第22話 気になる人から好きな人へ

 練習終了後。

 今度こそ女子部員の空腹をしっかり満たせる夕食を振る舞い、みんなが入浴を終えたあと。


 オレは、懐中電灯を片手に合宿所の見回りをしていた。

 この日、女バス部員と一緒に合宿所に泊まりになったのだが、それだけじゃ悪いので、警備を申し出たのだ。昼間にちょっと迷惑かけちゃったこともあるしね。


「こうして歩いてると、夜の学校みたいで結構怖いな~」


 小声を口にするオレ。

 こうして無意味に声を出してしまうのも、暗闇に包まれた中を歩くのが怖いから。


「うわ、L字の通路。曲がった先に何かいそう……」


 こんなところに泥棒が入るわけがないし、お化けなんているはずがないから、いるとしても部員の誰かだから何も恐れることないはずなんだけど……。


「みんな、ちゃんと寝たのかな? 修学旅行状態になってたから、あっさり寝るとも思えないけど」


 部員たちが寝泊まりをする部屋は大部屋で、そこで布団を敷いて雑魚寝をすることになっている。合宿所とはいえ、一人ひとり泊まれる個室があるほど広い施設じゃないから。

 もちろんオレが寝る場所は、みんなとは別の部屋。

 管理用の部屋があって、狭いけれど一人なら眠れるだけのスペースがある。


美月みつき海未うみ、ちゃんと留守番できてるかなぁ」


 家に置いてきた妹たちのことが気になる。


「まあ、母さんがいるから大丈夫だよね。あれ? 母さんって家事どの程度できたっけ?」


 最近では母さんよりオレの方がずっと長く家事をしているから、家事能力が衰えている可能性だってある。

 流石に壊滅的に衰えていることはないだろうけど……。


「いや、親の力を信じよう……。生みの親なんだ、大丈夫だよ。……あとは、向こうの方も巡回して、と」


 通路をまっすぐ進もうとしたときだ。

 突如、右手側から大きな影が迫ってきた。


「わわっ!」


 思わず情けない声を漏らしてしまうのだが……。


「あっ、葉山くん。探したんだよー」

「な、なんだ、岩渕さんか……」

「ごめんごめん、急に出てきてびっくりしちゃったよね」


 影の正体は岩渕さんで、驚かせたことを申し訳なく思っていそうな顔をしている。


「葉山くんが見回りしてくれるっていうから、そうなんだって思って行かせちゃったけど、よく考えたらお手伝いの葉山くんにそこまでしてもらうのって悪いよね。だから、私も一緒に行こうと思って」


 胸の内がじんわり暖かくなる。

 別に一人での見回りに何の不満もなかったけれど、岩渕さんのこういう心遣いはとても嬉しかった。


「じゃ、行こっか。あとどこ周ればいいの?」

「えーっとね……」


 実は、もう大体巡回は終わってる。

 だって、この合宿所はそう広くないからね。

 でも、岩渕さんと二人きりなんて、そう遭遇することはないシチュエーションだ。


「……念入りに調べようとしちゃって、実はまだあんまり周れてないんだよね」

「よかった。もうほとんど終わってるよって言われたら、お手伝いに来た意味なくなっちゃってたから」


 そうして、岩渕さんと隣り合って合宿所内を歩くことになる。

 岩渕さんは、白Tシャツに黒いドルフィンパンツという部屋着感があふれる格好をしていて、オレは妙な感慨を覚えてしまう。

 プライベートな岩渕さんを目にする機会なんて、オレには訪れないと思っていたから。


「そだ。葉山くんはお風呂まだでしょ?」

「うん。女子のすぐあとに入るのは悪いと思って。これが終わったら入るつもり」

「えー、気にしいだねぇ、葉山くんは」


 あはは、と笑う岩渕さん。


「でも、そういうお気遣いしてくれるところ、葉山くんっぽくていいよねー。あ、お風呂はちょっと銭湯っぽくていい感じだから、ゆっくりできると思うよ」

「そうなんだ。楽しみだなー」


 オレは感動を噛み締めていた。

 こういう、他愛もない会話を二人ですることを密かに夢見ていたから。

 けれど、気を抜くと緊張で何も話せなくなっちゃいそうだ。

 だって、岩渕さんったら、両手を腰に回して胸を張るように歩いているものだから、薄いTシャツで膨らんだ胸元を強調するような感じになってしまっているのだ。歩くたびに揺れやしないかと思って、視線が隣に向きそうになってしまう。

