第2話 片思いの人
「そろそろ予鈴鳴っちゃうな。急ごう」
男子トイレを出たとき、向かいの女子トイレからちょうど出てきた生徒と目が合った。
彼女の顔を目にした瞬間、心臓の鼓動は早まり、思考力が奪われてしまう。
セミロングの髪は、明るいブラウンの色合い。
瞳の色も茶色で、いつも元気で笑顔でいることが多いからか、黙っていても明るい性格がにじみ出ている。
ネイビーのブレザーをチェック地スカートに腰巻きしているから、白いワイシャツが露出していて、胸元を大きく押し上げていた。シャツを腕まくりしたことでよく見える手首には、赤いリストバンドがしてあった。
岩渕さんはバスケ部に所属している女子で、いつでも元気なムードメーカーだ。
「おっす、葉山くん。おはよ。朝一発目がここからでごめんねー」
「い、いや、オレの方こそ!」
やっぱり岩渕さんを前にすると緊張する。
「あっ、そうだ。なんか教室で配ってたんだって?」
「ああ、クッキーね……岩渕さんの分も用意してあるよ。教室戻ったらあげるね」
「ほんとー? ありがと」
表情と心情が完全一致したような明るさ百%の笑みを浮かべる岩渕さん。
岩渕さんは女バス部員として朝練があるから、ホームルームが始まるギリギリまで教室にやってくることはなく、だからさっきみたいにクッキーを手渡す機会がなかった。
まあ、目の前にいたところで、緊張して渡せない可能性は十分にあるけど……。
「練習でちょっとお腹すいちゃったから、楽しみにしてたんだ」
「そ、そんなたいしたもんじゃないよ?」
「たいしたもんだよ。葉山くんのお菓子って評判いいんだもん」
朝から岩渕さんに褒められてしまった。
それだけで、オレの足は地面から浮いたみたいにふわふわした気分になってしまう。
オレたちは並んで教室へと向かう。
岩渕さんは女子の中では背が高い方で、こうして並ぶとオレよりちょっとだけ背が高いように見える。
女バスのエースとしての自信からか、姿勢が良くて、張り出した胸元は、それ走るのにちょっと邪魔になっちゃわない? と心の中のおじさんなオレが無粋なツッコミをする程度には目立っている。岩渕さんはブレザーを腰に巻き付けていることが多いから、余計にだ。
教室までは、精々ほんの数分間。
たったそれだけだというのに、岩渕さんと隣同士歩ける幸福を天に感謝してしまう。
無味無臭な廊下が、ほんのり爽やかな匂いに包まれた空間になる。
うちの学校の体育館には、簡易ながらシャワーがある。朝練があっても汗を流してさっぱりした状態で授業を受けることができるのだ。
つまり岩渕さんはお風呂上がり。
よく見ると、髪がほんのり湿っている気がするし……。すごい。修学旅行でもない限り立ち会えない姿を、今オレは目にしているんだ……。
マズいマズい、オレは何を考えてるんだ。
「そだ。この前のこと考えてくれた?」
岩渕さんは、歩きながらも少しだけ屈んだ姿勢でオレの顔を覗き込んでくる。
明るい髪の毛先が、肩口から零れて揺れていた。
「えっ、な、なに!?」
「やだな。ぼーっとして。ほらー、昨日相談したじゃん?」
岩渕さんから、大事な頼みを忘れるようなヤツとは思われたくない。
無理やり気を取り直して、昨日の出来事を思い出す。
「あっ、ああ、女バスの合宿の手伝いことだよね?」
「そうそう。葉山くんの家事能力があれば、うちらとしては大助かりなんだよね」
うちの学校は部活動への設備投資がしっかりしていて、運動部用の合宿所があり、今度女バスがそこを利用するらしい。
ただ、女バスの人たちは家事が苦手な人ばかり(岩渕さん含む)らしく、食事係としてオレに手伝ってほしいのだそうだ。
これまでも運動部の手伝いは何度かしたことがあって、今回は待望の岩渕さんからの頼みというわけ。
「でも、葉山くんは妹さん二人の面倒見てるって言ったでしょ? 無理だったら断ってくれてもいいんだけどー」
「大丈夫。その日は都合がついたから」
「よかった! じゃあよろしくね! 私もできるだけ手伝うからさ!」
跳ねるような足取りで教室に入っていく岩渕さんは、仲の良い女子に明るく挨拶をして、自分の席へと座る。座席はちょうどオレの対角の位置。今度の席替えで隣同士になることが、オレのささやかな夢だ。
岩渕さんのことは、去年同じクラスになったときから、明るい子だなという印象はあった。
けれど、そのときはまだ、好印象を持っただけだった。
でも、体育館で女バスが練習試合をしているところを偶然目にしたときのことだ。
コートを縦横無尽に駆け回り、味方を鼓舞しながら果敢に相手に勝負を挑んでいく姿からは、明るいムードメーカーという教室での姿とは違う、勇猛でたくましい姿が強く焼き付いた。
みんなを楽しませる明るい姿と対象的な、真剣勝負に挑む闘士の姿。
岩渕さんって、なんてカッコいいんだろう……。
ギャップを見せられてすっかり心酔してしまったオレは、帰ったあとも岩渕さんの姿を忘れられなくなり、気づいたら岩渕さんを意識しないではいられない体になっていた。
それ以来、岩渕さんの前だとついつい緊張してしまう困った体質になった。
「……こんな調子じゃ、付き合うなんて夢のまた夢だけど」
担任教師がやってきて、連絡事項を告げる中、誰にも聞こえないような声のつぶやきがつい漏れてしまう。
やっぱりオレには、もっと男らしさが必要なんだろうか?
優しさだけじゃ、好きな人の心を動かすことはできないのかな……。
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