パジャオとスターアニス

猫屋犬彦

序章 パジャオ

第1話 生誕

 その赤子は口減らしとして、生まれた直後に山に捨てられた。その子を産み落とした母親が母乳を少し与えた後、死んでしまった事も大きいだろう。


 その子の父親は妻を殺したと言っても過言ではない我が子を恨んだし、疎ましくも思った。なにせ子供は他にも居る。労働力にもならぬ乳飲み子を抱える余裕は、その一家には無かった。


 さりとて妻が命がけで産んだ子供を奴隷商に売る程の度胸も無く、妻が母乳を与え亡くなった直後、後を追う様に死んでしまった…という事にした。

 幸いそんなのはよくある話である。泣き声を上げる我が子を布に包んで山に入って行く父親を見咎める者等、その村には一人も居なかった。


 確か狼の縄張りの範囲内にある木の根元に我が子を置く父親。

「…恨むなよ。俺だって…」

 父親は泣き叫ぶ我が子から逃げる様に耳を塞いで走り去る。言い訳は亡くなった妻に対してのものなのだろうか。


「グルルルル…」

 しばらくすると狼が現れた。縄張りに人間が入って来たため様子を見に来たのだ。

 その狼は逃げた人間の方には見向きもせずに、警戒する様にその赤子の周りをぐるぐる周り匂いを嗅ぎ…そして咥えて山の森の奥へと連れ去って行った。ここでその赤子の命運は尽きてしまう…はずだった。


「ちゅぱっ。ちゅぱっ」

 狼は牝であり、母であった。拾った人間の赤子を自分の子供達に混ぜ、乳を吸わせていた。

 何故その様な事をしたのかは、彼女にしか解らない事であった。先日産んだ子供達のうちの一匹が生後間もなく死んでしまった事が理由かも知れない。だからと言って人間の赤子を育てるなど、本来は必要の無い事であり、有り得ないはずの出来事だった。






「ガウガウガウッ!」

 数年の月日が経ち、子狼も育ち狩りをする様になる。そしてその中に人間の男児が混ざっている異様な光景を、近隣の村人達は見かける事になる。


「アレは魔物だ。そうに違いない」

 その男児の実父だけではなく、口減らしで子を山に捨てた覚えのある者達は恐怖した。きっとあの子供は狼を率いて復讐に来る。よくもやってくれたなと怨嗟の遠吠えを上げながら自分を引き裂きに来るという妄想に、何人もの村人が囚われ恐怖してしまった。


 山狩りが行われ、男児は呆気なく捕まってしまう。罠にかかった兄弟達を助けて怪我を負い、気を失っていた所を雇われ狩人達に捕まった。村人達はその男児を殺してくれる事を期待したが、狩人達はそうしなかった。


「ちっ。狼の毛皮が捕れると思ったのによぉ」

「まぁ良いじゃねぇか。狼に育てられたガキだ。見世物小屋に売れるさ」

 男児は狩人達に奴隷商に売られる。猿轡をされ縛り上げられたまま運ばれて行くなか、彼は確かに聴いた。


「ウオオオオオォン!アオオオオオオン!」

 

 兄弟達の悲しげな鳴き声を聴きながら、自分がもうここへ戻って来れない事を悟ったのだった。





 男児は地頭は良かった。首輪を付けられ手枷足枷を付けられ鉱山に放り込まれ労働奴隷となった時、自分の境遇を正確に理解した。そして助かった、運が良かったと思った。

 敵に捕まれば殺され食われるのが山の掟。生かされただけでも奇跡に近かった。

 一家族とはいえ群れで生活していた男児は、自分が最下級の存在となった事は理解していた。

 

「働け働け!サボるんじゃねーぞ!」


 鞭を持った監視役が怒鳴る。ある奴隷はツルハシで岩盤を削り、ある者は岩を背負って運ぶ。終わりの無い重労働。終わる時は死ぬ時だ。この鉱山から出られるのは死体だけなのだ。


「うぐっ!」

「なんだてめぇ!休んでんじゃねぇ!」

 岩の重さに耐え切れなかった老人が転びそうになり、監視役が鞭を振るった。

 その時―――


バシィッ!


