第49話 異変【玲緒視点】

 迎えてくれる人間が誰もいない部屋に帰ってきたっていうのに、ぼくはドキドキしっぱなしだった。


「……不意打ちはナシだろ……! あれだけ岩渕のことばかり気にしてたのに」


 ソファにごろごろ転がるぼくが思い浮かべるのは、葉山くんのこと。

 葉山くんっていうヤツは、心配になるほどお人好しがすぎる。

 彼の妹たちに優しくしただけで、ぼくへの警戒をなくすのだから。


「……別に、打算があって優しくしているわけじゃないけどさ」


 なんとなく、葉山くんや、その妹たちと一緒にいると、胸の内のどこかの部分が柔らかい感じになってしまう。

 これがどういう感情なのか、ハッキリ言いたくはないんだけど。

 ぼくがぼくとしてしっかり固まっていたはずの何かが壊れて、柔らかくなってしまったぼくが葉山くんの方へふらっと傾きたい気分になるんだ。

 それは、これまでとは違うぼくで、変化を望んじゃいないぼくとしては、そんなことをしたくはなかった。

 それが嫌だというわけじゃなくて、そうすることでその先が不安になってしまうから。

 葉山くんが特に大きな意味もなく口にしたはずの『好き』という言葉は、想像以上に効いていた。

 ぼくをぼくたらしめていたものをグラつかせるほどに……。


「待て待て。落ち着け。ぼくがこんな状態じゃ、葉山くんをモノにできないじゃないか」


 葉山くんのことで気が動転するなんて、全然ぼくらしくない。

 ぼくにとって、葉山くんはあくまでオトすための対象なんだ。

 そうだ、そうだ。

 本気になったらいけないっていうのに。

 彼を夢中にさせてこそのぼくじゃないか。


「だいたい、葉山くんは岩渕が好きなんだから」


 本命の子がいようが、ぼくならオトすことはできる。

 そこにウソはないんだけど、その相手はいつだって、本命の子に対する好意は持っていても、憧れて止まっていた。

 憧れの対象を、本命の子からぼくへと上手くスライドさせることができるというだけで、本気で付き合うほど好きな相手がいる子までモノにできたことはない。

 そういう子は見ただけでなんとなくわかるから、手を出すこともない。

 敗北を知ることなく勝ち続けるには、戦う前から見極める力が大事だから。

 だからこそ、葉山くんは例外にもほどがあるんだよ。

 勝ち筋は見えていたのに。


「……あの脳筋のどこがいいんだ」


 岩淵め。

 成績はぼくの方が上だし、見た目で負けている気はないし、胸だってぼくの方が上だ。なんなら、身長だってぼくの方が高いぞ。

 体で籠絡されない以上、強固な何かが葉山くんの中にはあるんだろうさ。


「ぼくの方が夢中になるんじゃ、状況が厳しいのはこっちだ」


 あの日、ぼくは校舎裏で初めて、葉山くんに対して付き合ってほしいと口にした。

 でも、彼のことは前々から意識していたんだ。

 なんだったら、声を掛けたのはあの日が初めてじゃない。

 葉山くんの方はちっとも気づいてないみたいだし、ぼくだけ覚えてるのも不公平で負けた気がするから、ずっと言えずにいるけれど……。


「……思い出したらムカついてきた」


 おかげで、ソファから立ち上がることができた。


「作戦変更だ。この調子で葉山くんと会ったら、またどこかでボロが出る」


 ただでさえ最近は、自分でもわかるくらい表情に変化が出てしまって、それを見られないように苦心することが増えてきているのだから。


「……少し学校を休もう。うん、それがいい」


 動揺を悟られて、葉山くんからつつかれるのは業腹だからね。

 まあ、葉山くんの場合からかうよりは心配して来そうなものだけど。


「メッセージだけは送っておくか」


 最近の彼は、ひとたびぼくを心配するとしつこそうだから。

 それに、彼がつくってきてくれるお弁当に罪はないわけだしね。

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