第24話 立ち上がらないでオレの尊厳

 一日の仕事がすべて終わり、入浴タイムになる。

 オレは大浴場の湯船でゆったりして、くらげのようにゆらゆら漂っていた。


「本当、岩渕さんの言う通り、ちょっとした銭湯だよ」


 一日の疲れを癒やすのにぴったりな空間。

 湯船は広く、全身を伸ばしてもまだまだ余裕がある。


「こんな広いお風呂を独り占めなんて、贅沢な時間なんだけど……ここ、少し前まで岩渕さんたちが浸かっていたお湯なんだよな……」


 男湯と女湯で別れているほど、この合宿所は広くはないから。

 一度岩渕さんの肌を経過したお湯と考えると、オレは癒やしというよりいやらしを強く意識するようになってしまう。

 今オレは、岩渕さんが流した汗とか皮脂と融合しちゃってるってこと……?


「ダメだ、ダメだ! 煩悩は封じないと!」


 女子のみんなが自分たちのあとに浴場を使わせてくれているのも、オレに対する信頼の現れ。

 変態みたいなことをして、その信頼に背くわけにはいかない!


「こうなったら、さっさと体を洗って出ちゃおう」


 せっかくのいいお風呂なのに! オレが煩悩まみれなせいで!

 オレが入ったときにはすでに湯船に浮かんでいたあひるのおもちゃを手にして、カランの前へ向かう。


「このあひるくんに見守っていてもらおう」


 オレがいらんことをしてしまわないように。

 鏡の手前にある段差にお目付け役のあひるを置いて、頭からシャワーを浴びる。

 シャンプーをして頭皮に刺激を与えたのが悪かったのか、オレのピンク色の脳細胞は、「お風呂」「体を洗う」「岩渕さん」というワードを勝手につなげてしまい、「岩渕さんがお風呂にやってきて背中を洗ってくれる」という非現実的なシチュエーションを想像してしまう。


「いやいや、ないない。ていうか、そんな妄想しちゃってる自分が恥ずかしくなるからオレの脳細胞一旦活動停止してくれないかなぁ」


 すると、ガラリと扉が開く音がした。

 ひたひたと迫る足音。


 えっ、ウソでしょ?

 まさか本当に、岩渕さんがオレの背中を?

 で、でもオレにお手伝いを頼んだことを申し訳なく思ってたっぽいし、もしかしたらそのお礼として?


 ドキドキが止まらないオレは、頭に泡を乗せたままで動きが止まっちゃう。

 そして、足音はオレの背後で止まる。


 いや、ダメだ! いくら岩渕さんが相手だからって、そんなサービスをさせるわけにはいかない!


「あの、岩渕さん――」


 気持ちだけもらっておくよ、本当にありがとう!

 そう叫ぼうとしたら、ひんやりした手のひらがオレの肩にそっと乗せられて、オレの言葉は腹の底まで引っ込んじゃった。


「やぁ。葉山くん」


 こ、このクールでボーイッシュな声は……。


「久しぶり。キミに会いたくなって、来てしまったよー」

「えっ!? その声はまさか鷹塚さん!?」

「正解。キミもぼくに会いたかっただろ? だって休日に入ってから、一度も顔を合わせられてなかったもんね?」

「いや、そんなことはどうでもいいんだけど! どうでもいいんだけど! ていうかどっから侵入してきたの!?」

「なんだい、キミは。人をGのアレみたいな言い方して。まあいい、教えてあげよう。女バスにもぼくのファンがいてね。その子に頼んだら、部外者のぼくでも入れるように手引きしてくれたのさ」


 まさか、熱意あふれる女バス部員の中に裏切り者がいたなんて!


「本当はこんな遅くに来るつもりはなかったんだけどね? でも、とても大事な用事があったからさ」


 大事な用事……ってなんだろう?


「それを済ませてから、晴れてキミに会いに来たってわけ。いじらしいだろ? ぼくのモノになりたいって思ってくれた?」

「ならないよ。ていうかオレ、今裸なんだけど!?」

「ん? そうだね。まあでも、近いうちにキミの裸なんていくらでも見ることになるんだからさ。遅いか早いかの違いだろ? 些細な問題だよ」

「全然些細じゃないよ」

「ほーら、シャンプー流すからね」


 鷹塚さんにシャワーヘッドをひったくられ、髪から泡が流れていく。

 ああ、これで目を閉じる口実がなくなっちゃう……。


「次はキミのお背中を流したいんだけど、いつまでそうやって目を閉じているつもりだい?」

「あ、開けられるわけないでしょ。この鏡越しに裸見ちゃうことになるんだからー!」

「それなら安心してよ。キミがそう言うだろうと思って、ぼくだって気を遣ってきているんだから。裸を目にすることはないから安心してよ」

「……ほんとに?」

「うん。そうだ、論より証拠。これならわかるだろ?」


 突然背中に、2つの山を押し付けられたような感触がした。

 けれど、想像していたような柔らかな感触がダイレクトに訪れたわけではなく、何かに隔てられているような感じがした。

 意を決したオレは、薄目を開けて鏡に視線を向ける。


「じゃん。これ水着」

「……なんでスクール水着?」

「キミ、こういうの好きだろ?」

「一度も言ったことないけど……?」

「そっか。やっぱりキミは、ぼくの裸の方が好きなんだよね? 脱ぐから待っててくれよ」

「い、いいから脱がなくて! もういいよ、余計なことしないで! ほら、オレの背中好きなだけ洗っていいから!」

「ふふふ、ご所望とあらば。じゃあ、このボディソープを……」

「待って。なんでボディソープを自分に塗ってるの?」

「だから、キミの体を洗ってあげるんだよ。ぼくの体でさ」

「ふ、普通にやってくれればいいから!」


 どうしていちいちいかがわしい方向に行くの!?