「な、なんだ!?このガキっ!」

 無口で喋った所を誰も見た事もない一番幼い奴隷の子供が、鞭を素手で掴んでいた。そしてすかさず地に手を付け頭を下げる。

「ごべ、なざい」

 それは、いつだったか母である狼を殺した人間の真似だった。その人間は母狼を射殺して皮を剥いでる最中に、男児が不意打ちした。狼に混ざる自分を見て驚いた隙を突いた形だった。

 兄弟達が狩人を喰い殺すまでずっと見ていたが、その女は息の根が止まるまでごめんなさいと言い続けていた。


「けっ。一番下のガキに庇われるなんざ、情けねぇジジイだぜ」

 果たして男児の振る舞いは正解であった。監視役の男は男児の行動に溜飲を下げその場を離れていった。あのまま反抗的な態度を取っていたらさらなる怒りを買っていただろう。


「すまんのぉ。恩に着るぞ、坊主。ワシはホエイシャン。よろしくのぉ」

 老人は腰を摩りながら礼を言い、名乗って来た。その日から男児の生活は少しずつ変わり始める。

 ホエイシャンの事をそれとなく助ける代わりに、文字や言葉…さらには足技を主体にした武術を教わり始めたのだ。


「そういえば坊主、名はなんという?」

「………………」

「もしかして、名が無いのかの?」

「無い」

「そうか…なら僭越ながら、ワシが名付け親となろうかのぉ…」

 ホエイシャンは遠い目をしながら白く伸びた髭を撫でる。

「…パジャオ、はどうじゃ?」

「パ…ジャオ」

 少年が首を傾げる。

「うむ。どうじゃの?」

「パジャオ、パジャオ、パジャオ」

「ふむ。気に入ってくれたか」

 少し寂し気な表情をするホエイシャン。少年には知る由もないが、それはホエイシャンの死んだ息子の名前であった。


「俺は、パジャオ」

 少年は師であるホエイシャンより、名を賜る。





 労働後の僅かな自由時間に、師ホエイシャンの元で鍛錬を積むパジャオ。

「我が一族に伝わる武術はの、古の時代に奴隷であった祖先達が、手を縛られても足だけで戦える様に考え出したものなのじゃ…まぁワシが今奴隷になっとるのは笑えんがの。ぶわっひゃっひゃっひゃ」

 ホエイシャンは歯の抜けた大口を開けて笑った。パジャオもちょっと真似して笑ってみた。

「あっあっあっあっあ!」

 ちょっと楽しかった。






「ジイさん?ジイさん?」

 奴隷仲間でも2人が仲良くなっているのが有名になった頃、ホエイシャンは…鉱山から出る事が出来た。

 物言わぬ肉の塊と化した師を見送りながら、パジャオは思う。


(このままでは、俺もこうなる)


 師を失った喪失感や悲しみよりも、このままではいけないという焦りが生まれた瞬間であった。

 パジャオは少年と呼んで良い背格好にはなって来たが、まだ監視役を倒して逃げれる程の強さはないと自覚していた。師が居なくなった後も、隠れて鍛錬を積んでいった。






 飯は1日1回。仕事が遅れたり反抗的な目をしたら鞭が飛んでくる。理由も無く鞭打たれる事すらある。

 そんなパジャオの人生の転機は、ある貴族達の気まぐれでやってきた。


「いいか、お前はなるべく長く逃げ回れ。抵抗してもいいが、まぁどのみち死ぬ。精々頑張れ」


 そう言ってパジャオの持ち主である奴隷商はニヤニヤ笑っていた。

 その後出た晩飯が豪華だった。肉まである。

(今日は偉い奴の誕生日とかだったか?)

