第59話 王子様を甘やかす
勉強会以来の高性能キッチンを前に張り切って料理をして、無事おかゆが完成した。
あとは鷹塚さんに食べてもらうだけ!
「ごめんね。食器取り出すために、勝手に棚開けちゃった」
「別にいいよ。今更もう。好きにすればいいだろ」
「ちょうどいいサイズの土鍋があって良かったよ。ていうか、鷹塚さんの家はいい食器がたくさんあるんだから使わないともったいないよ」
おかゆが乗ったトレイを持ったオレの方へ向かって、鷹塚さんが手を伸ばしてくる。
「オレが食べさせてあげるから、鷹塚さんはそのままでいて?」
「なっ! それくらい、今のぼくでも自分で食べれるよ!」
「でも、そっちの方が楽じゃない?」
「……どうしてぼくが、葉山くんに熱いのをふーふーしてもらって食べさせてもらわないといけないんだよ」
「あっ、ふーふーした方が良かった? そうだよね、ちょっとぬるめに温度調節したけど、やっぱり熱いもんね」
「……今日のキミは強引だな。こっちのペースが狂いっぱなしだ」
「だって、これくらいしないと大人しく看病されてくれないでしょ?」
オレは、土鍋の蓋を開け、おかゆにレンゲを差し込む。
立ち込める湯気の流れを変えるように、オレはふーふーと息を吹き込んだ。
「はい、鷹塚さん♡」
「今、キミの語尾にハートマークが付いてるみたいに聞こえたんだけど?」
「そうかな? でも看病には愛情が必要だから」
「キミさぁ、あれだけぼくが迫ってもなびこうとしなかったのに、こういうときだけ愛情を持ち出すのはどういうことだい?」
「いいからいいから」
「……」
「はい、あーん」
鷹塚さんの口元へ、レンゲを運んでいく。
「わ、わかったよ。食べるから、そんな顔で微笑みかけるのはやめてくれ。いつものキミじゃないみたいだ」
そうかな? 別に普段通りだと思うけど。
むしろ、鷹塚さんの方が普段と違うよ。風邪だからかもだけど。
「……んまい」
大人しくおかゆを口にしてくれた鷹塚さん。
「不思議だ。バランス栄養食も、ゼリー飲料も、風邪のせいかいまいち味気なかったのに、キミのおかゆはやたらとおいしい……」
「オレの味に慣れちゃったのかもね。お昼はいつもオレのお弁当だったから」
「なんてことだ。ぼくの胃袋をNTRするなんて……」
「いや言い方……」
苦笑いするしかない。
「キミにこうして食べさせてもらうのは、ちょっとした羞恥プレイだね。本来なら、ぼくがキミにするべきなんだ。まあぼくの場合は口移しだから、キミが風邪を引いたときは楽しみにしていてくれ。今日の復讐をしてやる」
「やっぱり鷹塚さんはとんでもないこと考えるなぁ……」
それでも鷹塚さんは、その後もちゃんと食べてくれた。
やっぱり、お腹が空いていたのかもしれない。
お腹が膨れて満足したのか、鷹塚さんの目がとろんとしてきた。
「眠い?」
「ああ、まぶたが重いよ」
「ちゃんと食べてくれたし、横になっていいよ」
「そうする」
「じゃあ、ゆっくり寝てていいからね。オレは今のうちに、ご飯の作り置きをしちゃうから」
ベッドのそばから立とうとすると、鷹塚さんがオレの腕を掴んだ。
鷹塚さん自身も戸惑っているらしくて、どうしてそんなことをしたのかわからないような顔をしている。
「もう少し、ここにいた方がいいかな?」
「……そうしてくれた方が助かる」
「じゃあ、鷹塚さんの気の済むまでここにいるね」
「……情けない。今日は、『王子様』としての面目が丸つぶれだ」
「体調悪いんだから、面目なんて気にしなくていいでしょ。ていうかオレ、別に最初から鷹塚さんを『王子様』扱いしたことないけど……」
「なぜ?」
「なぜもなにも。だって、あれだけガンガン言い寄ってくるんだから。みんなと同じような『王子様』の印象なんて持ちようがないでしょ」
オレの想像する王子様はもっとスマートで爽やか。たぶん、鷹塚さんに集まってくる女の子たちにはそう見えているんだろうけどさ。オレの前では全然そんな感じしなかったからね。性に飢えた獣って感じで……。
「確かに。キミの前では、全然『王子様』ではなかったかもね」
「ていうか、どうしてオレだったの? オレより言い寄ってもよさそうな人なんて学校内だけでもいっぱいいそうだけど?」
「キミは別なんだよ」
「え、オレが?」
ドキッとさせられてしまう。
鷹塚さんは、別にオレを本気で好きでモノにしようと思ってない感じがしたから、オレにこだわるなんて意外にもほどがあった。
「校舎裏で出会うより前に、ぼくはキミと話をしたことがあって」
「そうなの? 全然覚えてない……」
「まあ、あのときはキミは忙しそうだったし、ぼくもキャップにマスク姿だったから、顔なんてわからなかっただろうね」
鷹塚さんみたいに目立つ人と関わっていたら、わかりそうなものだけど……。
「去年の秋頃だったかな。学校近くの公園で、キミとばったり会ったんだ」
意識が朦朧としている感じがしながらも、鷹塚さんはぽつぽつと話し始める。
