第9話 葉山さん家の晩ごはん
「おっせーぞ、あにき」
階段を降りたあとは海未と手を繋いで居間に戻ると、美月は自分の分をほぼ食べ終えていて、満足そうな顔をしていた。
「美月、またよく噛まずに食べたでしょ?」
「そんなちまちま食ってられっかよー。温かいうちにさっさといただいちまうのが、メシに対する礼儀ってもんだ」
「にいに、にいに」
海未が、美月の向かいにある幼児用の椅子を指差す。座らせてくれ、という指示が来た。オレはまた海未を抱き上げ、そこに座らせた。
「海未~。おまえもうすぐ五歳になるんだろ? それくらいで人に頼んなよな」
「ううん、にいにがかってにやってくれたの」
「ちっ、いい性格してやがんぜ。あにき、こいつにあんま騙されんなよ?」
「人聞きが悪いよ。ちょっと甘えん坊なだけでしょ」
「あーあ、あにきも将来は悪い女に騙されないようにな」
美月は椅子から降りると、キッチンの端にある炊飯器でご飯をおかわりした。
「相変わらず、よく食べるね」
「んだよー。悪いのかよ」
「ううん。いっぱい食べてくれると、オレも作った甲斐があるから」
「……嬉しそうな顔しやがって。母ちゃんよりずっと母ちゃんだな」
嫌そうな顔の美月は、椅子に戻ると再びもりもりと食事を開始する。
オレは海未の隣の椅子に座り、海未が上手く食べられるように手伝いながら自分の食事を続ける。
海未は食べ方が下手だから、目を離すと食べ物をぽろぽろ床に落としてしまうのだ。
「あっ、海未のヤツ。また嫌いなピーマンを床に落としてやがる」
「おちちゃうの」
「ほら、海未は食べるの下手だからさ。保育園の先生からも結構注意されてるみたいだし」
「……今、あにきの目を盗んでこっそり落としてたぞ?」
「まさかぁ。そんなズルいことしないよ。海未はまだ四歳なんだから」
「四歳でも女は女なんだよ。あにきは顔が女のくせに変なところで男だよな。ホント気をつけろよ」
「にいに。うみね、にいにのことせかいでいちばんすき!」
「オレも海未のこと好きだよ」
「ダメだこりゃ。すっかりだまされてやがる。お人好しは身を滅ぼすぜ」
呆れた顔の美月は、二杯目の丼もカラにして、食べ終わった食器を流し台へと運んでいく。
「あにきのさっきのため息も、女絡みなんじゃねーの?」
「えっ!?」
カンの良すぎる妹を前にして、オレは思わず手にしていた箸を落としてしまう。
「なんだぁ、その反応……」
「なんでもないよ! ちょっと手が滑っただけだから!」
キッチンから疑わしげにオレを見てくる美月をどうにか誤魔化そうとする。
今日は鷹塚さんに振り回されたけれど……そのことを妹たちに伝えるわけにはいかない。
告白された上にキスされちゃいましたなんて言った日には、美月から何を言われるかわかったものじゃない。
それに、小学生と保育園児には刺激が強すぎる話だし……オレだってちゃんと説明するのは恥ずかしいし。
「にいに」
「ん? どうしたの?」
隣の海未が、身を乗り出してオレの手……というより指をそっと握ってくる。
「にいには、うみの」
「えっ?」
「にいには、うみをほうっておいたらダメだよ?」
まるで、兄が離れていってしまうことを危惧するかのような表情。
まさか、海未は察知しているっていうのだろうか? 兄が、昨日までの純粋だった頃とは違うことを。唇を通して大人の味を覚えてしまっているということを……。
「あっ、おい海未。おめーニンジンもちゃんと食えや」
「やなのー!」
「好き嫌いしてたらちっこいままだぞ」
「ねえねもちっこい! やさい、いみない!」
「はぁ? てめー、あたしが気にしてることを……!」
「ほらほら、ケンカしないの」
姉妹喧嘩が始まったことで、オレの変化は有耶無耶になってくれた。
類まれな運動能力を持つ美月だけど、身長が伸び悩んでいることを気にしているらしく、女子の成長期がやってきた今になっても150センチで身長が止まっている。
「美月だって、まだ成長期は終わってないからね。これからまだまだ身長なんて伸びるよー」
「あにきに言われると説得力がねーんだよぁ」
確かにオレも、160ごにょごにょセンチのチビかもしれないけどさ……。
「いや、ほら、美月は父さん似かもしれないし?」
「うーん、オヤジの遺伝子にかけるしかねえのか……」
美月は父さんを苦手にしている。決して嫌っているというわけではなく、単身赴任で普段家にいないので、いざ帰ってきたときに父親とどう接すればいいのかわかららないのだ。うちは母さんは社交的なんだけど、父さんは職人気質で口下手なところがあるから、父さんの方も娘とどう関わっていいのかわからないらしい。その点、海未は甘え上手だから父さんとの距離も近かったりする。
「海未も、食事は体を大きくするだけじゃないんだよ? 野菜は美容効果があって、肌が綺麗になって健康になれるんだから」
「おはだが?」
「そうそう。好き嫌いしないで食べることは、お姫様の第一歩だよね」
「……たべる」
海未はニンジンに子供用フォークを突き刺して、丸っこい頬を震わせてもきゅもきゅと咀嚼を始めた。
「げー。この歳から美容意識高ぇのかよ。霧崎の野郎みてえになりそうでイヤだなぁ」
「こらこら。大事な幼馴染でしょ。そんなこと言わないの」
「ふん。あいつとは合わねえんだよ。ごちそうさま!」
二階へと引っ込んでいく美月。
近所に住んでいる同い年の女の子とは、昔は仲が良くても、今はそうじゃないみたい。
「美月も、社交的なようでいて結構人の好き嫌いあるからなぁ」
もしかしたら、食生活よりも人間関係の方が美月には直すべきところが多いのかもしれない。
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