然かこれ?」

 熊は大の字に仰向けで倒れ、血を大量に吐き出し死んでいた。普通の死に方ではなかった。

「…熊は、討伐。奴隷は回収。いいなっ!」

 部下を黙らせ、衛兵の隊長は熊殺しの褒美を得る事が出来た。さらに奴隷を奴隷商に引き渡し手数料も貰えた。


 奴隷は特に主人を示す印が無ければ奴隷商に預けるのが常識だ。彼等には横の繋がりがあるからだ。奴隷は人権は無いが持ち主の財産であり、見つけたら保護する必要がある。

 かくして瀕死の少年は近くの町の奴隷商人から、元居た奴隷商人の元に送り返される…はずだった。


「この奴隷、どうします?旦那」

「素晴らしいじゃないか、熊殺しの怪童っ!鳴り物入りだぞっ!」

「ええ?あっちには戻さないんで?」

「そんな勿体無い事するかっ!どうせ無印の首輪だっ!」

「隣町の貴族達が、息子を殺して逃げた戦争奴隷を探してるって話ですが…まさかコイツが…」


 護衛隊や奴隷商からの報告により、数が足りないのは子供の奴隷一人だけだと判明していた。しかし子供が大の大人を複数人殺し、さらに武装した兵隊から逃げ切る等無理がある。

 人数に間違いがあり、逃げたのは戦争奴隷と言う事になっていた。


 ちなみに数合わせのために近くの村から娘を拐った事実は隠蔽された。

 殺してしまえば女奴隷と押し通せるが、逃げてしまったものは仕方無いし、奴隷の首輪も無い。下手に騒げば藪蛇だ。平民を拐ったり犯したり出来るのは、あくまで非公式なうちだけだ。

 人間狩りも流石に公式記録には残せないので、貴族の若者達が奴隷を連れて森の開拓を行い、そのうちの一人の奴隷が仲間の奴隷も主の貴族達も殺して逃げた事になっていた。

 ペリルラはこうして、捜索の網からは無事逃げ果せたのだった。


「ごめんなさい。ごめんなさい…」

 

 無事に村に帰った後、ペリルラは行商を通してなんとかパジャオの安否を確認した。だがそれによりもたらされた情報は…熊は衛兵が討伐。生存者など…奴隷の少年等は存在しないとの事だった。

 ペリルラは泣いた。こんな事なら、もっと優しく接してあげれば良かった。気付かないふりをしていた事にやっと気付いた。

 パジャオに他意は無く、ただ単に自分に親切なだけだった事に。

 あの夜、自分を抱き締めてくれたのはペリルラを安心させようと優しくしてくれただけだった事に。


「ごめんなさい…パジャオ…」

 ただの村娘でしかなかったペリルラには、それ以上どうする事も出来なかった。ただ神に…聖獣様に、少年の魂が安らかに眠り、再び輪廻転生の輪に還れるよう祈る事しか出来なかった。

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