「あのとき、ぼくは父親とケンカして、イライラした気分で歩いていて。それで、あの公園にたどり着いて、ベンチで休んでたんだ」
去年の秋頃……。
なんだかぼんやり思い出してきた。
確かあの日は学校が休みだったんだけど、サッカー部の手伝いをするために登校しようとしていたんだった。
あの公園で会った女子、鷹塚さんだったんだ。
「そこで、ぼくはキミと目が合ったんだよ。なんかやたら大きなカバンを肩に引っ掛けていたから、ついつい視線が向かってしまったんだ。でも、お互い面識なんてないし、無視したっておかしくないだろ? ぼくも別に話そうと思ってキミを見たわけじゃないしさ。でもキミは声を掛けてきて……」
「オレ、鷹塚さんにおにぎり渡さなかった?」
そのときオレは、サッカー部の人たちに配るための大量のおにぎりを詰めたカバンを下げていたはず。
「そうそう。キミにはよほどぼくがやつれて見えたんだろうね。『よかったらこれ食べてください! 少しは元気が出ますから!』って。もしかして、家のない人だと思ってた?」
「そんなこと思ってないよー。元気がなさそうだったから、オレにできることは何かないかなって考えて」
「その結果がおにぎりだったのかい?」
「うん。咄嗟に思いつかなかったから、手元にあるこれを渡そう! って思っちゃったんだ」
「本当にキミは面白いよ」
笑う鷹塚さん。その姿は、どこか懐かしそうで、全然嫌な気持ちはしなかった。
「……それでキミはさっさと行っちゃってね。ぼくだけおにぎり片手に取り残されたんだよ。キミのことを全然知らないってわけじゃなかった。クラスが違っていても同じ学年だし、女子みたいな男子がいることくらいは知っていたさ。だからって突然渡されたものを普通は口にしないよ。でも、なぜかそのときは違ったんだ。別に食い意地が張っていたわけじゃないよ?」
鷹塚さんは微笑む。
「なんだろうね。かたちはどうあれ、親切にされたことが嬉しかったのかもしれない。ぼくはずっと与える側で、与えられた覚えはなかったからさ」
オレの手を握る鷹塚さんの手の力が強まった感じがした。
「小さい頃に母親が出ていったせいかもしれないね。無辜の愛みたいなものをもらった記憶がないんだ。父親は仕事ばかりだったし。甘え方なんて知らないんだよ。そうして育ったのがぼくさ」
「そうだったんだ……」
鷹塚さんは、両親が不在のほぼ一人暮らしの環境を快適だと以前言っていた。
けれどあれは、寂しさを感じていた鷹塚さんの強がりだったのだろう。
どこに本心があるのかわからなくて、どこか飄々としている印象があったけれど、今、鷹塚さんは本心を口にしていると思えた。
それが、病気で弱っているせいなのか、オレを信頼してくれているからなのかはわからないけれど、正直な鷹塚さんを前にすると、胸の奥がほわほわしてきた。
だから、もっともっと、鷹塚さんのためになることをしたいと思ったんだ。
「それならオレ、今だけはお母さんの代わりをするよ!」
もちろん、本当のお母さんの代わりにはなれないけれど。
甘えさせてあげることくらいはできるはず。
「今はオレにたくさん甘えていいからね?」
「……今日、初めてキミをとんでもないやつだと思ったよ。そんなこと、これまでどんな女の子からも言われたことなかったからね」
そう微笑んだとき、10歳は年齢が下がったようにあどけなく見えた。
「だったら、時間の許す限りぼくと一緒にいてくれ」
「いいよ」
「手も握っていてくれよ」
「うん」
「あと、ぼくが寝るまで布団を手のひらでぽんぽんしてくれ。そっちの方が寝付きが良くなる気がするから」
「そうなんだ? じゃあそうするね」
お望み通り、鷹塚さんのお腹の辺りをぽんぽんとゆっくり優しく触れた。
「どう?」
「効く。本格的にまぶたが重くなってきた……」
「よかった。でも、それなら……」
「……どうしたんだい?」
「ううん、なんでもない」
「なんだ、気になるな……でも、ぼくも限界だ。あとで教えてくれよ」
眠りそうになっている鷹塚さんを邪魔したくなくて、オレは口にしかけていたことを言えなかった。
鷹塚さんは、お母さんに優しくされた記憶がないと言っていたけれど。
手のひらでぽんぽんされた方が寝付きが良くなるのなら、過去にお母さんから、眠るまでそばにいてくれて優しくされた経験があるのかもしれない。
自分の子どもを放りだしちゃう母親がいるなんて思いたくないから、たんなるオレのそうだったらいいなって願望でしかないんだけど。
やがて、穏やかな寝息が聞こえてくる。
「なにかあったら、すぐ戻ってくるからね」
はみ出ていた鷹塚さんの両腕を上掛けに収めてから、ゆっくりと立ち上がる。
作り置きを用意するなら今のうち。
すやすや眠る眠り姫になった鷹塚さんが目を覚まさないように、そろりそろりと部屋の外へ向かうのだった。
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