第57話 寝込み中の来訪【玲緒視点】
不甲斐ないことになった。
あの気まぐれの夜歩きのせいで風邪を引いた上に、それが長引くなんて。
ここのところのぼくの定位置はベッドの中。
週に一回、掃除のために通ってくるお手伝いさんには心配されたけど、風邪程度で情けない姿を見せるわけにはいかないから、大丈夫だからぼくの部屋には入らないように、とだけ言うにとどめた。
病気のときは心が弱ると聞いたけど、ベッドで見る虚ろな夢は、出ていった母親との思い出と願望が入り混じった不思議なものばかりだった。
ぼくが小学生の頃に出ていった母親とは、あまり思い出がない。
やたらと美人だった印象はあるけれど、優しくされたことは数えるほどだ。
きっと、彼女は子どもなんて持ちたくなかったのだろう。
美貌を蝕む原因になりかねないからね。
母娘の交流の思い出なんてほとんどない。
でも、そんな母親でも一度だけ、例外的な出来事があった。
何かの気まぐれで、母親らしいことを一つやってみるかという気になったのだろう。
ちょうどぼくが風邪を引いて寝込んでいるときに、看病してくれたことがあった。
今思えば、看病というには手厚さや細やかさが欠けていて、食欲がなくても食べられる食事をつくってくれるわけでもなければ、汗を拭いてくれるわけでもなく、寝込むぼくをただ見ていることしかしなかったんだけど。
そんな状態だったから、甘えることができた記憶も一切ない。
相手に嫌われたくないとか、見放されたくないとか、そんなことを考えてしまうのは、昔も今も一緒だ。何も成長していない。
ぼくは『王子様』なんて呼ばれているけれど、その資質があるかどうかはとても怪しくて、ハリボテに近い。
甘えられないから強がっていたら、いつの間にか女の子たちからやたらと尊敬されて、王子様扱いされるようになった。
ぼくが望んだかたちじゃないとはいえ、誰かから好かれる感覚は悪いものじゃなかった。
こんなぼくでも、必要としてくれる人がいるってわかったから。
だから、みんなが望むぼくの姿でい続けたんだ。
ぼくの本心はどうあれ。
「ん? 誰だろう?」
インターホンが鳴った。
無視したってよかった。
今日はお手伝いさんが来る日じゃないし、ウーバーやネットショッピングを頼んだ覚えもない。ぼくが風邪を引いたからといって父親が職場から飛んで帰ってくるはずもない。
ただ、熱に浮かされながら、延々とくだらないことを考えるループを断ち切るには、ちょっとの間だろうとベッドから抜け出す必要があると思ったんだ。
エントランスを映すモニターに視線を向けると、そこには葉山くんが映っていた。
なんで?
ていうか、家にはぼくしかいないってわかってるだろうに、やたらと遠慮がちなのはどうして?
まあ、彼らしいといえばらしいけど。
どういうわけか、大きなエコバッグをぶら下げている。
バッグからはネギが一本はみ出していて、もじもじしている姿もあいまって、まるで奥ゆかしい通い妻みたいだ。
そんな姿を見ていると、少しムラっと……いや、元気が出てきたけれど、だからと言って風邪を引いた姿を見せるのは気が進まない。葉山くんと岩渕が一緒にいたときに感じたモヤモヤもまだ気持ちの整理がついていないわけだし。
「何しに来たの?」
追い返すつもりで、ぼくは応対用のボタンを押した。
「あっ、オレ。葉山
「見ればわかるよ。エントランスにはカメラがついてるから」
「あっ、そうなんだ。オレはこういうマンションに住んだことないから。……鷹塚さん、風邪引いてるんだよね?」
どうしてぼくが風邪を引いてるって知ってるんだ?
彼とはラインでやりとりしてるけど、学校を休むとは言っても、理由が理由だけに風邪を引いたとまでは言った覚えはないんだけど。
「それなら、お見舞いに行かないとって思って。鷹塚さんが体調崩してるなんて知らなくて、気になって学校で色々訊いてるうちに知ったからなんだけど……」
わざわざそんなことまでしていたのか。
てっきり、ぼくには興味がないものと思っていたんだけどね。
ぼくはクラスメイトには弱ったところなんて見せないし言わないから、担任教師のところまで話を聞きに行ったのかもしれない。
マズいな……あれだけぼくを嫌がっていたはずの葉山くんが、ぼくのことを訊いて回る姿を想像すると、その健気さが愛おしくなってくる。
「悪いけど、帰ってくれ。流石のぼくも、今の状態でキミをオトすのは難しいから」
でも、今は葉山くんに会いたくなかった。
弱った姿を見せるのは苦手なんだ。
……それも一種の甘えに思えるからさ。
「でも、鷹塚さんはこの前、ほとんど一人暮らしって言ってたよね? それなら、体調悪いと全部自分でやらないといけないから、困ることっていっぱいあるでしょ?」
確かに。無駄に広いマンションのせいで、何をするにも億劫にも程がある。
「鷹塚さんには、美月と海未のことでお世話になってるけど、具体的なお礼は何もできてなかったから。せめて、こういうときくらいはと思って。どうかな? オレでもそれなりにお手伝いできると思うんだけど」
エコバッグを掲げて見せる葉山くん。
「……わかったよ。入ってくれ」
せっかく買ってきたらしい食材を無駄にするわけにもいかない。
根負けしたぼくは、エントランスのロックを解除する操作をした。
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