 やめよう、やめよう。いやらしい視線でチラ見していることがバレたら絶対に嫌われちゃうから。

 すると、突然岩渕さんがくすくすと笑い始める。


「ど、どうしたの?」

「ううん。なんか、こうしてると肝試ししてるみたいで」

「ああ、肝試しね。岩渕さんはそういうホラー的なの得意なの?」

「嫌いじゃないけど、上手く楽しめないんだよね」

「えっ、どういうこと?」

「私、あんまり怖がらない方だから。友達と一緒にお化け屋敷行ったときね、みんなと一緒にノリでわーわー言ってて楽しんでたんだけど、思ったほど怖くないなっていうのが顔に出ちゃったのか、お化け屋敷から出るときに私だけスンッ……って顔してたみたいでね。ちょっと引かれちゃった。なんか冷たい人って思われたかも」

「えー、岩渕さんが冷たい人はないでしょ。今日の練習だけでも、岩渕さんが熱い人ってすぐわかるし」

「そうそう。お化け屋敷じゃちょっと失敗しちゃっただけでね。私って熱血なんだから」


 得意気に微笑む岩渕さん。

 オレはずっと前から、岩渕さんがどれだけ熱を込めて物事に取り組む人か知っている。


 あれは、去年の夏の県大会のときだった。

 うちの女バスは県内でも結構強いみたいで、県大会では毎年ベスト4まで食い込む。でも、その先へは中々進めずにいた。

 けれど、岩渕さんが一年生でレギュラーポジションを確保したその年の大会で、女バスは決勝戦まで進んだ。

 試合会場は、うちの学校の体育館。

 その日は休日だったんだけど、オレは野球部のお手伝いで学校にいて、ちょうど体育館の近くを通りがかった。

 体育館から一人出てくる岩渕さんの姿を見かけたのは、そんなときだ。

 うちの女バスは負けてしまったようだ。

 人気のない体育館の裏で、岩渕さんは一人涙を流していた。

 夏の県大会で敗退したということは、三年生にとっては最後の大会になってしまったということ。

 単純に負けて悔しかったというのもあるのかもしれないし、部を去ることになる先輩への思い入れもあったのかもしれない。

 オレにとって岩渕さんは、いつでも笑みを絶やさない明るいクラスメイトだった。涙のイメージなんて全然なかった。笑いすぎて涙を流すことはあったけれど……そのせいか、悔し涙を流す姿に強く心を動かされた。


 岩渕さんの力になれるようなことをしたい。

 でも、特別仲が良いわけでもなければ、同じ運動部員でもないオレに、大事な試合に負けた悔しさを共有できるはずもなく、どう声をかければいいのかわからなかった。

 でも、オレが心配するまでもなく、岩渕さんは涙で瞳を光らせつつも、気を引き締め直した表情で、再び体育館へと戻っていった。

 岩渕さんは、涙してしまうくらい悔しい気持ちに苛まれたって、それを乗り越えてしまう強さがあったのだ。

 そういう強さに、弱いオレは強く惹きつけられてしまった。

 ちょっと気になるクラスメイトから、恋してしまうくらい好きな人になったのは、それがきっかけだ。

 たぶん、岩渕さんはあのとき近くにオレがいたことには気づいていないだろうけれど。


「ん? どうしたの、じっと見てきて」

「い、いや、なんでもないよ」

「なぁに、私のこと好きかー?」


 まるでオレの本心を見抜かれたようで、めちゃくちゃドキッとした。


「なんてね。葉山くんが好きなのは、鷹塚さんだもんね?」


 どうやらオレは、あってはならない勘違いをされているようだ。


「この前、昼休みのとき鷹塚さんに連れて行かれたじゃん? 葉山くんって、元々お昼はどっか別のところで食べてるみたいだけど、あれって鷹塚さんと一緒に食べたいから?」

「ち、違うよ!」


 思いの外大きな声が出てしまい、オレは懐中電灯を持っていない方の手で口を覆ってしまう。


「……え、えっと、まあ、最近よく話すようにはなったかなぁ。ほら、鷹塚さんってよく女子に囲まれてて、あまり休まる時間がないみたいだったから、落ち着いてお昼を食べる場所紹介したら、キミがお昼を食べる場所をぼくが奪うわけにはいかないよってオレまで一緒にいることになってね?」


 鷹塚さんに好意を抱いているのではなく、厚意を持って接しているのだということを伝えた。


「へー、そうだったんだ」


 暗闇でもわかりそうな明るい表情の岩渕さんだった。


「ごめんごめん、私てっきり二人は付き合ってるものかと」

「本当にやめてください」

「わ、今まで見たことのないマジ顔じゃん……」


 スンッ……とした表情どころか、声まで低くなってしまったオレを目の当たりにして、意図したことではないとはいえ、鷹塚さんに好意など持っていないことがわかってくれたんじゃないかな。

 まあ、初対面のときと比べたら、ちょっとは優しいところがあるってわかってるから、そこまで邪険にする気はないけどさ。

 ……オレがこんなふうに態度を柔らかくしちゃってるのも、鷹塚さんが仕掛けてきた作戦にまんまと引っかかっちゃってるってからかな?

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