 奴隷商の娘の誕生日に、少し豪勢な飯が出た事があった。

 しかし理由などどうだって良かった。


「美味ぇっ!」

 夢中でかぶりついた。美味い。

 パジャオが肉に集中していると、鞭を持った監視役が近付いて来た。

 今パジャオは寝床である牢屋の中に居た。

 今夜は何故か皆で雑魚寝する大部屋ではなく、寝台付きの個室に入れられた。

 この個室は込み入った事情のある奴隷に与えられる独房なのだが、パジャオには知る由もない。


「最後の晩餐だ、良かったな。よ〜く味わって食えよ。なんでそんな晩飯が豪華かわかるか?明日、元気いっぱいに逃げる回るためさぁ」


 監視役が聞きもしないのにペラペラ話してきた。どうやらパジャオは狩りの獲物に選ばれたらしい。森の中に奴隷を解き放ち、狩った奴隷の数や点数を競う貴族の遊びらしい。

 狐狩りならぬ人間狩りである。


「それは、良い事を聞いた」

 パジャオは監視役に感謝した。


 一見無反応に見えるパジャオの姿に、監視役はつまらなそうに鼻を鳴らす。そして隣の独房に居る奴隷の所に行って、パジャオにした話とまったく同じ話をし始める。

 そこの檻からは、奴隷が折角食べた晩飯を吐き戻す音と、監視役の甲高い笑い声が聴こえて来る。

 どうやら食べ慣れぬご馳走をかきこんだ奴隷に、明日の人間狩りの事を伝え、ショックを受けて吐いたり泣き叫んだりするのを見物するのが目的らしかった。


「いい趣味してやがる」


 パジャオは冷たい石畳に横になる。寝慣れていない寝台ではかえって上手く寝れない。生き残るためにはちゃんと寝た方がいい。

 嘔吐した奴隷が居る檻の方から、すすり泣きが聴こえてくる。

(アイツはダメだろう)

 晩飯も吐き出し、眠らずに泣いている。

 明日起きた時、貴族共から逃げ延びる体力など残っていないだろう。パジャオは同情するでもなく、冷静にそう思っただけだった。






 夜が開けた後、パジャオは目隠しまでされて何処かに連れ出された。連れて来られたのは、小さな森の手前の丘だった。

 平地に少し窪地があり、そこにポツンと存在するその森は周囲から完全に孤立しており、森から抜け出せばすぐに解る。

(なるほど。逃げられないな)


「よーし、いいかお前ら。今から縄を切る。この森の中で夕方まで生き残ったら自由にしてやる。森から出たら殺すぞ」

 そう言って着飾った見知らぬ男が指し示す先には、武装した兵士達が居た。


 彼等は近くの町に住む貴族の子弟達とその護衛だった。奴隷を買って一定区間に一定期間解き放ち、それを射抜いて遊ぶ人間狩り。…いや、人間狩りですらない。人権の無い奴隷達は家畜以下の存在でしかないのだ。

 法整備の整った先進国ならいざ知らず、奴隷売買が合法とされるこの地域では罪にならない。


「女奴隷は2点、犯罪奴隷と戦争奴隷は3点な。他のは1点で良いだろ」

 見目の良い女奴隷は数が少ないので倍の得点。屈強な犯罪者や敵国の捕虜はさらに高得点。そして頭数を合わせただけのその他の奴隷は1点である。


「日没までだっ!よーし、スタートっ!さぁ、狩るぞ狩るぞーーーっ!」

 点数の内訳やルール確認をした後に、放蕩貴族達の邪悪な暇潰しが始まる。

 そしてその1点の奴隷達の中に、パジャオは居た。それなりに働き者であり、活きが良くて遊び甲斐のありそうな奴隷が選ばれたからだ。

 パジャオの普段の生真面目さがこの窮地を自ら招いたとも言える。

 …いや、これはパジャオにとって窮地などではなく…


「狩りか…久しぶりだな」


 パジャオは昂ぶるでも怒るでもなく、むしろ冷静に呟いた。

 どちらが狩る側なのかを教えてやるために。

 狩人もまた獣に狩られる場合もある事を、教えてやるために。

 パジャオは隠していた獰猛な牙と爪を、解き放つ。






「追え追えっ!逃がすな!」

「ぎゃっ!」


 ビュンッ!という弦の鳴る音と風斬り音、そして人間の悲鳴。

 その森の中はさながら小さい地獄であった。


「さぁ逃げろ逃げろ!逃げ切れたら自由にしてやるぞ!」

 心にも無い事を叫びながら、貴族の子弟達が手を叩いて追い立てる。

 奴隷達は素足、貴族達は馬。奴隷達が逃げ延びる未来は無い。

「わかってるな!勝った奴がバニラを口説くぞっ!」

「あの娼婦風情が、お高くとまりやがって」

「今夜こそ俺のモノにしてやるさ」

 どうやら彼等が懸けているのはとある高級娼婦を買う権利の様である。


ドスッ!


