初めてヤシマさんの彼女を見た週の週末。



 家にいても暇だからと、イツキに会いに“Black Night”に行こうと家を出たのは昼過ぎだった。



 大体休日前はイツキは家にいない。



 何をしてるのかは知らないけど、週明けまでを“Black Night”で過ごす。



 たまにあたしも一緒に行くけど、週末の夜にあたしが行く事にイツキはあまりいい顔をしない。



「危ないから週末の夜はやめとけ」って事を何度か言われた事がある。



 だから滅多に週末の夜に“Black Night”に行く事はない。



 家を出た時既に雨が降っていて一瞬行くのをやめようかと思ったけど、どうせ家にいてもする事がないからと傘を差して店に向かった。



 どんよりとした雨雲と湿った空気が気持ちを少し憂鬱にさせる。



 肌寒さに少しだけ身震いしながらコンビニの近くを通った時、見た事のある姿にふと目がとまった。



 コンビニの側面。



 軒下のきしたに立つ女の子。



 傘はなく、雨を回避しようと軒下にいるんだろうけど、その狭い場所じゃ全てを避け切れず少しだけ服が濡れてる。



 その女の子が数日前に見たヤシマさんの彼女だとすぐに分かったのは、その上品さの所為だと思う。



 一瞬、素通りしようかと思った。



 声を掛けようにもあたしの事なんて知らない訳だし、雨宿りをしてるのか誰かを待ってるのかは分からないけど、あたしが声を掛ける事なんてない。



 ……だけど。



「あのぉ……」


 何故か気付けばその子に近付き、恐る恐る声を掛けていた。



 あたしの声に彼女は振り向き、きょとんとした顔をしてから穏やかな笑顔を作る。



 そして薄く紅を引いた薄い唇をゆっくりと動かし、



「はい?」


 少しだけ小首を傾げた。



 そこでようやくハッとした。



 何であたし声掛けてんの!?って自分自身驚いた。



 だけどそれももう後の祭りで、ヤシマさんの彼女の目はしっかりとあたしを捉えている。



「あの、えっと、あた、あたし、“獣神”の、ヤシマさんの知り合いってか顔見知りってか、彼氏が“獣神”にいてヤシマさんと話した事とかあるんですけど!」


 慌てたあたしの自己紹介は、聞くに堪えない困惑ぶりで、



「あ、どうも。初めまして」


 それでも彼女は笑顔を絶やさず小さくあたしに頭を下げてくれる。



「ま、待ち合わせか何かですか?」


 不躾ぶしつけな問い掛けにも、



「はい」


 嫌な顔一つしない。



「えっと……ヤシマさんと?」


「はい。そうです」


「えっと……何時に?」


「1時半にとの事だったんですが、少し遅れているみたいですね。きっとお忙しいんだと思います」


 彼女の言葉に持ってた携帯電話の時計を見ると、時間は既に2時半を回ってて、1時間もここでこうしていたのかと思うと彼女が可哀想に思えた。



「あの、あたしコレいらないからっ」


 勢いよく声を出したのと一緒に、あたしが差し出したのは持ってた傘で、



「え?」


 彼女は反射的にそれを受け取りながら、驚いた声を出す。



「あげ、あげます!」


「え……でも、」


「いいの!いいんです!その傘ちょっと壊れてるし」


「あの、」


「って、壊れてる傘渡すのもどうかと思うけど、でもないよりはいいかなってっ」


「はい」


「それ、捨ててくれていいからっ。あ、いや。いいですから!」


「ありがとうございます」


 テンパるあたしに彼女はにっこりと微笑んで深々と頭を下げてくれる。



 その態度にそこまでされて申し訳ないって気持ちになるものの、気の利いた言葉を言えないあたしは、



「じゃ、じゃあ。そういう事で!」


 ペコリと小さく頭を下げて、“Black Night”に向かって走りだした。



 雨の所為で少し霧が立ち込める中を走りながら、少し分かった気がした。



 初めて話した彼女の口調。



 その口調はヤシマさんと同じ口調で、ヤシマさんのあの穏やかな口調は彼女を真似てのものだったのだと。



 そう思うと……そう分かると、それまで自分が思っていた事を少しだけ恥じた。



 ヤシマさんが彼女に対して何の気持もないっていうのは間違いで……むしろ彼女以上にヤシマさんは彼女を想っているのかもしれない。



 彼女がヤシマさんの口調を真似してるんだと思わなかったのは、その口調がヤシマさんよりも彼女の方が合ってるからで、ずっとそんな話し方だったんだろうって、少し聞いただけでも分かった。



 何故か凄くドキドキした。



 あのヤシマさんの好きな相手と話したって事にドキドキした。



 だから“Black Night”に行ってイツキの姿がなくても、そんな事大して気にする事もなく、ただずっとドキドキとした胸の高鳴りに興奮してた。

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