 普通にやっちゃつまらないじゃないか、と不満そうな鷹塚さんだったけれど、ちゃんと体を洗うためのスポンジを用意していて、わりとあっさり背中を洗ってくれる。

 なんか、他人に背中を洗ってもらうなんて変な感じ……。

 昔、美月がまだ小さい頃に一緒にお風呂に入っていたときは、こういうことをやってもらった記憶があるけれど。

 鷹塚さんのことだから、オレをいじって楽しもうって魂胆でわざわざここまで来たんだろうけれど、背中を洗う手つきは不思議と丁寧だった。

 やっぱり、鷹塚さんの本心ってよくわからないよ。


「こうして見ると、キミの背中は綺麗だね」

「筋肉がぜんぜんないだけのぺらぺらな背中なのに?」

「男だからといって頑丈な体であるべきなんて考える必要はないさ」

「そ、そうかな……」


 オレの体は筋肉なんてつきそうにないぺらぺらボディなので、そう言ってもらえるとちょっと励みになるかも……。


「体といえばね。ぼくは去年の体育で、岩渕彩珠あやみのクラスと一緒に授業を受けていたから、更衣室も一緒だったんだけど」


 うちのクラスは、2クラス合同で行われる。去年のうちのクラスの女子は、鷹塚さんのクラスと合同だったのだろう。

 でも、なんで岩渕さん?


「いやぁ、彼女の体は良かったよね。アスリートながら、決して筋肉だけが目立つような硬そうな体つきじゃなかったんだ」

「……」


 しまった。生唾飲む音が……! 大丈夫かな、鷹塚さんに聞こえてない!?


「スポーツのおかげで消費カロリーが多いだろうから、その分食べるようにしているんだろうね。パンツの上にほんの少しお肉が乗っている感じだった。ほんの少しだよ? それと、バスケは足腰の安定が大事だからね。どうしたって下半身が鍛えられて、脚も太くなってしまうんだけど、彼女の場合はごつい感じがしないし、挟まれたら気持ちよさそうな太さを感じたよね。ああ、ちなみに下着はスポブラ派みたいだね。彼女、結構大きめだから、それで大丈夫なのって思うんだけど。でもスポーツするならワイヤーが邪魔だろうしね。女の子って大変だろ?」


 岩渕さんのボディを語り継ぐ鷹塚さんのせいで、限りなく全裸に近いボディの岩渕さんが脳内でモデリングされてしまう。

 で、でも、そうだよな、岩渕さんが近づいてきて、つい体に触れちゃったとき、筋肉質の硬い感じはしなかったから……。


「キミさぁ、ぼくが洗ってあげてるっていうのに、別の女で反応するなんて失礼だと思わないかい?」

「た、鷹塚さんのせいみたいなもんじゃないかぁ! ていうか覗き込まないで!」


 タオルでちゃんと隠してあるとはいえ、視線を向けられるのは恥ずかしい。


「せっかく来たのに負けた気がして悔しいよ。こうなったら、キミにぼくの体の秘密を教えてあげる」

「えっ?」

「ぼくは体にほくろなんてないんだけれどね、実はぽつんと浮かんでいる箇所があるんだ」


 両手は自由だから、耳をふさぐことだってできた。

 それでもしないのは、オレが鷹塚さんの体に興味を持っちゃってるからってこと?

 鷹塚さんが、オレの耳元で囁いてくる。


「おっぱいの間」

「お……?」

「ブラしてるときは寄せてる状態だから見えないけれど、外したら見えるようになるよ。だから楽しみにしていてね」

「お、オレにそんな予定はないよー!」

「キミの反応を見る限り、全然ありえそうだけどね?」

「だから見ないでってー!」

「いやいや、ごめん。でも安心したよ。ありがとうね。女の子としてのぼくのプライドが失墜しなくて済んだよ」


 それまでオレの背後に膝をついて洗っていた鷹塚さんが立ち上がる。

 あっ、もしかして満足したから、これでどこかへ行ってくれるのかな?

 なんて期待したんだけどさ。


「じゃあ次はお待ちかねの前を洗うから。葉山くん、ぼくの方を向いてくれるかい? 大丈夫、痛くしないから。いや、痛いどころか、その反対で――」

「絶対ヤ!」


 オレの尊厳を守るための攻防戦は、その後しばらく続いた。

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