「ぐえええっ!」

 大柄な犯罪奴隷が首から矢を生やして倒れ伏す。

「よーし!これで6点だぁ!」


 貴族の子弟達が奴隷を追いながら森の奥へと突き進んで行く。

「…首輪も外して欲しかったな」

 少年はそう呟いて首輪の内側の皮膚をかいた。手枷足枷は外されているが、首輪はそのままにされていた。


「さて、どうする?」

 パジャオは森の奥に逃げ込むふりをして、入口付近に隠れていた。そこから森の周囲を見回す。

 貴族の護衛達は完全武装とまではいかないが、帯剣しており軽鎧も付けているし馬にも乗っている。

 近くにある空の馬車は奴隷を運んで来た物だろう。


(あの中から馬を奪って逃げる。…無理だな。そもそも馬に乗れん)

 一応の確認だ。もしも普通に逃れそうならそれに越した事は無いからだ。しかしやはり無理そうである。

 やるしかない。


 パジャオはゆっくりと森の中に入り、目的の物を探す。

 考え無しの連中は森の中に我先にと逃げ込み、貴族達に次々射殺されている。


「馬鹿だな。ここは奴等の狩り場だ。熟知されてる」

 パジャオは冷めた目で奴隷達の事を思い出していた。

 同じ奴隷だが家族でもない。

「さぁ、やるか」

 パジャオは手頃な木を見つけると、その木に登る。パジャオは軽いので限界まで高く登る。

 一番高い枝先まで行き、周囲を観察する。


「仕事が役に立ったな」

 小柄で身軽なパジャオは、高所作業も任される事が多かった。

 命綱も無しなので落ちたら死ぬ様な仕事だったが、その経験が今活きているのだ。

 その時の命がけの高所作業と比べれば、木登りなど目を瞑っても簡単に出来る児戯に等しい。

 パジャオが木の上で身を隠している間にも、森のあちこちから悲鳴が聴こえてきていた。

 狩りは順調な様である。






「ふははははっ!11点めっ!」

「ふふ、やるな。これは負けてらんねーぜ」

 笑いながら奴隷に矢を放っている彼等全員が十代中頃である。彼等は貴族の次男坊三男坊であり、責任は無いが権力はある。躾も程々で、こういった遊びにも目を瞑って貰えている。


「どれ。たまには剣の腕も鈍らせない様にしねーとな」

「ぎゃあああっ!」

 貴族の一人が、矢が何本も刺さり弱って歩けなくなった奴隷を剣で斬り殺す。

「お?今のは俺の矢が致命傷じゃねーか?」

「ふむ、私の矢も刺さっていただろ?」

「では、皆に1点ずつで如何かな?丁度割り切れる」

 貴族達はまるでパイを切り分けるかの様に、戦争奴隷の3点分を仲良く三人で分け合っていた。パジャオは木にしがみついたまま時を待つ。彼は時折地面を移動しながら素早く木登りをしていた。その最中に目的の物は手に入った。後必要なのはタイミングであるのだが…なかなか隙が無い。

(各個撃破?いや、一人でも逃がしたら援軍を呼ばれる…)

 一網打尽にするしか、勝ちの目は無かった。


「どうだ?もう勝敗は決したのではないか?」

「いいやまだだぜ?的の数が合わん。あと三匹、いや二匹残ってる」

「うむ。ではこうしようじゃないか。残り二匹を仕留めた者はボーナスポイントと言う事で」

「なるほど、私でもまだ逆転の目があるな」

「はっはっは、こういう趣向も良いな!お互い頑張りましょうぞっ!」

 貴族達が馬主を巡らせ森の中を索敵していく。小さな森は人間が隠れ潜める様な場所は少ない。


「おおっ!見つけたっ!」

「ひぃぃぃっ!?来ないでぇぇぇっ!」

 程なく女奴隷が一人見つかってしまう。その女奴隷は十代だろうか。割と美しい娘であった。どんな経緯で奴隷となったのか。…もしくは、狩りに華を添えるために拐われてきたのか。

 貴族達は女が獲物に居ないと不機嫌になるため、護衛がわざわざ村娘を拐う事もしばしばあった。

 あまり派手にやると問題になるが、平民の娘一人二人消えたとて、騒ぎ立てる様な事ではないからだ。


「ああっ!嫌ぁああっ!」

「大人しくしろっ!死ぬ前に天国に連れて行ってやるのだからなっ!」

 貴族達は女を辱める事にしたらしい。衣服を破き組み伏せ、力尽くで犯し始める。


ガシャガシャッ!


 この森は彼等の狩り場でありテリトリー。外敵等居ない。居るのは哀れな獲物達だけ。なので安心して武器を放り出し女体に群がっていく。


「痛いっ!やめっ!やめ、て…」

 人間狩りによる興奮状態となっていた貴族達は、猛る心のままに少女を犯し続ける。


「はぁ、はぁ、うっ!」

「ううっ!」

 代わる代わる少女を犯し、次々に欲望を吐き出し身体を弛緩させていく貴族達。

「ふぅ。この女どうする?誰の得点にする?」

 貴族の一人が無慈悲にも剣を抜き放ち、汚された少女の首筋に剣先を突き付ける。

「おお、そうだな。ん?そういえば残り一匹はいったい何処に―――」


ドスッ!


「え?」

 一人の貴族の頭を矢が貫通していた。天空から何者かが矢を放ったのだろうか?いや違う。

 何者かが身体ごと落下し、持っていた矢を貴族の脳天に突き刺したのだ。


「きっ!貴様ぁああああっ!」

 頭から矢を生やした貴様が倒れる。剣を抜いていた貴族が吠える。

(一人だが剣を抜かしたのは失敗だったか)

 だが状況は悪くない。彼等は馬から降りている。

 交尾をしていたためだろう。半数がズボンを膝まで下ろしてイチモツを放り出している。

(剣か。使った事無いしそもそも持てないよな)

 パジャオは鞘ごと放り出されてる剣をチラリと見たが、自分には無理と即断。呆けてる貴族の一人の腰からナイフを一本奪った。そしてそれで十分だった。


ザクザクザクザクッ!


「うぎゃああああああっ!」

「いでぇぇぇぇぇぇぇっ!」


 パジャオは迷う事無く、無防備な股間に生えている男根を全て切り落とした。

 痛みに泣け叫び股間を抑え蹲る貴族達。

「きさっ!貴様っ!なんとっ!なんと言う事をーーーっ!」

(残りは一人…)

 残ったのは剣を抜いていた貴族だけだ。

 この時、パジャオが負けて貴族が生き残る道筋は確かにあった。

 万が一の時に護衛に知らせるための笛を吹く。

 そうすれば複数の護衛がすぐにこの場に駆けつけ、パジャオを八つ裂きにしてしまったろう。今のパジャオに、武装し馬に乗った兵隊を倒しうる能力はまだ無かったからだ。

 しかし…


(なんだこのガキっ!こんなガキにっ!我等高貴なる貴族子弟が…追い込まれた…だとぉっ!認めんっ!我等の名誉を回復させるためには―――我が手で斬るしかないっ!)

 彼は敵を見誤った。相手が屈強な男奴隷だったらいざ知らず、目の前に居るのは己の膝上くらいまでしかない身長の子供なのだ。

 もしもこんなののために護衛を呼んだとしたら、恥の上塗りも良い所である。

 そもそもこんな醜悪な遊びを繰り返していたのは、嫡男でないため家を継げぬ、この世の理不尽に対する正当な憂さ晴らしであった。少なくとも彼等自身はそう思い込んでいた。

 彼のプライドは、文字通り自身の命よりも高かった。


「死ねぇぇぇぇっ!奴隷のクソガキがぁああああっ!」

 貴族は大上段で剣を振りかぶる。

「良かった」

 パジャオは安堵した。援軍を呼ばずにこちらに向かって来てくれたのだから。

 パジャオは血の付いたナイフを放り投げると、前転して剣を避ける。

 そしてその反動を利用し、大地を左足で蹴り付け右足を天高く蹴り上げる。

「ごぐんっ!」

 カウンターでパジャオの足の裏が貴族の喉を蹴り潰す。貴族はそれで絶命はしなかったが意識を失い倒れる。

「よし。よし、よし、よし」

 パジャオはそのまま流れ作業で貴族の子弟達の目に矢を突き刺していく。

「ぎゃっ!?」

「やめ…あぎっ」

 腕力の無い子供が人間を壊す場合、正確に急所を突かねばならぬからだ。

 矢なら貴族達がいっぱい持っていた。

 両目に何本も矢を突き刺し、脳味噌にも届く様に体重を乗せてグリグリと抉る。

 頑張ってその作業を続けていると、動いている貴族は一人も居なくなっていた。

「よし」

 鉱山での作業を覚えていたパジャオは、まるで仕事をしているかのように敵の死を指差し確認している。

 そんなパジャオに話しかける人間が居た。最早この森の中には、生きてる人間は二人しか居ないのだが。

「あ、ありが、とぉ…」

先程貴族達から辱めを受けていた少女が、身体を隠しながら、震えながらもなんとか少年にお礼を言ってくる。


「あなた、強い、のね…」

(なら、どうして―――)

 頭の片隅に『ならどうして、自分が犯される前に助けてくれなかったのか?』という疑問と、『それはきっと射精後の無防備な所の不意を突くためだったのよ』という解答が同時に浮かぶ。

 相手が見るからに屈強そうな犯罪奴隷や戦争奴隷だったら文句も言ったかも知れない。

 しかし目の前に居る、貴族を皆殺しにした男は―――まだ自分の半分も生きてなさそうな少年だった。


(5歳?くらい、かな?そ、それで、こんな、事を…)

 少女の心に再び恐怖が宿る。彼が自分を助けてくれる保証等、何処にも無い事に気付いたからだ。

 可愛らしいとまで言える少年の背後には、局部を切り取られ、目から何本も矢を生やした貴族達の屍が転がっている。

 死に方だけなら彼等が殺した奴隷達よりもより惨い死に方をしている。


「ひっ…」

 貴族殺しは死罪だ。目撃者は、消すのが一番安全なのだ。

 少女は己の末路を想像して絶望する。しかし、果たして彼は―――


「なぁアンタ、馬に乗れるか?」

 若干舌っ足らずな声で、そう問いかけてきた。

「…え?」

 涙目で震えていた少女が、思わず間の抜けた声を出していた。






「おかしいな?」

 護衛達が少し不審に思う。もう夕陽も傾き夜の帳が下り始めていた。

「何人か女が居たろ?お楽しみなんじゃないか?今回も女が足りなくて近くの村から現地調達したからな。大変だよまったく」

「それもそうか。性欲有り余ってるもんな」

「本当になぁ。しかもこれから夜の町に繰り出すんだろう?」

「バニラだっけ?俺達じゃ財布を逆さに振って有り金はたいても一晩も買えないぜ」

「あの年なら腰振ってりゃ誰でも良いだろうに…自分とこのメイドじゃ物足りんかね」

「ははは、若いよなぁ」

 護衛達が半笑いしながら喋る。彼等は動けない。何故なら森から逃亡する奴隷を始末するのが仕事なのだから。






「――――――いや、おかしいぞっ!」

 もうすぐ完全に陽が沈む。さすがに変だ。護衛達は馬主を巡らせ森の中へと駆け込んで行く。その時…


ダカカッ!ダカカッ!


 森の東側、西日による影が最も濃く長く伸びる方向に向かい、森の中から一頭の馬が飛び出し駆けて行く。


「うわわわわっ!?坊っちゃんっ!?」

「そんなっ!大変だっ!」

「なんと惨いっ!こ、これは素人の手じゃないぞっ!?」

「犯罪奴隷かっ!戦争奴隷の仕業―――」

「いや見ろこの念の入りよう…まさか怨恨?」

「しかもこちらの装備を使ってるっ!証拠を残さない殺り方だっ!」

「まさかプロの」

「暗殺者かっ!?」


 護衛達が護衛対象の無惨な姿を見つけてパニックになってるうちに、少年と少女は夜を駆ける。

 幸い馬の扱いを心得ていた少女が貴族の馬の手綱を握り、パジャオがその前に跨っていた。


「うぐっ!?くぅぅ…」

「平気か?」

馬の振動が股に響き呻き声を上げる少女にパジャオが声をかける。


「…私はペリルラ…貴方は?」

 ペリルラは質問に答える代わりに名乗り、そのまま質問を返した。

 そして少年は答える。

「パジャオ」

「…そう…よろしく、ね…」

 そこで会話は終ってしまった。宵闇が空と大地を染めるなか、二人は無言のまま馬を走らせたのだった。

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